朝顔と蟷螂

今日はやっと曇り空になり残暑が和らいだ。昨日は大阪など36度を越える記録的に遅い残暑だという事だったが。
団十郎の朝顔も、咲き急ごうとしたのか14輪も咲きそろった。たった二本の蔓からだが。今年最高の花数である。
実は昨夕、その蔓上にカマキリがいるのを発見。青蛙のいた少し上である。お腹がはちきれんばかりに膨らんでいる。これも葉っぱと全く同じ色で、動かなければ見逃すところだった。ちょっと脅かしてみると鎌を振り上げ、三角形の顔をむける。そのままにしていたのだが、今朝雨戸を開けたとき、そこにまだいたのである。最初は彼女の姿は眼に入らず、おかしなものが蔓についているのが先ず眼についた。親指の第一関節までぐらいの大きさの、繭でくるまれたようなもの、その少し下には昨日のカマキリがまだいた。もちろんお腹はスマートになっていた。そして、これも青くて小さいバッタのようなものを腕に抱え、むしゃむしゃと頭から食べているではないか。いかにも無事産卵を終えて、お腹が空いたとでもいう風に・・・。またちょっと、ちょっかいを掛けて見ると、三角の顔を振り向けてまさに睨む感じ。餌はしっかと掴んで離さない。そのままにしていて、次に見たときはもう食事は完了。ご本人はまだそのままであった。よほどこの朝顔の館は、小さな生き物たちには快適のようである。
この小さな庭はあまり手入れをしないので草類がはびこり、まさに秋の野の風情、今は秋海棠、ホトトギス、水引草、藪蘭、蓼類などがそれぞれ花をつけて色を添えている。それらを見下ろす朝顔の棚は高台のようなものかもしれない。
これを書くころ、もうカマキリの姿は無かった。彼女の生みつけた卵だけがある。運がよければそこからすでにカマキリの姿をした糸くずのように小さなものたちが、沢山生まれてくるのが目撃できるだろう。

カテゴリー: 日録 | コメントする

残暑の中の秋

暫く振りに「台峯を歩く会」に出かける。連休の真ん中、30度を越える暑さになると言われる残暑なので、参加者は14名だった。
でも少ないだけまとまりよく、ゆっくりと路傍の草花も観察しながら歩く事が出来た。今夏草がたちまち生い茂る季節なので、道を隠す草や藪を刈り取らねば歩けなくなってしまう小道である。
今回の目玉を先ず紹介すると、田んぼが黄金に染まっていたということ。第1の田んぼは、まだ葉は青いが実った穂を垂れていた。倒れ伏していた部分があるが、それは先日の台風9号のせい。しかしこのくらいならば大丈夫だろうという。山陰の第2の田んぼもさっきのより黄金色は薄いが、ちゃんと実っていた。実って重い稲穂を手に取りながら、無事な刈り取りを祈る。
「今年最後のシオカラだ」、と案内のKさんが言う。トンボが一匹よぎったから・・・。シオカラが見えなくなってから、赤とんぼ(アキアカネ)が姿を見せ始めるのである。その交替の時期が今頃である。
次は、危機に直面していたニホンミツバチのこと。いつものように谷戸に至る危なかしい斜面の中ほどにある木の洞に棲みつづけている彼らが、なぜか洞の周りに群れていた。大きなスズメバチが、巣を襲おうとしていたのである。大きさでいえば半分以下、黄色い部分もほとんどなくミツバチらしくもない地味なニホンミツバチ。黄色い縞々をもつ敵はその時は2匹のようであった。それを集団で追い払おうとしているようである。
実はほんの少し前にTVで、巣を乗っ取るスズメバチの様子を見たばかりだった。大きさで言えば敵わないが、集団であたれば排除できる。それは互いの体温に違いにより、スズメの方は40度になれば活動できなくなるが、ニホンの方はもっと高い温度を持つ。だから集団で取り囲み、その熱で蒸し殺しにするのだそうである。他にも見た人がいて、きっと彼らは無事に巣を守りきるだろうといいながら通り過ぎた。
もう一つはナンバンギセルが見られたこと。煙管の姿をした不思議な花、白と少し紅がかったもの8本ほど、藪の中に咲いていた。
絞り水(すなわち湧き水)が池となったここも暑かった夏に繁殖した藻のせいか濁っていたらしいが(私は参加しなかった)今はきれいになったとのこと。せせらぎの音が気持いい。
木の花はクサギやタラノキ、この季節は道端や土手の小さな草花が、それぞれに花や実をつける頃。幼い頃それで遊んだカヤツリグサ、メヒシバ(これを傘に作ったそうだがわたしは知らなかった)、お相撲さんの名ではないがコニシキソウ、またツルボ、ミズタマソウなど名を教わり、ミズヒキソウのほかキンミズヒキソウ、猫じゃらしといわれるエノコログサにもキンエノコログサがあるといわれればその通り、少し踏み込めば未知の無限が広がってます。
しかし、出口に広がるカナムグラの海には呆然としました。どんな草も決して摘み取らないKさんもこれだけは幼い芽を見つけても排除する天敵であるのは、このようにほかの全ての植物の上に這い回り毛布のように自分の種族だけ広げ蔓延らせる、絞め殺しではない這い殺しの蔓とも言うべきものであるようです。何度か刈り取ろうとはしたそうですが、手にあまったのだと。地引網のように引っ張ってといわれて退治したのだが・・・と。これが蔓延らない前はヨシの原で、ススキに似た白い穂をそよがせていたところでした。
最後に、私はそれほど興味は無いのですが、オオカブトムシが一匹見つかったと喜んでいましたが、もしかしたら誰かが飼っていたのを離したかも知れないと、Kさんはちょっと水を注していました。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

高校生の花火

ここから400mほど離れたところに県立高校があり、今日は体育祭だった。最近は近隣のことを考えて音量も控えているようでうるさくはない。また理解や協力を請う気持からプログラムやチラシなども配ったりしているが、まだ見に行ったことはない。この家よりも後で建った学校で、歴史は浅い。
そこで後夜祭の打ち上げとして、何年か前から本物の花火を打ち上げるようになった。
今夜も、ちょうど夕食時、突然大きな音がしたので驚かされたが、花火であることを思い出した。
慌ててカーテンをあけて見る。北側の窓から大きく眺められるのである。最初の頃はいかにも手製花火の実験という感じであったが、昨年ぐらいからなかなか本格的になってきたな、と思わせるところが出てきた。薬玉のように大きく広がりそれが柳のように垂れる尺玉や、あちこちに小さく連続して打ち上げる花火の色合いも新しい色があったりして、ほんの15分足らずであるけれど、結構楽しめるのである。
学校は丘の中腹にあるので、町の多くから眺められると、チラシには宣伝してあった。花火はよほど注意しないと危ないし、又職人技なので技の習得や準備も必要だろう。頼もしいなと思ったりしている。
それが終わったと思っていると、まだ花火らしい物音がする。おかしいなと覗いてみると、それは遠くの方で花火が打ち上げられているのであった。もう花火の時期ではないし・・・・野球場か何かだろうか?
玄人の花火と素人である高校生、若者の花火を、同時に見た夜であった。

カテゴリー: 日録 | コメントする

朝顔と青蛙

雨がちになり、やっと秋の気配がただよいはじめました。
今年はほんとうに猛暑の長丁場でした。蛇でもぐんにゃりと伸びてしまいそうな。
水野さんから頂いた朝顔の苗2本が、この庭は日当たりが良くないので最初は発育が遅れていたものの、ちゃんと蔓を伸ばし、あわてて立てた竹を伝わって軒近くまで這い登り花を咲かせています。
団十郎という品種で、色はご推察どおり海老茶色、葉っぱは地模様のある面白いもので、毎朝咲く花の数を数えて楽しみしているのですが、昨日の朝、雨戸をあけた時、葉の上に小さな青蛙がいるのを見つけました。
日当たりが良くないといっても南側の一番日当たりがいいところ、ちょうど目の前の蔓の上に体長2センチほどの青蛙が眠そうに半眼あけて坐っていました。青蛙を見るとつい思い出してしまう 〈青蛙おのれもペンキ塗りたてか (芥川龍之介)〉の句ですが、ほんとうによく見ないと判別できないほど、いきいきとした葉っぱ色。
それぞれの鉢に3本立ててぐるぐる巻きつけるやり方に失敗したので、それぞれの長い一本にどんどん這い上がってきたのを互いに交差させたりしていましたが、その平行になったところの、蔓本体と葉と蕾の三角地帯に、小さな身体を乗せていたのです。柔らかな喉がひくひく動いているのがわかり、目の前に人の顔があり、間近に寄せても恐れません。半眼の眼が少し細くなるのは、又眠りにはいろうとするのでしょうか。
どこからやってきたのだろう。そしてなぜこんな朝顔の蔓の上のほうにまで・・・・? わざわざこの細い蔓を上ってきたのだろうか? 小さな小さな青蛙、蚊でも食べようとするのだろうか。
その日出かけて帰ってきた時も、まだ同じ状態でそこにいました。夕方になり雨戸を閉めようとするまで・・・・。
その時は黒い小さな眼をパッチリ開けて、少し位置は変わっていましたが、そのうちに葉の真ん中にぴょんと乗りました。それでも滑り落ちる事はないほどに軽いのでした。そのままでいることを願いながら、しかい暫くして見るともう姿は消えていました。
ぴょんと下の草むらに飛び降り、どこかへ行ってしまったようです。
かつて道端に青蛙がいたので、少しだけ滞在してもらおうと、捕らえて持ち帰り、大きな水盤風鉢に入れ、きちんと蓋をしていたつもりなのに、朝になるともうどこにも姿かたちはありませんでした。あの体で重たい蓋を持ち上げたとは考えられません。蛙はどこか妖術使いめいたところがあります。

カテゴリー: 日録 | 2件のコメント

南風洋子さんを悼んで

残暑というより猛暑のぶり返しで暑い。
昨日の新聞で、南風さんの訃報(77歳)を読んで、驚いた。
というのもほんの先ほど、民芸の舞台で、毅然として若々しく、華やかなその姿を拝見したばかりだったからだ。
7月1日のブログに、その紹介と感想を書いていますが、その時はすでに病を内にもち、それを抑えての演技だったのだろうかと思うと、胸に迫ります。
「林の中のナポリ」は、山田太一さんの書き下ろしで、南風さんを主人公に設定しての作品であるという。
少女時代の引き揚げ体験、故郷の神戸での2度の空襲などの人生の重みを一杯抱えながら、宝塚のトップスターを経て民芸に、そこでもいまや北林谷栄、奈良岡朋子さんらにつぐ代表女優として活躍されていたのに・・・・。(民芸にはお嬢さんの若杉民さんがおられます。)
ブログにも簡単に入れたけれど、この作品は南風さんを象徴するような作品であった。たくさんの悲しみ、傷み、苦しみを現実には抱えながら、自由にはばたく夢を持って、すっくと独り立ちして生きる、いや生きようとしている美しい老齢の女性を主人公としているからである。
劇ではペンションのオーナーたちをはじめ若い宿泊客たちにも、そんな生き方の自由と、それへ向わせる勇気を与えた後、そのなぞの老婦人は一体どこへ行ってしまったのか、暗示的に終わるのも、何やら南川さんの最期にふさわしいような気がする。でもこれは全く私の後から考えた一人解釈で、私の眼の中には、ただただ気品に満ちてきりっとした南風さんの、美麗な姿だけが残っているという事です。
どうかあの世でも、うつくしく輝いていてください。
ご冥福をお祈りします。

カテゴリー: 北窓だより | 4件のコメント

水中花火

猛暑が続いている。このような暑さの中では、脳も煮詰まってくるようで働かない。蝉の声に静かさを感じるくらいが関の山である。
しかもこの季節は賑やかで騒々しく、沸き立つような行事が多い事でいっそう暑さが募る。頭が働かないからこそ、そういう事柄で刺激をし恍惚状態にさせ、暑さを忘れようとするのだろうか。
8月は地獄の釜のふたも開く旧盆、原爆を落とされて敗戦を喫した月、その他さまざまな行事がデッドヒートしていやがうえにも熱くなる感じだ。
それにも拘らず、そんな中の一つ、花火を見に行った。
ここの花火の見ものは、走る船から海中に落として破裂させる水中花火である。砂浜に座っていると、眼前の海から巨大な半円の火の花びらが身体を突き上げるような轟音と共に花開き、それが船の移動と共に次々に咲いていく。それが4回ほどプログラムにあり、後はもちろん尺玉やスターマイン、職人の工夫を凝らした新しいのもある。海風を受けビール片手にそれらを眺めるのは快く、かつては時々出かけていたのだが、行きはまあまあとしても、帰りの混雑が怖いので、最近は行かなくなっていた。
人の流れの混雑はまだいいとしても、そこに行くには電車に1駅乗らねばならない。小さな駅なので、その改札が大変なのである。だからかつてもそれを避けるためにフイナーレの最も見所となる場面をあきらめて一足早く帰ったり、駅の近くに銭湯があった頃はそこで時間をつぶして帰ったりしたものである。
しかし今回は最後まで残るつもりであった。
開始一時間半まえに駅から歩き出したのだが、もう人の波である。しかし海にでると、正面は避けたのでまだゆっくりと場所は取れる。なんといっても海岸線は続いていて、目の前に海は広がっている。混雑など忘れてしまう。夕陽が雲を染めながら沈んでいき、夕闇に少しずつ包まれえていくのを感じながらビールを飲みながら枝豆やおにぎりなどを食べるのは心が伸びる。風もなく海も静かだった。
昔よりも少し変わっていた事は、もちろんその年の流行とか新型というのはあるでしょうが、私の感じでは水中花火に色々な色彩の花火が混じっていたこと、かつては昔からの花火色の同色だけで、しかし太く大きく堂々として、それが次々に花開いていくのが素晴らしいと感じていたのが、今回はそれを最終には感じたものの、前の方は華やかさの方がかっていた感じ。
見物客の方も、年によって違いはあり、今年は携帯を向ける人が多い事、「やはり花火はナマがいいよね」と言いながら、私の前方に座っていた青年はしきりに携帯を差し上げて、それを見ることの方が多い気がして、おかしくなってしまった。
帰りはどうでしたかって? 
この群集の多くが小さな駅の改札に殺到するわけですから・・・・。それで砂浜で30分以上(8時15終了ですが少し延びました)そのまま浜風に吹かれていて、やおら歩き出したのですが、これぐらいでは駄目でした。
それにしてもこの人波をさばく技術と苦労は大変だなあと思い、その方法の一端を見たということ、またさばかれる群衆の一人となって体感したということ、その事もちょっぴり書こうと思いましたが疲れたので省略します。しかしそれほど辛抱はせず何とか10時30には帰宅しました。
しかしこの混雑を避けるのはもっと遅くまで帰る時間を延ばして、帰ることを覚悟しなければならないでしょう。だからなかなか出かける気持ちにならないのです。

カテゴリー: 日録 | コメントする

小澤征爾音楽塾 歌劇「カルメン」

一日中、雲の上では雷鳴がとどろき、時には激しい雷雨にもなった先月30日のこと、これに出かけた翌日ブログを書いたのですが、なぜか不具合を生じて入れることが出来ませんでした。それでもう一度書くことにしましたが、大丈夫かな?
試してみると復旧したようなので安心して書くことにします。
これは若い音楽家たちがオペラ公演を通して深い音楽の表現力を体得するためにと、小澤征爾の提唱により2000年に発足したプロジェクトで、オーディションで選出された若い音楽家たちと約一ヶ月にわたり小澤氏をはじめ一流の音楽家たちの指導を集中的に受け、公演の運びになったものだという。
オペラといっても(演奏会形式)ということで、本来はボックスにいるはずのオーケストラが舞台の中央を占め、その背後や前面で合唱団やソリストが歌い演じる形式である。しかし音楽自体が変わるわけではないので、大掛かりな舞台装置や豪華な衣装などがないだけ音楽自体を純粋に味わえる感しで、これも簡素でいいものだなと思った。
最初に小澤氏が挨拶と紹介、いよいよ演奏が始まる。登場したのは鬼原良尚という若手の指揮者で、19歳と紹介され会場は一瞬どよめいた。黒ずくめのほっそりした姿は蟷螂を思わせ、全身をしならせて指揮棒を振る熱演はどことなく小澤さんに似ている感じがした。
内容はもちろん全曲ではなく有名な部分の抜粋である。オケと合唱団を合わせ総勢は100人を超える若いエネルギーと熱気が舞台にあふれ、スペインの闘牛とフラメンコの情熱を象徴する「カルメン」というオペラの演奏にはふさわしいようだ。合唱団は白黒の服装だが、カルメンやホセ、ミカエラやエスカミーリョのソリストたちはそれぞれに衣装をつけて堂々と演じ、楽しませられ、気分も高揚する。
大ホールはほぼ満席で、拍手鳴りやまず、客席にいた小澤さんを初め3人の指導者たちも舞台に導かれる形になり、才能を秘めた若い音楽家たちへの熱い拍手ともなった。
雷鳴は時々聞こえていたが、出かけるときもまた帰りもほとんど雨に遭うことなく、細く降りだしたのが夜になるとまた激しくなった。楽しかったけれど、やはり若いエネルギーに当てられたのか、帰り着くとぐったりしてしまい早々に寝に就いたのであった。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

民芸公演「林の中のナポリ」

先日、これを観に行った。ナポリは港町だから変だと思うかもしれないけれど、これは林の中にある、中年夫婦と娘が経営するペンションの名前である。シェフである夫がイタリアで修行した経験があり、また森の中でも港町のような明るい雰囲気にしたいという願いがこめられている。
席に着くともう舞台には紗の幕(小さな花が織り込まれて美しい)が下がっていて、照明効果による雪がその上に盛んに降っている。それを透かしてペンションのロビーは見えていて、紗の幕が上がるといよいよ劇が始まったのだが、そのロビーは、なかなかシックで洒落ていてとても気持が良く、泊まってみたいほどだった。
窓の外の風景、雪をかぶった樹木などもきれいで、舞台装置に楽しませられた。場面はここだけで変わらない。ここでの10日ほどの出来事が描かれる。
森の中のペンションは冬場にはほとんど客が来ない。スキーなどのウインタースポーツもまた温泉もない所だからである。その上インターネットに悪口を書かれたりして腐っている。
そこに娘が駅前で拾ってきたとも言える、正体不明の一人の高齢の女性が登場することからドラマは展開する。
それを演じるのが南風洋子、元宝塚スターでもあった彼女はまた空襲や引き揚げなどの戦争体験、また介護体験なども現実に経ている女優で、その懇願もあって現時代を描くことに長けている山田太一によって書かれた新作脚本である。
簡単に言えば、今日の高齢者の生き方の問題である(それはまた若い者の生きかたにも繋がる)。だから南風さんの経歴とも重なって、人生の難問を潜り抜けてきた毅然とした老婦人の謎めいた美しさが発揮されるぴったりの役なのである。(もちろんそれを目指して山田氏は書いたのであろうけれども)
ペンションの夫婦は、伊藤孝夫、樫山文枝、娘は中地美佐子。タクシーの女性運転手(有安多佳子)も面白かった。実はその老婦人とペンションのオーナーとは遠い昔の記憶に何やら重大な関わりがあったことに気づくのだが・・・。
ちょっと種を明かせば、その老婦人は家を処分して老人ホームに入ることになっていて、その途中に姿をくらまして気儘に旅をしている、確信犯的行方不明者である。
その女性の願望とも法螺ともみえる身の上話、劫を経た人間の巧みな人あしらい、その決意など、同年代であれば、ペンション夫婦の会話と共に同感する事も多いようで、私の後ろの席の女性は盛んに同意し、笑い、拍手し、少々目立ってうるさかったほどであった。
そんな年になって(なったからこそ)初めて、「そういうのは嫌だ。こうしたい」と我侭勝手をしようとするその老婦人に、女たちは次第にそうだそうだと皆いいはじめ、同調していく。しかしそこに至って(そうなったからこそ)、ただ夫だけはそれはいけないと、おろおろする。そういう男を大胆な女たちと対応させて描いたというところがうまいと、パンフにあった清水真砂子さん(「ゲド戦記」などの翻訳家、評論家)は書いているが、なるほどと感心した。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする

生粋の地元生まれの「蛍」を見に行く

6月25日の新聞に「ホタルの放流やめて」の記事があった。最近、蛍に人気がでて、あちこちで飼育や放流をするようになったが、別の場所で捕らえて放流すると、遺伝子汚染が起き(地域によって異なるという)、習性も違う事から生態系を乱す恐れがあると、研究者たちが声を上げているという。
しかしここの蛍は、生粋の地元生まれである。案内者のKさんも、それらのことに深く憂えている一人である。そのKさんに連れられて、先の土曜日の夜、蛍を見に行った。街灯などからは遠く離れた真っ暗な谷戸であるから、一人ではとうてい怖くて入れない。総勢20人足らず、幼い子どもも2人参加した。
昨年は7月9日であったから、今年は少し早い。もうたくさん出ているという。
昨年は小雨の中だったが、今年は梅雨が明けたような夏空で、半月がくっきりと空にあり、まさに月影といわれる木々の影が足元にみられた。月の光がいかに明るいかを実感しながらも、亭々とそびえる木の下闇の道はおぼつかない。
入る前にいつものように心得を聞く。足元を照らす懐中電灯はやむを得ないにしても、決して宙を照らしたり、いわんや蛍などに決して向けてはならない。直接当てると目がくらんでしまうからだ。また蛍は体が柔らかいから決してつまんではいけない。衣服や腕になど止まったときは、そっと手のひらに移して移動させる事など・・・。またどうしても近くにいる蛍を観察したかったら、電灯のレンズの先に赤いセロファンをかぶせて光を弱めてでなければいけない。
やっと暗くなり始めた7時過ぎから歩き出し、谷戸にはいるときに手を合わせる。「入らせてもらいます」と、そして「事故が無いように」と。Kさんに倣って皆そうする。
体調の悪い人はいませんか、とKさん。また霊感が強い人もちょっと恐いですよ、今日はずっと池の奥まで行きますから・・と。足の裏の土のでこぼこをしっかりと意識しながら、盲目の人が歩く感じになりながら前の人に遅れないように従いていく。
今年はとてもたくさん蛍が飛びました。
光の強い(体も大きい)源氏蛍ばかりで、平家は遅れているという(去年は同時に見られた)。200匹ぐらいは光っているでしょうと。あちらでもこちらでも、光の明滅があり、それが左右に上下(10メートルぐらいは上がる)に移動するのは、雌へのアッピール、またはそこへと近づこうとしているのか、この光の饗宴も9時になるともう収まるとの事。夜に入っての一時間が、彼らの生死をかけた婚姻の勝負なのです。飼育すれば一週間くらいは生きるかもしれないが、普通は2,3日で死んでしまうのだそうです。そういう真剣な営みの場に、ニンゲンが入り込んでいるのですから、出来るだけ邪魔をしないのが礼儀でしょう。
実は200匹は、少し多すぎるということです。ここでは100匹ぐらいが適当で、多ければよいということではないとのこと。必ず反動があるし、また環境の変化を物語るものかもしれない。特に最近は蛍の養殖業者も出てきて、餌になるカワニナの代わりに、オーストラリアからそれより大型の貝を輸入して育てるという方法も行われていて、それを川に捨てるとそれが繁殖してカワニナを駆逐するという現象も出ているとか。すなわち生態系が狂ってくる。多少の上下はあってもその地に合った常態であることが望ましいのです。
一時間あまり、前日の雨でぬかるんでいるところもあったりで足元を気にしつつ、緊張しつつ感嘆しつつ暗い森をさまよった後、出てくると彼方の里の灯が懐かしく感じられた。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

「グレゴリー・コルベール展」に行く

「ashes and snow」展が終わりに近づいていると言われ、駆け込みの感じで出かけた。どうしても見たかったからである。その後コンサートに出かける日となっていたので、連チャンとなった。
お台場に設えられたコンテナを積み上げて造られたような巨きな会場の内部は薄暗く、内部には砂一粒さえも浮き上がって見えるような臨場感のある、しかしセピア色のスクリーン状の写真パネル群、その元となった動きのある映像が、3箇所に映し出されており、全体に流れる宇宙的な音楽によって、しばし見るものは神秘的な世界に漂わせられる。
地球上で一番大きなゾウ、クジラをはじめヒョウやタカ、その他マナティ、チーター、もっと小さな動物・鳥たち、それらとニンゲンとの共生というより、静かに寄りそい、時には共に踊り、愛撫するほどに接しあい、またはクールに存在しあい、そして祈り、瞑想する、奇跡的な調和の世界が繰り広げられているのであった。すべて合成写真ではなく、そのままの写真・撮影である。どうしてこれが可能であったかということの方が奇跡のように思える。15年かかったというのも当然だろう。
それにしてもこのようにニンゲンに優しく、静かな動物たちを実際触ってみたいものだなあ・・・
この世界を要約したようなメッセージを次に掲げてみます。
 
 この世のはじめには、大空いっぱいに空飛ぶゾウがいた。重い体を翼で支えきれず、木のあいだから墜落しては、ほかの動物たちをあわてふためかせることもあった。
 灰色の空飛ぶゾウたちは皆、ガンジス川のみなもとに移り住んだ。そして、翼を捨てて地上で暮すことにした。ゾウたちが翼を脱ぐと、無数の翼は地上に落ち、雪がその上をおおってヒマラヤ山脈が生まれた。
 青いゾウは海に降り、翼はヒレになった。ゾウたちはクジラになったのだ、大海原に棲む鼻のないゾウに。その親戚にあたるのがマナティ、川に棲む鼻のないゾウだ。
 カメレオンゾウは、翼を捨てなかったが、もう地上には降り立たないことにした。眠るときには、カメレオンゾウたちはいつも空のおなじ場所で横になって、片目を開けて夢を見る。
 夜空に見える星は、眠っているゾウたちの瞬きをしない目。ぼくたちのことをできるだけ見守ってやろうと、片目を開けて眠っているゾウたちの。
 
これを読んだ時ふっと、これはまさに水野るり子さんの詩の世界だなあ、そこに通じているなあ・・・と思ったものでしたが、いかがでしょうか?
そこから帰って一休みして、コンサートに行きました。安くて割引のある席でしたが。
ベルリン交響楽団。 シューベルト:「未完成」 ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 同じく:交響曲第5番「運命」。 指揮者は、テル・アヴィヴ生まれのオール・シャンバダールという、ちょっとビール腹(今ではメタボが心配ではないだろうかと思ってしまう)の貫禄ある人、ピアノはタシケント生まれのエフゲニァ・ルビノヴァという「恐るべきパワーと想像力を持っている」と評判になったという国際コンクール2位の美しい女性。アンコールも全部で4曲もサーヴィス。
その日、私の方がメタボリック症候群になりそうなご馳走ずくめの一日で、楽しかったですがほとほと疲れました。贅沢ですね。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする