ヒグラシが鳴きました。

この数日猛暑続きですが、昨日からヒグラシが鳴き始めました。
昨年は20日ですから、今年は少し遅れているようですが、これを耳にすると私は、ああ、また夏が来たなあ!という思いに打たれるのです。少し物悲しく、寂しさをそそるこの鳴き声に…。
「夏は夜…」といわれますが、このヒグラシが鳴く「夕暮れ」が、私に「をかし」を感じさせる一番印象的な光景だと言ってもよいかもしれません。
日中の耐え切れない猛暑が、日が傾くころにふっと緩んで、風さえも出てくると、たとえクーラーをつけていても、狭い部屋での不自然な冷房は段々息苦しくなって、それを消して少しは生ぬるくても風が吹き込んでくる、それに心底ほっと息をつく感じの時にヒグラシが鳴くのです。
この一瞬に夏を感じます。しかし夜になると、パタリと風は止んで、今の時代ホタルを近くで目にする環境もなく、昔のように縁台で夕涼みという風情でもなく、夕食後は部屋に閉じこもってTVなど見るということになり、もちろん夜の街を存分に楽しむ人もいるでしょうが、そういう元気がなければ「夏は夜」とは言えないのです。
というわけで、今その夏の夕暮れのひと時に真夏を感じています。もう少しして夜が訪れると風が無くなり、また食事や食後の片づけやその他、生活の雑事や情報に振り回されることになります。

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お盆(新暦)の台峯歩き

九州北部で未曾有の被害をもたらしている梅雨末期の前線が北上しつつあるようですが、この辺は曇り空で、湿気はひどいものの風があるため歩くのには幸いしました。
お盆で連休のためか参加者は少なく、ゆっくりとモニタリングもしながら歩きましょうとKさん。昨夜はホタル観察会もあり、その前は山の手入れもあり、人数が少なかったのはそのためもあるでしょう。私はそれらをさぼっていたので、これに出ることができました。蛍は、この時期は平家ホタルで、源氏が少し残っているという状態。平家は光も弱く低い場所にいるので、源氏のような華やかさはなく、数はまあまあだったようですが、私も参加した前回が一番良かったようです。
この時期の見どころは、半夏生(半化粧)です。この辺りの湿地ではここが一番広範囲で見られるそうです。鮮やかな白でお化粧した姿が見られる時期が歩く会の日程にぴったりと合う日は年により違ってきますが、今回はそれがぴったりでした。ある場所では(半)ではなく(八分)くらいが真っ白ということもありました。その他セリやヤブミョウガの白い花。
それらの中で黄色のダイコンソウが目立ちます。ヤブカンゾウやネジバナは終わりごろ。ムラサキニガナというのも赤紫ですが小さく俯いているので地味で目立ちません。ところがこれが1メートル近くにまでなり、タンポポのように綿毛になって飛び立っていく、その寸前の姿が見られました。ジャノヒゲも薄紫の花穂をつけますが地味です。
その他可哀そうな名前を付けられたハエドクソウ(昔はこの葉っぱを蠅取り紙に使ったとか)、ヤブジラミなど。また馬を冠したウマノ・ミツバ(葉っぱが3枚ずつつく)、オオバ・ウマノ・スズクサなど。
ヤマイモに似ているけれどそれとは違う、オニドコロという厳つい名前の付いたものも、同じ種類でもヒメドコロという名前がついているのは面白い。姫のほうは葉っぱも少し細身で、地味な房のような花も鬼よりも長く全体として繊細なのである。
樹の花としては合歓の木ですが、なぜか今年は花が少ない感じもしました。実はこの近くの六国見山では、いつもはあちこちに見られるのに今年はまだ目にしないからです。その他カラスザンショウやアカメガシワの花(これらは黄色っぽく花という感じに見えない)。
この梅雨の時期、どんなに小さい庭でも草木はどんどんのびる。切っても切っても新しく伸びるのだが、それに白い小麦粉のような物がつき、それを枯らすようなのである。嫌なカビとも虫ともつかぬその正体を今日初めて教えられた。アオバ・ハゴロモだという。ずいぶん綺麗な名前だなあ…。幼虫は白いだけだが、成虫になると青みを帯びた体に白い羽をつけ、手で触ると跳ねて飛び去る。これが羽衣だなんて…、あまりにも良い名前を付けたものだと、あきれる感じ。
参加者の中には、初めてではありませんが板橋から来た人、また都内在住の高校3年という学生で大学では環境問題に係わる学部に行きたいという初参加の若者がいました。老齢化の進んできた歩く会の皆、特にKさんは期待する感じで、何をやるにも植物が基本だといろいろ話しかけ自分の考えを伝えていました。昆虫に詳しいようでした。

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蛍の宴、今年はよく飛びました。

昨夕はホタル観察会でした。昨年は数が少なかったのですが、今年は沢山出ているとのこと、いつものように「歩く会」の出口に6時半に集合、暗くなり始める7時頃から谷戸に入りました。奥までゆっくり歩き、また帰ってくるといういつものやり方です。
Kさんは来られないとの事で、このところ毎日のように様子を見に来ているMさんが案内役です。でも参加者は少なく全部で6人でした。今年2回目だということもあります。
たくさん見られるということで期待しながら歩き出しました。少しずつ暗くなりはじめますがまだ蛍の姿は見えません。でも帰るときにはこの辺でも見られるようになるとMさん。湿地帯の淀みになるところで向こうからやってきたのは若い夫婦と子供の4人。やはり蛍を見に来たと言いますが、蛍が出るのはこれからだと言われ私たちに合流。
条件は上々とのこと。雨がよく降り風がなく蒸し暑い夜だからです。それゆえ足元だけを照らせる懐中電灯、出来れば長靴が最適です。今年は雨がよく降ったので、細い道はドロドロです。足元に気を配りながらゆっくり目を凝らしているうち、誰かの「アッ、見えた」という声。これが幕開けです。ピカッと、茂みの中に青白い小さな光りが見えました。「あ、見えました」と、つい声をあげてしまいます。その後あちこちで、明滅がはじまり、次第に数も増してきます。そのうちふうわりと飛び立つものもあり、ゆらゆらとこちらに近づいてきたりします。低い茂みから高い樹の梢、洞穴のようなところ、湿地帯の上など、目を凝らします。皆光りの強い源氏蛍のようです。Mさんによれば、100頭(蛍は匹ではない)ぐらいとのこと。昨年は40頭ぐらいと言ってましたからよく見られた方ではないでしょうか。一緒になった子どもたちは初めての経験だとのこと。よかったですね。でも前にも書きましたが、これらの蛍は全くここで生まれ育った地元蛍です。今はあちこちで養殖が盛んで、ホテルなどでは一斉に沢山の蛍を放つ催しなども行われ、それらはもっと派手な演出になるでしょうが、ここの蛍は生粋の地元蛍であることが貴重なのです。そんなことも子どもに誰かが伝えていたようです。昨年は数は少なかったかわりに、時期的にずれ込んだせいか同時に平家(光りがよわよわしい)も見られましたが、平家の観察会は第3回目7月14日だとのことです。
谷戸の奥まで行き着き、さてUターンしている時に思わぬことに遭遇しました。私たちの後からやってきたグループの、ルナールの蛇の「長すぎる」ではありませんが、長い長い列とすれ違うことになったです。「長いのでゴメンナサイ」とは言ってましたが、延々と続く列、保育園の児童たちとのことですが、一人の児童に保護者は1人以上はついているわけで、その騒がしく延々と続く列をやり過ごさなければなりませんでした。
私たちも自然の侵入者の一人なので咎めることはできませんが、静かで真剣な蛍の宴には、あまりにも大勢で騒々しい観客です。しかしここが公園として正式に発足すればこのようなこともしばしばとなることでしょう。Kさんだったらもっと静かに!というでしょうが、とMさん。
今年は、Mさんたちが多いと思っていた場所にはほとんどいなくて、違った場所に多く見られたりして、蛍たちの居場所がかなり変わっていたようです。たぶん台風がきたので、それに吹かれて山側に移動させられたか、自分たちで場所を変えたかしたのかもしれないとか。いろいろ自然の試練に適応して蛍たちも生き延びるために総力を尽くしているのでしょう。
最近、自然が荒々しくjなった、というのが誰もが抱いている感想でしょう。これは人類が自ら招いた結果なのか、はたまた自然からの人類への警告なのか? そんなことも考えさせられる夕べでした。

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メタボのメダカの死

2年ほど前から、メダカを飼っている。駅に行く路地にメダカを飼育している家があって、そこから譲り受けたヒメダカである。
最初私の失敗から何匹も死なせたりもしたが、夏場に沢山子どもが産まれ、それをお隣さんに分けたり、それが増えて、こちらが冬場にいなくなって貰ったり、いろいろなことがあったが、小さくても、というより小さいから尚更、命というものの不思議さとそれを眺めることでの安らぎ、愉しみを覚える。
ところがである。2匹だけ残って冬を越し、昨年大量に繁殖したお隣さんからとりあえず2匹だけもらった現況であるが、わが家の1匹のお腹がとりわけ膨れていることに気づいていた。
訪れた宅配のお兄さんも、玄関わきのその大鉢を覗き込んでいるので、「メダカを飼っているんです」というと、「へえ、金魚かと思った」などという。確かに小さく細身の金魚ならそのくらいのもいるかも…。
卵を抱えているかと思ったがそうでもなさそうで、お隣さんとも「メタボ」と名付けて話題にしていた。
そのメタボが、昨日横になって水面に浮かんでいた。やっぱり…。
だが、まさか実際にメダカがメタボのような症状を起こすとは考えていなかった。
そして最近、暖かかくなったし、若いメダカがやってきたので、エサを与えたりもしていたが、それを若者よりも先にパクパクやるのも彼(?)だった事を考えると、まさにその肥満が死に至らしめたのであろう。これもわが責任だと大いに反省しているが、メダカがメタボになるなどとは、ほんとに思っていなかったのである。

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初夏の台峯歩き・ノイバラ(野生のバラ)の宴

今日は台峯歩きの日。少し朝は肌寒く、曇りがちですが陽も射してくる、歩くには良い日和でした。
集まった人12人ほどの少人数でしたから、ゆっくり観察し、Kさんの薀蓄にも耳を傾けながらのんびりと歩いたので、時間も1時間ほどオーバーしてしまいました。
やはり季節は1週間から10日、遅れ気味。今は春と夏の野草が入れ替わる端境期で、観察はイネ科やスゲ類、またシダなどの地味なものになってしまいます。でもよく見れば、それはそれで面白さがあります。
5月の花には白いものが多く、ハルジオン、卯の花と言われるウツギ、マルバウツギ、箱根ウツギ(これは紅白)など。樹木としてはエゴノキ、その葉っぱには「落とし文」も葉を丸くして下がっていました。紫の諸葛菜や小さい野草ですがコバノタツナミソウ(小葉の立浪草)なども。
そして今日は、オギハラに刈り残しておいたノイバラの群落がちょうど花の盛りで、匂い立っているからそれを見に行きましょうと、それを楽しみにあるきだしました。
駅に降り立つ人は、この時期青臭い匂いが辺りに満ちていることに気づくかもしれませんが、それは椎の大木から放たれる椎の雄花の匂いです。それが昆虫を誘い、受粉をさせるのです。
第一の田圃は、今畔作りの最中でした。畔は毎年古いのを少し壊して、新しく作り直すのだそうです。今ではそれをコンクリートで固めたり、板囲いにしたりしますが、それでは田圃の生態系を保存することにはならないことを、説明を受けて教えられました。これは手間・暇がかかります。今では成算の合わぬ行為です。でもそれによって日本の里山の生態系は保たれてきたのです。そういう一見無駄な行為によって、人間の農業と自然の生物たちとは、共存できたのです。経済的合理化は、そういう農業の敵ですね、とKさん。皆で宝くじでも買って一発当てたらここが買えるのですけどね…と。
その半分だけやっと畔が作り変えられた田んぼの水たまりでは盛んにシュレーゲル・アオガエルが鳴き、まだ卵もオタマジャクシも泳いでいて、その上をここだけに多いシオヤトンボ(シオカラより少し小さく、尾の全体が白い)がすいすい飛んでいます。
この時期、渓流ではカワトンボが見られます。それもオスの羽が透明なのと、オレンジ色なのとがいて、メスはすべて透明。その縄張り争いの様や、そこでメスがやってくるのを忍耐強く待ち続けるオスの様子まで、Kさんにかかると昆虫のドキュメンタリーとなってしまい面白いこと限りありません。そういう事もあって道中は時間がかかってしまったのです。
その他、ヤマサナエというトンボ、また大変貴重で、この谷戸にしか見られないというヒゲナガハナノミという蛍くらいの大きさの昆虫も見ることができました。
昆虫は、生態系を考えるうえで大変重要なのだが、植物より実態がつかめず、またその変化も説明できないことが多いということです。蝶もそろそろ姿を見せています。
さて、鳥ですが、今数が減っているというツバメの姿はこの辺ではまだ見られますが、ホトトギスの声を私はまだ聞いていません。台峯では鳴いているとのことでしたが、今日は耳にできませんでした。
キビタキが鳴いているとのことですが、私はよく聞き取れませんでした。エガラの幼鳥もいたとのこと。中国から渡来したガビチョウも六国見山にもいるようです。ちょっと話が混乱しましたが…。
最後に、出口に近いオギハラの中にあるノイバラの茂みのことを述べて終わりにします。
園芸種のバラよりも強い匂いで小さな白い花が乱れ咲いていて、皆で取り囲んで声をあげました。
小さな昆虫たちがいろいろ飛び回っています。熊蜂も来ていました。この花は沢山の昆虫を呼ぶのだそうです。シューベルトの野ばらもこのようなものだろうか、などと言ったりしました。これも花期が終われば刈り取られてしまうでしょう。ひと時の、台峯のバラの宴でした。
来月はもう蛍の季節になりました。早いものです。

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「台峯歩き」、珍しく桜に出会う。

歩く会は、毎月第3日曜日と決まっているので、4月に桜と出会うことはほとんどない。例年ならば若葉になっているからだ。ところが今年は開花が遅れ、しかも1日が日曜日だったこともあって、花の盛りに出会ってしまった。昨日は冷たい雨が終日降って、これで散ってしまうのではと思っていたのに、はかなく見えるその花の命は思ったよりはたくましく、ほとんど満開のまま残っていたのである。勢いのあるもののエネルギーだろうか。
空気は雨に洗われてすがすがしく、午前中は陽射しもあって(午後遅くから曇ってきたが)、山際は薄霞におおわれながらも、急な暖かさに一斉に芽吹き始めた様々な色合いの緑の中に紅の彩をそえて、歩く会としてはたぶん初めての花見の会ともなったのではないだろうか。
この辺りで春の初めにまず目に付くのはキブシの花だが、それがまだ残っていて、桜と同居しているのなど、これも例年にない光景である。
桜だけではなくその他の花や昆虫も春と初夏のが一緒に今見られる、まさに「北国の春」の様相だと、Kさんも顔をほころばせながら言う。道端には小さな花をつけた野草がいっぱい。立ち壺スミレは我が家の庭もそうでしたが、ここでも例年になく多く、ムラサキケマン、ホトケノザ、オドリコソウ、カキドオシ、ホウチャクソウ、ヤブニンジン。
田んぼにはタネツケソウ、タガラシ、そしてもうシュレーゲル・蛙が鳴きしきってうるさいほどでした。
鳥たちも帰っていく冬鳥とやって来る夏鳥がともに見られるとのこと。桜の咲くころはその蜜を吸いにメジロやヒヨドリがやってきますが、そのヒヨドリは実は渡り鳥で、その群れを先日見たという言う。(10月から11月、北に帰っていくが全部ではなく一部はとどまっているという)。
この辺りの地形は縄文時代からの地層が残っていて、その断層が見られる崖もある。また海に近い旧鎌倉方面は、水質が悪く古くは水を買っていたという。それに反して北斜面が多い北鎌倉辺りの水質はよいというのを初めて聞いた。そういえばわが家の辺りはあちこちに湧水があるのも、山の水を集める川がないので、それが地層を通って湧き出ているのであろうか。
見晴らし台に当たる通称老人の畑からの眺めは素晴らしかった。すなわちここは、前回ブログに入れた六国見山が、線路のある谷間を挟んでちょうど真向かいにみえる丘陵であるからだ。「花と柳を扱き交ぜて」というなだらかな山の風情と色合い、また鶯があちこちで啼き「処処啼鳥を聴く」という一節が思い浮かぶ。
歩きの終わりごろに寄る水辺では、トビゲラ、カワニナ。そしてまだ少しだがアメンボウがすいすいと、またホトケドジョウも泥の中からちょっと姿を見せたりした。
今日の歩きは異常気象もあっての幸運な一日となったが、これを幸いとするかはたまた心配の種とするかは微妙だが、とにかく自然というのはいくら観察を続け研究してもいつまでも分からないことばかりである、というのがKさんの持論である。ということで、この今を十分に楽しむことしかない。

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六国見山の桜、やっと満開になりました。

全国的に遅れていた桜前線も、急ぎ北上していますが、六国見でも満開を迎えました。
ここは山桜や大島桜といった古い種類が多く、またその下で花見をするというよりも、里や畑から眺めたり、尾根筋を歩いて鑑賞するような感じですから、街中にある公園とは違った風情が楽しめます。特に今年は、初夏を思わせる暖かさと雨が通り過ぎた今日、幕が切られたように、白と薄紅色の花が、急に芽吹き始めた木々の若葉の、まだ芽吹かない常緑樹の深い緑の中で落葉樹の黄色っぽい緑、白っぽい緑、鮮やかな緑などのグラデーションに華やぎを加え、微妙で柔らかな春の山の風景になっているのに驚きました。
例年ならばもっと緩やかな変化をするはずなのに…。今日からまた、お天気は崩れるとのことですから、今日がまさに見頃でしょう。
ソメイヨシノも、高校の周りのは前日の雨に打たれ多く散っていましたが、それでもまだ残っていましたし、民家の敷地にある大きな古いソメイヨシノの少し遅れていたのは、まさに散る寸前という感じで、爛漫と咲いていました。でもこれは空き地になっているため残っているもので、この土地が宅地になれば伐採されるか、小さく剪定されてしまうことでしょう。
それで気がついてみれば、我が家の小さな庭も一斉に芽吹きと開花、花は雪柳、ヒイラギ南天、黄水仙はもう終わりごろで、何故か立ち壺スミレが一面に広がり、サクラソウ、ムスカリ、雲間草など。早くも都忘れやシャガの花が咲き始めました。これから眺めるほうの眼も、またそれに急かされて、怠けがちながらそれらの世話に、わが身も忙しくなりそうです。

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遅れている春の野を歩く(台峯)

先日の日曜日は台峯歩き。春は名のみの寒さ…の日が多く、花も10日から3週間も遅れているそうです。
我が家の周りも、やっと梅が咲くそろっていく感じでしかし寒いのでなかなか散らず、ながく鑑賞できます。本場の河津桜は満開だそうですが、ここはやっと咲き始めたくらいです。
さて台峯ですが、参加者は14、5人でちょうどいい人数、この時期、野の花自体少なく、それでも豆粒ほどの小さな花たちが咲いていますから、ゆっくり観察しながら歩くわけです。野の花も当然遅れており、野鳥も少ないそうです。それでもウグイスはちゃんと鳴いてくれているしその姿も見せてくたのは頼もしい限りです。アオジも見られました。
この月に一番目につく、小さいながら紅色の美しい花ウグイスカグラも、蕾のままが多く、キブシも遅れています。庭では勢いが良すぎて嫌われ者になるアオキは、雄蕊と雌蘂がもう膨らんでいました。
ここでも植物や鳥たちの名はおおくカナ書きにして、というのも今は皆それが標準ですが、漢字にするとその名付けの訳やその植物の姿までが彷彿とすることが多く、とても面白いということは誰もが感じていると思いますが、今日観察できた花たちの一部をその漢字で書いておくことにします。
ウグイスカグラ(鶯神楽)ホトケノザ(仏の座)、タチツボスミレ(立壺菫)、ツルカノコソウ(蔓鹿の子草)、ヒメウズ(姫烏頭)、ヒサカキ(姫榊)―黄色の小さい粒状だが香りがいい。ヤマネコノメソウ(山猫の目草)―山猫ではなく、山の猫の目の意味という。よく知られたオオイヌノフグリは書くまでもないでしょう。しかしなぜ「オオ」(大)なのかというと分からないそうです。「コ」(小)はないそうです。
蛙のために湿地の中にこしらえていた池に、ちゃんと卵がうみつけられているのを発見し、皆で喜び合います。蛙たちは時期を少しずつずらしながら次々に生んでいくそうで、今は蝦蟇の卵。また、その卵(透明なホースのようなのが少し濁った水たまりにあるのを教えられ、そのような長い卵の紐を初めて見た)が流れのある渓流にあったのを(流されてしまうかも知れないので)湿地の池へと理事さんたちが引越しさせたのは見ものでした。そんな風に地味な草花たちですが、今日も面白く歩き終えました。

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ウグイスが鳴き始めました(震災1年目)

2、3日前から、今年初めてウグイスの声を聞く。
沈みがちだった心がやはり弾む感じになる。まだ拙いのも可愛らしく、励ましてやりたくなる。
今日で東日本大震災から一年がたちます。昨日、「原発最前線の町で生きる」南相馬市の日常を一年間、住民の生の言葉だけを拾って淡々と綴ったNHKのTV番組を見ました。ほとんど解説をせず、放射能に汚染された地域での、日々の生活とそこで洩らす人の短い言葉、その背景にモリアオガエルの産卵から桜の開花、鮭の遡上など四季の風景を映し出しながらのドキュメンタリーは、ただ息をのみ見つめるしかありませんでした。
今日は時々陽が漏れてくるものの一面に雲が広がっていて、被災地は雪のところもある様子、あの日、この辺りは朝は冷え込んだものの日中は良く晴れていたのでした。とても穏やかなので、私は急に思い立って海辺に立つ美術館に出かけたのです。見終ったのち、館の外に出ると海を眺めながらサンドイッチを食べ、そして帰途についたのですが、帰り着いて間もなく、大きな揺れを感じたのでした……。
このような帰宅難民にもならなかった幸運な私でしたが、それでもその後いろいろと考えさせられ、反省させられ、学ばされる日々を過ごしました。この国の人たちのほとんどが同じだったろうと思います。
TV番組での放射能地区の人たちの短い言葉は、皆胸を刺してくるものでしたが、アナウンサーに「士農工商」という言葉を知っているかといい、今はその逆だなと泣きそうになる顔を歪めながら絞り出すように吐き出す言葉、「東電は世の中を動かせるが、俺たちにはそれができない」今の世の中なんだ…、というのもその一つでした。
確かに「商」という企業という経済力・資本、お金、損得が世の中を動かすわけで、農・工、漁のように生活の糧をもたらすものはその下にある時代。この言葉が作られた江戸は平和な時代でしたから、「士」は武力ではなく、為政者やいわゆる知識人を指すといってよく、そうすると…という思いもしたのでした。
しかしまた、為政者の混乱の中でも立ち上がるこの国の民の力の強さをも感じながら、第二の敗戦のようなこの国は、「過ちは繰り返さない」という風に変わることができるだろうか、という思いも、自分をも含めて考えたりもしたのだった。
しかし四季はその循環を変わらず続けていきます。早咲きの河津桜が、やっと満開になったと報じられましたが、この辺りに最近植えられた河津桜の並木は、蕾は膨らんでいますがまだ咲きません(1,2輪程度)。
それでも春は、確実にやってくるようです。まだ日々余震も続いていますけれど。
大震災一年目に当たり、被災された方々、犠牲者に、黙祷を捧げつつ…。

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「東京コール・フリーデ定期演奏会」に行く

昨日、友人の合唱団の演奏会があり今年も聴きに出かけた。会場は、渋谷区の文化総合センターのホール。演目は、G・フォーレ「レクイエム」とA・キンタナ「 Mass From Two World」その他である。
いずれも被災された地域の人々への見舞いと早い復興の祈りを込めて、練習し捧げられたものであった。
フォーレの「レクイエム」は、よく知られているように「怒りの日」がない。フォーレはこれまでのとは違う新しいミサ曲を作りたい気持ちがあって、「死は喜ばしい解放」とのメッセージを込めたかったということですが、全体的に静かで美しいハーモニーに貫かれている感じがした。それもその音色が流れのように微妙な変化していくようです。解説によると、かれの音楽の特徴は、半音階的な和声と揺らぎと施法性という(知識のない私にはさっぱりわかりませんが)、とにかく和声の揺らぎの快さを感じたことは事実でした。最初は不評だったとのことですが、今聴くと悲しみを乗り越えた平穏な心境、哀悼の気持ちの漂った曲に感じられる。
キンタナのミサ曲の2つの世界というのは、ミサ曲の様式が固まり進化していった時代と現代の南米のリズムとシンセサイザーの迫力を持ち込んだ現代を指しているとのこと、葬儀の曲とは思えないほどの色彩にとんだ、活き活きした感じがありました。
それぞれプロの歌手によるソロも、音量豊かで聴きごたえがあった。
最後は、元気づけられるような日本の有名なポップス(指揮の伊佐治邦治・編曲)でした。
でも久しぶりに都心に出ると、その変わり方に驚かされます。そしていかに自分がお上りさんであるかを気づかされます。日々変化するエネルギーの坩堝ということでしょうか。それが面白いという人もあるでしょうが、疲れます。では。

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