台峯の初歩き

この冬は特別に寒く、大雪になりましたが、それがまだ解けやらぬ日曜日の台峯歩きに参加しました。雪で浄化されたような冬晴れで、その陽射しに心は誘われます。メンバーは14、5人程度、幼い子供たち3人も最後までちゃんと歩き、むしろ大人たちより溌剌としているほど。
寒いとはいえ、Kさんによれば1月にこのような雪、大雪になるのはむしろ温暖化しているせいだとのこと。なぜなら、これは通常の冬型ではなく、春先の気圧配置になっている証拠だというのです。
このように自然も異常なことが多いですが、しかしどこまでが異常と言えるのかどうか、それも難しく自然というのはどう仕様もないものであり、それをいちいち気にしても仕方なく、仕様があることだけを何とかするしかないですね…とも。
まだ雪があちこちに残っているので、その上を歩いた足跡についての話が出て、昔はこの辺りにいた野兎が、最近は全く見られなくなったという話も出ました。野兎の姿などはなかなか見られないがこの雪の季節はその足跡で追跡し、見ることができたのだとか…。
理事の一人が何年か前に見た一匹が絶滅寸前の最後の姿かも―という話になりました。
花はほとんどなく、わずかに蠟梅の黄色、それが真っ青の空をバックに陽射しを浴びてまさに蝋細工のように映えて美しい。そのことと冬場には鳥の姿が捉えやすいということですが、その中でも出会うことが稀なウソを目撃したことだけでも歩いた甲斐がありました。一列に並んで歩いている私たちの全員が皆見られるほどの時間(驚かさないように静かにゆっくり歩いたのですが)、ゆっくり雪かその下にあるものを啄んでいました。
今日は常緑樹の、葉っぱの識別をすることを主として観察しましたが、これがなかなか難しい。この地の多いタブを始めシロダモ、ヤブニッケイ、タブと似ているアカガシ、アラカシ、シラカシ、そしてスダジイ、本来はここにはなかった南の国からやってきたクスなどの葉っぱの写真と解説を手にしながら歩いたのですが、実物はその通りではないのですから。見分け方はその形だけではなく葉のふち(ぎざぎざがあるかどうか)、葉脈がどう走っているか、葉の色や艶、葉柄はどうかなど手にしたものをKさんに見てもらい教わりながらですが、なかなか覚えられません。これはもう場数を踏むしかないのです。
稲田でちょっと珍しいものを見ました。収穫はとっくに終わった田んぼに建築現場のような稲架が丸木でしっかり組み立てられているのが残っていました。それはここの田んぼ(第2と呼んでいる)の一部が手放され、干す場所が狭くなったので作らざるを得なくなったのだとか。ここには間際まで宅地開発が迫っているのでした。
大雪で倒木があり又雪の重みで頭を垂れて通路を塞いでしまった笹薮を刈り取ったりして、前日理事をはじめボランティアの人たちが整備をしてくださったことに感謝しながら、まだ雪が残ったりしているので用心しながら、何とか最後まで無事に歩き通しました。

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『栃尾又温泉行き 三十年』について。

年の瀬もせまり、今年も数日を残すだけになってしまいました。
皆様も何かといろいろとお忙しい事でしょう。私も例年なら、暮れからお正月にかけての温泉行きの準備に取り掛かっているところですが今年から、もうご推察かとも思われますが取りやめることにいたしました。
その時の様子はこのブログで書かせてもらっており、その最後は今年1月5日で、そこには27年目としておりました。しかし実は30年目だったのです。この一世代ともいえるその年数に驚くとともに、少なくても6人ほどで出かけていた私たちグループも帰るときには4人になってしまっていたことからも、この行事も潮時では…(ということもブログには書き込んでいたのですが)と、結局ここでいったんケリをつけようという結論に至りました。というわけで年末年始の温泉行きはやめ、そのけじめとして、私が記録してきたメモ風のものにここで書かせていただいたブログを合わせて、その記録を冊子として刊行することにしたのです。
しかしこれは全く個人的な思い出にすぎず、参加していない人には何の興味も面白味もないものに違いありません。最初はコピーをし、製本だけを頼もうと考えていたのですが、結果としてこのようにコルボプリントさんに頼んで、見かけだけは立派な一冊の本に仕上げていただくことになりました。
考えてみると私のメモ風記録だけであれば到底考えなかったことでしょう。ブログの文章があったからで、それがあれば何とか読み物風の味わいも出てこようと思い考え付いたのです。この点でも Happy Blog という場を設定してくださったOさん、またそれを読んでくださっている方々にも感謝しております。又この場で紹介もしてくださっており、ありがたく思いました。
印刷所に頼んだので最初考えていたより多く作ったものの、採算の合う最小限度の部数であり、配ったのもまだ身近な方々だけです。参加者へも、締めくくるに当たっての打ち上げ会も今年はそれぞれ日程が合わず来年回しにしたので、まだ手渡してはいない状態でおりますが、このブログ誌面を借りてお礼とご報告をさせていただきました。ありがとうございました。
今年はことのほか寒さが厳しいようです。皆様どうかお元気で、来年もまたよろしく、と申し上げて今年最後のブログといたします。

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もみじが美しい台峯歩き

16日の今日は投票日と重なってしまいました。帰りに投票しようと投票用紙を持って出かける。ところがいつもの集合場所の公会堂に来てみると、その前に理事の一人が立っていて、今日の集合場所は駅前ですという。公会堂が投票所になるからである。当然そうなることを、考えていなかった。慌ててそこから引き返して駅前に行く。そこを通る時、今日は又どこかのグループが集まっているなあ…と眺めていたのにと、苦笑してしまった。
台峯の人たちと思わなかったのも、今日は初めての参加者も多く、また子連れが3組もいたせいかもしれない。あとひと月で3歳になるという子どもから小学前の子どもたちが5,6人もいて全体で30人近くになっていたからである。
しかし昨日の雨はすっかり上がって雲ひとつない秋空、空気は澄んで陽射しが温かい。
例年のようにこの時期の歩きは、紅葉や落ち葉の観察や葉を落とした木の梢や幹の識別をしながら鳥の声に耳を澄ませる。子どもたちもちゃんと歩き、またKさんは、水辺では蛍の餌になるカワニナ(ここのはよく見られる縞がなく全体が真っ黒というのが特徴という)を水に手を入れて採らせたりしている。子供たちにとって良い体験になることだろう。しかし出口のところで、皆から感心感心と褒められていたのに、ぬれた落ち葉に滑ったか転んで、泣き出してしまった。でもこれも大したことではなく間もなく泣き止む。
落ち葉ひとつとっても、葉の形は言うまでもなく、葉脈の走り方、ギザギザ(鋸歯)の付き方、葉の形や厚さ、薄さ、どれ一つ同じものはなくそれぞれにユニークで、究めようとすれば奥が深い。それは自然というものの奥深さでもある。この辺りの黄葉は大体遅いのでが、今年は特にいつまでも暑かったので木々はくすんで黒ずんでいたが、やっと美しくなってきた。わが家の満天星やハゼも散る寸前の鮮やかさである。
見晴らしのいい老人の畑から見るなだらかな丘陵も、春とはまた違った落ち着いた色合いに染まって美しかった。雨上がりで風もないので、降り注ぐ暖かい陽射しの中で友禅か何かの着物色合いを思わせる眼前の情景である。ここで一休みして、いよいよ谷戸に入っていく。
雨が降った後だしすべりやすく、ぬかるみもあるので用心しながら歩き、ここからはかえって歩調ははかどり湿地帯を見下ろし、背高いハンノキたちを眺め、沼に至り、その先の水たまりでカワニナやその歩いた跡などを教わりながら出口に向かう。
誰も迷うことなく、全員無事であることを確かめ合ったのち解散した。

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秋晴れの「台峯歩き」

上空には一片の雲すらない、秋晴れの絶好の行楽日和となった。
山頂にわずかに白雲をたなびかせた富士山が、少しかすみながら遠望できる。
今日は20人ほどの参加者の中に5人ほども初参加の人がいたので、Kさんも説明などに張り切っていた。そこで最初は、駅前のバスの停留所の向かいにある海軍の石碑のところに足を止めた。海軍省が昭和16年に建てたと刻まれているこの碑は、この辺り一帯がその頃要塞の一つとして重要な地であったことを示したものである。北鎌倉は海軍の町だったそうだ。そのため高台にあたる台峯は、主として海軍の将校たちの住宅があったのだという。歩く会の休憩地である「老人の畑」からは横須賀線のプラットホームが遠望できるが、そこから軍港のある横須賀まで電車に乗っていく軍人さんがこれが最後かもしれないと台峯を眺めながら乗り込んで行ったこともあるかもしれない…とも。
今年は暑かったせいで夏の花がまだ残っている。しかしそれに反して冬鳥の飛来が早いという。
アオジ、シメなどがもう来ている。モズもそうだがキビタキは今までにないほど数が多いそうである。それゆえ紅葉もかえって早いかもしれないとのこと。
今回は主にイネ科の植物に注目しながら歩く。皆地味な草だが、鳥たちの食糧である。猫ジャラシに似ているがもっと猛々しいチカラシバ、線香花火に似た穂を出すオ(雄)ヒシバ と メ(雌)ヒシバ。大きな穂を出すノガリヤス、それを繊細にしたようなカゼグサ(群生すると石鹸の匂いがするというけれど…)。葉っぱがフナに似ているからというコブナグサ。
花は、この季節にふさわしいヨメナ(いわゆる野菊といわれるもの)。夏の花だがまだツリフネソウ(蜜が美味しいので吸ってみてくださいと言われたので試してみたが、もう昆虫に吸われた後のようで蜜はなかった)やミゾソバも多く見られた。面白いのにアキノウナギツカミというのがある。花は小さく黄色っぽいが、茎にギザギザがあって、昔はこれを束ねてウナギを取ったからではないか…と。
田んぼではもう稲刈りが済んでいて稲が干されていたが、このところの雨でぬれていた。暑い夏で台風の被害もなかったので豊作なのだろうか。トンビが上空を悠々と何度も旋回していた。風もなくいい日和である。モズの声が時々する。I さんが、このモズは声が悪い! とけなす。モズは賢くて他の鳥の真似もできるとのことだから、もしかしてカラスの声をまねたのかも?
「老人の畑」では、横浜から来たらしい小学生たちがお昼を食べていた。周りのススキ原が美しい。
そしてコースの出口辺りのオギ原(まだ白くなってなくて赤みを帯びているが)が、外来種で繁殖力の強さから嫌われ者であるセイタカアワダチソウもこれほど群生すると見事で、両者のコントラストが目を楽しませてくれた。

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「田村能里子講演会とインド音楽コンサート」

このところ年に一回インド音楽(シタール演奏:堀之内幸二氏)を聴きに行っているが、今年は女性としては珍しい壁画作家の田村さんとのライブ演奏である。台風も幸い海上にそれ、秋晴れとなった昨日の事。
油絵画家として模索中に田村さんはインドに行き、砂漠で生きる女たちの姿に魅せられ、そのような酷しい自然の中で生きる女たちを専ら描き続け、それが世界各地で壁画を描くことによって大きく開花したようである。その生涯と作品が、第1部の画廊主との対談形式で語られ(「誰も歩いてこなかった絵筆の道」)、第2部では主要作品がほぼ年代順にシタール演奏とともに大型のスクリーンで映し出される、コラボレーションだった。
中国の西安の「唐華賓館」の壁画を頼まれたことを皮切りに(40歳を過ぎたころからのようだ)、その後次々に59箇所の壁画を書き続けたという。日本だけでなくバンコクなどもあり、豪華客船飛鳥Ⅰ号、Ⅱ号、横浜のみなとみらいのコンサートホールなどもある。描かれるのは女性ばかりで、しかも自然の中に溶け込み生き物たちと共に戯れ楽しむ集合図で、そのためホテルはもちろん病院や老人ホームなどもあり、禅寺の襖絵も依頼されたというのも興味深かった。
壁画であるから足場を組んでその上に立って描く。しかし飛鳥では船中のため足場が組めずロープにつるされたゴンドラに乗って描かねばならず、全体像を確かめるためにはいちいち足場を下りねばならなかったり、肉体的な労力も想像に余りある。細身の田村さんから迸り出るその情熱と力に感嘆した。
それら壁画を映像にした技術も素晴らしく、アップにしたり部分をズームしたり、キャプションやナレーションもあり、動画ではないものの田村さんの画家としての足跡や自然や絵画に対する考え方などもおのずと辿れて次第に惹きこまれていった。そしてそれは絶え間なく流れるインド音楽のシタールの演奏(この日のために新たに作曲したものもあるとのこと)が素晴らしく効果的で、絵画と音楽が共に響きあって画面の壁画の世界に吸い込まれていくようだった。会場を後にしてからもその旋律が耳の底にいつまでも残った。

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「洞門山」保全決定の最終報告

横須賀線の電車が北鎌倉駅に滑り込む寸前の左手にある緑地、鎌倉の玄関口ともいえる通称「洞門山」。
ここが大きく宅地開発されることになって、それへの市民の反対運動が生じた時、そこを通過するものの一人として最初のうち開発業者の説明会にも出たり署名も集めたりしたことから、ここにも書きましたし、またその後ほぼ全面的に残されることに決まったということも、確か書いたと思いますが、今年3月はっきり決定したようなので、ここに最終的な報告をさせていただきます。
宅地開発計画が明らかになったのは、08年3月。その後さまざまな経過を経て、最終的に市が宅地開発業者から約1億9千万で取得したとのこと、またそれを受け保全活動を行ってきた市民団体「守る会」が集めた募金や「宇崎竜堂のチャリティーコンサート」(これについてもここに載せました)の収益金などと合わせ257万円を、この9月に「市緑地保全基金」として寄付したとのこと。
そして今後、「守る会」は行政による洞門山の安全対策を見届けたうえで解散する予定、ということです。一応、めでたしめでたしです。    以上最終ご報告まで。

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お天気定まらぬ日の台峯歩き

居座る太平洋高気圧、沖縄には大型台風接近、不穏な世界を反映したかのようにお天気も不安定で過激、そんな切れ端を少しだけ浴びたような台峯歩きでした。
予報では処によってにわか雨も、と言っていましたが、朝は薄い雲はありながら晴天でほっとしていましたら、集合場所に着く前にもう雨が降り始めました。まさににわか雨、着くころはもう上がっていたのです。
K さんは鎌倉に住んでいるのですが、トンネルを抜けると…、こちらは雨なので驚きました、とのこと。こちらの北とはそれほどの違いがあるとのことです。トンネル(鎌倉山)を境にして海沿いと山沿い、植物にも昆虫にも違いがあり、そして人の気質にも違いがみられるようだという話を面白く聴く。今日は初参加者も4~5人いて、20数人。薄日も射す中歩き出しました。
第一の田んぼはまだ青い葉ながら黄金色の穂を垂れ、第2の田んぼは陰のため少し遅れていたのですがやはり実りの穂をつけていました。まだ赤トンボは山から下りて来ずシオカラトンボ、オオシオカラトンボが数匹残っている。昔皮から繊維をとったカラムシ、小さなイチジクの実に似ていてもイヌビワ、これは黒く熟すと食べられるという、白萩、撫でると葉が猫の毛のような感触のネコ萩、南天萩。また昆虫では一文字蝶、セセリ蝶(蝶ではないような羽をもつ)、ハラナガ蜂(土の中に巣を作る)などを目撃。また何とか残された崖では特徴的な3種のシダ゙、子持ちシダ、穂シダ、ホラ(洞)シノブ(これは紅葉する)などを初参加の人に教えながらいわゆる「老人の畑」といういつもの見晴らしの良い休憩場所に着きました。今日はいろいろ話も弾んで(これがこの会の良いところで、あることに関連していろいろな薀蓄がKさんの中から引き出されてくるからでしょう)ここに来るまでに11時過ぎになっていました。空には薄い雲が広がり風も吹いてきて、これまでの蒸し暑さが和らぐ感じでした。ところがこれが前兆でした。間もなくぽつぽつと雨粒です。実はこれからが本番の谷戸歩きなのです。
各自持参の傘を開いての谷歩きとなりました。最初はそれほどではなかったのですが、途中から激しくなりました。木の多いところで暫らく雨宿りをしてという考えも出ましたが、そのまま歩き続けることになりました。ここからの道中では観察は出来ず、ただ滑らないように、足元を気遣いながら歩いていきました。それでもキンミズヒキ草の美しさなどを道端に感じとりながら…。
解散場所にたどり着いたころ、雨はほとんど止んでいました。もう少し早く老人の畑を出ていれば、谷戸歩きの時激しい雨に合わなかったかもしれませんが、その前にのんびりといろいろな説明を聞きながら歩いたことで、初参加の人がとても面白かったと言っていたので却ってよかったのかもしれず、何とも言えませんが、とにかく予測が難しい山歩きの例を教えてくれた今日の歩く会でした。
家に帰り着くころにはもう陽がさしていました。窓から見ると遠い北の空には雄大な入道雲…。ここから眺めていると白く輝く美しい雲も、その下ではきっと急に暗くなって雨になっているのだろう…などと思うのでした。

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「レクイエム」を聴きに行く。

年下のTさんが属している混声合唱団コール・ミレニアムが 第10回記念演奏会として、東京芸術劇場で行う、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴きに行った。一昨日(9月8日)の事である。
劇場もリニューアルされたばかりのオープニング週間、その改装なったばかりの大ホールでの演奏会である。
共演はフィルハーモニックアンサンブル管弦楽団(指揮:黒岩英臣)、独唱:佐々木典子 大島郁郎)特別出演としてハープとオルガンが加わっている。
  第一部は、管弦楽団による モーツアルト晩年の3大交響曲の一つ第39番(変ホ長調)。  
第2部が、ヨハネス・ブラームス「ドイツ・レクイエム」 作品45であった。
Tさんはこの他コール、フリーデなどにも属していて、主としてレクイエムを長年歌っている。
最近は大震災などもあってレクイエムを歌う人も多くなったということだが、この合唱団も演奏会がその翌日の3月12日に予定されていたが、それでも東北の人々に対しての祈りを届けようと、あえて開催しレクイエムを歌ったらしい。
今回のレクイエム 《ドイツ・レクイエム》は、いわゆる教会における死者のためのミサ曲であるレクイエムとは性格が違っていて、普通ラテン語で歌われる歌詞をブラームスは、ドイツ語の聖書から引用し、合唱が盛んであった当時の一般市民が親しみやすい演奏会用のレクイエムを、10年がかりで完成した曲だという。
しかもこれを作曲した契機は、恩師であるシューマンの死、彼自身の母親の死であり、そのため内容は残されたものへの慰めと癒しがテーマになっている。そのため不信心者に対する脅し(と私には感じられる)「怒りの日」の部分があったり、その後の天国行きを奨励する(同前)歓喜の歌があったりするのではなく、全編に悲しみが漂い、しかしその中でも微かな喜びが混じりこみハープやオルガンによって神秘的な境地、慰めへと導かれるといったような構成になっているようだった。
挨拶の中にも、これは「死の悲しみを歌い、愛するものを神のみもとに送り、悲しんでいる人々に慰めが与えられるよう願った作品」であり、いまだ心癒えぬ東北の方々に、心を込めて送りたいと思います。」と書かれてあった。
実はKさん自身も長年共に暮らした相棒を失って間もない時期の練習の日々であった。これを練習し歌うことで、悲しみに浸り、また慰められ救われたようだと語っている。
歌が持つ力を感じた。 

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残暑の台峯歩き

この季節、台峯歩きもさぼることが多いのですが、集合場所までのアスファルト道路は暑いものの、谷戸歩きのほうが家にいるよりも却って涼しいと思って出かけました。お盆明けの事もあり、やはり参加者は少なく、理事のほかは常連だけの10人余り、案内役のKさんもリラックスした感じで、いろいろ自分の体験(蜂に刺され死にそうになったことなど)や好み(人間ではなく植物の)なども語り、全体としてくだけた、のんびりした歩きになりました。
蝉もツクツクボウシが加わります。でもこの法師蝉が今年は少ないようですが…?
この季節は目を引く花、昆虫のくる花は少ないのですが、それでも草原や道端、木陰に生える目立たない花、つる草などがやっと昆虫たちに食糧を供給しているようです。
山の手入れなどでは厄介者とされるヤブガラシ(わが家でも見つけ次第退治します)は、蝶や蜂をたくさん集めるそうで、彼らにとってはありがたい。ヘクソカズラ(小さいながら可愛い花なのに、こんな名前では可哀そう。名前を変えてやる運動をしよう!などと冗談交じりにDさん、でもいったん名前が決まったら、それを変更することは、植物学会ではできないのだそうです。だから日本では別名でヤイトバナと言われているので、そう読んであげましょう、などとも)。馴染みの烏瓜の花(これは昼間は萎んでますが)、樹木としてはクサギ、道端にはミズヒキソウ(普通は赤いのですが、黄色のキンミズヒキ、白い花のギンミズヒキもあり、それぞれ見られました)、ダイコンソウ(キツネノボタンに似た小さな黄色い5弁の花)。ムラサキニガナという、キク科で花弁を閉じた形で俯いて咲く小さな花ですが、それがタンポポのように綿毛になる雑草など。
樹の下には、薄紫色のヤブランや白い小さな花をつけるヤブミョウガ(これらは日当たりがあまり良くないわが家の庭にもたくさんある)。そしてコヒルガオ(普通のヒルガオより小さい)、またちょっと珍しいタマアジサイ(この季節に咲く)など。
さてあまりに細かいことばかり書きましたので、ここで田んぼの事を書きましょう。
第一の田んぼは青々とした葉の間にたっぷりと実った稲穂が首を垂れ、その上をシオカラトンボが飛び交っていました。第2の田んぼは谷間なのでやはり遅く、まだ稲穂の生育も遅れていましたがこの厳しい残暑は、実りにを促すことでしょう。
見晴らしのいい「老人の畑」の木陰で休憩、ここでKさんのはちに刺されて死にそうになった時の体験談なども出て、蜂に刺された時はどうしたらよいか、教えられたのでした。とにかく手で払ってはなりません。蜂を怒らせてしまったのですから、ただひたすら平謝りの態で(姿勢を低くして)逃げ出すこと。一匹くらいから刺されてもそれを良しとして、それ以上刺されないように(その他の蜂も狙っているのだそう)こちらが暴れると何匹も襲ってくる、走って逃げてもあちらのほうが早いのですから、などと。
さてKさんの好きな植物に、今日も出会いました。ミズタマソウ。花はルーペを使ってみないと分からないくらい小さい白菊に似ていて実が水玉のようになる。そのほか葉っぱがヤマイモに似ているオニドコロというつる草です。これも花は花穂で、それも花であるかどうか分からない地味なもの。
「とにかく目立たない、ひっそりとした地味なものが好きなんですね」と皆は言い、「この長い花穂は繊細で、少しの風に揺れているところなど、素敵でしょう」などというのにも、「ふーん、そうですかね」などと、いつものことながら誰も聞き流しているだけです。でもそういうちょっと変わり者でオタクのKさんを尊敬し、その熱意と知識に感服しているのでした。
出口近く、これもKさんの指摘で分かりましたが、カラスザンショウの葉に、カラスアゲハが卵を産み付けているところを目撃しました。この蝶の幼虫は、この木の葉を食べてさなぎになるのだそうです。
さて今回の歩きも、誰も熱中症にもならず無事に終わり、来月のマツムシの声を聴く日の予告を知らされ解散しました。

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コシアカツバメを見に行く。

今日も酷しい暑さ、北の空には盛んに入道雲が湧き上がっています。
昨日は曇り空で、蒸し暑いながら歩きやすかったので幸いでしたが、午前中コシアカツバメを見に行きました。ツバメが少なくなったと報じられ、そんな話をしていると、近くの小学校にコシアカツバメの巣があるという情報を耳にした人に教えられ、案内してもらったのです。
夏休み中は野球部など部活動があるので校門は開いているとのこと、入ると直ぐの玄関にそれはありました。すでに先客があり、三脚を立てて眺めている男性の姿にすぐそれと分かりました。あとからまた別の男性が立派な望遠カメラを持ってやってきます。
巣は3個あって、一つは巣立ちしてしまって空き巣、2つはまだ子育て最中のようでした。
普通のツバメは、斉藤茂吉の『赤光』の中の有名な一首「のど赤き玄鳥(つばくろめ)ふたつ梁にゐて垂乳根の母は死にたまふなり」からでも分かるようにノドが赤いのですが、これはノドではなくコシが赤いのです。また巣の形も、ツバメはお椀状ですが、これは徳利を横にして天井に貼り付けたような形、玄関へのアプローチに立つ垂直な柱と天井の直角になった隅にそれぞれ作られていて、ツバメのよりは少し大ぶりの感じ、ツバメ自体もちょっと大きく、尾羽も長い。
お椀状だとカラスなどから幼鳥が狙われやすいですが、これはその危険がなく、また垂直の柱や壁の上だと蛇も登れないでしょうし、また入口が一羽がやっと入り込めるような小ささで横を向いているのも、安全は完璧だろうなと思わされます。この日の午後、激しい驟雨に見舞われましたが、こういう時も、この巣であれば安心ですね。
ということは、中に鳥がいるかいないか、なかなか分からないわけで、じっと暫らく眺め続けていなければなりませんでした。すると、あ! 飛びました。続けてもう一羽! 
カップルが一緒に狩りに出かけるようでした。暫らくして、ほとんど同じタイミングで2羽が帰ってきます。鳴き声が聞こえないのはまだ幼いのか、そういう巣の構造なので声が漏れないのか? 何度か目撃しましたが、いつも一緒に行動するようでした。 
もう一つの巣は、ちょうど反対側にあって、そちらからもカップルが出てきます。双眼鏡を当て、確かに腰が赤褐色であることを確かめました。また巣の中にいてじっとこちらを眺めているらしい姿も見えました。「またうるさい人間どもがやってきているな」などと思いながら眺めているのでしょうか。
暫らく彼らの行方や飛び交っている姿を仰ぎ見たり、またいつ帰ってくるか、またいつ出ていくかわからない姿を待ちつつ巣を眺めた後、頻りに写真を撮っている男性たちを残して私たちはそこを離れたのでした。

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