猛暑の台峯歩き

日中の猛暑だけではなく熱帯夜も続き、少々音を上げそうな日々です。
檻の中の動物のようにクーラーの中に閉じこもっているよりは、谷戸の小道を歩いたほうが涼しくて気も晴れると思い、行き帰りの暑さを我慢して参加しました。
皆そんな思いのようで、参加者は15~6人。今日は暑くても風が少しあるので木陰にはいると気持ちが良い。
今日は蝶の観察が主だとのこと。この辺りに棲んでいる蝶の一覧のプリントで説明を受けました。
鎌倉は昔から黒いアゲハチョウの仲間が多くみられることで有名だそうです。しかし最近はやはり蝶の数は減っているとのこと。また九州で見られていたナガサキアゲハがよく見られるようにもなったのは温暖化のせいでしょう。大きな違いは、アゲハに見られる尾状突起(後ろ羽根の先に突起がある)が無いことです。またジャノメの仲間、これは名のとおり蛇の目のような紋が羽にある。羽根に白い筋が見られるイチモンジ蝶とかイチモンジセセリとか。
黒い羽に白い斑点が散らばっているゴマダラチョウ、また後ろ羽根にオレンジ色の斑点があってよく目立つ綺麗な蝶はアカボシゴマダラで今日も目撃されました。これは中国からやってきたもので地の蝶ではありません。たぶん人が持ち帰って飼っていたのが放たれて棲みついたのだという事。
ルリタテハは出会うと感動しますが、今日は出会えませんでした。ただキチョウが盛んに飛び回って産卵の最中で、葉(クマヤナギの葉。大体マメ科の葉が多いというが)に止り卵を産み付けている現場を何度も見られました。またツマグロヒョウモンという、まさに豹紋模様の蝶も見られましたし、またカラスアゲハは、墨色の羽をしていますが、羽根を広げたとき、陽の光で青いメタリックな輝きを見せるその現場も見られた時は声を上げてしまいました。
その他、田んぼでは暑い夏のせいか青い田圃はたっぷりと穂をつけていました。風に乗って漂ってくる稲穂の香りはどこか香ばしく甘く心が深々とした感じになりました。これら稲穂が台風などを無事切り抜け豊作の秋を迎えればいいのですが…。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

平家蛍を見に行く

先のブログに蛍観察会について書きましたが、その時はゲンジボタルで今回はヘイケボタルです。
この2種は時期をずらして現われてくるのですね。昆虫の世界では、源氏と平家は争わずに共生を図っているのです。ゲンジのほうが体は大きく、光も強く、ヘイケは小さく、光も弱いのですが…。
それで大抵はゲンジホタルを見てもう満足して、次のヘイケを見に行かないことが多いのですが、今年は出かけました。
参加者はやはり前回と比べて少なく、15、、6人ほど、小さい子どもも2人加わっていました。そして暗くて滑りやすい森の細道をぐずりもしないで最後まで歩き通したのは、いつもながら感心させられます。
さて肝心の蛍ですが、このところ梅雨が消滅したような晴天続きのためか、その数は少なかったようです。それでも120~130はいるようだとのことでした。これは雨がほとんど降らなかったので湿地が乾いてしまったせいのようで、そのため谷戸の全体にではなく、3カ所ぐらいにまとまった感じで、結局谷戸の奥まではいかず、途中で引き返して入口に近い場所で観察しました。
それでも数が少ないのを自覚したように、ただじっとして光るだけではなく動きが活発で、ふわふわと宙に舞い上がったり、すーと飛行したり、こちらにも飛んで近づいてきて、手を差し伸べた私の掌や袖口に3匹(頭)も止まってくれたのには感動です。小さいせいもありますが、全く虫が止まった言う感じが少しもなく、全く光る露を手にしたようで、それもまたすうーと離れていってしまうのでした。
ほんの1時間足らずの蛍の宴、先のゲンジボタルの時ほどの数ではありませんでしたが、私と同様皆も満足したようでした。
出る数は気象状況によって変わるわけで、まだまだここの蛍は健在のようです。
この蛍をめでる感性は、日本独特のようで、西欧世界では、この光る虫はどこか不気味な、不吉なものとして受け止められていたようです。この記事は新聞の上村松園の「蛍」という画についての解説部分にあったもので、日本では、有名な「枕草子」にも夏の美しさを語る部分にまず出てくるし、松園の画も蚊帳を吊ろうとしている美人と蛍の組み合わせである。昨夜参加した幼い子どもたちも、その蛍を見たさに怖いのも我慢してついてきたのだろう。日本人の自然を友とする感性は子どもの頃から受け継がれているようだ。
光る虫、蛍は、成虫になってからの寿命は3,4日から一週間。その短い間にその生を精一杯生きる。この命のはかなさに共感するのも、やはりこの国独自の感性だろう。
ヘイケボタルもなかなかいいものだ。来年もまた参加してみようという気持ちになっている。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

蛍がたくさん見られました。

梅雨の晴れ間で、昨日も心配されたにわか雨もなく、蛍観察には絶好の夕べとなりました。
雲もほとんどない空には山の端から出たばかりの満月が、白々と大きく見上げられます。6時半集合、参加者は20人余り、小学生くらい、まだ幼い子どももいましたが、暗くて細い山道、ぬかるみや崖っ淵もある道を最後まで歩き通しました。案内のKさんは子ども好きらしくまた子どもたちにも親しまれていることもあり、今日も彼らを先立てる感じで7時10分前ぐらいから歩きだしました。
いつもの「歩く会」のコースとは反対側の出口から入り、沼や湿地帯を抜けて尾根にかかる谷戸の一番奥までゆっくりと歩き(この間蛍を眺める)、U ターンして帰って来るのです。始めの頃はまだ薄闇で雨蛙の声、鶯、杜鵑の声も聞かれましたが、だんだん暗くなり泥濘で滑りやすい足元は懐中電灯が必要になってきます。せせらぎの淀みのところでまず足を止め、Kさんは子どもたちの緊張を解くため冗談交じりの話をしたりしてから、蜘蛛の巣よけの笹竹を掲げたKさんを先払いのようにしながら一列になって進みます。
暫らく歩いてから立ち止まり、蛍の出現を待ちます。ここからは蛍を驚かさないように懐中電灯は出来るだけ消しておきます。月は光を増しくっきりと、また夜空も明るくなっていく中、谷戸がいっそう黒々と迫り、聞こえるのはせせらぎの音だけ、牛蛙の声が聞こえたこともありましたが、今回は静かです。その闇にじっと目を凝らすうちに、ある所でピカッと光るものが見えました。それを合図のようにして次々とあちこちに光るものが見えはじめ、あちこちから感嘆の声も上がり始めました。これが7時40分ごろです。いよいよこれから1時間ほど、年に一度の蛍の恋の季節が始まるのです。
今年は例年にないほどたくさんの蛍が眺められました。コースの最初から谷戸の奥まで、どこにいても、また湿地帯や草むらや木立のどこにでも光っていて、ちょうどこの谷戸全体をひととき、蛍のイルミネーションで飾ったという感じになりました。150匹(頭という)以上、160~70ぐらいは出ているとKさんたちは言います。今は源氏蛍ですから光も強く、しばらくするとスーッと飛んで時には空に舞い上がったりもして、子どもたちも大喜びでした。
少しずつ移動しながら谷戸の奥まで移動し、堪能した気持ちでUターンします。これが8時すぎ、帰り道ではもうそれほどの数ではなくなっています。ほんの一時間ほどの蛍の饗宴です。
実は西日本など、例えば熊本などでは蛍は大体大きな川の河畔に出て、光るのも一晩中だそうです。それに比べてここでは小さな川とも見えない湿地や流れに生息する。そして出没するのもせいぜい一時間あまり、でもこれが大体東北の蛍の在り方らしいです。
Kさんに言わせると西国の蛍は一晩中恋の宴をやっているようなものでだらしなく節制がない。それに比べて東国のは、短時間で終える。いかにも武家社会らしく質実剛健で好ましい、と冗談交じりに自画自賛をして皆を笑わせる。
帰りの道筋には足元の笹の間に弱く光るものがあり、これは平家蛍の先駆けという。また葉の上に光るものを見つけ、Kさんは成虫はほとんど光らないが幼虫は光るクロマド蛍の幼虫だと指摘する。
さて元の入り口に戻ってきたのは9時過ぎ。全員事故もなく、また妙な人間が混じることなく、戻ってこられたことを感謝して、Kさんをはじめとして全員で谷戸に対して深くお辞儀をしてから別れる。(入山するときも同じく頭を下げてから入る。これはいつもの礼儀)。
平家蛍の鑑賞会は7月13日。これにも参加してみようかなという気持ちになっています。

続きを読む

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

ガビ(蛾眉)鳥、庭先に来る。

先のブログでも書いた蛾眉鳥ですが、今日のお昼頃、あの高く鋭くけたたましい声が間近に聞こえてきたので、慌てて窓を開けて見ると、この鳥が来ていました。
今伸びている黒竹の先のほうに、ちょうど止ったところで横顔がはっきり見えました。
歩く会でもらったコピーで想像したよりもずっと大きい感じで、ウグイスよりも一回りどころかヒヨドリくらいはある大きさ、羽根の黒っぽいウグイス色もぼさぼさした感じで、眼のあたりも隈取をした歌舞伎役者のよう、こちらの思い込みもあって何か猛々しい様子で憎らしい姿をしているのです。
これまでウグイスやホトトギスの声を圧するように林の中で啼いていたガビの声が、そこではこのところあまり聞かれなくなって、高校の校庭の木々の繁みなどから聞こえてくることが多くなっていて、昔は飼い鳥であったせいで町中が恋しくなったか、などと思っていたのですが…。
中国からやってきたこの外来種は、姿も大きく声も高く、何処にいても在来の鳥たちを圧倒しているようです。
ウグイスがこの庭先にやってきて、声を聞かせてくれたときは感動しましたが、この鳥の声を聞き、姿まで見たときは(初めてみました)、憎らしく思ってしまったのはやはり偏見かもしれません。
それでもウグイスやキビタキやシジュウカラのように小さくて可愛らしくて繊細な小鳥、声も澄んだ声であるのに対して、この大柄な鳥は姿もぼさぼさ、甲高い声もガラガラした声が混じっていて好きになれないのでした。ガビにしては気の毒な、身びいきです。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする

「台峯歩き」前回のつづき

 さて、先ず鳥の事。
問題になっている中国から渡ってきたガビチョウ(蛾眉鳥)ですが、最近盛んに声が聞かれるようになりました。鳴き声は高く鋭く、ウグイスの声を圧するくらいです。また温暖化の現象でしょうか、この辺りでは珍しかったキビタキの鳴き声もよく聞かれるようになりましたが、これも台峯で繁殖するようになったようです。この鳥も、日本では昔飼い鳥としても珍重された(今は飼ってはいけない)南方からの渡り鳥で、実は昔私も飼ったことがあります。この鳥は、全体が黒色で、眼の上とノドから腹にかけてと、背中にも黄色い部分があり、それらがとても映えて綺麗なのです。大きさはウグイスと同じくらい。しかしガビチョウはもっと大きいのです。プリントの写真を見ると全体はウグイスの色に似て渋い色ですが、頭と腹は橙色、目の周りはメジロのように白く縁どられ、その白色がぐいと眉のように伸びている。この大きさと鳴き声の鋭さは在来種を圧倒してしまうようです。
この時も、両方の声が同時に聞かれましたが、キビタキの声はじっと耳を澄ませなければ聞きとれないほどです。しかし声は高くてとてもきれいなのです。どちらももう、この辺を故郷とする種になってしまったようですが、やはり外来種は強く、臆面もなくのさばる感じなので、Kさんは控えめで慎ましやかなキビタキ、を即興詩人のようだなどと言って、しきりに肩を持つのでした。
田んぼでは苗代を作っている段階、ツバメが飛んで、そこの泥を巣作りのために持って行っているようですが、こういう泥が街中では少なってきた今、ツバメの数も減った感じがします。
またカワトンボも今の季節ですが、これも水辺がなければ出てきません。そしてそういう川に蛍が出ます。今年ももう蛍の季節が近くなり、その観察会の日程も発表されました。
 次に、ハルジョオン(春女苑)とヒメジョオン(姫女苑)は、雑草といわれる類で、道端に白い(時に薄い紅も混じった)小さな菊に似た花を咲かせる野草。最初にハルが咲き、それが終わるころヒメが咲き始めます。その判別方法を、この日教わりました。こんなことを覚えたからと言って何の役にも立たないかもしれませんが、こんな風に丹念に周りを眺めているだけでも、自分もその一部である自然がいかに巧妙に成り立っているか、またそれを探索するだけで生きている人生は面白く楽しく過ごせそうな気がします。たとえお金がなくても。
判別方法 ①咲く時期は今書いたように、ハルが先(4~5月)、ヒメ(6~7月)。 ②つぼみの姿、ハルは最初うなだれる。ヒメはまっすぐに伸びて、逆三角形型に花が咲いていく。 ③葉の付き方。ハルは葉が茎を抱くようにして付いている。ヒメは、葉には柄がある。 ④茎。ハルは空洞。ヒメは空洞ではない。
一番よくわかるのは、葉の付き方です。それを見ればすぐどちらかが分かります。
こんな風に微妙な違いを持つものも、それぞれに棲み分けをして、それぞれが生きているものだと感心させられます。今日は菜種梅雨のような、1日しとしと霧雨のような雨が降り続いています。昨日の晴天は貴重でした。今回の台峯報告はこれまでとします。
      

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

「台峯歩き」 白い花の季節。

予報が少しずれて、今日はまだ晴れのお天気。山歩きには暑くもなくいい日和になりました。
小さな白い花が目立つ季節です。歩き出すと細い山道では一列になってしまい、Kさんの説明が後ろに伝わらないことが多いので、プリントが配られたとき少し細かな説明がありました。その一つに有名な「夏は来ぬ」の歌の内容です。
”卯の花の 匂う垣根に”ですが、卯の花はあまり匂いません。同じ白い樹の花で、エゴノキは良い香りがします。しかもこの花は俯いて咲いているので、高木になるけれど、見上げて鑑賞することができっます。というわけで、ここの匂うは盛んに咲いているの意、また卯の花だけの垣根は少なく、それを他の木の間に混ぜながら垣根にすることが多く、それはこの辺りでも見ることができました。
しかしこの卯の花の垣根にホトトギスがやってきて鳴く、というのは現実には考えられなくて、これは卯の花を眺めながら過ぎっていったホトトギスの声を聞くということなのだろう、という事。ホトトギスは他の鳥のように止まって鳴くのではなく、飛びながら鳴くのだそうです。鳴くときは、普通の滑空ではなく、羽根をばたばたさせながら鳴くのだそうです。又“忍び音”というのも、ちょっと分からない言葉で、「忍ぶ」、こっそりとというような意味ではなく、詰まったような鳴き方を言うのだそうです。トッキョ トカキョク という音は、確かにのびやかではなく、確かに喉を詰めて鳴く感じです。この鳥はこの頃南方から渡ってきて、ここで繁殖します。有名な托卵、ウグイスの巣に卵を産んで、ウグイスに育てさせるのですが、ずうずうしとは言えない事情があるのだそうです。すなわちこの鳥は体温調節ができない、分かれてきた元の爬虫類の痕跡をまだ残しているからだそうです。だから体温を上げて卵を孵化させることができないらしい、必死の選択をしているのだ…と。
自然は不思議なことだらけ、また、ここでも述べましたガビチョウについて、またほとんど見分けがつかない、ハルジオンとヒメジョオンについても回を改めて書くことにしますが、今日はここまで。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

ホトトギス、鳴き始める。

早朝の散歩の際、ホトトギスの声を聞いた。私にとっては今年初めて、これを聞くと、ああ夏が来たなあと感じます。このところ夏日になることが多く、今日も夏の暑さでいよいよ夏の到来と思うのですが、湿度が高いので爽やかな感じはしません。
このところ鳴く鳥の声も増えてきて、もうすっかり歌も上手になったウグイスのほか、よく声を響かせるコジュケイも時には子ども連れの姿を現したりします。シジュウカラもチーペチーペと電線に止まって盛んに囀り続けます。春にはよく見かけていたメジロはかえって見られなくなりました。巣の中で抱卵の最中でしょうか。山中の高く鋭い声の持ち主はどうもガビチョウのようで、これは中国でよく飼われている鳥が渡ってきたらしい外来種で、大体において外来種は強く、生態系を脅かす原因になっているのであまり歓迎できないのです。
先月の台峯歩きの日は雨で、今月の第3日曜日も予報によれば雨になるかもしれないので、その代りに簡単に今の様子を書きました。わが家の植木鉢で、ほとんど枯れそうでいて毎年何とか少しだけ蔓を伸ばしていたものの花など咲かせなかったテッセンが、今年はぐんぐん伸びて蕾をつけ、昨日白い花を一輪咲かせました。今朝、その花の中に青いものが見えるので覗き込むと、生まれたばかりのような小さなバッタが止まっていました。命は、死なないで生き続けていればいつかはこんな風に
花を咲かせる時もあるのだろうか。今年はちょっといいことがあるのでは…と勝手に思ったりしてます。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする

春の台峯歩き

明日から崩れるということだが、彼岸の入りの今日はいいお天気である。台峯歩きに出かけた。
春のせいか参加者が多く30人近く、新しい人も多く、そういう人たちはなるべくKさんの近くで説明を聞いてくださいということで、歩き出す。
報道では遅れていた桜も、このところの急な暖かさで咲きはじめ、記録を取り始めて最も早くなったとか、ここでも桜の開花を目撃する。普通ならばイヌシデの雄花(地味な、白っぽい緑色の、小さな房状)が咲いてから桜が咲くそうだが…、同時に咲いているのである。暖かくなる前は冬の寒さで、今年は春と初夏が団子状になった状態だとのこと。
早春の木の花は、皆小さくて余程よく見ないと分からない。黄色い花簪のようなキブシは目立つが、オニシバリ(沈丁花の親戚、花もそれに似ている)、ヒサカキ(姫榊であり、榊よりも葉が小さい)、などは小さく葉の下に密集しているのて、指摘されなければ見落としてしまう。その中でもウグイスカグラの紅色の小さな花は可愛い。これも本当は2月に咲くのだそうだが、ここでは今も咲いていた。
後は道端の野草の新葉や小さな花に注意しながら歩く。
ヒメウズ(とても小さいオダマキ)、タチツボスミレ、ヤエムグラ、オオイヌノフグリ、オランダミミナグサ、キズタ、サネカズラ(ビナンカズラ)、スズメのカタビラ,ヨモギ、スイバなどいろいろ、いわゆる雑草といわれる類だが、これら野草は斜面に生えるものと平地に生えるのは違っていて、平地に生えるのは(ここは人間が耕した畑などの跡地)抜いてもいいが、斜面(昔の地形に残っている在来種が多い)に生えるのは生態系から見ると大切なものがあるので、残してほしいという。
たとえばこれから多く見られ、るヒメオドリコソウ(姫踊子草)は外来種だが、よく似た在来種のホトケノザを圧倒している。
鳥は、ヒヨドリの騒ぐ声、これはヒヨドリの中には渡りをする鳥がいて(と言っても東北や北海道くらい)それらが集まっているという。カシラダカ、モズ、それからもちろんウグイスは、まだちょっと下手だがその声を聞く。この辺りのウグイスは、20組くらいいて、少々過密らしいという。
またこれも珍しいという小さな野鳥のキクイタダキが見られたとのこと。(実は私はその鳥を確認できなかった。鳥の姿を見るのは苦手である)
田んぼには、タネツケバナ(ナズナの親戚で、白い小さな花が咲いているが、水面の一部が赤くなっているのはアカウキクサだそうで、これまで見られなかった。これが蔓延るようになって来て田んぼに悪い影響を与えているそうである。陽射しを遮ってしまい、田んぼの水面の温度を下げてしまうからだという。
今日は、この会でも初めてだという出来事に幸運にも遭遇した。、湿地帯の水たまりで蛙が産卵する現場を目撃出来たことである。この水たまりは、昨日の山の手入れの時に、蛙の産卵場として作っていたとのことで、それをちゃんと蛙は見つけてそこに来たのである。ガマガエルらしい。
また、すでに産卵の終わった、その卵(ビニール紐のように連なっている)も流れの淀みで、Kさんが見つけ、それをちょっと取り上げ、皆に触らせる。
出口辺りにモミジイチゴの小さな白い花。
今日は人数が多いので、時々バラバラになったりで歩き終わるのに少し時間がかかったが、12時半ごろ皆無事に歩き終え、来月の春の盛りの時期を楽しみに散会。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

やっとウグイスの初音を聞く

鶯の声を聞いたと近所の人は言っているのに、私はまだ聞けず残念に思ってましたが、やっと今日、朝の裏山で耳にしました。もうちゃんと完全にホウホケキョと鳴いたのでした。やはり、ちょっと心が躍り、立ち止まって耳を澄ませたのでした。そして声を聞かせてくれたウグイスに、アリガトウと言いたい気持ち。
その道筋でよく出会う人に話すと、彼女はもう3度ほど聞いたということ、ちょっとまだ下手で、ホ、ホケ、などいうのもいたけど…と。
今日はその後気持ちが悪いくらい暖かくなり、5月から6月の初夏の気温だとかで、内陸ではもう25度を超えているようです。しかし晴れて陽射しは強いのに、なんとなく辺りは靄がかかった感じで、遠くの山並みは見えません。これは黄砂がPM2,5を引き連れてきたのではなかろうかと思ったりする。それでもウグイスの声を聞いただけで嬉しくなるのは不思議だが、やはり寒い冬が終わりいよいよ春になったという、生き物の持つ本能的な喜びなのだろう。
また、これまで蕾はふくらみながらなかなか咲かった土手の河津桜が、やっと咲き始めたのも嬉しかった。そのピンクに染まった梢も暫らく立ち止って見上げた。
明日で大震災から二年になる。その後の不安で暗くなっていく日々が、なんだか遠い日々のような気がする。これは被災地でなく、普通の日々が何事もなかったかのように続いていけるからだろう。こんな状態が物事を風化させていくというのだろうか。そのことを改めて考えなければと思う。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする

ドキュメンタリー映画「シェーナウの想い」を観る。

これはドイツ南西部、黒い森の中にある小さな町シェーナウ市(自然豊かな、人口2500人くらいの静かな町)で、チェルノブイリ原発(2000K離れているが、ここにも放射能が降った)をきっかけにして、親たちが子どもの未来を守るためにと、「原発のない未来のための親の会」と立ち上げ(フランスの原発からは30キロ圏内という)、原発反対から始まり、最後には自分たちの電力会社を作るまでに至り、今ではそれを外部にも送電できるくらいになったという、「電力の革命児」と言われている町の、そこに至るまでの過程を描いた自主上映のドキュメンタリー映画であった。
ドイツが国としても即座に原発は作らないという方向に舵を切ったのに、事故当事者である日本では、行く末はその方向を目指しているもののという糖衣錠をかぶせた形で、国が再稼働にどうして踏み切ってしまっのたか?  と思っていたが、この映画を見るとなるほどと思わせられた。このような市民意識がすでに育っていたのである。
もちろん国土の規模や風土の違い、民主主義の成熟度などの違いもがあり、比較はできないという思いもあったが、これを見ているうちに決してそうではなく、状況は同じなのだと思えてきて、日本でも不可能ではないと思え、それはこれを日本で公開した人たちの考えでもあったようです。
市民たちが太陽光、風力、水力など自然エネルギー発電をして、それだけで成り立っている市民の電力会社…。しかしそこの住民が特別であったわけではなく、専門家もいるわけではなく素人ばかりの平凡な市民たち、ただ会を立ち上げたことで、そこに外部から専門家や学者が集まってきて知恵が集積したということなのであった。
また電力会社という、金儲けを主として考える、独占の企業の体質は、どの国であっても同じ構造を持っている。環境にやさしくなどと考えるより、どうすれば収益が上がるかが優先し、システム自体がそうなっているのである。たとえば、節電したほうが安くなるより、たくさん使ったほうが安くなるというシステム、またドイツにも「原子力ムラ」の構造があり、それに市民が抵抗する難しさも同様にあるとのこと。それらを一つ一つ克服しながらここに至るまでが、1時間のドクメンタリーで描かれたものでした。
また町自体も、全員がこの運動に賛成したわけではなく、ほとんど5分5分、それを集会や戸別訪問で、この方向にまとめていったという経緯があります。もちろん投票や決定となるとそこには感情も無視できません。小さな町で誰もが知り合い、最終決定した後も互いに共に暮らさねばならない人間関係、シコリが残らないかと思われますが、そうはならなかったことにも納得できるものがありました。
折しもその夜はTVでマイケル・サンデル白熱教室があり、議題は「これからの復興の話をしよう」でした。これまでの架空の論題ではなく、現実の話、東北在住の1000人との議論で、(これは初めての試みとのこと)、当然のことですが、サンデル氏は、結論じみたものを自分から決して出そうとはせず、議論の中から自然に出てくるのを待つのですが、この時の議論にシェーナウの町の例に通じるものを感じたのでした。
そこに出た論点の多くについて5分5分でした。そして最後のほうで復興事業が遅れていることに対して、事業のスピードを上げるためには住民の合意がえられるのを待たないでもいいという意見と、そうしてはいけないという意見、この微妙な問題が出たときに、ある意見に氏は頷きながら、合意と納得とは違うということですね、と言ったのです。
合意は、意見が一致すること。しかし納得はそうではなく、意見は違うが、状況や相手の意見などを考えた結果、そうせざるを得ない、そうするのも仕方ないなあと頷くことだからです。そしてその納得は、お互いの良く話し合い、考えた末に出るもので、そのためにも十分な議論、話し合いが必要だと氏は結んだのです。
シェーナウもたぶん原発反対と母親たちが立ち上がってから、十分に話し合い、活動し、知恵を絞る間に最初はほぼ5分5分であった反対派を納得させ、町全体としてその方向へ進んだのでしょう。最初は互いに意見は違っていたが、こうなってみればよかったと納得したのだと思います。サンデル氏も言ったように、それが同じところに暮し共存するもののやり方だと私も納得したのでした。
そしてこの東北在住の1000人の議論の現場を見ながら、これは氏が意図したものでしょうが、最初の意見で、「東北人は、他人の悪口を言って自分も相手も気分が悪くなるより、自分が我慢すればいいと考えるようなところがあるので、このような議論の場は成立しないでしょう」という意見を取り上げ、最後はそうでは決してなかったことが証明されたような形になったのも、互いに意見を率直に出し合い話し合っていくことの大切さ、それが民主主義なのだと、これも納得させられる事柄でした。
会場では『原発をやめる100の理由』(築地書館)という本も売られていました。ここには「ドイツから」としてドイツの現状と、「日本では…」として日本の現状の比較がなされています。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする