小ホールでの寄席

昨日、近くにある芸術館の小ホールに落語「柳家小三治独演会」を聞きに行った。舞台だけを見ているとちょっとした寄席気分が味わえる。寄席などは構えて遠くまで出かけるものではないような気がする。小三治さんも、何の役にも立たないことに、無駄に時間を過ごしにやってくるようなもの・・・、しかし会場でメモを取る人も最近はいて・・・、と言って笑っていたが。このホール寄席に、私も時々ふらりと行くようになった。
前座は柳家三三の「お菊皿」で、小三治は「付き馬」と仲入りの後「一眼国」。
古典落語だが、語りに入るまでの枕の部分に今の世情の機微なり政治や社会への風刺のようなものが織り込まれることが多い。最初の枕は、古いカメラのことから最近の事件ATMに取り付けられた盗聴カメラのことになって、それが文明批判じみたものになっていき、次のには一昨日中国から帰ったばかり(小沢昭一、永六輔らと)と言い、ちょうど小泉首相の靖国神社参拝の日であったことからそれに影響されたことや国民性の違いなどの話を面白おかしく・・。
小三治の落語を聴いていると間のうまさを感じる。息もつかさず面白いことを言ういう人もいるが、全体に語り口はゆったりして、それでいてふいについて出る話に思わず笑ってしまう。つい枕が長くなって・・・と言う。枕だけでなく中途にも枕が入って・・・と言ったが、確かに時々横道にそれて、本題は何だったかな、ととぼける。それもまた面白い。
落語はまさに言葉の芸、話芸であるが、それに加えて「間の芸」でもあると思う。そこに人柄がにじみ出る。それは文体に似ている。同じような内容を語り、描いても、その語り口によって面白くもあり、快くもなる。詩もそうなのだろうなあ・・・。
行く時は小雨が降っていたが帰りは上がっていて、夕焼け雲が西空に広がっていた。そして今日は気持ちのいい秋空になった。

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ピアノの練習(2)

ピアノはまったくの独習です。先生について習ったほうがいいですよ、と言われます。
上手になるには、また早道のためには、もっともなことなのです。変な癖がつかないためにも・・・。けれども習うとなると、時間に縛られます。そして先生からの課題に努力しなければなりません。しかしピアノに関して言えばそれがいやなのです。どうしてかなあ・・・。
両手で何とか弾けるようになったのは中学校の音楽の時間,オルガンで「結んで開いて」と「子狐こんこん」(題は間違っているかも)を弾かされた時で、そのときコツのようなものが掴めた気がしました。
その後はずっと遠ざかっていて、この家に来た頃、20年ぐらい前でしょうか、家を建て替える人からピアノを一時預かったことがあり、そのときバイエルや楽譜も預かって、それを見て練習したのでした。そのときはフォスターのものを何曲か,また「ドナウ川の漣」に挑戦したりした記憶があります。
そもそも私はピアノなどに親しむ環境にはありませんでした。地方にいて、貧しい(その頃は皆そうだったのかもしれませんが)母子家庭で、しかも邦楽のほうに縁があったからです。母は三味線がうまく、私は祖母の道楽から日本舞踊を習わされていました。だからクラシックのことを洋楽なんていっていました。
その洋楽なるものを初めて聴いたのは、小学上級くらいで、それを聴いてもよく分りませんでした。中学になって初めて聴いたのが「アヴェ・マリア」で、そのとき初めて「なんて快いのだろう」と思ったのです。
そのくらい文化果つる(?)境遇でした。
それら西洋音楽に急速に馴染むようになったのは、東京に来てからです。
これは私の中の明治維新のようなもので、私の近代化でした。

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ピアノの練習(1)

私の家の宝物でもあり友達でもあるピアノは、黒く光るアップライト式で、4年半ぐらい前にここにやって来ました。友人Mさんの友人、Hさんから幸運にも頂戴したものです。白い鍵盤は象牙で、音色がいいことは素人の耳にもわかります。前にも書きましたが、それからというもの私は家にいるときはたいてい一時間ぐらい彼女と遊んでいます。
彼女が来てから、早速「おとなのためのピアノ教本」の一つ、有名な曲のサワリだけを集めた「ピアノで弾くクラシック名曲集」を買ってきて練習し始めました。その後「弾けますピアノ わたしのポピュラー」というのも買って・・・。
今では何とか40曲くらい楽譜を見ながら弾けるようになりました。暗譜をしようと心がけているのですが、それを一応果たしたのはその半分くらいでしょうか。でも覚えたつもりが、暫くすると忘れているので、何度も復習し直さなければなりません。というわけで今のところ、新しい曲にはなかなか進めず、このくらいがもう限度なのかなあ・・と思っています。でもこれだけのレパートリーがあれば、結構楽しめます。
言葉とは違って、音や色はそのものだけで美しいというところがありますから、たとえ下手でも、その音を耳に(色ならば眼に)するだけでも快感を覚えることが出来るのは、いいなあ・・と思います。
「ラ・カンパネラ」や「魅惑のワルツ」などを自分でうっとりしながら弾きつつ・・・という、あまり人には見せられない姿で彼女と戯れているのです。

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民芸公演「ドライビング ミス・デイジー」

しょぼしょぼと秋雨の降る中、池袋の「芸術劇場」の民芸公演を観に行ってきました。
舞台はアメリカのまだ人種差別意識が色濃く残っているアトランタ、72歳のユダヤ人の未亡人とその雇われ黒人運転手との間に、次第に友情が育っていく過程を描いたものですが、時の推移が25年ということですので、少々駆け足の感がありました。民芸の奈良岡朋子と無名塾の仲代達矢という豪華さ。最後は認知症になって病院で車椅子生活をしているデイジーを運転手のホークが見舞うというところで終わっているので、シビアであり身につまされます。同じようにそう言って帰る人が多かったと、製作部で受付をしていた友人が、芝居がはねた後、話していました。
「女の一生」などで一人の女優が娘時代から老年までを演じ分けることがよくありますが、ここでは老年期の次第に衰えていく過程を、細かく演じ分けているといっていいでしょう。
晩年を、老年という地図のない冒険・・・ととらえ、詩集「一日一日が旅だから」を出したメイ・サートンを思い出します。

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「日曜喫茶室」をよく聴いています

朝から雨になってしまいました。
道路に張り出すので大きく剪定せざるを得なかった金木犀、それでも少しだけ花をつけて香っていたのですが、もう散っていきます。
私は「日曜喫茶室」をいつも楽しみにしています。今旬の人、話題になったり著書を出したりした人が登場して話をするからです。先日も、ある漫才師が自分の祖母のことを書いた「がばい(凄いという意味)ばあちゃん」と言う本のシリーズが大変反響を呼んでいるということを知り、早速文庫本を手に入れ読んでみて、なるほどと思って、そのことを書こうと思ううちに日が経ってしまい、今日は「日本語で数えナイト!」のテーマで、TV「英語でしゃべらナイト」の司会者パッククンと、日本語の数の数え方辞典を研究出版した飯田朝子さんがゲスト。
TV番組は最初、語学はさっぱりダメ人間、の私は興味がなかったのですが。最近ふと覗いてみたとき面白く思って、このところ3回ほど見ていたので、ああ、あの人だと、その点も興味を覚えたのでした。
在日12年だと言うのに日本人と変わらないほどの会話力、語彙力、そして文化についての知識もあるようで驚きます。詩人でエッセイストのアーサー・ビナードさんもそうですが、その日本語力(短期間でそこまでいくなんて、私には驚異的です)はもちろんですが、言葉に対する敏感さが素晴らしいと思います。
パッククンさんも、言葉が大好き、言葉を知ることでその国の文化が判る、と好奇心にあふれていて、刺激されます。TV番組も彼のキャラクターによるところも大きい気がします。飯田さんも、複雑極まりない日本の数詞を探っているうちに、日本人の物にたいする繊細さに触れ感動を覚えるようになったと語っています。どちらも言葉に対する興味、関心、愛情があるのですね。
文化の根っこには言葉がある。詩を書く者としてそれをもっと大切に慈しまなければ、と思わされました。

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私の散歩道

最近医者から骨ソショウ症だと言われ薬を飲んでいて、出来るだけ運動をするようにとも言われるので、家にいるときはなるべく散歩をすることにしました。
今は夕方日が暮れる前の2〜30分、裏山の六国見山に登ってきます。ちょうどその時間は犬の散歩の時間でもあるようで、犬たちに会えるのも楽しみです。今日は5,6頭グループとなって歩いていくのにぶつかりました。縫ぐるみのように可愛らしいプードルや小型のコリーや、柴犬や、目だったのは耳がぴんと立ったドーベルマンなど。最近はいろいろな小型で珍しい種類の犬なども見かけるようになって、まさにペット大国になったなーと思います。私の目には先ず犬が見えて、人間の姿はあまり見えてこないのです。だから、あ、あの時の犬だな、と思っても綱の先にいる人間がどうだったか覚えていません。「こんにちは」と犬に言い、触らせてもらえると嬉しくなります。
さて犬とは別れて、六国見の細い坂道にかかります。なぜか最近ススキが多くなった感じがします。小暗い杉林や藪の道を登るとすぐ頂上。遠くの海も空も灰白色に曇って、大島の影も見えません。下りは貯水所に至る別の道をたどって、階段を下ります。その途中に一本だけすっかり紅葉した樹がありました。ハゼの樹です。桜はまだところどころが黄色という段階です。
住宅地を歩いていると、金木犀の香が漂ってきます。我が家の金木犀は、2年前に大きく切り詰められてしまったので、今年もまた花は望めません。
遠くにちらちらと灯火が点りはじめました。これからはだんだん日が短くなっていくでしょう。

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モンゴルの馬頭琴を聴く

さわやかな秋の一日となった今日(日中は少し暑くなりましたが)、モンゴルの草原の空気を味わいに行ってきました。「子どものためのコンサート」とありましたが、それは子どもへのサービスがあるからで、内容はレベルの 高いものでした。演奏者は馬頭琴第一人者のチ・ボラグさんとその息子さんのチ・ブルグットさん、ピアノは西村和彦さん、パーカッションの人、最初の童話「スーホーの白い馬」の朗読(民芸の稲垣隆志さん、子どもへの導入部だと思いますが、これもよかった)も含めて独奏と合奏、2時間たっぷり楽しませられました。
途中20分の休憩時に、馬頭琴に触り弾くこともできる体験コーナーもあり、民族服姿のお姉さんが手をとって教えてくれます。子どもたちに混じり、勇を奮って私もちょっと弾かせてもらいました。音はちゃんと出ます。でもこの楽器はとても力が要るのだそうです。一曲終わるごとに汗を拭いているほどでしたから。
馬頭琴は草原のチェロと言われるそうですが、繊細さと野太さの両方を持っているような、l日本の尺八、馬子唄や木こりの唄といった朗々とした民謡にもどこか通じるような、やはり東洋的な音調があり、それが広々とした草原と青い空にどこまでも広がっていくような感じがしました。
チェロの名曲カザルスの「鳥の歌」も、レパートリーにはありました。「万馬のとどろき」の、何万頭もの馬が疾走する様子を描いた勇壮で華麗な演奏は圧巻でした。アンコールの曲は優しく艶めかしく、弾く方もうっとりと弓を動かしている感じにさえ思えました。
心の中を草原の秋風が吹き抜けた一日でした。

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北窓より(3)

中国の唐時代の詩人白居易の詩に「北窓の三友」があると、菅原道真が『菅家後集』に書いており、その詩を読んで、彼も同じく漢詩を作っています。もちろん大宰府に流されてからのものです。
白居易が北窓、すなわち書斎における三友を 、、、としているのに倣って作ったものですが、琴と酒は「交情浅し」、すなわち友とするほどの交わりはない。当然流謫の身であればそれらは叶えられなかったわけですが、それにかこつけて友人や息子たちとの別れなど悲しみをいろいろ述べた後、自分に残った友はただ詩のみであるとし、琴や酒の代わりは、軒端に来る「紫燕の雛」、「黄雀の児」位のものだと観じるのです。
悲劇の学者であり政治家でもあり、文筆にすぐれた天才でもあった人を引き合いに出すのは気が引けますが、「北窓」について調べていたら判ったので、気分だけでも壮大であったほうがいいだろうと、それにあやかる事にしました。
凡才で、最初から流謫 のような身の私ですが、詩のようなものを友としているわけですし、また西洋の琴、ピアノを片言めいた弾き方ですが独り楽しんでいますし、酒は大好きで毎晩のようにワインか缶ビールを少しばかり飲んでいるので、道真よりも境遇としては恵まれているといってよいでしょう。
そんなわけで、このブログのカテゴリーを「北窓だより」としたのでした。
 

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北窓より(2)

台風17号が伊豆半島沖を通過しているため、上空を灰色の雲がゆっくりと南西へ流れています。
その下には、眼下の谷戸を隔てて雑木林が横たわり、この場所が気にいったのもそれがあるからでした。
右手の家並みは駅へと続き、その甍の波に泳ぎだそうとする大きなクジラのようにそれは横たわっています。頭に当たるところには立派な長屋門があり、それをくぐった屋敷の中には母屋と竹林を含んだ広い庭があり、その背後が雑木の小山になっているのです。それが目の前に広がる林で、このあたり次々と山地が切り崩され宅地造成され緑が少なくなっていく中で、貴重な一画です。このあたりの名主だった家で、今でも甘糟屋敷と呼ばれ、敷地面積は約3600平米とのことですから1000坪ぐらいですかね。甘糟家は室町時代からこの地の郷士であったといわれる古い家柄のようです。私たちがここにやってきた頃、老朽化していた長屋門がほぼ原型を残した形で再生され今日に至っていますが、その中の竹林や梅林も外から窺がい見るだけですが大いに憩いを与えられています。手入れもちゃんと行われているのでまだ財政的基盤は大丈夫のようですが、いつまでもこのままであり続けて欲しいなあ・・・と借景を満喫させてもらっている側からすればただ祈るだけなのです。
その緑(今はまだ紅葉していない)のクジラの尻尾の辺りからの尾根伝いの道は、この家の背後に当たる六国見山へと続いています。
夜になると左手の家々や駅近くのビル、信号機の点滅などの灯がきらきらとして、ここは山の中でもなく街中でもなく、まさに里なのだな、と思っています。

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北窓より(1)

この小家には北側に大きな窓があります。丘の中腹にあるので眺めはいいのです。
この眺望に魅かれて、ここに案内された時に即決したのでした。生活の便不便とかその他、ほとんど考えませんでした。あとで分ったことですが(何とかの後知恵といいますが)北斜面というのは、地所が広ければ問題ありませんが、狭いと南側に隣家が迫ると、日当たりがいっそう悪くなるわけで、だから南側にある庭も日陰がちになるわけでした。冬になるとそれがいっそう身にしみます。眺めがいいだけに暖かそうな眼下の家々を眺めながら、恨めしく暖房を早くから入れているわけです。
「日の当たる坂道」でしたかしら、日の当たる裕福な階級を羨望する、日陰に住む貧しい人たち。日当たり、太陽の恵み、に対する人類の本能的な憧れがあるのでしょうね。
でも日陰の花の言葉があるように、日陰の方が育つ花があります。陽が少なくても育つように花自身が自分を変えていったのだと言うことです。水のない砂漠にもそれに適応した植物があると同様に。そしてそれぞれに趣のある花を咲かせます。これら花々を見習わなければなりません。
人類は戦争ばかりやっています。日本もこれから巻き込まれるかもしれません。そのようにして人類は滅び、しかし植物の方は生き残るでしょう。
実はこういうことを書くつもりではなく、北窓からの眺望について先ずお知らせしようと思っていたのでした。それはこの次にしましょう。

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