映画『スーパーサイズ・ミー 』を観る

ファーストフードを一日3食一ヶ月食べ続けると、人間どうなるか? 監督(モーガン・スパーロック)の身を挺して実験台となり挑んだドキュメンタリー映画。現代食文化(特にアメリカ)への警鐘を鳴らす映画であった。
詩人のアーサー・ビナードさんもたびたびエッセイなどで触れているが、アメリカの肥満の実態は想像以上のものらしく、成人の60パーセント(約1億)が過体重か肥満で、その肥満も日本とは桁が違う感じがする。小食にするため、胃の手術をして小さくするなど、新聞でも読んだことがある。
それは車社会や金満家の飽食ということがあるにしても、それよりもファーストフードによるものであることがよく分る。しかも食への意識が高くなった上・中階層よりも下の階層の方が影響著しいのである。
実験台の監督はスリムな健康体であった。その恋人も美しく聡明なベジタリアン。その実験過程を医師たちが計測し見守りながら始まった。大手のマクドナルドの製品だけを食べ続けるのである。
その結果は、最初は確かに人間の味覚を研究され尽くされて味付けされた世界的な食品であるため、美味しいのである。「カロリー天国だ。これをかぶりつく幸せ」と、彼は冗談まじりに言う。だが、3日目になると、胃の調子が悪くなり、5日目で栄養士から摂取多過を注意される。7日目で胸苦しさを、9日目で気分がめいってくる。しかし食べても直ぐまた食べたくなるという。一種の中毒症状であろう。コカコーラが世界を席巻したのは、あの味には一種の中毒症状を起こすものが含まれているといわれたものだが、これもそうだろう。体重は12日で7.7キロ増加、お腹も出てくる。18日目になると「最悪、頭痛がして目玉の後がずきずきする」。血圧もコレステロールも上がり、肝臓も異常をきたしてくる。そして21日目に、とうとうドクターストップが出る。これ以上は危険だと。
22日目から、マクドナルド社への取材申し込みなどアタックが始まる。しかしそれは見事にかわされる。
各店への成分表示表などの提言や利用者へのインタビューをしたりして、その後階段を上るのも苦しくなるほどになりながらも何とか30日目を終える。
結果:体重は11キロ増え、コレステロールは65上昇、体脂肪も7パーセント増加。砂糖は一日約450グラムの摂取量。
気分はさえず、疲労感があり、情緒不安定になり性生活はないに等しかった。食べるともっと欲しくなり、食べない時は頭痛がしたという。
これ以上続けるとまさに命取りになっただろう。
アメリカの多くの栄養士の提言として、一ヶ月に1回以上ファーストフードを食べることをすすめないし、これを食べることは「肥満の重要な原因」という調査結果が出ているという。
それでいてなぜファーストフードが栄えているのか。
次にパンフレッドにあったデーターを挙げる。
アメリカでは毎日、4人に1人がF.Fに足を運ぶ。
食事の40パーセントは外食に頼っている。
年間消費額は1100億ドル。
マクドナルドは毎日4800万人によって利用されている。(>スペインの総人口)
マクドナルドは6大陸、100カ国以上(マクドナルドによると121カ国)に進出。合計店舗数3万店以上。
マクドナルドは頻繁に利用する客を「ヘビー、ユーザー」と呼ぶ。
マクドナルドはアメリカのF.F産業の43パーセントを占めている。
スーパーサイズというのは肥満の体格の比喩かと思ったら、それだけではなく、ハンバーガー、フライポテト、コーラのサイズをも示している。すこし高いだけで、大よりも一回り大きいスーパーサイズが買える。
人間の心理からも、また労働者や、貧しい者ほどそれに手を出すことになるだろう。それを売り出すことで消費量が大きく増える。しかも恐いのはTVのキャラクターで子どもたちの人気者となり、また店には子どものための遊具や遊園地まで併設していたりして、子どもの記憶や味覚への刷り込みもちゃんとしていることである。
食べるか食べないかは自己責任だろう。そしてアメリカ人も愚かではない。しかし資本主義の根幹を成す企業という見地から考えると、この体質を変えるのは困難だろう。
さてそのス-パーサイズであるが、この映画が公開される頃、廃止されたとか。しかし映画とは何の関係もないとの会社の発言。
日本では、今はそれほど問題ではないだろう。しかしアメリカ追随のお国柄、警戒しなければと思った。

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憲法9条を守る詩の雑誌『いのちの籠』

今の平和憲法を守ろう、9条を守ろうという動きは各界にあって、詩人たちもあちこちで声を上げているが、この雑誌もその主旨にそって、単にスローガンではなく良い詩、エッセイを書いていこうというもので、詩人の羽生康二さんや甲田四郎さんら何人かが呼びかけ人になって去年の10月に創刊された。
『いのちの籠』という命名は、中 正敏さんの詩によるもので、それを次に紹介します。
               いのちの籠
                           中 正敏
        人は水にすぎぬものとしても
        水が洩れぬよう
        いのちの籠をたんねんに編む
        編み糸や葭 ひご あじろなどの竹類
        もので編んでは隙きまが漏らす
        自身の深い井戸底
        暗いおもいが光の芒で籠を編む
        遮るオーバー・ハングの壁は
        爪で剥がして爪をそぎ
        血まみれになって空を捜して
        千年 あるいは万年疑って なお
        
        ピアノ線よりしなやかに弾み
        まっすぐ伸びる光の糸で
        億年 人はいのちの籠を編みつづける
                          (2005年4月)
      
わたしは戦争を知っている世代ですが、実体験には乏しいので、反戦をこめた詩を書くのは難しく書けるかどうか分りませんが、反戦の気持ちは決して揺るがないので、そのことだけを基盤にして広やかに間口を広げているこの雑誌の趣旨に賛成して参加したのでした。
2号が今年2月に出て、そこにエッセイを掲載してもらったこともあって、この日曜日、「第2号の会」に初めて出席してみました。
その席で先ず最初に三井庄二さんが「高校生が反戦詩をどう読んだか」という報告をした。都立の定時制であるため、かえってちゃんと生徒たちは対応していると感じたのですが、そのことからすこし離れて、今高校に限らず教育の現場の締め付け、生徒の管理が年々厳しくなっていくさまをひしひしと感じました。
そんな時、わたしは何年か前に見たドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』コスタリカ、を思い出します。中米のコスタリカは小さな国ですが、そしてアメリカという大国から常に脅かされてもいるのですが、またそんな小さな国と、帝国でありたいという幻想を抱いた政治家や実業家がたくさんいるだろう日本とは比較できませんが、そこでの教育のあり方です。
コスタリカは何よりも人間を育てる教育に力を入れているそうで、軍事費をゼロにした分その多くを教育費に注ぎ込んでいるとのこと。そのため識字率も世界有数(93・5%)だと言います。しかも学校は単なる知識を習得するだけでなく、話し合いの技術を学ぶところとされ、その過程で徹底的に平和教育がなされているというのです。子どもたちは丸く輪になって、いろいろなテーマで話し合いをする。そこで議論や表現の仕方を身を持って学んでいく。大きな問題だけではなく身近なプライベートな悩みまで話し合い、皆で考えていくのだそうである。奇麗事すぎるかもしれないけれど、基本的な点だけはよく分ります。
今、教育基本法に「愛国心」を入れようとしています。誰でも自分が生まれ育った国が良い国で、誇れる国でありたいとは思うものです。オリンピックでも分るように、日本が金をとって欲しいし、日の丸も上げたいし君が代も聞きたくなるのです。どんなに貧乏でも醜くても自分の家族は軽蔑されたくないと思うと同じです。
ですから「愛国心」の教育など必要ないと、わたしは思うのです。その代わり「平和」教育をすれば良いのです。多分コスタリカではそうやっているのではないでしょうか。子どもの心も脳も白紙ですから、刷り込み、教育が大切でしょう。日本の戦時中の教育然り、また今でも独裁国はそうしているのでしょう。「愛国心」が必要なのは、国家が強力な軍隊を作ろうとしているからにちがいないとわたしは思っています。
少々大演説をしてしまいました。ちょっと恥ずかしくなりましたのでこれでやめます。

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啓蟄の日 鶯も本番前

今朝6時すぎ、ウグイスのクチュクチュというつぶやきが、眠っている私の耳に聞こえてきた。囀りの練習をしているようであった。そのうち、なんとかホーホケキョウと声を出した。これは初音?? いや まだ練習の段階であるようで、稚拙である。その稚拙なところが可愛らしく、すっかり目覚めてしまった。
遠くの方に行って、谷渡りの練習もしている。
キジバトも ククウ ククウと声を上げている。電話線の上につがいが仲良く身を寄せ合っていた。
「春眠暁を覚えず 処々啼鳥を聴く」・・・か。
なかなか冬将軍もしぶといが、もう春である。
晴れていたのに、にわかに曇りだし、突風も吹いたが、それがニュースによると春一番だそうだ。
虫たちが土の中でうごめき出す、ちょうど啓蟄の日。
緑のものたちも少しずつ身じろぎをし、勢いづき始めた。

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3月1日の庭

冷たい雨で、冬に逆戻りしたような一日でしたが、それでも何かしら春を感じさせられます。
水戸偕楽園では昨年より26日遅れで梅が咲き始めたそうですが、わたしの庭でもやっと少し前から乏しいながら花がほころび始めました。
そのほかヒイラギ南天の黄色い花。これは少々強い香りですが、よく匂います。
馬酔木の花も花房をたらし始めました。これは白ではなく薄い紅色です。
happyブログのロビーではもうウグイスが鳴いていて、愉しませてもらっていますが、ここではまだです。先日、何となくぐずり声が聞こえてきたようですが・・・・。
今日はほぼ半日、押入れの片付けをしていて潰れてしまいました。
水橋さんの突然の死、また「ふーず」で一緒したこともある渋田耕一さんの死、また茨木のり子さんや先日その全仕事を見に行った松井やよりさんの壮絶で見事な死など、死を身近に感じさせられることが多くなり、少しずつ身辺整理をしていかねばならないなあと思ったりしてます。

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日本が金メダルをとった日、お葬式に行く

朝、ラジオでニュースを聴いていて荒川静香選手が金をとったらしいと分り、いつも朝はテレビを見ないのだが、急いで切り替えてみるとちょうどその演技の最中であった。見事な演技で、惚れ惚れと眺めたのだった。それから私は身支度をして葬儀場へと足を運んだ。
水橋晋さんのお葬式の日である。通夜とは違って午前中なので粛々とした感じで式は始まった。突然の訃報でまだその事実を受け止められないでいるということから始まる横浜詩人会会長の禿慶子さんの弔辞を聞きながら、涙がにじんで来るのを抑えきれなくなった。あちこちでそういう気配がする。
奥様の話では、朝7時ごろいったん起き、もう一度寝ようとしたとき激しい頭痛と同時に嘔吐が来て、救急車を呼んだが、その車中ですでに意識がなくなり、病院でその後手を尽くしたものの夜10時頃、帰らぬ人となったそうである。その前の晩まで気分よくお酒を飲んでいられたそうである。訳詩誌「quel」次号の発刊準備も着々としており、元気な(といっても目まいや心臓不調などで病院とは縁の切れないお体ではあったが)様子を電話や手紙で、何人かが確認しており、本当に誰もこのように急に逝ってしまわれるとは思っていなかった。
本人でさえ、自分が死んだとは思っていないのではあるまいか、と水橋さんの写真を遠くから眺めながら思った。
日本の金メダル獲得と、うっとりさせられる美しい演技に国中が沸いている。もちろん私もその快挙に心が躍った。何度見ても美しく見事だと見ほれるような演技が出現したということが、素晴らしいと思った。
この映像を水橋さんは、もう見られないのだなあと思うのだった。見たいと思うかどうかは別にして、もう見られないのだなあ・・と思うと、この世での水橋さんの不在を感じる。ああ、もう遠くへ行ってしまわれたのだ・・・・。
ニュースで沸き立っている世の中と、水橋さんの棺に付き添って霊柩車に乗っていく親族とそれを見送っている私たちと、そこに見られる大きな落差。世の中と個人の関係を見る思いがした。「方丈記」で言う、川の流れとそこに浮かぶ泡(うたかた)・・・。私たちは皆そんな風に生まれては消えていくのだろうなあ・・・。水橋さん、とりあえずさようなら、私もそのうちに行きますからね。

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読書会(ル・クレジオ「はじまりの時」村野美優訳)を読む

昨日、長々と書きすぎて読書会まで書けなかったが、それが幸いであった。
今日の朝日の夕刊の文化欄に「文化の同等性希求の時」のタイトルで、39年ぶりに来日したル・クレジオ氏の様子が大きく取り上げているからである。
実は、邦訳としては最新刊の、自伝的な要素の濃い「はじまりの時」(上下2巻)を、読者会のメンバーの一人村野さんが出版されたので、それを今回は取り上げて読んだのであった。
読書会については、水野さんがブログに書かれると思うので、その新聞記事と村野さんの訳書について簡単に紹介しようと思う。
ル・クレジオは、一時期日本でもフランスのヌーボーロマンの旗手のような感じでもてはやされたことがある。しかしそういうイメージとはまったく異なる姿でここに再登場してきたといっていいだろう。現代文明の欧米中心の文化から外れた、インディオの文化に深く関わり、そこでの体験から生みだされた著作も多く、日本で言えばアイヌや奄美大島など辺境の、マージナルな文化の豊かさがこれに当る。そういう方向付けを持つシンポジウムに招かれようで、これは氏の出自にもよるが、その文学は国境時空を超えたこれからの文化の在り方を示唆するものでもあるといえよう。
その来日は地味なものだったらしく、村野さんがそのことを聞いたのはシンポジウム間際であったそうで、しかし本人にも会え、言葉も交わし、質問もさせてもらい、いい励ましの言葉ももらい、まさに彼女にとって「はじまりの時」となったようで、その場の様子を聞いた読書会のメンバーは皆喜びと祝福の声を上げた。
上下2巻と読むのは少々大変だが、とても読みやすく、惹きこまれる。よくもこれだけ大部なものを(歴史的なもの、地理的にも広範囲)よく訳したものと、感心し感嘆する。若いエネルギーがなければ出来ない仕事である。ル・クレジオの文学を理解するにはこれを読まないでは通れないであろう。
題は直訳すれば「革命=回転」であるが、何とか別のものにしたくて、「はじまりの時」という訳語を考えるのに苦労したという。その良否はいろいろ意見はあるだろうが、それはもう訳者の権利であり、自己責任である。そのような象徴的な訳をつけた時から、彼女の運命もまた開けてきたような感じもするのである。
関心のある方は、どうかお読みになってください。

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「書の至宝展」と「読書会」と。

「書の至宝(日本と中国)展」はぜひ御覧なさいと聞かされ、しかし混雑は大変なもので入るのに40分かかったとのことなので諦めかかっていたが、開場間際に行けば入れるのは入れるだろうと、思い切って早起きをして出かけていった。それは当っていたが、入るともう人はいっぱいだった。
流れに入っては少しも進まないので、隙間を見つけてはもぐりこみ、要所要所をじっくり目に入れるしか方法はないのだが、それでも十分に満足した。何しろ中国を源とする漢字の、紀元前の甲骨文から始まる書の歴史が、文字通り宝物である実物によって辿られているからである。王羲之から始まる中国の書、それが日本に渡ってきて経文や仮名文字として発展していくさまが、次々に展開する。
書の美しさなどよく分らなかったのだが、これら昔の人の名筆を眺めていくうちに、それが次第に感じられるようになってくる。描かれた紙や巻物などの姿もそのままに眼前に出来る、その迫力もあるのだろう。墨色の線だけで描かれているのに、そこには色彩のある絵よりももっと美しいものが感じられるのはなぜだろう。
中国の力強い漢字も素晴らしいが、日本の仮名のたおやかさも素敵だ。昔のお坊様が膨大なお経を一字一字活字よりも細く美しく紺地の紙に金泥の筆で書いた努力も感嘆する。日本の歴史で習った三蹟とか三筆という書の名人の筆跡も見ることが出来、一本しか現存しない、豪華な「古今和歌集」も見ることが出来た。
私が見たかったものがある。良寛の書である。それは時代的にも最後にあった。
4面の大屏風2枚(数え方が間違っているかも)。漱石も欲しがっていたという良寛の書は、とても人気があるようだが、字は細いが伸びやかでおおらか、風になびいているような風情があり、それを眺めているだけで心が安らいでくる。幸いそこが直ぐ出口になるので初めはほとんど人がいなかった。ゆっくりとその吹いてくる風に当ることが出来たのであった。その反対側には、良寛と通じるところのある、悠々自適と自己の自由の尊重を唱え、脱俗の書風を作り上げたという中国の漢詩人の、同じ大きさの屏風が展示されていた。そちらもなかながすがすがしい書であったが、こちらは漢字ばかりということもあるが個をはっきりと前面に出した力強さがあった。どちらも自作の詩を書いたものであり、好対照で、この書展の締めくくりとしてよく考えられたものだなあーと、勝手に考えて頷いたのであった。
12時少し前に、会場を出ると、4列の長い行列が出来ていて、入るのに一時間かかりますと案内の人が叫んでいた。
それから読書会に行ったのだが、それはまた後日にします。

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「日詰明男展」と「宮崎次郎展」を見に行く

「ヒポカンパスの詩画展」を開いた「ASK?」の次の企画が面白そうだからと、水野さんに誘われて一緒に見に行った。水野さんの詩の世界にも通じるような宮崎さんの方が本命で、ついでにこちらも見ようということになったのだが、こちらも素晴らしかった。その素晴らしさを文字で描写するのはとても難しい。なんといっても高等な数学の世界と建築、音楽が結合した美を表現したコラボレーションだからである。
フィボナッチ・ドラゴンと名づけられたそれは、フィボナッチ数という私には理解できない数値を基にしてコンピュータによって描いた図形であり、構造物であるという。会場には、螺旋状に限りなく成長するドラゴン(龍)を意味するらしい、壁のパネル群と木とプラスチック片で形作られた塔のようなものが2つ、青い光の漂う暗い会場に置かれているだけである。
しかしその中に佇んでいると、宇宙から流れてくるような静かな音楽に包まれ、まさに夜に宇宙を眺めているような気持ちになる。
クリスマスツリーのような2つの塔、螺旋の組み合わせで作られ無限に成長変化する龍を表すというそれと、またあちこちに下がっているこれも数学によって計算された立体、蛍のように呼吸し明滅する星籠のいくつかは、時間につれゆっくりと光り方を変え、明滅し、そして会場全体もまたそれに呼応して明るさを変えていくのである。
数学は美であるというのは、読書会でも読んだ小川洋子の「博士の愛した数式」にも出てくるが、これはそれを目に見える形の美として表現しようとしたものである。
巻貝のような自然の驚異的な美しさも、数値として計算できるといい、その逆の狙い方で、その美を表現しているということだが、あまりに深遠すぎて理解が及ばない。とにかく青白く発光するドラゴンや幾何学的な蛍の姿、そして無限の螺旋に埋め尽くされた、目がくらくらするパネルなどが、今でも目に浮かんでくるようだ。
宮崎次郎さんのは、またまったく違った世界と雰囲気を持ったものだったが、これも愉しく、心豊かになるものだった。アトモスフェールと名づけられた作品群で、そのかなりの作品が日本丸の船内を会場として展示されたというが、豪華船内で美味しい料理やワインを飲みながら眺め、陶然としながらこのファンタジックな世界に入っていくにちがいないと思わせられるからである。ここにはパリの匂いが濃厚である。男も女も道化師も笛吹きもヴァイオリン弾きも曲芸師もまた馬も鶏も花までも魅力的な顔をして目を見開いている感じがする。
少々書くのに疲れたのでこのくらいにします。私が拙く紹介するより、それぞれ画家のホームページを検索すると出てきますので、こういう書き込みは無用の長物かもしれませんね。

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「ゾリステン コンサート」

このところ厳しい冷え込みである。
今朝は鳥の水場には厚い氷(1センチ近く)が張った。昨日も同じくらいで、起きた時窓の外を見ると屋根が真っ白。霜にしては厚いと思ったら一昨日の夜、雪が降ったようだった。
きのう、コンサートに行った。日本を代表するソリスト、主要オーケストラのコンサートマスター、首席奏者が集まったゾリステン・メンバー(20人ほど)による23回目の公演。私2回目である。
演奏曲目は、今年はモーツアルト生誕250年、武満徹没後10年ということで二人の作品で。大ホールは1,2階とも空席がまったくないほどの(私は2階席なので3階は分らなかった)満員だった。
曲目は モーツアルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
     モーツアルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番(ソロ:漆原啓子)
          休憩
     武 満 徹:3つの映画音楽
     モーツアルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番「トルコ風」(ソロ:徳永二男)
          アンコール
     モーツアルト: ヴァイオリンとヴィオラのための協奏合奏曲 第2楽章
                                (徳永二男:川崎和憲) 
  
やはりライヴで聴く音楽は、素晴らしいと思う。音が足の裏からも這い登ってくる感じで、身体全体で聞いている思いがする。CDで聴くのもいいけれど、何となくそれは頭の方から降って来るようで、それにひたるような気がする。特にモーツアルトの曲は、光か水かが身体の中にしみこんできて、全身を経巡り、それがまたスーッと出て行ってしまう感じだ。私などそれほど詳しくないので、何番といわれてもとっさに曲を思い浮かべることは出来ないのだけれど、今回のはいずれも有名なよく耳にするもので、その時はああそれかと頷きながら、ときには口の中でメロデーをなぞったりしながら聴くのだけれど、終わったらそれがどういう曲だったか忘れてしまう感じなのである。特にモーツアルトはそういう感じだ。その代わり身体がふわりと軽くなった感じ、浄化されるといったらいいだろうか。
癒しということで、モーツアルトがよく取り上げられているようですが、と徳永さんは最初のスピーチで話された。しかし、演奏家にとっては、モーツアルトの演奏ほどストレスになるものはないのです(笑い)・・。
何しろ天才が作曲したものですから大変難しく、また繊細微妙なので、その演奏には大変緊張するものです・・・と。
武満徹は100本以上の映画音楽を担当したといい、そしてその作曲は、一種の休息であったのかもしれないとのこと。それでこの3つの映画音楽もブルース風、レクイエム風、シャンソン風のスタイルで、とても分りやすい楽しいものであった。
アンコールのメロデイアスな曲にうっとりしながら、私も含めて満員の聴衆はご馳走にあずかった後のような満足そうな雰囲気だった。

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懐かしい映画『流れる』と『浮雲』を観にいく

近くの芸術館でこの二本立ての映画を見た。
どちらも女性映画の名手といわれる成瀬巳喜男監督。『流れる』は幸田文原作、『浮雲』は林芙美子のそれぞれ名作である。
どちらも内容は有名なので省略するが、出演者は、前者は田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、栗島すみ子・・・といった、今考えれば豪華極まりない顔ぶれで、後者も高峰秀子と森雅之の組み合わせのほか岡田茉莉子、加藤大介、山形勲など。彼らの若い頃が見られるというのも、映像の不思議な面白さ。どちらも白黒である。
最近こういうリバイバルものに対して、私は内容の芸術性云々よりも(もちろんそれは大切で、それが前提だが)そこに映し出された映像そのもののほうに興味が行くようになった。即ち、その時代の風景、人々の日々の暮らしぶりや習慣、今では見られなくなってしまった家具や道具、日常の細々したものまで、それが背景として映し出されているので、あたかもタイムスリップしたように感じられて懐かしいのである。
前者は(1955年製作)、舞台が大川端に近い花街の芸者の置屋で、そこの女中(文自身の体験)の目から見た芸者たちの姿なので、華やかな表に対しての裏側の暮らし(同じ花街を彷徨した荷風には決して書けない)が描かれており、暮らしのディテールは映像ならではのものがある。
しかもどぶ板を踏んでと形容されるような路地で一見だらしなく暮らしている女が、さてお座敷という職場に向かうときに蛹が蝶に変わるように、たちまち美しくなっていく姿を見るとき、女でもうっとりしてしまう。
特に最後で山田五十鈴の女将が潰れそうになった置屋を何とか建て直そうと、決死の覚悟で恥を忍んで、昔の旦那に会いに行く時の芸者姿には、恐ろしいほどの美しさを感じた。
後者(1956年)は、戦時中の安南(ベトナム)が男女の出会いなのでそこから始まるが、後は戦後で、闇市の賑わいやパンパンといわれた女の暮らし、戦後の庶民たちの暮らし。そして浮雲のごとく転々としていく、代々木、千駄ヶ谷、渋谷などから二人で行く以伊香保温泉のその頃の様子など、バックに写し出され、その頃の暮らしや貧しさが偲ばれる。
そして最後に高峰秀子の雪子が寂しく死んでいく屋久島も、今でこそ縄文杉などでもてはやされ観光地になっているものの、その頃は電気も何もない流人の島のように雨ばかり降る遠い僻地で、農林省の技師(森雅之)や工事関係のような人しか行かなかったのであろうと思われる。
この映画の中にある道具やそれが置かれてあった家、それらが作っていた町並み全てが、今の日本ではほとんど無くなってしまっているなあ、と思うのであった。折りしも今日のニュースでは、青山の同潤会アパートの敷地跡が新しく「表参道ヒルズ」となって様変わりした様子が映されていた。その面影は残しながらだと紹介されていたが、しかしそれはもうまったく別物であろう。

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