『たそかれ』朽木祥 (福音館書店)を読む

昨年10月26日のブログに、朽木さんの第一作『かはたれ』を読んだ感想を入れたのですが、これは今年出た第2作目になります。最初の本で、日本児童文学者協会新人賞・同文芸新人賞など3つも賞を重ねてもらう幸運にも恵まれ、大いに期待される作家となられました。
この題も「かわたれ」と同義の「たそかれ」です。舞台は同じ場所、またその時刻からも推量できるようにあの世とこの世、人間界と異界が重なり合う世界で、ここにも散在ガ池の子どもの河童「八寸」が先ず登場しますが、前作より4年後という設定になっています。その世界は前作と同様仄かな感じを漂わせながら重層的で詩的雰囲気に満ちていますが、もっと深まり、また例えて言えば個の存在から社会や類の存在まで思索が深まっている感じがしました。
こう書けばとても難しく固い話のようですが決してそうではなく、旧いプールのある(それが取り壊されそうになっている)高校での河童騒動を部活舞台としたミステリー物語として読んでも面白く、前作に八寸と仲良くなったニンゲンの少女・麻との再会、新しく登場してきた、小学校時代のいじめを克服して今では音楽家を目指している河井君との出会いと友情、部活のモデルになる前作にも登場したラプラドール犬のチェスタトンの活躍などの学園物語的な要素もあるのです。
しかしもっとも重要な登場者は、八寸が長老から探す事を命じられた同じ河童の「不知」と、かれが出会ったニンゲンの「司少年」です。そこで時間は急に60年遡る事になります。不知は司少年との約束を守って、60年も待ち続けているらしく、その河童を連れ戻すことを八寸は命じられたのです。不知が棲んでいるのが、高校の取り壊されようとしている旧いプールなのです。
果たしてその不知を八寸は探し出し、無事に連れ戻す事が出来るでしょうか。どんな風に麻や河井君の力も借りながらそれを果たすのでしょうか、それがこの物語の大きな筋です。
しかしこれが作者の本命ではありません。その筋立てを使って、もっともっと深くて大きなことを伝えたいのです、と断言めいた事を言いましたが、私はそう読みました。60年前の(現在点から言えば64年前)のことですから司少年は戦争に行っています。戦死したと思われていたのに、片腕は失いながら帰ってきます。その後空襲がひどくなり、爆撃に追われて多くの人がこのプールに火を避けて飛び込み亡くなったという記録が残っています。(戦災を受けた都市にはこういう場所が多くあるでしょう。東京大空集の時は隅田川というふうに)司少年も崩れてきた大きな梁に挟まれて動けなくなり、友達になっていた河童の不知もやむを得ずかれを置いてにげるしかありませんでした。そのとき司少年が言った言葉を守って、彼がきっと会いにくる事を信じて待ち続けたということが分ります。こういう不知をどのように説得して連れ戻すのか、また司少年は本当に約束を果たしたたのであろうか。それは読んでいただくしかありませんが、そういう戦争で喪われた魂へのレクイエムが潜ませてあります。まさに潜ませてあり、あからさまには語られません。ちょうど音楽のように、言葉ではなく感覚で語ろうとしているみたいです。実際このお話の中にはたくさん音楽が出てきますし、音楽が奏でられます。
また、時間も場所も重層するわけですが、それが巧みにファンタジックに映像的に描かれている点も感心しました。
この本は童話シリーズで小学校中級以上が対象と分類されていますが、その枠を超えるものです。前述したようにそういう児童生徒も十分に楽しめますが、深いところまでは感受できないでしょう。しかしモーツアルトが子どもに楽しめない事がないと同じです。多くのすぐれたファンタジーが年齢を超えて楽しめるように、これもそれ類した物語だと思いました。参考まで付け加えると作者は広島出身です。
音楽や絵や物語について、心に残った文がありますので、次に書いて見ましょう。
<人の心が悲しみや苦しみでいっぱいになってしまうと、音楽や絵や物語のいりこむ余地はなくなってしまう。だけど、心はそのまま凍ってしまうわけではない。人の心の深いところには、不思議な力があるからだ。何かの拍子に、悲しみや苦しみのひとつが席をはずすと、たとえば音楽は、いともたやすくその席にすべりこむ。そっとすべりこんできた感動は、心の中の居場所をひそかに広げて、まだ居座っている悲しみや苦しみを次第にどこかに収めてしまう>

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TV番組で「木村さんの林檎」を知る

昨日TYで、日本で始めて無農薬、無肥料で美味しい林檎を育て上げた、この「木村さん」の話を見て驚嘆し感動した。
最近は農薬や殺虫剤の被害や影響が問題になって、農業もなるべくそれらを使わない自然農法をと変わってきているようだが、全く農薬を使わずまた肥料さえ使わずに、しかも素晴らしく美味しい林檎を育てるというのだから驚きである。
もちろんここに来るまでは苦難の道のりであって、追い詰められて自殺を考えたこともあったそうだが、8年かかってやっと立派な実を実らせた事が出来たのだという。
日本の農業で一番苦労するのは害虫である。「虫やらい」の昔からの行事があるように虫から農作物を守る事がどんなに必要で大切な事か。しかし害虫があればそれを食べてくれる益虫もあるわけで、木村さんの農園には雑草がいっぱい生えていて、自然のままに植物や昆虫が共存できるようになっているという(しかし決して放って置くのではなく、適当で必要な草刈もし手入れもする)。
それでも林檎の木や実に害を為すものがあるわけで、それをどうするのだろうと思っていると、それは植物から作った酢を丁寧に散布するのだそうだ。それも一本一本を、散布機でなく手に持ったホースで散布する。散布機を畑に入れると、草や土を痛めるからである。
ここに至って分ってくることは、その秘密は土、土壌にあったのである。肥料も全く必要ないというのも(素人考えでは有機肥料であれば少しぐらいやったほうがいいのでは・・・と思うのだが)、そこにあるようだ。
林檎の木下の土はふかふかで、そこには生えた土や落ちた木の葉やその他生き物たちの死骸などで十分に栄養があるのだろう。
林檎の木は「育てない、(木が育つのを)手助けするだけだ」というのが、木村さんの農法の基本なのだという。そして「こんなに立派に育ってくれて有難う!」と、林檎に頬ずりする木村さんの姿は美しい。
林檎は家族の一員であり子どもであり、その根本にあるのは「愛」である。
その林檎もまたそれを絞ったジュースも素晴らしく美味しく、今はそれを手に入れることは難しく、また業界でも「不可能を可能にした男」として見学に来る農家や研究者たちも多いという。もちろんホームページもある。
瑞々しく美味しいだけではなく、腐らないというのも不思議だ。日が経ってドライフルーツのようになったものがスタジオに出されていた。どうしてだろう、野性的な強さがあって腐敗菌が付かないのだろうか。
話の中で、ある転機とになった事柄が興味深かった。それは自殺も考えて岩木山の山奥に入って寝そべっていた時に一本の野生の林檎の木を見たのだという。肥料もやらず、農薬もかけない林檎の木がどうしてこんなに美しく花を咲かせているのだろう?と思ったのだと。
それが農法を進めるきっかけになったのだ・・・と。
知識は全て自分で調べ、体験を基にした独学である事もすごい。
これを聞いていて、私はふとニンゲンの子どももそうではないか・・・と。
今ニンゲンの子どもにも、肥料をやりすぎ、消毒薬をかけすぎ、手をかけすぎ育てすぎているのではないだろうか。
ニンゲンは林檎よりも素晴らしいはずではないか。そのニンゲンの子どもを「育てない、(子どもが自分で育つのを)手助けするだけ」にしなければ逞しく立派な人間に育っていかないのではないだろうか。そんな事より、その土壌を豊かなものにすれば良いのではないか。
政治家までがしゃしゃり出て、教育基本法にまで手をつけ、無理やりに愛国心のある人間に育て上げようとする行為は、これとは逆の方向に向っていると思わざるをえない。

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『仏像 一木にこめられた祈り』展を観に行く

今日と打って変わり、昨日は幸いにも気持の良い小春日和だった。
残っていた最後の招待券だという一枚を、水野さんから頂いて一緒にこの仏像展に出かけた。
最近では珍しい良いお天気だったこともあって、上野の改札口からどっと吐き出される人の群れに驚きながら、又会場の入口でも待たされたけれど、仏様は陳列棚に入っておられるわけでもないのだから、ゆっくりした気持で向き合い仰ぎ見る事が出来た。
私は信仰心はないし、またこれまで仏像も有名だとか美しいとか仏閣めぐりの際にフムフムという感じで単に鑑賞していたに過ぎず強い関心を仏像に抱いた事もそれほどなかった。しかし日本全国の約50の神社や寺から集めた(門外不出のものもあって苦労されたようだが)一本の木から彫り出した「一本造り」の仏様たちが、ずらりと並んだこの会場を経巡っているうち、ひどく魅せられ感動していく自分を感じたのである。
この展覧会の趣旨である日本人の木(特に巨木)に霊力を感じる心と仏教への信仰が結びついた、日本人の心の源流のようなものが、これら初期の仏像(後には寄木造りその他、木ではなく銅などの金属でも造られる事が多くなるのである)には表現されていて、色々考えさせられたし、また仏像一体一体をぐるりと全身を眺めさせてもらえる機会など、実際の寺を訪れても不可能なことにちがいなく、こんなにお一人お一人が違っていて、素晴らしいものであるかということを、しみじみと感じさせられ仏像に対する関心と興味が急に湧き上がって来たのだった。
色々な思いは書くと長くなるし、また知識も鑑賞力もないのだから馬脚が現われるので色々思ったということだけに止めるけれど、その中の一つ、ヨーロッパではギリシャ・ローマから彫刻が盛んで、日本には美術として彫刻があまりないような気がしていたのだが、こんなに仏像があるではないか、と思ったのだった。そもそも彫刻という概念が東西で違うのではないだろうか?
実はフランスへ行ったときのこと、ロダン美術館で大理石の彫刻を見たとき、なぜが涙が出るほどに感動した。同じ場所にあった色彩豊かな印象派の絵画よりも色彩豊かに感じられたのである。なぜかわからないが・・・。そのことも思い出していた。
会場を出ると、公園の中は銀杏や欅など黄葉がやっと美しくなっていて、降りかかってくる落ち葉を踏みながらレストランの道を3人で歩いた。ここの印象派の景色はなかなか快く素晴らしかった。

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『紙屋悦子の青春』を観にいく

上映期限が残り少ないと知り、慌てて観にいく。昨日(教育基本法改正案衆議院通過の日)の事である。
今年4月に急逝した黒木和雄(監督)の最後の作品で、戦争レクイエム3部作(『父と暮せば』ほか)で反響を呼び、これもそれに続くものだが、元の脚本が舞台上の戯曲(山田英樹原作)のためか、台詞が絶妙で笑いが絶えなかった。笑いながら自然に涙がにじみ出てくる良い映画だった。ちょっと小津映画を思わせるところもあった。
ここに登場する人物は誰も戦争に反対してはいない。むしろ日本が勝つと信じ(?)、信じようとして堪え忍び、お国の役に立とうとしている庶民である。筋は単純で、悦子という若い女性にともに思いを寄せ合う二人の海軍士官、その一人と見合いをすることになって、その日を中心にした何日間かの話、本土決戦を覚悟させられた日本人の或る日常の描写である。
その相手と結ばれた二人が、老人となり病院の屋上で共に回想する構成になっている。
『父と暮せば』は広島弁だったが、ここでは鹿児島弁、それが又良い味を出している。
舞台は悦子が身を寄せている兄夫婦(両親は出張中に東京大空襲で死亡している)の家だけで、それは全てセットだそうで当時の暮らしのさまざまな細部が復元された感じで、ちゃぶ台をはじめ火鉢や茶箪笥や台所に竈や水がめなどが、懐かしいと言うか、今の物があふれ贅沢になった暮らしが改めて振り返らせられてしまう。そこでの兄夫婦のちょっとした口げんかや見合いの話のやり取り、又見合いの場面での当時の若い男女のぎこちない対面風景などが当人たちが真面目なだけにたくまぬユーモアとなって笑わせられる。
茶の間が中心なのでどうしても食べ物が出てくるが、夕食は一汁一菜と漬物だけ、その一菜が一昨日のサツマイモの残りという場面から始まるのだが、それをいかにも美味しそうに食べるのである。ご飯が白米と言うのは、やはり地方だったからだろう。終戦間近の4月、庭に咲く桜が象徴的な点景となるが、それが蕾から満開になって、散るまでの時間が描かれる。
お見合いのもてなしで、取って置きの静岡茶を入れようとするのだが、その美味しさを皆でつくづく味わう場面や、これも兄嫁の才覚で配給されたものを取っておいた小豆で作ったお萩を食べる場面など、そういうささやかな満足に幸福を見出せた時代だったことを思う。物があふれる事が果たして幸せであるかどうか。
幸せであるのにどうしてそれが実感できないのであろうか。
実は悦子は二人の中の一人、しばしば訪れていた好青年の士官の方にひそかに思いを寄せていて、それを兄嫁も気がついているのだが、見合いを申し込んだのはもう一人の方で、彼も一目ぼれしていたのだった。実は好きな方の少尉は特攻志願をしていて、そのために親友に悦子を託そうとしたのである。
結末は言わなくても分るが、終戦間際にその優秀で秀麗な士官は沖縄沖で自爆する。見事に敵に体当たりして名誉の戦死を遂げるのである。これは実話を基にしているとのことだが、そういう経緯が悦子に当てた遺書とも言える手紙で語られる。
それを読むときに聞こえてくる幻聴ともいうべき潮騒の音・・・。士官たちが訪ねてくる時の背後の電柱が十字架を象徴しているようにも見え、一本の見事な櫻もまた当然全体を象徴しているわけで、これを監督の黒木和雄さんはあの時代を生きた若者たちに捧げるレクイエム」と言われたそうだが、同じく4月に逝かれた監督に対して、観客の一人としてレクイエムのような気持でこの拙い紹介をさせていただくことにしました。

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六国見山への散策

10月ももう今日で終わり。なんて日が経つのが早いのだろう。
例年より暖かい日が続いて、今が一番過ごしやすい気温だとか。このところ秋晴れも続いたので、久しぶりの散歩に出る事にした。足の指の捻挫もまだ痛みは残っているが正常近くになったので、足慣らしの意味もあって。
日が暮れる寸前に家を出る。輝きだけはあっても熱気を失った夕陽が張り付いたように西空に、白い半月が中空に望めた。丁度人も犬も散歩の時間帯で、ジョギングをする人やそれぞれ犬を連れた一団に出会ったりする。カラスもねぐらへと急ぐ時らしく、あちこちで「あ〜あ〜」と鳴きあっている。新しい住宅地から登り道に入るが、まだ紅葉の時期ではなく、ただ木々に巻きついた山芋の葉だけが黄色になっている。我が家のブナの木も、日の当たるところだけやっと黄色になりつつある。頂上近くになったとき、耳を疑った。あれはヒグラシの声ではないか! この温かさで蝉がまた出てきたのか・・・と思ったのだが、そうではなく、どうもモズであるようだ。モズは百舌というように、物まねも得意だ。まさかヒグラシを真似したのではないだろうが、例えばシジュウカラのジュクジュクというような声を真似たのか・・・と結論する。
頂上は無人で、夕もやの中に向いの丘陵だけが見渡せる。太陽の姿はもうなく、残光だけである。少し佇んだだけで下ってくると、麓の高校から吹奏楽が洩れてきた。部活の練習であるようだ。学園祭の季節でもある。カラスの声はもう全くしない。みんなねぐらに落着いたのだろう。辺りは暮れ始めていて、町の灯もともり始め、帰り着いたとき、丁度とっぷりと暮れた。
万歩計で歩数をはじめて測ってみたが、ずいぶん歩いたと思ったのに877歩でしかなかった。一日1万歩歩けなどと言われるが、到底無理だなあ・・・と思った。

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秋の野の庭

久しぶりのブログです。
秋の嵐、昔風にいうと野分と言うのでしょうか、吹きすぎていって、今日はすっかり深まった秋空でした。
手入れをほとんどしないわが狭庭も、ホトトギスやリュウノヒゲの花が盛りで、紅色の秋海棠、まだ咲き残った水引草、ツワブキの花が咲きはじめました。隣の家ではサザンカの花。
水仙の葉は毎年ちゃんとこの時期伸びてきて、今年は頂いた種を蒔いた、新顔のマダガスカル・ジャスミンが、幼いながら濃い緑の5枚目の新葉を出そうとしています。
日が本当に短くなり、これを書き始めたときはまだ明るかったのに、もうとっぷり暮れてしまいました。
この日照の短さが、年齢の秋をも感じさせるのではと思ったり・・・。
私もブログを始めて1年と一ヶ月。熱しやすく冷めやすいところがあるので、ブログ熱も気温とともに少し冷めてきたのかも。

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「二コラ・ベネデッティ ヴァイオリン・リサイタル」

毎日雨か曇りの日がつづきます。すっきりとした秋空はどこへ行ってしまったのでしょう。そんなときは心が晴れ晴れする音楽でも聴くのが一番でしょうか。
先の日曜日、予報より早く雨になってしまった中を、すこしばかり痛めた足を引きずりながら、近くで開かれるヴァイオリン・リサイタルに出かけてきました。
1987年生まれというからまだ若い、スコットランド生まれの女性。イギリス国内だけでなく国際的に目覚しい活躍をしているという新星。その美しさにも魅かれて切符を買ってしまった。共演のピアニストも美しかった。やはり美しいというのは得だなあ。
しかし入りの方は、まあまあではあるが満席と言うわけではなかった。
演目は
ブラームス:「F.A.Eソナタ」より スケルッツオ
ブラームス;ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 作品78「雨の歌」
          休憩
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
サン=サーンス:ハヴァネラ
ラヴェル:ツィガーヌ
サガンの小説に「ブラームスはお好き」というのがあるが、純文学の重厚で長い小説を読むような感じがして私には少しばかり重たい。しかしヴァイオリニストの鋭い感性やテクニックが良く感じられるものらしく、休憩時に入ってくる会話にそういう声を聞いた。
ラヴェルのソナタは、第一楽章 アレグレットは、伝統にとらわれない自由の構造、第二楽章のブルース、モデラートは、ジャズの手法を採り入れたもの、第3楽章は、技巧的で華麗な旋律と解説にあるように、現代的感覚のみなぎる技巧も華やかな曲で、すっかり魅了された。
ハヴァネラも、キューバの民族音楽であり、耳に馴染みがあり、これはサン=サーンスがキューバ出身のヴァイオリニストに捧げたものであるという。これも情熱的で技巧的で、それを細い身体で弾きこなす姿とその力量には惹きつけられる。
最後の曲も、「演奏会用狂詩曲」という副題があるようで、これもジプシー音楽の要素を持つもの。ハンガリーの民族舞曲の形式の緩急二つの構成からなるという、これもひどく技巧的で華麗で、ブラヴォーの声もひときわ高くなった。
拍手は鳴り止まず、アンコールも2曲をサービス。一つは、多分タイスの瞑想曲だと思うが、次のは分らなかった。掲示の紙を見るのを忘れてしまったのである。

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「ハンノキのコンサート」(2)

自然の中のコンサートは楽しかったが、第一部がこの催しの趣旨なのであった。
「南米パタゴニア原生地区の自然と身近な保全について」という題で、スライドによる現地の説明と、同じく保全に携わっている人を交えた3人のトーク。その中の一人が、いつも案内をしてくださる野鳥の会の加藤さんである。
パタゴニアは、南米のチリとアルゼンチンにまたがる広大な地域だという。
タイトルには「原生」とあるが、実は家畜の過剰放牧、森林伐採、石油採掘などさまざまな環境破壊に直面している地域でもあるとのこと。そこをある企業が、環境保護グループに協力して、土地をトラストして、それを原生に近いまで回復させた末、政府に土地を寄贈し、国立公園として永久に保存する活動を始めたのだという話である。その会社名がパタゴニア社(アウトドア・スポーツウエアなどの販売)。それで私は最初は土地の名前と混同して戸惑ったのであったが。
その会社は、世界各国にある支社の従業員をボランティアとして派遣し、日本からも今回7名ほどが派遣され、その一人がこの日のパネラー(赤星明彦氏)であった。ボランティアといってもこれまでどおり会社からは給料の出る仕組みで、「パタゴニア・ナショナル・パーク」プロジェクトという。
自然に戻すといってもその広さといい規模といい、台峯と比べたらアリとゾウくらいの違い、いやもっとかもしれない。今牧場を無くし、原生に返すところだそうだが、その牧場の広さは神奈川県ほどなのだという。しかしそこには羊と共に生きてきたガウチョと称す牧童たちの生活がある。その生活権を考えた上での計画なのだそうだ。実際今化学繊維などの発達から、羊毛は生産過剰になって値段も下落してきているともいう。
また実際、牧場を廃すといっても、ただそのまま放置するわけにはいかない。牧場を囲っていた金網の撤収だけでも大変である。総延長800キロに及ぶそれを巻き取り(そのままにしておくとそれに引っかかって死ぬ動物が出てくる)、杭を一本一本手で引き抜き、またその穴を埋めねばならないのである。
いったん壊した自然であるから、その地にあった生態系が取り戻せるまでの草刈などの管理も必要になる。そのためガウチョたちの生活もあるので、エコツアーの誘致などでも経費も得られるような計画など、考えれば気の遠くなるような計画ではあが、着々と進んでいるようであった。
この会社の設立者が、そういう環境保護活動を進めていた女性経営者(夫と協力)であると聞いて、嬉しかった。
自然を壊している最大の原因は人間の生活そのものである。特にそのための利益を優先させるのが企業であろう。しかし「死んだ地球からはビジネスは生まれない」といい、それゆえ会社を使って環境にいいことをせよ、というのがその社の方針であると、そのパネラーはこの会社をよろしくと宣伝をもかねて話を結んでいたが、企業のあり方もこれからは変わらなければならないだろう。この会社は、ボランティアだけでなく総売り上げ(利益ではなく)の1パーセントを環境に返しているそうである。
パタゴニア社という会社があったのかなあ、これから気をつけてみようと思ったのだった。

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第7回 ハンノキのコンサート(1)

台峯の自然保護運動を進めるにあたり、その感性を通したものにしようとコンサートもしばしば催され、それにはこの地のシンボル的なハンノキが冠されている(利益は環境保護に使われる)。それを先日の台峯歩きの後、聴きに行った。
会場はお寺の本堂である。広々として天井の高いお堂のご本尊の前で、開け放たれた庭から風や虫の音など自然の空気が流れ込んでくる中での演奏は、音楽堂とはまた違った趣がある。最近、この辺りではこのようにお寺で開かれることも多くなった。
内容はやはりクラシックが多いのだが、今回は二十五弦筝と薩摩琵琶である。
午前中歩いて、快い疲れをしているので、琵琶など聴いていると、途中で眠くなるのかもしれないと思ったが、確かにふうっと夢うつつになりそうなところもあったけれど、日本の古典楽器が今の息吹を吸って若々しく甦った演奏には目が覚め、感動した。
演奏は、薩摩琵琶は荒井靖水、二十五弦筝は荒井美帆の若いご夫妻であるが、ジャンルを超えた演奏で国内海外を問わず大いに活躍している実力者であるようだ。普通の琴より弦数の多い琴は、いっそうハープに似て、いかにも日本的と思われる琵琶も、時には猛々しくまた嫋々として、素晴らしく息が合っていた。
演奏題目は、
『忘れ水』 演奏も作曲もお二人で。
『巌流島』 伝統的な勇壮な琵琶の曲、琵琶のみ。
『糸の道』 演奏はお二人で。作曲は武智由香(西洋音楽を勉強後伝統楽器の作曲も多く手がけ、国内外で活躍高い評価をえている作曲家)これはフランス、ニース国立美術館委嘱作品。
折りしも次の日だったか、TVで関口知宏さんが、NHK伝統和楽団の若い女性演奏家たちを引き連れて、カナダのメープル街道を演奏して歩く番組が放映されていたが、そのメンバーも琴、三味線、琵琶、尺八の演奏家たちで、彼女らが森の中や街頭、教会などで演奏していき、人々と交流していく。前の日の演奏を思い出し、音楽も人もそして自然も国境を越えたものだ、としみじみ感じた。
実はこの演奏は、コンサートの第2部である。1部については回を改めて書くことにします。

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初秋の台峯歩き

台風13号が、九州地方などに突発的に大きな被害を残しながら去っていこうとしているが、日曜日の昨日、台峯歩きに参加した。台風の予報もあって曇り空、雨にならなかったのが幸いであった。10人ほどだったのでゆっくりと、花や昆虫にルーペを当てて観察したりしながら歩いた。
萩の花があちこちに群れ咲いていて、特に白萩には秋のすがすがしさを感じ
る。彼岸花も咲き始めており、園芸種が野生化したものだが秋海棠の群落、ヤブミョウガの実。
この回の目玉は、なんといっても実りの稲田。2箇所とも黄金色に広がり(1つはもう消失)、その上を蝶、そしてトンボも飛んでいた。まだアキアカネは山から下りてこない。アキアカネは、後10日ぐらいしたある朝、突然群れをなして平地に降りてくるのだと言う。田の面一面に薄い網が張られていて、この作業も大変だろうなあと思わせられる。田植えをした頃から見ているので、感動的である。今年はまだ台風がこの地には訪れていないのでいいけれど、このまま無事であって欲しいと思う。田んぼ自体もまた。
今日の学習項目は昆虫であった。前回は旅行していたので休んだが、実は「マツムシを聴く会」をもったのだという。まだこの辺はミンミンもツクツクも鳴いていたが、これからは虫の季節である。この辺りには4〜50種ぐらいはいるだろうという、そしてその中から30種ほどのキリギリス科、コオロギ科の名前と鳴き声が挙げられていたが、種類の多さに驚いた。そんなにいるものだろうか・・・。最初は5種類ぐらい聞き分けられる事を目標に、慣れれば誰でも10〜20種は聞き分けれます、と書いてあったが・・・・。
道端の小さな葉っぱのウラに2ミリほどの虫がいて、それがクサヒバリだと教えられた。ブイりりり・・・・と細い連続音で鳴くというが、こんな小さな虫まで鳴くのですね。
鳴き声の王は、エンマコオロギ、女王は、カンタンだとのこと。
最近は外来種で急激に増えているアオマツムシの高い声に、秋の夜が独占されている感があるが、細い声にも耳をすませることで、次第にムシ耳になっていくのだということでした。時間にもよるが、まだ虫の声は少なく、また指摘されても耳に入らない事もあって、私はまだままだムシ耳からは遠いところにあると実感。外来植物としてセイタカアワダチソウは有名になりましたが、これも同じく外来で、荒地に必ずやってきて背が高くなる、アレチノギクの別名を何というかご存知でしょうか。鉄道草、または西郷草とも言うそうです。これが日本に入ってきたのは明治の鉄道が敷設し始めた頃、その車輪などで運ばれて広まったことから、また西南戦争の折、薩摩軍の西郷さんが、背の高いこの植物に身を隠しながら逃げたといういわれから来ているとも。
どんな植物にもそれぞれ歴史があって、それを知るだけでも面白いようです。

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