『仏像 一木にこめられた祈り』展を観に行く

今日と打って変わり、昨日は幸いにも気持の良い小春日和だった。
残っていた最後の招待券だという一枚を、水野さんから頂いて一緒にこの仏像展に出かけた。
最近では珍しい良いお天気だったこともあって、上野の改札口からどっと吐き出される人の群れに驚きながら、又会場の入口でも待たされたけれど、仏様は陳列棚に入っておられるわけでもないのだから、ゆっくりした気持で向き合い仰ぎ見る事が出来た。
私は信仰心はないし、またこれまで仏像も有名だとか美しいとか仏閣めぐりの際にフムフムという感じで単に鑑賞していたに過ぎず強い関心を仏像に抱いた事もそれほどなかった。しかし日本全国の約50の神社や寺から集めた(門外不出のものもあって苦労されたようだが)一本の木から彫り出した「一本造り」の仏様たちが、ずらりと並んだこの会場を経巡っているうち、ひどく魅せられ感動していく自分を感じたのである。
この展覧会の趣旨である日本人の木(特に巨木)に霊力を感じる心と仏教への信仰が結びついた、日本人の心の源流のようなものが、これら初期の仏像(後には寄木造りその他、木ではなく銅などの金属でも造られる事が多くなるのである)には表現されていて、色々考えさせられたし、また仏像一体一体をぐるりと全身を眺めさせてもらえる機会など、実際の寺を訪れても不可能なことにちがいなく、こんなにお一人お一人が違っていて、素晴らしいものであるかということを、しみじみと感じさせられ仏像に対する関心と興味が急に湧き上がって来たのだった。
色々な思いは書くと長くなるし、また知識も鑑賞力もないのだから馬脚が現われるので色々思ったということだけに止めるけれど、その中の一つ、ヨーロッパではギリシャ・ローマから彫刻が盛んで、日本には美術として彫刻があまりないような気がしていたのだが、こんなに仏像があるではないか、と思ったのだった。そもそも彫刻という概念が東西で違うのではないだろうか?
実はフランスへ行ったときのこと、ロダン美術館で大理石の彫刻を見たとき、なぜが涙が出るほどに感動した。同じ場所にあった色彩豊かな印象派の絵画よりも色彩豊かに感じられたのである。なぜかわからないが・・・。そのことも思い出していた。
会場を出ると、公園の中は銀杏や欅など黄葉がやっと美しくなっていて、降りかかってくる落ち葉を踏みながらレストランの道を3人で歩いた。ここの印象派の景色はなかなか快く素晴らしかった。

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