3月19日の夢(音楽バス)

 ぼくは夕方から出張なのだが、妻と何かのパーティーに出席していて、なかなかその場を離れがたい。それでも、もう5時を過ぎてしまい、妻が「一体何の出張で、どこへ行くの?」と言うのを振り切って、出発することにする。そこで自分の鞄を開けてみると、野球帽が入っているのに気づく。かぶっていると何だかかっこいい気がする。トイレに入って、鏡を見る。なんと、普通の帽子に比べて三分の一ほどの小ささで、とても格好悪い。慌てて帽子をとる。おまけに、トイレの中は黄金色に汚れている。
 トイレを出て、街路を歩いていく。ベンチがいくつもあって、人々が座っている。そこを抜けようとするが、ベンチは円形に置かれていて、しかもベンチとベンチの間は鎖でつながれていて、出口がない。懸命に鎖をまたいで脱出する。
 さらに歩いていくと、会社の役員が突然立ちはだかる。高校時代の方言丸出しのいじめっ子だ。「春休みに出張するのはいいが、後に残ったみんなが分かるように、仕事の現状のデータをパソコンに残しておかないと駄目じゃないか」と、ぼくをなじる。「おまえは知らないだろうが、Y社では出張先の部屋の布団の配置図をちゃんと用意しているのだ。そんな下調べもできていないだろう」と、その配置図を何枚もぼくに見せる。ぼくは彼の話を聞き、ぼくのパソコンは会社側に覗かれているのかと、一瞬ドキリとする。思わずキレそうになり、彼に言い返そうとするが、そうなればこのまま退職をする羽目になるかもしれない。それとも謝罪して、事態を収めるべきかと、ぼくは葛藤する。そのまま帰ろうとする役員を、ぼくは後ろから腕でとどめるようにして、「教えてください。あなたは何のために、ぼくにこういうことを言うのですか」と必死に尋ねるが、彼はぼくの味方とも敵ともわからないまま、立ち去ってしまう。
 動揺しながら、たまたまバス停に止まったバスに乗ろうとする。中には教室のように机が並び、人々がきちんと椅子に座っているのを見て、これは団体の貸し切りバスであることに気づく。そして、ぼくはバスではなく、地下鉄で東京駅へ行くつもりだったのだと思い出す。道に迷いながらも、田舎道にあかあかと地下鉄の駅が灯をともしているのを見つける。ところが、乗ったのはまたまたバスだった。このバスは本当にぼくを東京駅に運んでくれるのだろうか。とても不安だ。おまけに、運転手が運転しながらピアノを演奏する音楽バスだ。Y社の新商売らしい。だが、よく見ると、運転手はピアノを弾いているわけではなく、スピーカーで音楽を流しているらしい。そろそろ終着駅で、みんな降りる準備を始める。出口の壁の背後で、誰かが不思議な仕掛けをしている。どういう仕組みなのだろうか、壁のこちら側に折り紙か切り絵細工のようなものが、まるで植物が繁殖するようにひとりでに図形を作っていく。それを見て、乗客の親子連れが大喜びをしている。

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3月18日の夢(豚が作ったマヨネーズ)

幼児音楽研究家のI先生の研究室では実験用に何匹も豚を飼っている。その豚をあるとき、檻に入れるのを忘れて部屋に放し飼いにしておいたら、豚たちが壁に何かを泥で塗り込めているのが見つかった。豚たちは一体何を壁の中でしようとしているのか。試しにいろいろな材料を与えて、観察してみることにした。暫くして、豚たちが壁の中に塗り込めた壺を取りだしてみると、壺の中から発酵してできたマヨネーズが出てきた。試食してみると、おいしい。こうして出来上がったのオリジナルのマヨネーズを新商品として売り出すことに決定した。

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3月14日の夢(お屋敷)

 大きなお屋敷に三人でおよばれに行った。三人というのは、ぼくのほかに父と母のようでもあり、妻と息子のようでもある。百人一首をして遊ぶ。といって、畳の上でカルタ取りをするのではなく、百人一首の札が十枚ぐらいずつ上等な透明パックに包まれているものが、燕尾服を着た召使いたちの手でテーブルに持ってこられ、椅子に座って、カード遊びをするのだ。ぼくは教養がないので百人一首なんか本当は全然知らないので、すごく恥ずかしいが、なんとかごまかしている。
 昼間からおじゃましているのに、楽しく過ごして、ふと壁の時計を見ると、もう夜の11時だ。もう急いで帰らなくてはいけない。クロークでコートを取ろうと思うと、そこは帰ろうとする客達で押し合いへし合いになっている。女主人が「私が取ってきてあげる」と言ってくれる。そして彼女の命令を受けて、大男の外人が突進し、人々をかき分けてあっという間にクロークへ到達する。だが、彼はぼくのコートを取ってきてくれない。そのため、ぼくは帰ることができない。自分の家族たちを探すが、姿が見えない。この部屋にいないだけなのか、それともとっくに帰ってしまったのか。心配になったぼくは携帯で家に電話するが、携帯には変な数字が表示されるだけで、かけることができない。そこへ変なパトカーがやってきた。パトカーがぼくを見かねて電話してくれるのかと思ったら、さにあらず。変な男とその父親が現れて、男はパトカーにあった星のマークを胸につけて、ポーズをとる。それを男の父親がカメラで撮影している。

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3月12日の夢(贋物の世界)

 クライアントに仕事で深夜にぼくは同僚たちと呼び出され、ガラスとプラスティックでできているような、やけに清潔な宇宙ステーション風の場所(でも地上)に押し込まれた。彼らは人間のかっこうをしているが、どうも人類を抹殺しようとしている宇宙人か何からしい。そして、彼らはぼくらをだましたつもりでいるが、この建物の外側はすべて贋物のつくりものの世界だと、ぼくらは知っている。
 人類の最後の抵抗の砦であるここに立てこもるぼくらを、彼らは外から銃で撃ってきた。銃が正確にぼくに狙いをつけている。一瞬撃たれた!と思ったが、どうやら大丈夫だった。

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3月10日の夢(ハサミを持つ女性)

 片手にハサミを持って、女性が立っている。ぼくは女性に「これは象徴的だね」と話
しかける。

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3月6日の夢(渡り鳥というお店)

 会社で新人の女の子に発送用のリストを10人分作ってもらうことになり、そのリストを書き写そうと、ぼくは肩に大きなペンをかついで待っている。とても太くて重いペンだ。だが、彼女は席を離れたと思ったら、ペンではなく、パソコンでリストを打つ準備をしている。ぼくは拍子抜けして、ペンを肩から下ろす。
 新人歓迎会を「渡り鳥」という名前の店でやることになった。社長が「渡り鳥はあそこの道を90度曲がって、それから・・・」と説明してくれるが、ぼくにはちんぷんかんぷん。Uくんが「大丈夫ですよ。一色さん以外は皆わかるから」と言う。社長はいつかUカメラマン(Uくんとは別人)に替わっていて、窓ガラスに指で地図を描いて、別の新人の男の子に「わかったか。わかったら言ってみろ」と言う。男の子のかわりに、ぼくが「わかんないよ」と答える。

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3月5日の夢(1円玉が3枚)

 オーロラのような極彩色の美しい光が空に輝く現象がある。その美しい輝きについてブログで書いている女性がある。ぼくの会社の経理担当重役のKさん(既に定年退職)も、同じテーマで書いているのを発見し、ぼくは「彼女は今まで孤独だったと思う。同じ会社に同じことに興味を持ってくれる人がいて、うれしいです」と感謝の言葉を述べる。
 妻との間で何かのやりとりがあったらしく、妻に3円、ぼくの口座に振り込んでくれるよう、求める。妻は「明日、郵便局に行って、振り込むわ」と答える。だが、考えてみると、こうして向き合って話しているのだから、今現金で貰ってもよいのではないか。そこで、ぼくは妻から1円玉を3枚受け取った。

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3月4日の夢(人間爆弾)

 ぼくらは皆、敵によって人間爆弾にされている可能性がある。誰が敵で、誰が味方かもはっきりしない。最初はぼくらの言葉を信じなかった警察も協力して、しらみつぶしの警戒網が張られている。金属ネットの前で警戒していると、何かがぼくらの背後で起きた。一斉に仲間たちが、そちらへ走り出す。だが、全員がそちらへ走ると見せかけて、半分はすぐにネットに戻る。すると案の定、ネットの向こうにいた親子連れなどが一斉にこちらに向けて走り出すところだった。やはり彼らは敵だったのだ。
 先ほど何かが起きた現場へ行ってみる。海岸でやはり人間爆弾が爆発したのだった。「長崎」という言葉に反応して爆発が起きたと、みんなが言っている。だが、事実は「若い」という言葉だったという。
 Mカメラマンがおびえながらインスタレーションの作品を制作している。彼は「若い」という言葉を自分が言ってしまうのではないかと不安なのだ。だが、そばにいる女性がキーワードは「コラボ」という言葉に替わったと語って、彼を安心させる。Mカメラマンの作品はついに完成した。スクリーンの美しい光の点描が輝いている。本当によかったと思う。
 これからぼくは奈良へ旅行に行くことになっているが、今は豪華な座敷で開かれている詩の集まりに出席している。ぼくはなぜか一度外に出て、それからまた豪華な襖のような和風の横開きの扉を開けて、中に入るとゲストの舞踏家・村田氏がもうそこにいて、練習を始めていた。と、思うと、それは村田氏ではなく、ゲイの男だった。彼は日本酒の一升紙パックをこぼしながら、ごくごくと飲んでいる。その紙パックを投げてよこすので、受け取るが、まるで雲のようにふわふわと軽い。「軽いね」と、ぼくは驚いて言い、ゲイの男に投げ返す。すると、いつのまにか座敷は市街電車になって、疾走している。「えっ、この座敷は電車になるの?」と驚きの声を上げると、ゲイの男もびっくりした様子。外を見ると、ほかにも二台の電車が走っているので、それらの運転手に「これは何行き?」と、ぼくは尋ねる。彼らは知っているのか知らないのか、「さあ、どこ行きだろ?」と言う。ぼくとゲイの男は「駅行きにしないと承知しないからな」と運転手をおどす。

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3月3日の夢(トロッコ列車)

 海辺の町へ団体旅行で行った。修学旅行のようだ。夕方トロッコ列車に全員で乗る。トロッコは二列に座るのがやっとで、両側に柵も手すりもない。とても危険な感じ。別の列車に外国人のロックギタリストがギターを抱えて乗り込み、先行して出発した。彼とその仲間のミュージシャンは広い砂場のような、何もない場所で待っていた。ぼくらも列車を降りて観客になるのかと思ったら、列車はぼくらを乗せたまま、砂の広場へ入っていく。乗ったままコンサートを鑑賞するらしい。
 トロッコ列車の線路が下に向かう。トンネルのようになった最深部で、突然ぼくの前に小学生くらいの男の子がにやけた顔をにゅーっと突きだした。どうも、それは子供の頃ぼくをいじめたいじめっ子のようだ。ぼくはその子の顔の真ん中に、スローモーションでパンチを一発お見舞いする。男の子の歯にこぶしが当たる感触がして痛い。見ると、ぼくの手が裂けて、血が流れている。男の子は不適な顔つきのまま、消えてしまった。

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2月28日の夢(乗り物の中の孤独)

 浜松へ行き、誰かのファンクラブの集いに参加する。会が終わったあと、砂場で行われた二次会には数人だけが残った。ぼくも心惹かれて、残ろうかと思ったものの、やはりそのまま帰ることにする。浜松から帰る列車のデッキに乗り込む。そこは車両と車両をつなぐ連結部だが、かなりの広さがある。すぐに客室へ入るつもりだったが、そこでうろうろしているうちに、アルバイトらしい女性乗務員たちが客室との間のドアを閉ざしてしまい、ぼくはそこに一人取り残されてしまう。
 アメリカで何かの乗り物に乗る。バスだか電車だか、あるいはほかの乗り物なのか、よく分からないが、窓際に沿って座席が横一列に並び、窓はロープーウェイのように広々している。発車したとたん、その乗り物は高々とアメリカの空に舞い上がる。座席にはアメリカ人たちが腰掛け、ぼく一人だけが立っていたが、ぼくはすぐに窓の外の素晴らしい景色に目を奪われる。広大な畑や草原があり、山岳地帯がある。そのうち、いつのまにか景色は日本の風景に変わる。ぼくは国境を越えて、帰国したらしい。

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