放射能X

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写真は昨日の続き。
 1954年制作の映画『THEM』日本では『放射能X』というタイトルで放映された。ある年代なら見た人は多いと思う。私もそのある年代。
 ニューメキシコの砂漠で、蟻酸が原因と思われる死体を発見。残された足跡を手がかりに、メドフォード博士とその調査団が組織される。その結果、原爆実験の放射能が体長3メートルの蟻を作り出したことが判明。女王蟻がロサンジェルスに向かい下水道で繁殖。人間を襲いはじめる。巨大蟻軍団と合衆国政府が人類存亡をかけて壊滅作戦という内容。今の映画に慣れた人なら、蟻だかなんだかちょっと分からない巨大な虫の動きには笑っちゃうかもしれないが、この巨大蟻が現れるときに聞こえる耳触りな音(蟻って声だすの?)は結構不気味。それにゴジラとかと違って、蟻は身近にいるからイメージしやすいというか、もしかしてありうるかもと思わされてしまうとこがぞくっとする。それから放射能による突然変異もリアリティーありだし、ずっと昔から蟻はカタチを変えていないことの気味悪さ(蟻さんすいません)、戦争をするのは人間と蟻だけ(映画の博士が言ってた)ということなど、単に空想物語ではすまないかも!と思わされる。最後に人間は勝つのだけれど、そのときの会話、「1945年の核実験の副産物がこれなら、そのあとの実験は?」「知らないわ」そして博士が言う「原始力時代は新しい世界の扉をひらいた。この世界で何が起きるか誰も予測できない」そして映画は終わり。50年以上も昔、巨大蟻の恐怖と放射能汚染の後遺症を鋭い視点で捉えたゴードン・ダグラス監督はすごい!タイトルのTHEMは巨大蟻を見てショックで失語症におちいった女の子が蟻酸を嗅がされ、我にかえって初めて叫んだ言葉「them!them!them」

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料理1

P1010798.JPGお料理好きの友人の家に数人で集まった。写真は合鴨のスライス。私ならスライスしてパセリぐらいつけるかもしれないけど、まあその程度。ちょっとした手間でずいぶん違う。それにおいしいものを食べているときの顔ってみんないい顔をしていた。ということを再認識。それともうひとつ。
 『DAYS』という写真の月刊誌の編集後記を読んでいて、最後の言葉にどきっとした。そこには「原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない」とある。要約しようと思ったが、間違えるといけないので全文引用します。『「チェルノブイリ・ハート」が評判だ。被爆した子どもたちの心臓欠陥多発の映画で、2003年アカデミー短篇ドキュメンタリー賞を受賞した。放射能の恐ろしさを警告する映画だ。しかし気になるところもある。障害を負った子どもたちが映しだされ、「チェルノブイリ事故のせいですか」と取材者が聞き、施設の職員は「そうです」とうなずく。今から10年以上前、国内外の有力誌がいっせいに、「チェルノブイリで身体障害多発」という大見出しで、子どもたちの写真を掲載した。衝撃の報告だった。しかし私は驚いた。ちょうどその時期に、救援のため現地を何回も訪ねていたのだが、そうした話は聞いたことがなかったからだ。私は障害を負った子どもの写真を多く撮影したが、事故との関連が確信できなかったので発表しなかった。
 次に現地を訪れた時、子どもたちの写真が掲載された施設を訪ねた。そこにはさまざまな障害を負った多くの子どもたちがいた。私は所長に「この子どもたちはチェルノブイリのせいで病気になったのですか」と尋ねた。所長は首を振った。「何人かはそうかもしれないが、ほとんど関係ないでしょう。なぜならここには事故前から多くの子どもたちがいたからです。事故のあとに1割ほど増えたかもしれないけれど」と言う。
 雑誌や映画を見た人は、写っているすべての子がチェルノブイリ事故のせいで障害者になったと思ったはずだ。放射能はあらゆる病気の原因になる。遺伝子を傷つけるから出産異常も身体障害も引き起こす。だが放射能の恐ろしさを訴えるためにこのような強調をしていいのだろうか。人は皆、健康でありたいと願う。親は子どもの健康を望む。けれども「身体異常の子どもができるから原発に反対だ」という言葉は、障害者に「自分のような人間が生まれないために原発に反対するのか。自分は生まれてはいけなかったのか」と考えさせるだろう。
 原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない』
どうしても一方向から見てしまう傾向があるので、ちょっと考えさせられた文章だった。それから世の中の流れにも安易に同調してはいけないということなど。

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半島へ

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今、庭に咲いています。この花たちのとなりでは、夏を越したバジルが種を落として沢山芽吹いています。菊も薔薇も健在です。紫式部もまだ色鮮やか。ツワブキも負けていません。今年は初めてレモンがなりました。イチジクもなりました。
『半島へ』稲葉真弓を読んでいてとても気にいった文章を見つけました。以下全部引用です。
・・・ええ、そう・・・中世のこと、男たちはこぞって戦争に行き、女たちはぽつんと田舎に残されていた。何ヶ月も何ヶ月も森の掘っ立小屋にひとりぼっちで。毎日が想像を絶する孤独だった。寂しくて不安で、だから彼女たちは、話さずにいられなかった、木や植物や野生動物たちと。ときには木や草の声に耳を傾け、薬草を作り出し、それによって傷ついた心身を癒したものよ。孤独をなだめるために自然と合体すること、それは先史時代の自分を取り戻すことでもあったのよ。ほかにどうすることができたっていうの?殺し合いなんてうんざり。森にいれば大きなものが自分を守ってくれる。素朴で忍耐強い女たちはそう信じたのよ。けれども、木や草と話をし、あやしげな薬草を作る彼女たちを、あれは魔女だ、殺してしまえと弾圧する人が現れ、森の女たちは生きたまま焼き殺された。何万、何十万もが火あぶりとなった・・・なんてこと!なんて理不尽な悲劇なの!魔女狩りはそうして起こったのよ。アニミズムなんかじゃない。邪宗でもない。彼女たちは自然の優しさに癒されたかっただけなのよ・・・

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クリスマス展から2

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これはsenseiの作品。フォルムに緊張感があってとても美しいと思う。
 最近DVDで『クリスマス・キャロル』を2本観た。ひとつはアニメ、監督がジミー・ムラカミで声の出演でマーレイ役でニコラス・ケイジ(好きな役者の1人)が出ている。絵のタッチが日本的で、あれっと思ったくらいで、それなりにおもしろかった。もうひとつは、ジム・キャリーが7役を演じわけている『クリスマス・キャロル』だ。ケチで頑固の嫌われ者スクルージ爺さんと過去・現在・未来のスピリッツ達とスクルージの若かりしときの彼と、なかなかさすがと思わせる演技で楽しめた。昔、本で読んだ時は深刻なイメージだったが、でも何故か好きな本だった。最近加齢しすぎたせいか、映画の作りかたなのか、今回はさらっといってしまった。スクルージの味方もしたくなるとこや、最後にがらっと変わってしまうとこなど、ちょっとした違和感。まあいい人になったのだからめでたしなんだろうけどね・・・・・。

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クリスマス展から1

P1010767.JPGすこし早いが、フラワーアレンジのクリスマス展に参加した。写真は友人NAKAYAさんの作品で好きな作品のひとつ。
 私は地味系のキャンドルアレンジを出品した。ちょっと冴えなかったけど。でも明かりを消してキャンドルを灯したら、ロマンチックかも。金と銀の小さな星を鏡にばらまいて、その上にトクサやユーカリなどの葉っぱで着飾ったキャンドルをアレンジしてみた。
 このところまた風邪をひいてしまった。今年はすぐ気管支にくる。ぼつぼつ注意をせよということか?そんな日々。

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息子の発見

こんなに笑った詩は久しぶりだった。朗読したらどんなになっちゃうんだろうか??聞いてみたい。ことばを発見していく息子の-ingの様子を書くなんて、とても難しいと思う。それをさらさらっと書いてるのにびっくりした。詩誌『アフリカ』10月号から。
   息子の発見        犬飼愛生
 げろげろー、ぴょーん!ろま、ぺろぺろはっはっは
 しゅうちゃんくっきー、ばいばいできた!
 ゆーちゅーぶ、でんしゃ みる もっと ぴっぴ
 うーえー じじじー
 ぶーぶ、ちゃりんちゃりん
 はいどーぞ、にゃおーにゃおーってたー
 とぅ! ぷっちちゅー
 ごーかいじゃー しゃっしゃ
 ことばが しらたきかところてんみたいに
 つるつるとでてきて
 こっちは
 捕まえるのがたいへん
 おかあさん、ぐぅー とぅるー
 ぺんー
 だいじーっ
 ぴーと
 ちゅるちゅる へい!
 ちかう! ぶーじーじゅー
 
 庭のシャワーヘッド付きホースを見て
 
   「キリン!」
 洗濯時のタコ足ハンガーを見て
   「はなびー!」
 お茶をひっくり返して
   「あめー!」
 さつまいもチップスを腰のあたりに持ってきて
   「じゃじゃーん  ギター」
 リモコンを耳にあて
   「もしもし?」
 ことばの獲得と発見を繰り返す 息子
     を
 発見している わたし
 すごい巨大なゼリーのプールが
 あるとするでしょ
 そういう
 ことばのプールに
 ざぶん ざぶん
 入ってる感じです
 ゼリー越しに見る息子は
 ぶよぶよしたことばのゼラチンの上で
 笑いながら
 ジャンプしたり
 転んだりしている
 
 ちくた!
 ぱてぱて
 あくく
 とことこ
 てんてんてしゃ
 ど、ど、どぅーー!
 かんかんせん、いちばん、すきー
 
 発見、発見、発見だねえ、
 けーーん、けーん
 ねー!

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ねえ

伯母がなくなった。母の姉で97才、随分年の離れた姉だった。これで母の兄弟、姉妹7人全員がなくなった。なんだか死の前線に立たされた気分。今度は自分を含め、いとこ達の世代に死がやってくる、そんな気分なのである。
 中井ひさ子さんが8年ぶりに第三詩集を出された。『思い出してはいけない』というタイトルで少し幅の狭いハードカバーの素敵な詩集である。中井さんの作品は、ほぼ読んでいるという間柄なので、私はあまりよい読者ではない。個々の詩が書かれたときの状況?などが、どうしても思いだされてしまい、先入観がぽやぽやっとじゃまするのである。でもこんな個人的なことは関係ない。帯に「ちりちり痛む26の寓話的詩篇」とあるように、大きなやけどでヒーフー叫ぶのではなく、読むごとにちりちりちりちりどこかが痛む、切なかったり哀しかったりふっと笑ってしまったりの、そんな作品群である。彼女がそこにいるような作品をひとつ紹介したい。
   ねえ        中井ひさ子
 公園の石段で
 イグアナと出会っても
 黙って横に座る
 見なれない風だって
 吹く
 せっかくだから
 ねえ
 関わりあい方の
 練習してみる?
 ずい分ながい間
 確かめること
 忘れていた
 身をよじって降りてくる
 空を
 他人事のように
 見上げる
 並べて置いてきた
 いくつもの
 語らない耳
 泣かせるね
 乾いた
 その目

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貝殻の丘

P1010763.JPGサンダーソニアが秋の気配を伝えています。100円ショップのコップにちょっと小細工して遊んでみました。銀色のワイヤーをくるくる巻き、それに真珠と色玉を通してコップの中へ。銀河系宇宙のようです。といっても写真では見えませんが。
伊藤悠子さんが第二詩集『ろうそく町』を出されました。静かなたたずまいの奥に隠されているエネルギーに圧倒されます。とても魅力的な詩集。
 貝殻の丘
       伊藤悠子
 堆積した貝殻を含む厚い地層は
 透明な硝子一枚に取って代わられ
 縄文の人骨が横たわっている
 大きな人だ
 欠けたところの少ない顎骨が笑っている
 かって人の表情に見たことがある
 酷薄と見たものが放心であり
 あるいは困惑であったのかもしれない
 ただの
 縄文の人と私は
 窓枠が互いに似かようように似ている
 表情は布のようでもあり
 布はもうない
 幾つもの川を渡ってきて
 歴史博物館の暗がりで
 たったこれだけのこと
 貝塚跡地の丘を登れば
 一面貝殻のような
 スミレ
 タンポポ
 
 

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バーモントの秋

神奈川新聞は日曜日毎に「旅人のうた」という見出し?で10行の詩を載せている。この「旅人のうた」は最近はじまったばかり、その前は「港」でその前は「食卓」だった。書き手は横浜詩人会の会員たち。20字10行という枠組みがいいのか悪いのか分からないが、読む側にたつとおもしろい。それぞれの展開の仕方や切り取る角度など、なかなか個性的。昨日の日曜日は水野るり子さんだった。こんな記憶があるなんてうらやましい。
  バーモントの秋
              水野るり子
 ワッフルを見るとバーモントの秋がよみがえ
 る。まぶたの裏に染み入る黄葉の木々をくぐ
 り、おしゃれなペンションに着いた。エリオ
 ットの詩集の置かれた暖炉…ふわふわのベッ
 ド。詩の頁をめくるような夜だった。だが、
 朝食は散文だった。客たちの流ちょうな英会
 話が食卓を燕のように飛び交い、私の耳では
 孤独な電線が風に鳴りつづけた。…でも、不
 思議だ。今では思いきりアップにされた黄金
 色のワッフルだけが記憶の皿に載っている。

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秋のオランダ

豊原清明さんの詩にはよく父がでてくる。私は母のことはよく書いたが、思うに病気になってからの母しか書いてないので、そのうち「母」というものを書いてみたいと思っているが、これはまだまだ時間がかかりそうだ。そのついでにというと変だが「父」というものも書いてみたい。豊原さんの作品には実に素直に父がよくでてくる。それで読むたびに、ああいいな!と思う。
   秋のオランダ
          豊原清明
 爽やかな風に カーテンが揺れて
 父よ、父よ、と
 祈るかのように 呟けば
 ふと、木の葉が吹いた
 青白い父の顔
 湯水をかぶって
 「ハイッ!お休み!」(註)と
 父は笑顔して
 風呂を沸かした
 衣なる 布団に寝て
 部屋が暗くなった
 闇から見える
 父の禿げ頭
 お休みと言って
 お休みと言われて
 お茶飲んで
 しっこして
 薄い蜉蝣
 眠っている間に
 夜に蠍が輝く
 星という名の自転車
 死んだあの子の
 チューリップ
 チューリップ ああ星よ
(註)2011年、「明石市立文化博物館」で「放浪の天才画家山下清展」を7月、8月、二度見に行き、山下清の画に魅了されて。清画伯の 貼り絵。
 

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