エッセイ9

  トヨとサダ    坂多瑩子
 『遠野物語』には山人がよく出てくる。不思議な存在だ。「山女」に「山男」。山女は名前や生家やその親戚筋など、記録として残っている者はいるが、山男のほうは「あの山男はうちの甥で」と名乗り出ているような家はない。それにどちらかというと、背高く目がギラギラしていて色はちょっと違って、という外見の描写止り程度が多い。でも山男の子どもは育たないといいたいのか、六話七話では子どもを食べちゃう『ジャックと豆の木』の人食い鬼のような山男も出てきて興味深いが、今回は「山女」として生きたトヨとサダについて考えてみた。
三 山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛と云う人は今も七十余にて生存せり。此翁、若かりし頃猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りて居たり。顔の色極めて白し。不敵の男なれば直ちに銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。其処に駆け付けて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪は又そのたけよりも長かりき。後の験にせばやと思ひて其髪をいささか切り取り、之を綰ねて懐に入れ、やがて家路に向ひしに、道の程にて耐え難く睡眠を催しければ、暫く物蔭に立寄りてまどろみたり。其間夢と現との境のやうなる時に、是も丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立去ると見れば忽ち睡は覚めたり。山男なるべしと云へり。
 とても幻想的。長い黒髪を梳っている色の白い美しい女が岩に腰かけている、ほれぼれとする日本画を見ているようだ。しかしなぜ鉄砲で撃たなければならないのか。男をたぶらかす妖怪の類いと勘違いしたのか。不敵な男と誉められている嘉兵衛。後半はもっと摩訶不思議な展開である。女の黒髪を切るとこまではいいとして、狐でも物の怪でもない人間の遺体を見たあとで眠くなる?大量の血だって流れていたかも?と思うと、やはり山男は魔術でも使うのか?しかしここでは現実的なことは書かれていない。だから妄想を膨らますのだが、実際起きた事件である。撃たれた女は*トヨという実在者。トヨの人生をみると哀しい。トヨが嫁いだ古屋敷長兵衛は遊郭通いの女狂い。トヨは精神に異常をきたして離縁される。二十二話で佐々木喜善の曾祖母の通夜の様子が書かれているが死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人も亦其中に在りき。この婦人がトヨである。この曾祖母ミチは娘の狂気を気に病んで鴨居で首をつって死んだとも云われている。ほどなくしてトヨも病死する。当時は土葬で、暦の日柄によってはすぐ葬式ということもあり、埋められたあと百人に二、三人は生き返りがあったという。というか、死んだという確認も素人がする場合があるから間違えだって当然起る。実際棺の上に手を突き出している遺体もあったというから恐ろしい。それで蓋をするときは、一カ所穴をあけて、竹の節をくりぬいた空竹を土中に差し込んでおいた。ただし一度死んだ者として処理された場合は、行き場は山しかなかったらしい。トヨも生き返って山に入ったのか。事実はどうあれトヨは山姥のような山女になるまえに鉄砲で撃たれて死んだ。この話が老いさらばえて髪ぼうぼうの垢だらけの女が岩に腰かけていたとしたらどんな印象を受けるのだろうか。
 トヨは受け身の状態で「山女」になってしまったが、自ら「山女」の道を選んだ者もいる(と思う)。八話にあるサムトの婆の場合は、黄昏に女や子供の家の外に出て居る者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ・・・・若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなりとある。誘拐か自らの覚悟の家出か、意見は分かれるだろうが、私は自分の意志であったと思いたい。サムトの婆と呼ばれたこの女はサダという名前であった。トヨもサダも名家出身である。サダは幼心に大人達の噂話に耳を傾け、自分の決められた人生に疑問をもっていたのではないか(と思う)。一般に女は家事、育児、婚家先での人間関係それに男と同じ重労働が課せられる。サダは他の女達と違っていたと思うが、自由な生き方は無理である。遠野の気候や地形を考えると、山の中で生活する知恵や技は幼いうちから教えられていたであろう。だからサダは山の恐怖や村共同体を出る悲壮感より、むしろ自由という希望にかけて山に入ったのでは、と勝手な妄想だが、彼女は村の習慣や掟に対して、神隠しにあうという衣を着て反抗したのではないか(と思う)。サダは生きのびて三十年後に実家にあらわれる。老いさらぼひて・・・人々に逢ひたかりし故帰りしなり。佐々木喜善の『東奥異聞』によるとそれから毎年帰ってきたが、そのたびに大風雨があるので村人からクレームがついた。実家では仕方なく(そうあってほしい)山伏などの法者に道切りの法をかけてもらう。サダは、それから帰ってはこなかった。なぜ三十年もたってあらわれたのか。もしもだけど、サダは山男の一人と暮らしていた。頭のいいサダのことだから(そうでしょう、知恵があったから三十年も生き延びてこられた)生活はそれなりに充実していたかもしれない。でもそのつれあいにも死なれてしまった。だから寂しさゆえにふと生まれ育った家や親族が恋しくなったのではないか。
 そんなことを思いながら、闇に消えた女達をもう少し知りたいと思った。
*佐々木喜善の祖父萬蔵の妹で弘化頃の生まれ(出生の年月 
 は戸籍にはない)
*参考資料『山深き遠野の里の物語せよ』菊地照雄 梟社 

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