すぎゆくアダモ

最近読んだ本で、辻まことの『すぎゆくアダモ』がとてもよかった。辻まことは、何となく名前を聞いたことあるなという程度だったので、ダダイズムの辻潤と婦人解放運動家の伊藤野枝の子どもだと知ってびっくりした。理由はきっと伊藤野枝にある。平塚らいてうの『青鞜』での活動、関東大震災の混乱下、大杉栄と共に憲兵につかまり虐殺という生涯に関心を持っていたことが昔あったから、それを思いだした。といっても表面だけの知識でしかなかったけど。でもそんな情報など関係なくこの本は素晴らしかった。12葉の線画と12章の文。少年アダモは夏休みを海岸にある叔父のアダエモン氏のところで過ごすことになった。イスミ川の小さな河口から舟ででかける。そしてお話は始まるが、内容を紹介するのはとてもむつかしい。うなぎが山芋になる、そういう場所の方角へいくとアダモはいう。おじいさんは「・・・私も元気なら一緒にいくんだがね、山芋のようなうなぎ、うなぎのような山芋はいくらもここを通る。ようなものばかりが川を登ったり下ったりする。けれども本物のうなぎも山芋もめったに通らない。まして山芋になれるうなぎなどこのサツは全く絶えたね。ずいぶんと久しく見ないがね。種を超えて等価される個体の住む地方は在りそうだ。けれど景色は想像できかねるな、この私には」アダモはでかける。アダモは「忘れられるのが嬉しいような子」なんだか理屈っぽいとこを引用してしまったみたい。うなぎはどこまでいってもうなぎだというおじいさんの息子、だから電車やバスでいったほうが早いという。それに対してアダモは、電車やバスも行かないようなところ、うなぎが山芋になるとこに行きたいという。おじいさんはアダモを鮭のようだといい、アダモは自分はヒトのようだと感じているという。彼はどんどん透明になっていく。引用したいとこだらけで何回でも読みたい気持にさせられる。それにしてもアダモは年寄りのような子、おじいさんもいっていた。

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