崔正禮チェ・ジョンレ「月とすいか畑」神話のすいか

月とすいか畑   崔正禮チェ・ジョンレ
月の光は本当に遠くから来た
すいか畑に
黒い縞模様のすいかの畝間に
月の光は本当に
モーテルの中に真っ黒な車が
滑り込んで
赤い車がまた音も無く染みこむ
そこを照らしたりもする
一日中ずっと
すいか畑は熱かったのだが
月の光は本当に
ポプラを横たえ
谷間の田水にポプラが
横になって揺れて曇り
夢に入って朦朧とした
そこを通ったりする
すいかは一人で
丸くなり丸くなり丸くなる
葉っぱできた櫓を漕いで
丸い月に
這い上がったりもする
月の光は本当に
緑で段だらになった縞模様の中に
赤い部屋にいっぱいに詰まろうと
遠くの太陽の黒点からすいかの種まで
どれほど長い間
君に会いにきたのか分からないとつぶやき
夏の日と冬の日が入り混じってしまうように
のどが渇いて
青い谷間の赤い畑に
月の光は本当に
     ※
 私はこの詩をよんで、すぐにメキシコの画家ルフィーノ・タマヨのことを思い出しました。ルフィーノ・タマヨは現代を代表する画家の一人でその作品にはメキシコの神話
の世界が色濃く漂っているといわれています。
 そのルフィーノ・タマヨが好んで描いたのがすいかです。このすいかの絵はうっとりするように私はとても好きです。そのうっとりするという中に神話の深さとやさしさが
あるような気がします。
 実はこの詩にも同じような感じを持ちます。月の光が本当にすいかの中にやってくる。その様子は朦朧として、しかも何かしら確かで、それは神話のような、民話のような感じがするのです。
 私はこの詩をゆっくりよむのが好きです。そうすると月の光が私の体の中にやってくるようです。
 

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池田寛子「Voyage」詩と子ども

Voyage 池田寛子
終わりのみえない
このいらだちにもかかわらず
あなたは
大海原をたゆたって
やすらぎだけに つつまれていて
からっぽの胃袋をひきしぼる
吐き気にもかかわらず
あなたは
ひもじさを知らず みちたりていて
私はあなたの海
そして船
そしてなぜだかひとり
船酔い
ああどうか つめたい潮水に呑まれて
涙にむせたりなんて しないで
ほら おおきな白い鳥が
川の中にまっすぐに立って
こちらをみている
今ならなれる
あなたの目に
そして耳に
あなたがひとり
真白い地図を手に
旅にでるまで
私の中のいのちよ
あなたは見る そして聞く
私には見えない 聞こえないものを
あなたの中にいつか
私には届かない
理解できない何かが
はぐくまれる
     ※
 この詩はとても素直でよい詩だと思います。飲み物にたとえれば、ほのかに甘いレモン水のようで、読み終わった後、体がどこか新鮮になった感じです。
 <終わりのみえないこのいらだち>といったスケールの大きな世界、と同時に<このからっぽの胃袋をひきしぼる>という実感的世界、この二つが殆どぎくしゃくしないで
私の中にまるで水のように入ってきます。
 これはこの詩人の素直さが並大抵のものでないからであると思います。この詩は何か
とても深い肯定的な世界に支えられているような感じです。それを神といってもよいかもしれませんが、やはり、それは正確ではないと思うのです。
 恐らく、「あなた」はやがて生まれてくる子どものことであろうと想像しますが、もしかしたら、それもどうでもいいのかも知れません。
 詩人にとって、素直であるということは神や、やがて生まれてくる子どもの前か後に
あるのではないでしょうか?
 私のこうした考えは、大げさすぎると思われるかもしれませんが、私は決してそうではないと思います。
 一遍の詩には、それだけの不思議があるものだと思います。

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清岳こう「西瓜の種をかむと」  発見

西瓜の種をかむと   清岳こう
爪先の細胞がひとつ目ざめる
葡萄の種をかむと かかとの細胞がひとつはじける
蓮の実をかむと 乳首の細胞がひとつふくらむ
こうして 私はアジア大陸に一歩を踏み出す
 
      ※
 詩とは発見であるとよくいわれますが、この詩をよむと、まさにその通りだと思います。<爪先の細胞>、<かかとの細胞>、<乳首の細胞>、これらのことばも事柄も
この詩がつくられるまで、この世のなかにはなかったのでした。
 
 これこそ、発見です。だから、この詩をよむとびっくりして、この衝撃で体が地面
から浮きあがり、あぶなっかしいような、やはりとても自由な感じがするのだと思います。
 <爪先の細胞>なんてあるのかしらと疑っていると、それもつかの間で<ひとつ目ざめる>。こうなると、これはもう、ああ、そうなのかと納得してしまうしかありません。
 私は冗談をいっているつもりはありません。むしろ、初めに書いたように、これが
詩における発見なのだと思うのです。
 この発見がいかに現実の力となるかどうかは最後の「こうして 私はアジア大陸に一歩を踏み出す」をよむとよくわかると思います。
 確かにこの作者は<爪先の細胞が ひとつ目ざめる>ことによって、アジア大陸に
行ったのだと思います。

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地震おっかなかったですねぇ?

携帯もつながらかったし、夫も帰れなくなったので
こころぼそいです。
本だの、スピーカーだのぼたぼたおちてきました。
ガスも切れて、つけるのにとても苦労しました。
何かたべましたか?
停電になったら、暖房もなくなるので
ピンチですね。
ついてるのは、パソコンだけで
ほんとへんですよね。

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いろいろかんがえたけれど

いろいろかんがえたけれど
「愛しきれる」ということばが分らないのだと思う。
何かが不明瞭なのだと思った。
愛は愛するか、愛さないかの二つしかないのであって、
到達するものではないのだと思った。どうしてこんなふうに思うのか
分らない。でも、少しでも分って良かったと思う。

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鮎川信夫「あなたの死を越えて」 少しだけ好きな詩

あなたの死を越えて
      一九五〇年一月三日   鮎川信夫
ひとつの年が終り
ひとつの年が始まる神秘な夜にくるまって
わたしの魂は病んでいる
落ちた夕日の赤い血が
わたしの胸のなかで腐っている
落ちてゆくわたしの身体を支えてくれるのは
淋しい飛行の夢だけだ
二十年もむかしに死んで
いまでも空中をさまよっている姉さん!
誰も見てはいないから
そして闇はあくまで深いから
死者の国の
いちばん美しい使いである姉さん!
わたしとあなたを距てるこの世のどんな約束も
みんな捨ててしまうのですか
大きすぎる白い屍衣を脱ぎ
そっとわたしの寝室に近より
あなたはかすかにしめった灰の匂いを覆いかける
「もし身体にも魂にも属さない起きてがあるなら
わたしたちの交わりには
魂も身体も不用です」
あなたのほそい指が
思い乱れたわたしの頭髪にさし込まれ
わたしはこの世ならぬ冷たい喜びに慄えている
誰も見てはいけないから
そして闇はあくまで深いから
姉さん!
一切の望みをすててどこまでも一緒にゆこう
わたしの手から鉛筆をとりあげるように
あなたは悪戯な瞳と微笑で逃げていけばよい
わたしは昔の少年をなってどこまでも追いかけてゆくだろう
愛していても愛しきれるものではないし
死んでも死にきれるわけではないのだから
姉さん!
あなたとわたしは
始めも終わりもない夢のなかを駈けめぐる
二つの亡霊になってしまおう
Beyond your Death   Ayukawa Nobuo
January 3, 1950 trancelated Takao Lento
Robed in mysterious night when
one year ends and another begins
my soul is ailing
the red blood of the sinking sun
decays inside my bosom
only a dream of lonely flight
props up my falling body
Sister! You still roam in thin air
having died 20 years ago already
Because the darkness is really deep,
Sister,the most beautiful messenger
from the domain of the dead.
are you going to abandon all
the rures of the world that separate you and me?
You shed your loose white shroud
gently come toward my bedroom
and cover me with the scent of slightly moist ashes
“If there are tenets that belong to neither body nor soul
our intimacy
needs no body or soul”
You slender fingers
slide into the hair on my head.Confused and agirated
I tremble with a chilling joy that is not of this world
Because no one is looking
and because the darkness is so deep
Sister!
let us go to the furthest end,shedding all hopes
You can run away with your mischievous looks and smiles
likes you did when you yanked a pencil from my hand
I,the youth of my past once more, will chase you to the farthest end
Because love cannot be exhausted
because death cannot be complete
Sister!
you and I,
we shall be two ghosts
scampering in a dream that has no beginning or end
とても難しい詩であるし、好みの詩であるわけではないけれど、だから全部がすきだというわけではないけれど、ただ「愛していても愛しきれるものではないし」というところがただごとではないと思わせた。愛とはあいしていても愛しきれるものではないところもあるのだとわかっただけても、この詩を読んだかいがあったと思った。

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金芝河(キム・ジハ)「あの遠い宇宙の」 びっくりするほど好きな詩

あの遠い宇宙の  金芝河  翻訳・佐川亜紀・権宅明(クォン・テクミョン)
あの遠い宇宙の どこかに
ぼくの病をわずらう星がある
一晩の荒々しい夢をおいてきた
五台山の西台 どこかの名の知れぬ
花びらがぼくの病をわずらっている
ちまたに隠れ 息を整えているはずの
ふしぎなぼくの友だち
夜ごと病むぼくを夢見て
昔 袖ふれ合った ある流れ者が
ぼくの中でクッをする
女ひとり
ぼくの名を書いた灯籠に 火をともしている
ぼくはひとりなのか
ひとり病むものなのか
窓のすき間から なぜか風が忍び込み
ぼくの肌をくすぐる
    五台山……韓国東北部にある名山。上から見ると五つの峰が蓮の花のような形
         をしている。
    クッ………供え物をして踊りを踊ったり呪文や神託などを唱えたりして、村や
         家の安泰、病気の治療などを祈ること。
         詩集「中心の苦しみ」から

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高見順「出発」 びっくりするほど好きな詩

出発  高見順
夕暮れに一日がおわるとき
同時に何かが終る
一日の終りよりももっと確実なものが
同時にもっと夢幻的なるものが
それに気付いたとき
生きるといふことがはじまつた
      1949(昭和24)日本未来派22号

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佐川英三「蟹」 びっくりするほど好きな詩

蟹   佐川英三  
ふりかざした小さな蟄(はさみ)に
荒涼たる海が迫っている。
蟹はその傲慢な甲羅をふるわせて、
怒りに燃えている。
垂れ込めた雲。
閃く稲妻。
何か、
異常なるものが来たるらしき、
晦冥のとき、
砂は、
洗われ洗われて
若い静脈のように濡れている。
        1949(昭和24)日本未来派27号

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仲嶺眞武、四行詩「宇宙」  びっくりするほど好きな詩

四行詩「宇宙」七篇          仲嶺眞武 
    1 木や石を見ていて
木を見ていて 石を見ていて、思う
木や石は宇宙の分泌物であるに違いない、と
そして、思う
私もまた、宇宙胎内の一粒子であるのだろう、と
    2 存在と時間
存在とは、時間というカンバスの上に描かれた絵である、と君は言うが
存在は絵だろうか? 時間はカンバスだろうか?
存在と時間は、人間の意識によって構成された現象ではないだろう
存在は宇宙が生み出した万物であり、時間は宇宙の心臓の鼓動であろう
    
    3 少年、発情す
性欲が高進し、少年の私は発情する
脳髄が全部、性感帯となっている
ああ、少年の私を悩ますこの性欲は、どこから起こってくるものなのか?
宇宙よ、あなたの生理によるものだろうか? わが存在の母よ
    
    4 宇宙の前で跪く
人間の足は何のためにあるのか?
それは、地球上を二足歩行するためのものであろう
だが、それだけのことだろうか?
人間の足、それは、宇宙の前に跪くためのものであるだろう
    
    5 宇宙の中の人間の言葉
至聖至高の存在として彼は語る
彼の言葉を聞け、と君は言うが
彼の言葉は小さい
宇宙の中の、人間の言葉は、小さい
    
   6 立ち枯れても
立ち枯れ、という言葉が、思い浮かんできた
地上で立ち枯れている自分の姿を想像する
老耄、既に、立ち枯れの状態である
だが、私と宇宙との対話は、まだ続いているのだ
    
  
   7 棺は宇宙に抱かれている
私は死んで、棺の中に納められた
棺の中で仰向けに横たわり、目を閉じていると
棺は宇宙に抱かれている、と感じた
棺の中のわたしの魂は天には昇らず、宇宙の奥へと運ばれて行くのだ、と思った
 

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