清岳こう「西瓜の種をかむと」  発見

西瓜の種をかむと   清岳こう
爪先の細胞がひとつ目ざめる
葡萄の種をかむと かかとの細胞がひとつはじける
蓮の実をかむと 乳首の細胞がひとつふくらむ
こうして 私はアジア大陸に一歩を踏み出す
 
      ※
 詩とは発見であるとよくいわれますが、この詩をよむと、まさにその通りだと思います。<爪先の細胞>、<かかとの細胞>、<乳首の細胞>、これらのことばも事柄も
この詩がつくられるまで、この世のなかにはなかったのでした。
 
 これこそ、発見です。だから、この詩をよむとびっくりして、この衝撃で体が地面
から浮きあがり、あぶなっかしいような、やはりとても自由な感じがするのだと思います。
 <爪先の細胞>なんてあるのかしらと疑っていると、それもつかの間で<ひとつ目ざめる>。こうなると、これはもう、ああ、そうなのかと納得してしまうしかありません。
 私は冗談をいっているつもりはありません。むしろ、初めに書いたように、これが
詩における発見なのだと思うのです。
 この発見がいかに現実の力となるかどうかは最後の「こうして 私はアジア大陸に一歩を踏み出す」をよむとよくわかると思います。
 確かにこの作者は<爪先の細胞が ひとつ目ざめる>ことによって、アジア大陸に
行ったのだと思います。

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