「空の庭」川口晴美  ショックだった詩

空の庭     川口晴美    
 
 
 
 わたしはどんなふうに死んでいくのだろう
  いつか 何十年後それとも今夜 どんな死に方をするのだろう
 必ず死ぬのだからそれはふつうに考えるけれどわたしは死ぬときこういう顔を
 するだろうかそんな暇があるだろうか
 飛行機にのるときは死ぬかもしれないといつも少しだけ考えるけど
 空に浮かんだオフィスビルで伝票を書いたり書類を提出したりしているときには
 死ぬとは思っていない ほとんど
 思っていなかっただろう本当に死んだひとたちも
 ニューヨークビルに飛行機が突っ込んでいく映像はすうっと吸い込まれていく感じが
 満点の高飛びみたいに美しくてエロスだなあとおもってしまったねと
 秘密を打ち明けるように昨夜男友達が言った
 笑おうとして うまくいかなかった わたしは
 友達とはいってもセックスはするので そいつの前でホウエツの顔ほしたことが
 あるかもしれない あるかもしれないけどそいつのペニスが入ってくるとき
 あっけなく壊ればらばらに砕け散る窓硝子のある高層ビルのようだと
 じぶんの体をおもったことはなかった
 それとも操縦桿をにぎられて否応なくいっしょに落ちてゆく体なのだろうかわたしの
 体に夥しい見知らぬ死が宿る
 重すぎて軽い 
(詩集「Lives」/「空の庭」より)
 
                    ※
 この詩はひどいショックだった。いちばんショックだったのは、「重すぎて軽い」ということばだった。
私たちの平和も、いのちも愛もからだもことばも重すぎて軽いのかもしれないし、地球も戦争も重すぎて軽いのかもしれない。この詩のいいところは、いいロック歌手がからだを張って歌うように、からだを張って詩を書いたことによる。
 この詩のいいところは共通項がたくさんあることである。共通項は
     9.11
     男
     女
     セックス
     痛み
     ホウエツ
     友達
     死
     空
     エロス
     ビル
     壊ればらばらに砕け散る  
     
重すぎて軽いもの、それはまるで、パソコンのエラーでぱっと消えてしまうことばのようだ。それでも詩人は果敢に挑戦している。
     
     

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「旅へのさそい」シャルル・ボードレール安藤元雄訳

L’invitation au voyage
Mon enfant, ma soeur,
Songe à la douceur
D’aller là-bas vivre ensemble!
Aimer à loisir,
Aimer et mourir
Au pays qui te ressemble!
Les soleils mouillés
De ces ciels brouillés
Pour mon esprit ont les charmes
Si mystérieux
De tes traîtres yeux,
Brillant à travers leurs larmes.
Là, tout n’est qu’ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.
Des meubles luisants,
Polis par les ans,
Décoreraient notre chambre;
Les plus rares fleurs
Mêlant leurs odeurs
Aux vagues senteurs de l’ambre,
Les riches plafonds,
Les miroirs profonds,
La splendeur orientale,
Tout y parlerait
À l’âme en secret
Sa douce langue natale.
Là, tout n’est qu’ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.
Vois sur ces canaux
Dormir ces vaisseaux
Dont l’humeur est vagabonde;
C’est pour assouvir
Ton moindre désir
Qu’ils viennent du bout du monde.
— Les soleils couchants
Revêtent les champs,
Les canaux, la ville entière,
D’hyacinthe et d’or;
Le monde s’endort
Dans une chaude lumière.
Là, tout n’est qu’ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.
— Charles Baudelaire
旅へのさそい
  私の子、私の妹、
  思ってごらん
あそこへ行って一緒に暮らす楽しさを!
  しみじみ愛して、
  愛して死ぬ
おまえにそつくりのあの国で!
  曇り空に
  うるむ太陽
それが私の心を惹きつけるのだ
  不思議な魅力
  おまえの不実な目が
涙をすかしてきらめいているような。
あそこでは、あるものすべてが秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。
  歳月の磨いた
  つややかな家具が
私たちの部屋を飾ってくれよう。
  珍しい花々が
  その香りを
ほのかな龍涎の匂いにまじえ、
  華麗な天井、
  底知れぬ鏡、
東方の国のみごとさ、すべてが
  魂にそっと
  語ってくれよう
なつかしく優しいふるさとの言葉。
あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。
  ごらん 運河に
  眠るあの船
放浪の心をもって生まれた船たちを。
  おまえのどんな望みでも
  かなえるために
あの船は世界の涯からここに来る。
  ――沈む日が
  野を染める、
運河を染める、町全体を染め上げる、
  紫いろと金いろに。
  世界は眠る
いちめんの 熱い光の中で。
あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

  
  

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アルチュール・ランボーのオフィーリア 宇佐美斉訳

I
Sur l’onde calme et noire où dorment les étoiles
La blanche Ophélia flotte comme un grand lys,
Flotte très lentement, couchée en ses longs voiles…
– On entend dans les bois lointains des hallalis.
Voici plus de mille ans que la triste Ophélie
Passe, fantôme blanc, sur le long fleuve noir
Voici plus de mille ans que sa douce folie
Murmure sa romance à la brise du soir
Le vent baise ses seins et déploie en corolle
Ses grands voiles bercés mollement par les eaux ;
Les saules frissonnants pleurent sur son épaule,
Sur son grand front rêveur s’inclinent les roseaux.
Les nénuphars froissés soupirent autour d’elle ;
Elle éveille parfois, dans un aune qui dort,
Quelque nid, d’où s’échappe un petit frisson d’aile :
– Un chant mystérieux tombe des astres d’or
II
O pâle Ophélia ! belle comme la neige !
Oui tu mourus, enfant, par un fleuve emporté !
C’est que les vents tombant des grand monts de Norwège
T’avaient parlé tout bas de l’âpre liberté ;
C’est qu’un souffle, tordant ta grande chevelure,
À ton esprit rêveur portait d’étranges bruits,
Que ton coeur écoutait le chant de la Nature
Dans les plaintes de l’arbre et les soupirs des nuits ;
C’est que la voix des mers folles, immense râle,
Brisait ton sein d’enfant, trop humain et trop doux ;
C’est qu’un matin d’avril, un beau cavalier pâle,
Un pauvre fou, s’assit muet à tes genoux !
Ciel ! Amour ! Liberté ! Quel rêve, ô pauvre Folle !
Tu te fondais à lui comme une neige au feu :
Tes grandes visions étranglaient ta parole
– Et l’Infini terrible éffara ton oeil bleu !
III
– Et le Poète dit qu’aux rayons des étoiles
Tu viens chercher, la nuit, les fleurs que tu cueillis ;
Et qu’il a vu sur l’eau, couchée en ses longs voiles,
La blanche Ophélia flotter, comme un grand lys.
Arthur Rimbaud
オフィーリァ
                 ⅰ
星の眠る黒い静かな波のうえを
色白のオフィーリアが漂う 大輪の百合のように
長いヴェールを褥にいともゆるやかに漂う……
――遙かな森に聞こえるのは獲物を追い詰める合図の角笛
千年以上にもわたって 悲しみのオフィーリァは
白い亡霊となって黒くて長い川の流れに従っている
千年以上にもわたって そのやさしい狂気が
夕べのそよ風にロマンスを囁きかけている
風は彼女の胸に口づけし ゆるやかに水面を揺れる
大きなヴェールを 花冠のようにひろげる
柳はふるえて彼女の肩に涙を落とし
蘆は彼女の夢みる大きな額のうえに身を傾ける
押し歪められた睡蓮が彼女のまわりで溜め息をつく
ときおり彼女は眼覚めさせる 眠る榛の木が匿う
何かの塒を するとそこから小さな羽ばたきが逃れ出る
――不思議な歌声が黄金の星から落ちてくる
             ⅱ
雪のように美しい おお蒼ざめたオフィーリァよ
そうだ きみは川の流れに連れ去られて幼い命を終えたのだ
――というのも ノルウエーの高い山から吹き降ろす風が
きみの耳にほろ苦い自由をそっと囁いたせいだ
一陣の風がきみの豊かな髪をくねらせては
夢みる精神に奇妙なざわめきを伝えていたせいだ
樹木の嘆きと夜の溜め息のうちに
きみの心が自然の歌声を聞き分けていたせいだ
広大無辺なあえぎにも似た狂える潮の音が あまりにも
やさしく情にもろいきみの幼い胸を押し潰していたせいだ
ある四月のこと 蒼ざめた美しい騎士
あわれなひとりの狂人が 黙ってきみの膝に座ったせいだ
天と愛と自由と おお何という夢をみたのだ あわれな狂女よ
きみはその夢にとろけてしまった 火に溶ける雪のように
きみのみた壮大な幻がきみのことばを締めつけた
――そして恐ろしい無限がきみの青い瞳をおびえさせた
                 ⅲ
――さて詩人はいう  星の明かりに照らされて
夜ごときみが自分の摘んだ花々を探しにやって来ると
長いヴェールを褥にして 水のうえを
色白のオフィーリァが大輪の百合のように漂うのを見たのだと
 

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元気になりたい!

 「ちょっと行ってみようか?」とタケミは言った。そのスーパー・マーケットは駅の北口と南口との間にあった。ということは駅に続く構内にあった。駅の改札口は2階にあったので、勤め人が駅から降りる前にその店によって、買い物をしバスに乗って家に帰ることができるので便利にちがいない。駅から歩いていくと、人がいっぱいで時々、歌をうたうひとや、いろいろな国からやってきた楽器を演奏する人がいたりした。「こないだはね、カナダからきた、とても上手なギタリストがいたんだよ」とタケミは言った。それから、もう半年もそのスーパー・マーケットに通いつめている。
 
 なぜそんなに、そのスーパー・マーケットが好きになったかといえば、まず安いこととどんな人がいっても親切なことだった。私はその頃、リウマチがになったばかりで、細かいお金を手で数えることが遅かった。その店は年を取った人がたくさん買い物しやすくなっていた。それほど広くはないのに、その店は魚の種類が豊富で、私が幼い頃食べた魚もたくさんあった。ナメタガレイやキンキやホヤがあった。ホヤは海のパイナップルともいわれ、パリにもあった。今度、パリの友達がやってきたら、ホヤの新しい調理の仕方を披露しなければならないと思った。それは一生のうちでも、よく思い出すほど美味なのだから。
 春になると
蟹を喰いながらむせび泣く
 東南アジアの詩人の詩に感激したことを私は思い出した。タケミと私は毎週、
その店に通ったのだが、はじめ私はリウマチで足が痛くびっこをひいていたのにだんだん回復してきて普通のはやさで歩けるようになってきた。
 ナメタガレイは寒い海のなかで育ったので、油がのっていて、とてもおいしい。キンキは高く手がとどかなかったが、いままでの半分になっていた。
 春になると、タケノコやキャベツやジャガイモがおいしくなった。タケノコは蕗と煮て、ウニと味噌をあえた物で食べると最高の味になる。
 とまあ、こんな具合に10ヶ月は暮らした。よく歩いて最近では足の痛さは殆どなくなった。ただまだ手の指は痛いことがある。それでも、銀座や東京駅などに行くと次の日は足が痛くなった。
 この間は詩人白石かずこさんのある文学賞のお祝いにやって来た詩人新川和江さんと私たちの詩の雑誌『something』の編集部員田島安江さんと棚沢永子さんと一緒に銀座の帝国ホテルで会ってお寿司を食べた。
 新川和江さんはもう七十九歳にもなるのに顔色がよく、つやつやしてお元気だった。彼女は帝国ホテルの壁のガラスタイルのことを語り、エジプトかメソポタミアには、上薬を塗った二千年もたったガラスの器があるらしいという話をした。その上薬は二千年もするとガラスと一緒に変質して、えもいわれぬ美しい輝きを放つと言われた。その時、「わたしは二千年も生きたことがないから、わからないけれど……」といったので、えっと思って思わず詩人の顔を見た。
 
 まるで女の詩人が二千年も生きているかのような、とんでもない幻想に私は
かられたのであった。なるほど、詩人というのは、こんなことを考えているのかと思い驚いたのである。それでも、私はその後、一週間ばかり、リウマチの具合が悪かった。
 
 日本では、かつて経済大国とかいわれたりしているが、少しも社会制度が発達していない。たとえば、女性が働きながら安心して子供を産めるようになっていない。それだから、結婚する男女が少なく、どんどん老人大国になっている。大学は莫大な費用がかかるし、家賃は高いし、老人介護は少しも発達していない。自殺者は三万人以上いるし、ろくなことはない。それなのに、百歳以上の老人が多く、これはびっくりしている。どうかすると、気候がいいせいか長生きする人も多いのである。私も長生きをする人をテレビで見るのが好きである。一体どんなふうに百何歳の人が生活しているかといえば、千差万別である。たとえば、地方で酒屋さんを開いている女の会長さんは104歳で、朝起きるとコップにきれいな水を入れて、目をぱちぱちと百回ぐらい瞬きをする、新酒のお披露目をしたり、お酒の瓶にラベルを張ったりして暮らしている。若い頃からの生活をなるべく変えないのだそうだ。もう一人の百歳の人は毎日お風呂に4時間も入る。血のめぐりをよくして海草類をたくさん食べるそうである。
 もう一人は、お客に法律関係の書類を作成してあげる仕事を家の一階でしていて、3階に住んでいる。かれは歯が丈夫でかたいものでも何でも食べられる。食後、梅干しを砂糖壺に入れて転がしてたべるのが大好きである。皆が寝静まった真夜中に起き出し、お風呂に入り、非常に柔らかいタワシで体をこするのが長生きのこつらしかった。
 ひと頃、きんさんぎんさんという双子の姉妹が国民的アイドルになり、みんなの話題をさらったことがあった。なにしろ、この双子のおばあちゃんたちは愛知県に1892年8月1日に生まれ、姉のきんさんは2000年1月23日(満107歳)まで生き、妹のぎんさんは2001年2月28日(満108歳)まで生きたのだから、信じられないくらいである。私の母より17年も前に生まれ、27年も後に亡くなったのである。
 きんさんは赤身の魚が大好きで、ぎんさんは白身の魚が大好きだった。1991年二人して数えの百歳になり、市長から長寿の祝いを受けると、テレビのCMに起用され、たちまち全国的に有名になった。幾度となくテレビに出演したり、台湾に招かれたり、「きんちゃんとぎんちゃん」という唄になったり、ドラマに出たり、園遊会に招かれたりした。
 姉妹はマスコミに取り上げられる前に軽い認知症であったらしいが、著名人
やリポーターの取材を受けたり、旅行するために筋力トレーニングに励んだ結果、記憶力が戻ったり、認知症が改善したりしたそうである。おかしかったのは、いろいろな仕事をして大金が入った際、「お金を何に使いますか?」ときかれると「老後のたくわえにします」と答えたという。
   
 こんなふうに、私は長生きに対して興味を持っているが、これはアジア人なら誰でもそうではないかと思う。それに自分がそれほど長生きできなくても、そういう話を聞くのが好きなのである。タケミは赤身のマグロの刺身が好きなので毎日のように食べている。
 本当は私たちはほんの少しでも旅に出たいのである。でも、まだ体がそれほど元気ではないし、お金もかかるので、我慢している。
 昔といってもほんの少し前、私は「AUBE」というランボーの詩のタイトル、「夜明け」というグループを創って286回も原宿という街に集まってみんなで世界中の詩を声を出して朗読していた。それをテープに録音して地方の会員に送っていた。そのとき、そのテープのはじめにモーツアルトのピアノ協奏曲の第二楽章とかを録音して会員に聴いてもらっていた。それは何でもないことのようだったけれど、私たちが元気でいられる要素ではなかったかといま思いだした。286回も10分ぐらいの音楽をいつも探してきて、2週間に一回はみんなでそれを聴いたのだから。いつも音楽が体のなかを流れているような気がしていた。それを聴かなくなってから、リゥマチだの糖尿病がはじまったのだから。いまはだいぶ治ってきたけれど、また音楽を聴こうと思った。どういうわけか、タケミは子供たちの器楽合奏のフィルムを取り始めた。パリの友達はピアニストと友達になった。私はコンピュータにリパッティ、スコダ、リヒテル、カーゾン、ブレンデル、ハスキル、アリゲッティなどというピアニストを呼んであらゆるピアノ曲を聴いてみた。それらはなんとも美しかった。
 しかし、オペラも聴いてみたくなった。歌姫や男のオペラ歌手はいつもあらゆる場所に招かれて何万人という人達の前で歌う。なんという情熱なのだろう。あらゆる広場や何百年も続いているコンサート・ホールで歌う。国境を越えていろいろな人種の人達をたった何分かで魅惑するとは一体どんな声なのだろうと思い、つくづく感心してしまった。そして、YOU TUBEは世界中どこでも聴けるのだと思い、現在はなかなかすごいと思った。音楽は何かだ。音楽のことを忘れていたなんて。
      シェークスピアは言う
      生きるべきか死すべきか?
      音楽は言う
      生きよ! と それから 消えてしまう 
とフィッリップ・ソレルスは書いていた。こんなふうにいろいろなことをしながら私は少しづつ元気になりつつある。
      「パープル・ジャーナル」のためのエッセイ

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「私は自分の人生が気に入っている」李謹華イ・グンファ 韓成禮訳

私は自分の人生が気にいっている 李謹華 1976年生まれ (世界を新しくする詩6)
私は自分の人生が気に入っている
季節ごとに一回ずつ頭痛が来て、二つの季節ごと一回
 ずつ歯をぬくこと
がらんとした微笑と親しい皺が関係する私の人生!
私は自分の人生が気に入っている
私を愛する犬がいて、私の知らない犬がいる
白く老けを落としつつ、先に死んで行く犬のために
熱いスープを煮込むこと、冬よ、さらば。
青い星が尻尾を振って私のところに駆けて来て
その星が頭の上に輝く時、カバンを無くしてしまったっけ
カバンよ、私のカバンよ、古いベットの横に、机の下に
くちゃくちゃな新生児のように生まれ変わるカバン
肩が傾くほど、私は自分の人生が気に入っている
まだ渡って見たことのない橋、まだ投げてみたことのない石ころ
まだ取って見たことのない無数の多くの姿勢で、新しく笑いたい
しかし私の人生の第一部は終わった、私は第二部の始めが気に入っている
多くの店を出入りせねば、新たに生まれた手相に付いて行かねば
もう少し謹厳に、私の人生の第二部を知らせたい
私が好きになり、私を気に入る人生!
季節は冬から始まり、私の気に入った人生を
一月からまた計画しないで、カゴとパンはまだたくさん残っていて
皿の上の水は乾くことを知らない
魚と尻尾を突き合わせて、黄色い星の世界に行き
魚の木を植えねばならない
第三部のスープは冷えて、あなたの唇に流れこむ葡萄酒も
事実ではない、しかし人生の第三部でもう一度言うつもりだ
私は自分の人生が本当に気に入っている
息子も娘もにせ物だが、わたしの話は嘘ではない
丈夫な尻尾を持って、斧のように木に登る魚
ふさふさと魚が開かれる木の下で
私の人生の第一部と第二部を悟り
第三部のドアが開かないように祈る私の人生!
気に入った部分がちょきんと切られて行って
ずっと明るくなった人生の第三部を見ている
私は遂に尻尾を振って笑い始めた

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辻井伸行くん うまれてきてよかった!

あなたが生まれてきてよかった!
あなたのおとうさんがうまれてきてよかった!
あなたのおかあさんがうまれてきてよかった!
あなたのピアノを聴くみんながうまれてきてよかった!
「ショパンの子守唄」

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川のささやきー辻井伸行

日本にも全盲の天才があらわれました。
この曲は辻井伸行さんが、幼いとき、お父さんに連れられて
隅田川に行ったときの記憶をもとにして、彼が作曲したものだ
そうです。
なんというすがすがしさ、なんという喜びなのでしょう。

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アンドレア・ボッチェリーのアベ・マリア

最近、このひとの声ほど素晴らしいものを聴いたことがありません。涙が出てくるのです。
Andrea Bocelli はイタリアのトスカーナに1958年生まれました。
6歳でピアノを習いましたが、12歳でサッカーボールが頭にあたり、脳内出血のために失明しました。
音楽が好きだったのですが、一度あきらめ、法律の勉強をして、弁護士になります。けれども、どうしても音楽があきらめきれず、パバロッチとズッケロとかいうひとの推薦があって歌うたいの道を進みます。
今では、国際的なスーパースターになりました。この曲は映画ゴッドファーザーにも出てくるMascagni
のカバレリア・リスチカーナです。そして、この紹介者はアメリカの歌姫セリーヌ・Dionです。

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「イタリック体の都市に住む秘密の言葉」金遠倞キムウォンギョン 韓成禮訳

イタリック体の都市に住む秘密の言葉  金遠倞 1980生まれ (世界を新しくする詩5)
 雪の降るイタリック体の都市を点字で歩いて見なよ
暑い水脈の指紋が空中で沸騰している それなら指も旋
風を巻き起こしながら沸騰しているだろう、踊っている
だろう 君のために青い血管を開いて古い初潮を取り出
すつもりだ 絹糸のようにきれいな葉が耳を開いてひら
ひらするだろう
 膨れるゴムのボールのような心臓に血が入って来れば、
うずくまっていた指先に最初の発声が落ちるだろう 秘
密の言葉は惜しんできた息をてっぺんに呼吸し、いっぺ
んに消えてしまい、指は消えつつ少しずつ月の子宮を記
録しているだろう
 ここは光の世界を否定するいくつかの影たちが言語の
前の時間を押し出す所だ 私の小さな引き出しよ いく
つか耳を切って光が吐き出した沈黙をよく噛んで食べて
ごらん 歩くほど指の関節は外から暗くなるだろう 私
は秒針のような指で世界の風向計を少しずつ回していよう
  

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「夕暮れの印象」李秀庭イ・スジョン  韓成禮訳

夕暮れの印象   李秀庭 1974生まれ    (世界を新しくする詩4)
鍵盤一つを
ダーンと
打ち下ろす。
張り詰めて震える絃、
「ファ」の音階を飛び超えた
馬たちが、
一万頭ほど
手綱を切った馬たちが
走る。野原がいっぱいに
青いたてがみに覆われて
野原の果てまで駆けて行った馬たちが
塩辛い水の揺れる海の中に
跳びこむ。海に入った馬たちが
積みあがり積みあがり
黒い水嵩を成したまま
揺れながら横になる。
あなたと私の仲
瀑々とした水平線に
赤い鍵盤を広げた
夕焼けがかかり、
馬の鳴き声で深くなる
闇が来る。

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