政治 キャロル・アン・ダフィ 英国王室桂冠詩人

政治  Carol Ann Duffy 熊谷ユリア訳
一体どうやったら、あんたの顔を、
痛みで啜り泣く石に
変えられるのか。あんたの心臓を、
ズキズキと血の汗を流す
固く握りしめた拳に変えられるのか、
あんたの舌を
扉のない掛金に換えられるか
                  ※
 全くわたしの大好きなキャロル・アン・ダフィは英国王室桂冠詩人になってしまった。あの反抗的な、夜
のしずかな窓をあけ、あなたを愛していますなんていっていたうら若い女が男と一緒になって、タマネギ
なんかあげていたり、マンハッタンの高層ビルから裸で手をふっていた彼女があっという間にシングルマザーになり、レスビアンにもなり、大学教授にもなり、おデブちゃんになり、王室のローリエ詩人になってしまった。現代は少しもゆっくりさせてくれないらしい、彼女もおばあちゃんになったり、わたしもおばぁちゃんになったけれど、シルビア・ブラスのように悲劇的になりたくはないと思っていたら、その息子はどこか
地球の寒い寒い場所で凍え死んでしまった。これほど過激になることはないと思うけれど、しかし、この
単純な詩を書く詩人はちょっと女の人でも怖かったのです。

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「逃げてゆく愛」ベルンハルト・シュリンク

「逃げてゆく愛」 ベルンハルト・シュリンク
 あまりに夢中になって、この作者の「朗読者」を読んで映画も観たため、大変名作でもあり、とてもうまい小説でもあるのに、何と言っていいのかわからない程悲しくなるので、こういう悲しみからはそんなに
早く立ち上がれないと思って、わたしはこの本をどこかへ隠してしまった。だいたい、この本はアマゾン
で売ろうと思っても、10円とか、20円とかしかうれないので、それに紙質が悪くすぐ焼けてしまっているので売るといっても気がひける商品でもあったのだ。こんなによくない本をどうして新潮社は売るのかと思ってしまう。しかし、文学も詩も、音楽も映画も絵もコンピューターも続いて行かなければならないので、わたしはまた図書館から「逃げてゆく愛」を借りてきて読んだのだ。だいたいわたしはなぜ「朗読者」
をよみはじめ、そしてひとごとではなく思われた原因は何かといろいろ考えた結果、第二次世界大戦後
の悲劇、ユダヤ人が600万人も殺されたという事実をあれほど映画やニュース やその他もろもろの情報で
知ったあと、いつもユダヤ人の方からあれほど攻撃や訴えを受けた後、ドイツ人はどう思っていきてきた
のだろう?という関心が世界中にひろがったあと、あらゆる悲しみとともに、この本は広がったのだろうと思える。それは、わたしが原爆のことを考えるときに、たしかに何か伝わった来るものがあったからだろうと思われる。「朗読者」をよんで、いちばん底の方で感じたのは、次のことであった。私か゛この世に生まれてきて、しかも日本という国に生まれてきて、わたしはわたしなりに生き、そして努力したことも、さぼったこともあったけれど、運がよかったことも、ついてないこともあったけれど、まあ、なにも後悔もしていないし、できなかったことは、自由にいきるために放棄したのだから、おおむね満足しているし、幸せであったと思う。いや、過去形ではなく、今も満足している。しかし、原爆だけは、わたしの個人の生き様と関係なく、少なくとも私の生の目に見えない部分を20%くらいは損なってしまった。と思っている。このヒバクシャ
でもなんでもない個人がそうかんじているのだから、ましてヒバクシャはどう感じているのだろうと想像してしまう。
こういうことを誰かに話そうと思っても、なかなか話しにくいので、せめて「朗読者」の作者はどう思っているのだろうと考える。そして、その必然的な答えがあの小説のなかにあり、悲しくて悲しくてもう立ち上がれないくらいに思えるぐらい厳しい。しかし、それを読む世界中の読者はじゃあ私の場合はどうなの?と考えることができるからだ。
 そして、「逃げてゆく愛」はなかなか面白かった。何があろうと果敢に生きていくドイツ人たちが短編のなかにちりばめられていて、どの場合も、良しと肯定できるようになっていて、とてもとてもいい具合た゜った。なかなか賢く、なかなか複雑でありながら、戦後生きたドイツ人はたくましく希望がもてた。ああいうふうにわたしもいきようと思った。

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「ここにいるよ」川又郁子

ここにいるよ  川又郁子
わたしはここにいるよ
内なる夢をひめて
誰も知らない
名もないひとは
声にならない声で
ここにいるよ
生きとし生きた軌跡を編んでいる
風やあめの日も
わたしはここにいるよ
そこやここ
界隈に名を知られるひとたちのなか
ほそぼそと生きてきたひとを
ひとり認めることは
悲しいことに違いないが
わたしはここにいるよ
こころの雑草を抜きながら
夏草にはさせまいと
季節のなか
足を向けるのはどこへ
わたしはここにいるよ
誰も知らない
名もないひとは
音にならない音で
ここにいるよ
きみのそばで
この星の美しい
地球にしがみついているよ
                     ※
 ああ、なんて感動的なんでしょう。日本は人口が多いから、誰だってこんなふうに思って生きているのでしょう。ああ、わたしもこころの雑草を抜かなけれゃと思うのです。でも、なかなか土性骨がすわったいい詩だと思うのです。

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何回も何回も読みました「朗読者」何回も見ました「The Reader」

 この物語がどうして、こんなに心を揺さぶられるのか、私は2000年に「朗読者」という8刷目の本を読みました。何回も読み、はじめの恋愛の文章は大変わかりやすいので、私たちの詩のグループAUBEで読もうと思ったのです。「罪と罰」ほどではありませんが、私の好きな小説の十のゆびの入ると思ったからです。それにAUBEはそれこそ朗読者たちのグループだったからです。私はドイツ語版の本も買いました。
しかし、ドイツ語版の朗読テープはなかったのです。でも、英語の本と英語版のテープ
はあったのです。いまでも、それをわたしは持っています。でも、その後、すぐ安く
パウル・ツェランの詩人本人が読んでいる録音テープを見つけたのです。それでそちら
を聞いたり読んだり評論を読んだりし始めたのです。それは大きな大きな私たちの収穫でした。
 それで、私はこの本のことをすっかり忘れていました。しかし、さすがにドイツの悲劇について、世界中の人が感じたり、考えたりしているものですから、この本はたちまちベストセラーになり、そして皆が心をゆさぶられていったのです。私の今度の大きな発見は
2000年と2009年では私の年齢が違っているので、主人公のHannahやMichaelとおなじように年をとったので、恋愛だけでなく、人間の罪や悲しみや戦争について
考えさせられることが多かったです。おどろいたことにこの作者ベルンハルト・シュリンクは1944年生まれで、私より三つも年したでした。少し通俗的ですけれど、現れるべくして現れた小説だと思いました。何よりも、直接戦争には行かなかったのに、ナチズムという大変重いもののをもろにかぶった世代だったのです。例え心に重く、恐らく
ユダヤ人もドイツ人も全世界の人々がどんなにこころに重くのしかかっていたとしても、単純に思想的にだけこの問題を処理するだけでは、いろいろな世代の人達にこうは
うまく伝わらなかったでしょう。しかし、恋愛というひとの一生に直接深くかかわり
あう出来事から、掘り起こしたため、映画をみたり、本を読んだりする人が抜き差しならぬところまでひきづられてしまうのです。
私はもう半月もこの本を読んで、少しおかしくなったりしました。
 アドルノの「アウシュビッツの後、詩を書くことができるか?」にパウル・ツェラン
も、小説ですが、ベルハルド・シュリンクも必死に答えていると思います。特にこの本はニュンベルグ裁判以後、1963.12~1965.8まで初めてドイツ人がドイツ人を裁く裁判
が行われたそのことを小説にしているので、何かみにつまされるのです。ハンナは裁判
長に「あなたならどうしますか?」と叫ぶのです。あの悲痛な声は全世界のひとにひびいたと思います。つづく

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judi denchの「真夏の夜の夢」

TITANIA
[Awaking] What angel wakes me from my flowery bed?
BOTTOM
[Sings]
The finch, the sparrow and the lark,
The plain-song cuckoo gray,
Whose note full many a man doth mark,
And dares not answer nay;–
for, indeed, who would set his wit to so foolish
a bird? who would give a bird the lie, though he cry
‘cuckoo’ never so?
TITANIA
I pray thee, gentle mortal, sing again:
Mine ear is much enamour’d of thy note;
So is mine eye enthralled to thy shape;
And thy fair virtue’s force perforce doth move me
On the first view to say, to swear, I love thee.
BOTTOM
Methinks, mistress, you should have little reason
for that: and yet, to say the truth, reason and
love keep little company together now-a-days; the
more the pity that some honest neighbours will not
make them friends. Nay, I can gleek upon occasion.
TITANIA
Thou art as wise as thou art beautiful.
BOTTOM
Not so, neither: but if I had wit enough to get out
of this wood, I have enough to serve mine own turn.
TITANIA
Out of this wood do not desire to go:
Thou shalt remain here, whether thou wilt or no.
I am a spirit of no common rate;
The summer still doth tend upon my state;
And I do love thee: therefore, go with me;
I’ll give thee fairies to attend on thee,
And they shall fetch thee jewels from the deep,
And sing while thou on pressed flowers dost sleep;
And I will purge thy mortal grossness so
That thou shalt like an airy spirit go.
Peaseblossom! Cobweb! Moth! and Mustardseed!
Enter PEASEBLOSSOM, COBWEB, MOTH, and MUSTARDSEED
PEASEBLOSSOM
Ready.
COBWEB
And I.
MOTH
And I.
MUSTARDSEED
And I.
ALL
Where shall we go?
TITANIA
Be kind and courteous to this gentleman;
Hop in his walks and gambol in his eyes;
Feed him with apricocks and dewberries,
With purple grapes, green figs, and mulberries;
The honey-bags steal from the humble-bees,
And for night-tapers crop their waxen thighs
And light them at the fiery glow-worm’s eyes,
To have my love to bed and to arise;
And pluck the wings from Painted butterflies
To fan the moonbeams from his sleeping eyes:
Nod to him, elves, and do him courtesies.
PEASEBLOSSOM
Hail, mortal!
COBWEB
Hail!
MOTH
Hail!
MUSTARDSEED
Hail!
BOTTOM
I cry your worship’s mercy, heartily: I beseech your
worship’s name.
COBWEB
Cobweb.
BOTTOM
I shall desire you of more acquaintance, good Master
Cobweb: if I cut my finger, I shall make bold with
you. Your name, honest gentleman?
PEASEBLOSSOM
Peaseblossom.
BOTTOM
I pray you, commend me to Mistress Squash, your
mother, and to Master Peascod, your father. Good
Master Peaseblossom, I shall desire you of more
acquaintance too. Your name, I beseech you, sir?
MUSTARDSEED
Mustardseed.
BOTTOM
Good Master Mustardseed, I know your patience well:
that same cowardly, giant-like ox-beef hath
devoured many a gentleman of your house: I promise
you your kindred had made my eyes water ere now. I
desire your more acquaintance, good Master
Mustardseed.
TITANIA
Come, wait upon him; lead him to my bower.
The moon methinks looks with a watery eye;
And when she weeps, weeps every little flower,
Lamenting some enforced chastity.
Tie up my love’s tongue bring him silently.
Here comes my messenger.
How now, mad spirit!
What night-rule now about this haunted grove?
小田島雄志訳
タイターニア
花のベッドから呼び覚ますのはどんな天使?
ボトム
鷽に雀に揚げヒパリ、
同じ調子のカッコドリ、
カッコウ悪いと鳴くけれど、
寝とられ亭主声もなし。
そりゃまあ、あんな阿呆な鳥と阿呆ぶりをくらべたってしょうがないやな。いくら「寝とられ亭主はカッコ
悪い」と鳴かれたって、鳥にむかって取り違えるなと言うわけにはいかん。
タイテーニア 
ねえ、やさしいお人、もう一度歌って。
私の耳はあなたの歌にすっかり聞き惚れてしまい、
私の目はあなたの姿にすっかり見とれてしまった。
あなたの美しさを一目見て私の心はどうしようもなく
うちあけ、言わずにはいられない、あなたを愛するとる
ボトム
いえね、奥さん、理性があればそうおっしゃる理由はあんまりないと思うがね。が、まあ、
正直な話、理性と愛とはこのごろあんまり仲がよくないらしい、まったく残念なことだ、だれか
正直者が仲直りをさせないのは。まあ、あたしだって時と場合によっちゃあ洒落た台詞の一つぐらいは
言えるんでね。
タイテーニア
あなたは美しいだけでなく賢くもあるのね。
ボトム
いや、とんでもない。が、この森から脱け出すぐらいの知恵がありゃあ、あたしの用には
まだまにあうだが。
タイテーニア
この森から脱け出すなんて考えないで、いいわね。
なんておっしゃろうとここに引き止めますからね。
私はこう見えても卑しからぬ身分の妖精です、いつでも夏が私にかしずいてくれているのです、
その私が愛するのです、だから私のそばにいつまでもいらして、
妖精たちにお世話させるわ、いつでも。
海の底から真珠をとってこさせるわ、
花のベッドでおやすみになるときは歌わせるわ、
そして私はあなたの死すべき肉体を清めて、
空気の精のようにしてあげるは、この手で。
 豆の花、蜘蛛の糸、蛾の羽根、芥子の種!
豆の花
はい、ご用は?
蜘蛛の糸
        ご用は?
蛾の羽根
             ご用は?
芥子の種           ご用は?
一同                  なんでしょう?
タイテーニア
このかたに失礼のないようにお仕えしてね。
このかたの行く先々で楽しく踊ってね。
お食事にはさしあげておくれ、アンズにスグリの実に、
紫のブドウに緑のイチジク、それから桑の実に、
熊ん蜂の巣から密をとってきて添えるように。
枕もとのあかりには、
まず、どうしてここにたどりついたか、をいいますと、ケイト・ウインズレットの演技のことを考えいたわけです。映画はだんだん演劇に近づいているのではないかと思ったわけです。映画は今までアクション
を主体としてきたわけですが、つまり時間だったわけですが、どんなことがあっても映画が終われば
お終いだったのです。でも、ここに来て何か飽きたらなくなってきて、映画が終わってもまだ続いている
余韻というか存在というか、そういうものをもとめるようになってきたような気がします。ウインズレットは
私の好きなエマ・トンプソンの監督、主演女優の「いつか晴れた日に」(ジェーン・オースティン原作)に次女
として出演しているわけです。そして、アイリス・マードックのことを夫の人が書いた本を映画化した「アイリス」の若い頃の女優として出演しているわけです。そして、ついにジュディ・デンチにぶち当たったわけです。あの「007」のはじめ悪党のテンチ、それから部長の偉くなったデンチ、そして、「ビクトリア女王」
のデンチ、そして「アイリス」のアルツハイマーになった作家アイリス・マードックを演じたデンチ、そして
全くしらなかった本場のシェクススピァ劇場の真夏の夜の夢にでてくるタイターニァがとうとう登場した
わけです。なんてきれいな女のひとなんでしょう。映画が演劇に近づいていることを予感しました。日本
ではそのことを感じている女優は宮崎あおいさんでないかと思います。イギリスのデンチ、トンプソン、
ウインズレットの系列はすごいと思います。

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こんなに華やかな……

Oscarsとは、こんなに華やかな元気のでるものだつたのでしょうか?
ソフィア・ローレンもシャリー・マクレーンもニコル・キッドマンもメルリー・ストリープもアンジエリーナ・ジヨリィもアン・ハサウェイもペネロペ・クルーズもすばらしかったけれど、今年はこんなに目の美しい、大人の女であるケイト・ウインスレットのの年でした。このような女のひとを見たことがありません。「朗読者」は
世界中でベストセラーになった本ではあつたけれど、あんなに難しい、あんなにまじめな、あんなに美しい、あんなにアル意味では恐ろしい愛を描いた本をよんだことがなかったので、この主人公の女を演じることができた女優をみたことがなかった。彼女で
なければ演ずることができなかったのではないかと思われました。映画はまだみていません。それなのにわかるのです。「タイタニック」では少し大味な感じがしましたけれど、どうしてどうして、彼女はすばらしい。また、まわりの女優たちがいるから、一層
輝いて見えるのでしよう。この物語のことを若い世代の人に聞いてみたら、全然理解していなかったので、がっがりしたのを覚えています。でも、映画になったから、理解したかもしれません。どうしても私たちは戦争の世代なのだなあと思いました。iliadはすこしお休みしました。

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iliad best

アキレウスがアガメムノンに逆らってTroy戦争に出ないで腐っているところへネストールの子のantilochosアンティロコスから、アキレウスの親友パトロクロスが死んだと知らせがはいる。アキレウスは怒り狂い、お母さんのテティスにアガメムノンの率いるアカイア軍が負けるように頼む。テテイスは大工のヘーパイトスに頼んでアキレウスの武具
を造ってもらう。そして、アキレウスは戦場に出て戦う。

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iliad in greek

Ἔνθ᾽ αὖ Τυδεΐδῃ Διομήδεϊ Παλλὰς Ἀθήνη
δῶκε μένος καὶ θάρσος, ἵν᾽ ἔκδηλος μετὰ πᾶσιν
Ἀργείοισι γένοιτο ἰδὲ κλέος ἐσθλὸν ἄροιτο·
δαῖέ οἱ ἐκ κόρυθός τε καὶ ἀσπίδος ἀκάματον πῦρ
ἀστέρ᾽ ὀπωρινῷ ἐναλίγκιον, ὅς τε μάλιστα 5
λαμπρὸν παμφαίνῃσι λελουμένος ὠκεανοῖο·
τοῖόν οἱ πῦρ δαῖεν ἀπὸ κρατός τε καὶ ὤμων,
ὦρσε δέ μιν κατὰ μέσσον ὅθι πλεῖστοι κλονέοντο.
イーリアス 上 呉茂一訳
怒りを歌え、女神よ、 ペーレウスの子のアキレウスの、
おぞましいその怒りこそ 数限りない苦しみを
アカイア人らにかつは与え、
また多勢の 勇士らが雄々しい魂を 冥王が府へと
送り越しつ、その間にも ゼウスの神慮は遂げられていった、

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もうひとつ不思議に思うのは

もう一つ不思議に思うのは、ギリシャでは、時間の使い方というか、感じ方というか、時間についての考え方がちがうことである。普通は時間は過去、現在、未来というように一直線上に動いて行くように思われているが、ギリシャでは少し違うようだ。
 たとえば、「イリアス」を読んでいると、何かがちょっと違うような気がする。人間の他に神々がいるのだから、時々くらくらっとするのである。つまり、小さいときがあって、青春時代があって、今があるとかそういうふうにことがはこばない。神々は死なないのだから、人間と同じようではない。ゆったりと浮気を
したり、嫉妬したり、急にきまぐれにかっさらっていったりする。
 どうしても、変なことが起こる。普通、パリスとヘクトールとアキレスは同世代の青年のように思っていた。ところが、パリスはティテスとペレーウスの結婚式の後、エリスの出現で美の審判をゼウスから
仰せつかるのだから、アキレスがまだ生まれているはずはないのだ。だから、少なくとも十年から二十年の違いがあるはずであるのに、そんなこと考えたこともなかったというふうになる。
これは、わたしたち現代人がすっかり失ってしまったものが、まだあるというか、ちらりと見えるものがあるのである。私たちは現在見えないものをちらと見たり、くらくらっとなったりする。ギリシャでは時間が
螺旋状に動いているという。なにか同じ所をぐるぐるまわりながら。少しずつ、前とは違ったところにいる。ちょうど日本人が桜の花を見るところと時が同じでも少しずつずれていくように。(この桜の花と雪の時の感覚はもしかしたら、ギリシャ的かも知れない。)螺旋状ということは
方向性があって、どこかへ向かっているということらしい。

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大変不思議に思うのは

 大変不思議に思うのは、イリアスが叙事詩であることとホメロスによって口承で語られたものであることだ。この大変大きい物語が架空の物語だと思えない程リアリティがあることだ。神話はもうできあがっていたのだろう。それと叙事詩であるからには、これに近い出来事が紀元前にあったか、いろいろ細かい出来事をまとめて大きな一つのものに構成したのかも知れないと思う。次の作品「オデッセイア」では
オデッセイアがいろいろの場面でイリアスを上演させ、アキレスやその他の運命に涙を流すという構成になっているという。
 平家物語は事実を弾き語りで口承したものであるのと、イリアスは少し違っているのかもしれない。
ギリシャに本当にあったことは、アレキサンダー大王でこれも映画になって、ものすごいスケールでびっくりしている。とにかくギリシャというところはすごい。あらゆる哲学者がずらりといて、神話があって、
美しい彫刻があって、演劇も盛んで、医学も音楽も生まれて、都市国家があったのだから、けれども
女の地位は低くほとんど奴隷に近かったようである。ニーチェが「悲劇の誕生」を書いたのは20代でギリシャのことをあんなに輝しく、そして悲劇的に描いたのはびっくりすることであった。ギリシャでは神々と人間は同じ地位にあり、違うところはただ人間は死ぬが神々は死なないというところであった。このことは大変面白かった。アポロンの他にもうひとり、ディオニソスという神を付け足したことも愉快であった。
 つまり、このイリアスがきっと、あとで、私たちの未来を切り開くことになるかも知れない。

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