「絵葉書」岬多可子  ことばの豊かさ

絵葉書   岬多可子
明るいオレンジ色の布に覆われたような春
果樹の花が咲き
動物たちが 大きいものも小さいものも
草を食べるために しずかにうつむいたまま
ゆるやかな斜面をのぼりおりしている
家の窓は開いていて 室内の小さな木の引き出しには
古い切手と糸が残っている
みな霞がかかったような色をしている
冷たくも熱くもないお茶が
背の高いポットに淹れられて
それが一日の自我の分量
遠くからとつぜん 力のようなものが来て
その風景に含まれているひとは
みんな一瞬のうちに連れて行かれることになる
以前 隣家の少女を気に入らなかったこと
袋からはみ出た病気の鳥の足がいつまでも動いていたこと

女は思う
春のなか
絵葉書は四辺から中央部に向かって焼け焦げていく
 
 
 ことばの豊かさというと、いろいろな考え方や意味があると思いますが、ひとつは身体、場所、記憶、生活などの関わり合いであると思います。なかでも、私が関心があるのは身体とことばの関わり合いです。
 比喩的にいうと、ひとつの詩を読んで、そのときに、ことばを発しているひとの息づかいやたたずまい、つまり、身体が感じられる詩が好きです。
 それは決して体について書いた詩という意味ではなく、海であっても、空であつても、この詩のように「絵葉書」でもいいのです。この詩に書かれているひとつひとつのことばや一行一行をとりあげて、説明することは殆ど不可能ですが、たとえば、第一節にはぼんやりと外を眺め、同時に自分の内側も意識しているような、そんな身体の存在が感じられます。このことは決してことばの意味からくるのではなく身体の関わり合いからくるのだろうと思われます。この詩の殆どがそのように感じとり味わうことができると思います。そして最後に(春のなか 絵葉書は四辺から中央部に向かって焼け焦げていく)。
            

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