『二人日和』(野村恵一監督)を観る

タンゴのアストロリコ楽団の演奏を聴いた時に買っていた前売り券。あと少しで終わりそうなので慌てて出かけた。門奈紀夫率いるこの楽団が音楽を手がけていたのである。バンドネオンの懐かしく哀愁を帯びた音色がバックに流れる。
観客は補助席も出して満員だった。
入口に映画で使われた汗衫(かざみ)が展示されていた。二藍(藍と紅)で染めたという薄い紫の羽衣のようにうすい衣。これに象徴されるように雅びな美しさ、はかなく哀切に満ちた映画。
妻(藤村志保)が筋肉が急速に衰えていく難病にかかり死に至るまでの一年ほどを描いた年配夫婦のラブストーリーであるが、夫(栗塚旭)が神官の装束を全て引き受ける神祇装束司という伝統ある職の当主ということから、昔ながらの京の町屋の町並み、特に家の内部が日々の暮らしと共にうかがい知ることが出来て心がなごむ。またゆったりとした鴨川の流れとその向こうになだらかに広がる山並みを背景に、満開の桜から葵祭など平安時代からの行事もからませ、直面している死と対照的な生の美しさ輝きを描き出している。それゆえに突然といってもいい死と、駆け落ちをし心中未遂までしたらしい二人の愛の深さがいっそう浮き彫りになる。といってもすでに老年期に入って、日常の中に深く埋もれてしまっていたもの、しかしそれは京の町屋での四季折々の生活のひだにひっそりと組み込まれているものでもあった。それがこのとき吹きだしてくる。二人は若い頃ダンスホールで出会い、タンゴを踊ったのであった。
原作のタイトルは「天使は自転車に乗って」というのだそうだが、自転車に乗って通っている京大で遺伝子研究をしている若い研究員が登場する。趣味のマジックで子どもたちにも人気があるが、彼を妻の手の訓練のためにもと相手を頼むことから接点が出来る。マジックの鮮やかさとその若者の恋の行方も加わって、悲しみもその未来の希望に引き継がれていく感じがする。
長い年月を重ねた愛(藍)とこれから築かれていこうとする愛(紅)とあわせた二藍で染めたかざみ、それがこの映画の色彩であろう。
伝統に根ざした暮らしと美しさ、そこから飛び立っていく新しい息吹。京都が舞台であるからこそ生まれた映画であるような気がする。
しみじみと心に染み入る感動を与えるようなもの、またはマジックのように心に鮮やかな驚きを与えるもの、そんな詩が書けるといいなあ・・・。

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「ヒポカンパス詩画展」に行く

28日は最終日で「詩の朗読会」がある日。
この日は前から予定が入っていたので、行けないと最初思っていたのだけれど、このイベントに出ないのは寂しい気がしたので、先の方はキャンセルしてこちらの方に出てしまった。
こういうものは機会を逸すと二度とめぐり合えないと思ったからである。
でも出かけて本当に良かった。井上直さんの画も少し早く行ってじっくり見られたし、朗読もそれぞれに個性と味があり、ギターとヴァイオリンと古楽器の演奏も交えながらの楽しいものだった。
前の個展の時は行けなかったので直接拝見するのは初めてだが、今日の画はブルーを基調とした宇宙空間のような静謐さと浮遊感、それでありながら何か懐かしげな囲気のものが集められていて(というのは本質は変わらないのだろうが主題によって変化してきているというお話だったから)引き込まれた。
ヒポカンパスの世界とどこか通じるものがあるようだ。
静かな天空や風景やビルの上にいつも白い何かが飛んでいる。それが画に動きをもたらしているようだ。遊星、惑星でなくて恒星、相手との距離を常に一定に保ちながら、自ら発光する星。それは自己というそれぞれの星ではないだろうか。しかもそれは漂流している。まさに私はそんな孤独な星(それほどの輝きはないにしても)である。
ヒポカンパスの皆さん、ありがとうございました。

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残雪の六国見山。

まだこの辺りは雪がたくさん残っている。
屋根は今の時間ほとんど解けたが、朝はまだたっぷりあった。わが日当たりの悪い庭は、こういうとき雪の貯蔵庫になる。万両の赤い実だけが彩りである。
日が高くなった11時ごろ、六国見山に登る。雪もゆるみ始めたと思ったからである。靴も山靴とまではいかないがハイキングシューズにする。標高たった150メートルあまりだが、山は山である。
思ったとおりかなりの残雪。山道の雪はシャーベット状になっているので良かったが、下りの方はかなり滑りやすく、朝早くだとカチカチだっただろう。両側の僅かなブッシュにつかまったり、雪の積もった上などに足を置きながらゆっくりと下った。
雲ひとつない快晴。頂上には誰もいなかった。地平線はかすみがかかり、大島も富士を中心にした山並みもおぼろだ。鳥の姿もなく声も聞こえない。ただカラスだけが、声を上げている。遠くに飛行機の爆音、小さな銀色の飛影。しかし下ってきて住宅地に入ると、富士の姿がぼんやり薄い雲の中に現われてきた。丹沢の山並みも・・・。トンビが上空をゆっくり旋回している。
なんとのどかな昼の風景だろう。世間は年の初めから今年もまた騒々しくなり、きびしくなって来ているけれども・・・。

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大雪の朝

大雪になりました。横浜は10センチぐらいとテレビは報じていたが、ここはもう少したくさん降ったよう。
今朝になっても屋根は厚い雪の布団をかぶったまま、辺りはまだ雪景色でした。
昨日雪かきの音があちこちでして、私も少しだけ、郵便や新聞配達のための道路を雪かきした。ここは坂道なので、凍ると歩くのが大変。
鳥の水飲み場はもちろん固く凍っていた。餌をやってはいないので、まったく姿を見せないのは当然だが、鳥たちは雪の中ではどうしているのだろうと思う。氷を熱湯で解かし、お湯を入れて出しておいたのだがしばらくするとうっすらと氷のようなものが浮かび始めている。
雪晴れで、すがすがしい。雪は輝き、空気は冷たく澄んで、しかも寒さはとげとげしくなく柔らかく包みこんでくれる感じ。何よりも静かだ。なぜ?もちろん雪が騒音までも吸い取ったと思えるくらいだが、実際は車が通らないことにあるようだ。仕事のある車以外、近所の車も出られないでいる。
病院にいく日なので、足元に気をつけながら出かけた。早く出かけ、検査はない日なので意外に早く終わって、今帰ったところ。これから出かけなければならないのだけれど、ちょっと一言、訪れた雪への挨拶のつもりでこれを書きました。太陽に照らされ、だらしなく解けていく前に・・・。

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大雪、また仏教のこと。

朝起きると、辺りはしんと静まりかえって外はまだ暗い。カーテンを開けると、一面の雪景色だった。
予報どおりに雪になって、絶え間なく降り続いている。少しくらいの雪ならばと思っていたが、残念ながら出かける気持ちがなくなってしまった。駅まで歩いて20分、坂道のちょっとした峠も越えるので足元がおぼつかないからである。小森さんの「『坑夫』をよむ」の講座なのだが・・。その点受講する側は勝手で、気楽である。もしこれが仕事であればそういうわけにはいかないだろう。やはり仕事というのはつらいものだなあ。
そこで専ら雪見となった。予報では3,4センチぐらいの積雪のはずだが、朝の段階で6,7センチ、今はもう10センチ近くにもなってきた。夜まで降り続けるつもりかしら。
前回の「日本語で読むお経」のことから、仏教についてちょっと書いてみたくなった。
地球を救うのは仏教思想だと書いたが、そのことについてである。
イスラム教、キリスト教、仏教をそれぞれ「砂の文明・石の文明・泥の文明」から生まれでたものだと読み解いた人がいる(同名の新書で著者は松本健一)。確かに仏教はアジアのモンスーン地帯の泥沼、湿潤地帯で生まれ育った。インドにも中国にも砂漠はあるが、西側のそれとは違って湿っているという。
インドのカルカッタの名の由来は「葦の生える沼沢地」だそうである。太古の日本は「葦芽(アシカビ)の国」と呼ばれていた。
砂や石が無機質の、荒蕪な土地で、生命を生みださないものであるのに対して、泥、泥濘、土のどろどろは生命の源である。その風土から仏教は生まれた。
この世が石や砂であるのが基本の地において、生命体である人間が生きていくためには、この世以外の大きな力、神の存在が必要になるだろう。そして理想の国、天国は、この世から離れた遠いところ、天にあると考えるしかない。
しかし泥という混沌は、そのものが生命を生み出すものであり、そこから生まれでた命はまたその中に帰って行く。外からの力など必要とせず、そのものの中にその力がある。地獄もそこにあれば天国もそこにある。輪廻転生という思想が生まれるのもここからであろう。
今、宇宙の時代などといって、地球を汚し破壊した挙句、人類は別の星に移住をしてしまおうという考えもあるようだが、それは石や砂の思想から来たものであって、泥の世界からは生まれないのではあるまいか。
「日本語で読むお経」の中に、お経の本文からちょっと離れて、その神髄をやさしい言葉で詩のように表現した一節がある。それは水野さんがブログでも紹介していた「法華経方便品」の末尾で、これは詩人が自分の言葉で心を込めてその思想(諸法実相)をやさしく表現しようとした部分であろうと、私も心を打たれた。そこでたとえとして「野の花」が出てくる。
その野の花々も秋になれば枯れ、冬にはなくなってしまって、いったんは消えたように見える。しかし天の法雨と光を受けて、大地からまた蘇って花を咲かせるといい、宇宙の因縁の中で滅びることはないという。
聖書にも、「野の百合」として有名な箇所があるが、「労せず」「紡がず」育つのは神の恩恵であり、神の大いなる力であり、だから神を信じなさいという。そして求めなければそれは与えられない。信じ求め続けなければならない。一種のロマンチシズムに通じるところがある。
だが仏教では野の花も無であり、空であるが、それ自体が野の花という生命を、色を生む。それは現実であり、それをそのまま肯定する。しかしそれを無であり空であると「観じ」なければならない。何という徹底したリアリズムであろうかと、私は思う。
砂や石というきびしい現実であるゆえに、その現実を否定し、より美しい世界を高みに求めようとするロマンチシズムではすでに救えなくなっている地球、まだまだ豊かな生命力を持つ地球の現実を観じ、直視する仏教のリアリズムが、これから必要になっていくのではあるまいか・・と。だんだん堅苦しくなり、自分でも収拾がつかなくなりそうなので、この独断と偏見の感想文はそろそろ終わりにします。

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仏典詩抄『日本語で読むお経』八木幹夫・訳 を読む

八木さんからこの新刊の本を送っていただいた。
「経典の中でも比較的多くの人々に読誦されてきたお経を選んで」「現代語に置きかえる作業をした」とあるように、名前だけは聞いたことがあるようなお経14巻ほどが、原文と共に現代語訳をされ、とても読みやすく、しっかりした装丁ながらハンディな本として仕上げられています。
私は「般若心経」だけは諳んじることが出来ます。そしてその内容を解説した本も実は持っているのですが、それを読んでもなかなかその意味がすんなりとは入ってこないので、あまり意味など考えないでただ諳んじていただけだったのです。
ところがこれを手に取り、その部分を読み始めると、ページの上下に現代語訳と経文を並列されているために、大変読みやすく、またその訳もやさしく的確で、とても気持ちよく心に染みこんでくるようでした。そのためたちまち全てを、読み進めていくということになったのでした。
名前は知っていてもどういうお経かというのは、これまで知りませんでしたが、これを読んでいくうちに、なるほどと少しは判るような気がしてきたくらいです。こんなことを言ってはいけないわけで、その有難さが判るなどとでも言わなければならないのでしょうが、そういう信心の心は私にはないのでした。
しかし今、仏教は大いに見直されなければならないのではと思っています。
というより宗教のようなものが必要な時だと思うのですが、その中でも梅原猛氏なども言うように、仏教こそが地球を救う宗教になりえると私も思うのです。
キリスト教も感嘆すべきものではありますが、そしてこれまでの人類の発展、特に科学の発展などにもつながるものとしての素晴らしさを持っていましたが(これは同根であるイスラムも同様)、これからは仏教の思想こそが、必要になって来るのではないかと思うのです。
そんな意味からでも、このようにお経を詩人がやさしい言葉で開いて見せてくれたことは、とても意義あることだと思います。
解説部分も最小限度で、できるだけ小さく記されており、肝心のお経本体がしっかりと前面に出ていることも好ましく。しっかりして軽くて小ぶりでもあるので、これを座右において、口語訳を目の端でとらえながら、般若心経はもちろん他のお経も、時には読誦しようと思っています。
八木さんへのお礼もこめ、仏陀のメッセージが人々に伝えられるためにもこれが多くの人に読まれるといいなあ・・と私も期待しています。

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今年最初の台峯歩き

昨夜、久しぶりの雨で、しかも雷も伴った激しい雨だったが、今朝は気持ちよく晴れ上がって、気温も3月下旬の暖かさという。
「台峯を歩く」日だったので、出かけて参加する。
花や紅葉があるわけではないが、湿った落ち葉や枯れ草を踏んで、すがすがしく裸木になって空にそびえる林を歩くのは気持ちがいい。
やはり少しずつ様子が変わっている。開発工事が行われていた第二の田んぼ付近、先月は何とか金網を潜り抜けて突破したのだが、今度は通り抜けられないようにもっと頑丈に棘の針金が巻きつけられているという。一人二人なら無理すれば通り抜けられそうだが、集団だと目立つし何かと非難されるだろうということになって、車道の長い迂回路をたどる。
今年は鳥の姿、特に冬にわたってくる鳥が少ないとの事。しかしカシラダカが見られた。そのほか高い梢で群れているエナガ、コゲラ、シジュウカラ、メジロなど、昨日の雨で餌が取れなかったので、一斉に出てきたらしい。しかしそうだと言われるだけで、私の双眼鏡では彼らがなかなか識別できるものではない。
高いところを飛んでいるのはヒメアマツバメだと教えられる。カワラヒワは私の庭でおなじみだ。コジュケイの声が聞こえた。木々が葉を落としたこの時期のほうが鳥の姿を見るのには適しているようだ。
今年がこの台峯の存続についての正念場だ、という。
今朝の新聞に「緑より防犯を/変わる公園」として、各地の公園で樹木の伐採や間引きが行われていると報じられていた。樹木がほとんどなくなり殺伐とした公園の写真が載せられていた。確かに異常な犯罪が次から次に起こるこの頃、防犯は必要だろう。しかし安全でありさえすればいい、という考え方もおかしいのではないだろうか。
安全から言えば、この湿地帯の谷はかなり危険なところだろう。だから今でも、ここに足を踏み入れる時は谷に向かってお辞儀をし、入らせてもらいますと声を出して言うしきたりだと案内者に教えられた。
そういうことで気を引き締めなければ怪我をすることがあるからだという。
危険といっても足を滑らせそうなところが少しあるくらいだが、その傾斜の細い道を、蔓やブッシュや木の枝につかまりながら下りていくのもまた面白いわけで、それを人工のコンクリートのしっかりした、しかし単調な階段になってしまったとしたらまったく趣のないものになってしまうだろう。そんな小さなこと一つとっても、これをどのように残すかは、行政のセンスにかかっている。それに反映させる住民の意見、センスにもかかっている。しかし世の中は時として大きな声の方に靡いていくから、皆も声を出してくださいといわれるが、それはしんどいことだなあと思う。
今日の素晴らしい収穫を一つ。
それは谷底を歩いていた時、ムラサキシジミ蝶に出会ったことである。蝶は普通羽を閉じて止まるが、そしてまさにシジミほどの小さいこの蝶も初め教えられてみた時はそうだったが、ひとたび飛び立ってまた崖に止まった時、羽を広げその青紫の美しい色をしっかり見せてくれた。そっと出来るだけ静かに脇を通り過ぎる一行が皆見届けるまで、あたかも見て、見て・・・といわぬばかりにじっとしていたのである。
この蝶は,冬越しをするという。それで日の当たるところに出て、日向ぼっこをしていたのである。

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T温泉行き(4)

T温泉から春に向けての案内状が届いたのを見て、大雪も何とか凌いでいるにちがいないと安心する。
これは絶えずラッセル車が動いていて、道路が確保されているからだが、明日からは急に気温が上がるらしいから、今度はなだれの方が心配だろうなあ・・・。
この項目も今回で一応終わりにしたいので、最後に一緒に行く人たちについて簡単に触れておこう。
*参加してきた人々。
この温泉はたまたまある時、亡くなった人と私が訪れ、静かな山間で湯も気に入ったことから、その年の大晦日と正月を過ごしてはどうかと、若い友人のカップルに声をかけたことから始まる。それに彼らの友人2人も加わった6人で、先ず訪れたのが1983年(昭和58)であった。
それがなぜか延々と続いた。次の年は11名。のち大体7,8名から10人で、多い時で14人、もっとも多かった時は20人にもなったことがあり、今振り返ってみても、よくあんなことが出来たものだと思う。まさにこれは合宿状態ではないか!
こういう人数の融通無碍が出来たのは、ある特殊な事情があったからである。
最初の年、訪れてみるとどうしても部屋の都合がつかず、中広間で一緒にどうかと言われてそこに入った。立派な36畳敷きの広間で空調も完備(古い温泉ゆえ木造の建物もある)、しかも渓流に面した大きな窓もあり雪見には最高である。値段も初め頼んだ通りなので、安い。なんといっても広いのでゆったりとして、それに客室群からは離れた位置にあるので離れにいる感じ。これに味を占めて、次の年は、最初からその中広間を所望すると、OKと言うことで、それからその中広間(昔の大広間はつぶされて日帰り客の温泉客の食事と休憩所に改装され、今ではここがただ一つの広間となった)の常連となったのであった。これが今まで続いたのも、長湯できる温泉のおかげとスキー場が近いこともあるが、特に何か共通したり統制したりするものを持とうとはせず、それぞれが勝手に自由に時間を過ごせるからだろう。
最初からずっと続いている常連もいるが後から常連になった人、ときどき来る人、また一回限りの人もある。20人になった時は、常連のカップルの行きつけの酒場のマスターの一家と従業員までが参加した時で、お客としては到底飲めない高級ワインをt沢山持ち込んでくれて、大変な口法楽した。
子どもを連れての人もあり、その子どもが妙齢の娘さん、大学を出て就職した青年になったりして参加したりもする。去年一緒だった若い女性は、今年は上海に派遣されているとかで不参加、代わりに今年は社会人一年生の青年が参加した。この間まで無口でシャイな学生だった彼が、今年は何かにつけて弁舌たくましく意見を述べるほど、急に大人っぽく成長したのに驚かされたりして、毎年変わり栄えしない大人たちの中で子どもたちの姿にこの温泉行きの時間の推移を見る思いがし、また年一度の集まりでも何かふるさとの家に集まったような擬似家族的な雰囲気まで味わえて嬉しい気持ちになるのも、こちらが年を重ねたせいだろうと、苦笑したりもしている。

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T温泉行き(3)

*T温泉について。
和紙の灯篭に導かれながら長い廊下を谷底まで下りたところに、民芸調に趣を凝らした脱衣所と岩風呂風にしつらえた湯場がある。最初の頃、ここは男女混浴の変哲もないタイル張りの浴場で、タオルケットを巻いてでなければ入れなかった。だから私たちは元湯を敬遠して、それを沸かした旅館内の内湯のほうにばかり入っていた。その後大きな温泉センターが出来たりしてこの場所は使われなくなっていたが、今では温泉場らしい新しい趣に作り変えられ、一番新しいものに生まれ変わっている。
窓からは太くて長い氷柱の列と、窓までせりあがっている雪が見える。湯気でぼんやりした壁に入浴者の心得が掲げられていて、その最後に宿主でも主人でもなく「湯守」とある。
世の中や政策に翻弄されながらも、それらに精一杯対応しながらここの人たちはこの湯を守ってきたのだなあ、と湯に漬かりながら思った。
透明なラジウム温泉であるここの湯は、ぬる湯で、長く入っていられることに特徴がある。一時間ぐらいはざらで2時間以上も大丈夫。少しからだが冷えてくるようだったら熱い方の湯船で身体を温め又入れば、何時間でも可能なのである。去年は本を持って入ってきた若い女性がいたが、今年は湯に漬かってもいい本を読んでいた娘さんがいたので聞いてみると、宿屋で貸してくれたのだという。鴎外の「阿部一族」であった。
長く入っていると、毛穴から空気の粒が出てくる。日が経つにつれて出方も盛んになり、撫ぜるとブツブツと気持ちが悪いくらいで、その気泡がサイダーのように立ち上ってくる。それが面白く、また温泉の効果が出てきたような気がして嬉しい。
ところがこの作用がほとんど見られなくなってしまった一時期があった。
即ちそれはバブル期で、その時村が、そしてこの宿がそれに巻き込まれたようだった。
国民保養地の指定を受けたとかで、別棟に温泉センターが出来たのは行き始めて3年ほど経った頃だった。クワハウスの名の下に全身浴、泡沫湯、寝湯その他の浴槽を備えた広いものになった。これで女性もタオルケットを巻かないでぬる湯の恩恵を受けることになったのは良かったが、更にその後急にその温泉センターが目を見張るほど立派な二階建ての建物に建て替えられた。広いエントランス、会議場、トレーニングセンターなど。そして浴場にはエレベーターを使うという有様であった。その頃から、ももともとぬるい湯がいっそう冷たくなり、いくら入っても泡が生じてこない。とろっとした感じもなく、誰もが薄まったと口にした。
去年訪れた時、その温泉センターは、宴会場と一階にある湯場だけを残しすべてが閉鎖されていた。そしてこの古くからある元湯が復活したのである。湯に漬かりながら耳にした話(去年)によれば、やはり陣頭指揮した村長の失策であったという。結局自分の会社をつぶしで一家離散の憂き目に遭ったったとか・・・。
気泡ならぬバブルがはじけ、今風に少し姿を変えながらも、やっと元来の姿に落ちついたのである。
正月2日には、餅つきのサービスがある。玄関先に臼をすえ、杵で餅をつく。ほとんど水を使わず短時間のうちにつきあげる餅は美味しく、餡子と黄粉と醤油で振舞われる。お神酒と漬物までついてただである。しかし今年は都合により休みとなった。初めてのことである。いつも杵を取って、腰つきも見事な年配の男衆が入院したらしい。鷹揚なこの振る舞いも、もう復活することはないだろうと、私には思われた。

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更に、鳥の水飲み場の氷

今朝の冷え込みも厳しかった。この辺りは、聞くところによると同じ市内でも山辺にあるので寒いそうだ。水飲み場の鉢(直径15センチほど)はほとんど底まで凍って、握り拳二つほどの石でたたいても割れそうになく、器の方が壊れそうなので、お湯で氷を解かすことにする。皿(直径22〜3センチ)の方はお湯を入れると、氷の輪っかが取れてきた。
それにお湯を入れて出すことにする。
しばらくして見ると、あたり一面水が飛び散っている。またその後次々にメジロやシジュウカラ、雀までがやってきて、先ず水を飲み、それから盛んに水浴びをしていく姿が見られるようになった。押し合い、時には喧嘩したり・・きっと水場の多くがまだ凍っているのだろう。
日本海側の方もまだ雪が続いているようだ。T温泉は、去年の中越地震のときもひどくはなかったというが被害を受け、その修理のために営業を一時中止した。一昨年のT温泉行きは、新幹線の再開も危ぶまれたが、旅館自体もどうだろうと問い合わせたのであった。それに加えてのこの豪雪である。
元日のたった一日の晴天が、今では奇跡のように感じられる。
今旅館はどんな具合だろうか。お見舞状を出そうと思っている。

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