『夢の痂(かさぶた)』を観る

井上ひさしの「東京裁判三部作」シリーズの3作目とのこと(演出:栗山民也)だが、戦争責任を考える上で、「日本語」自体に焦点が当てられているらしいことを新聞の劇評で知り観に行こうと思った。
ところがまだ中(なか)日にもなっていないのに全日程満席と言う。当日売りかキャンセルしかない。井上ひさしの劇は評判が高いことは知っていたが、やはり新聞に紹介されたからであろう。民芸の場合でも、そんなときだけは補助椅子が出たりする。どちらかと言えば真面目で真摯な民芸に対して、コメディー仕立てで面白おかしく物の本質に迫ろうとする井上劇は前に『円生と志ん生』を観たが面白かった。
何とかして見たいものだ、せめて台本だけでも読みたいと思ったが(よく文芸誌にそれが掲載される)、まだ出ていないようだった。ここで言ってしまいますが、実は『すばる』8月号に載ったばかりで、それが劇場で販売されていました。こんなことを言っているのですからもちろん私は切符を手に入れたわけです。キャンセルを狙い、まだ日にちはあることだから毎日でも電話をしようと思っていたのですが、運良く二日目に取れました。初台にあると言う新国立劇場は初めてでした。
当日は出かける日が続き疲れていたこともあって、最初は少しうとうとしてしまったところもありましたが、だんだん面白くなり目もぱっちりしてきて引き込まれ、笑ったりもしながら最後では大きな拍手を送りました。
井上氏は言葉へのこだわりがあって、そこに私も興味が引かれます。この作も「東京裁判」の一環として、「戦争責任をあいまいにしてきた庶民の心性そのもの」(新聞評)を、底から見つめようとするものですが、それは日本語という言葉に拠るところが大きいと言う点に、大いに興味がありました。この問題は言葉に関わるものとして常々考えていることですが、問題は大きく、ここで論じるわけには行きませんが、劇の中で言われていることを簡単に言うと、日本語には主語がない、主語「が」が省かれることが多く、状況「は」によって物事が決まる、だから「が」の責任は問われることなく、「は」の状況によってクルクル変わることができる・・・。そして「は」という状況の中に、主語の「が」を捨てて隠れることができる といった(言語学や文法的な硬い内容の)ことを、敗戦後人間宣言をした天皇の地方巡幸という舞台設定で劇に仕上げているのはなかなかのものです。それをビジュアル化したものが屏風という発想も面白く、元大本営参謀で自殺を試みるが命をとりとめ、今は古美術商をしている男(角野卓造)が商う古い屏風の数々です。天皇はもちろん金屏風で、ご巡幸のリハーサルをするという筋書きの中で、天皇の責任についても追求されているのですが、これは新聞には取り上げられないでしょう。
状況というのは、場です。
  「金屏風でおごそかな場、簾屏風でくつろぎの場、枕屏風でやすらかな眠りの場、・・・・・・私たち日 本人は、屏風を使って、一つの座敷をいろんな場に変えるんだよ。昔立っていたのは天子さまの屏風、今立っているのはマッカーサー屏風、だからそこは民主主義の国、自由自在なんだ。」と。
 もちろん劇はそういう論理的なものだけでなく、時代風俗や色恋沙汰もまじえつつ歌と台詞で楽しませられますが、最後はどんなことがあっても続いていく庶民の日常の大切さ、それに希望を託しつつ(「日常生活のたのしみのブルース」)最後にこう歌わせて幕を閉じます。
    「この人たちの
     これから先が
     しあわせかどうか
     それは主語を探して隠れるか
     自分が主語か
     それ次第
     自分が主語か
     主語が自分か
     それがすべて」

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蛍が飛んだ!

9日(土)は、「台峯を歩く会」の今年二回目の蛍を見る会でした。これまで一度も参加したことがなかったので、今年こそはと思っていたのでした。雨天の場合は中止。でもこの日は梅雨雲に覆われてはいましたが、雨は時々ぱらつく程度、決行ということになりました。
いつもの出口に当たるところに6時集合。そこから谷戸に入り、蛍の発生しそうな水辺をゆっくり散策しながら眺めようというもの。6月下旬の前回はやはり雨もよい、蛍はまあまあだったという。
一昨年はたくさん出たが昨年は少なかったそうだ。参加者は子どもも入れて17,8人ぐらい、20人以内に抑えている。
皆が集まるのを待つ間、ホトトギスが鳴き、暮れはじめてくるとヒグラシが鳴きだした。
ああ! 今年初めて聞く声! と私は思い、誰もがそうだと頷く。家の近くではもう少し遅く、梅雨明けの頃である。この声を夕暮れに聞くと、ああ いよいよ本格的な夏だなあと思い、なぜか心の底に寂しさがにじんでくる。
6時半、いよいよ谷戸に入ろうという頃からポツポツ雨が降り始めた。しかし木立の間なので傘をさす必要はない。ただ雨だと蛍は飛ばないだろうと恐れるのであった。水辺に半化粧の花が咲き、葉も白く夜目にも浮き上がっている。この花がこれだけになるのにも10年かかった、と案内者のKさんが言った。今年は一体に花の時期が遅れ、これもそうだというが、見られた私たちには運がよかったことになる。
前回よく飛んだという最初の水辺、それから又歩いて次の水辺。ここでせっかく来たのだから少しお勉強しましょうと言われ、先ず、3つの注意、(1)蛍を抓まない事。(2)蛍に懐中電灯の光を当てない事。(3)煙草を吸わない事。次に、その生態について簡単に教えられる。
ここの蛍は、正真正銘ここ生まれの、ここ育ちである。養殖したり、他所から幼虫や蛹などを連れてきたりしたものではないということ。だからそれだけ自然環境に微妙に左右されるのである。
光る蛍が見られるというのは、繁殖期ということだが、ここで交尾した蛍が卵を産むのは、水辺の枯れ木などの生えたミズゴケだという。だからそういう類のものが水中になければならない。それらが見苦しいからと取り払ったりすると(役所や管理会社に任せると、ともするとそんな考えをする)産卵場所を失うことになります。さて孵化した幼虫はずっとこのジュクジュクした湿地で暮らします。それから岸辺の柔らかい土に潜り込んで蛹になるのだという。固い土では潜り込めない。だから多くの人で土手が踏み固められたり、木道を作ったり、コンクリートで補強されたりすると全滅である。今私たちも、きっと何匹かの蛹を踏み潰しているでしょうとKさんは言う。それが羽化して、今日のこのときを迎えるのである。
7時になった。もう一つ奥のポイントがあるが、今日はここで待って見ましょうと、亭々とそびえるハンノキが立ち並ぶ開けたところに私たちは佇んで待っていた。雨は降っているが、広がる木々の枝が大きな傘となってあまり感じられない。雨宿りする感じである。何かが飛び込む水の音。ウシガエルの声も聞こえてきた。そのとき、ア、光った!と誰かが叫んだ。どこどこ?と言っている内に、私にも見えてきた。はじめはほんのチラホラと、水滴がキラリと光るような小さな煌きが闇の中に見えた。それからあちこちで光り始め、最初は少しも飛ばないようだったが、次第にそれらが飛び始め、だんだん高く低く、こちらに向かっても飛んでくるようになって、あたかも暗黒の舞台上での蛍の舞踏を眺めている感じになりながら静かに興奮した。
今ここにいるのはヘイケボタルとのこと。ゲンジボタルの方が少し時期が早い。光はゲンジの方が強く、ヘイケは弱い。しかしこの日、ゲンジと思われるものも何頭(ホタルは匹ではなく、頭で数える)かいた。やはり少し季節は遅れているのだそうだ。だが私たちは両方が見られて、幸運である。
大体一時間ぐらいで光の饗宴は終わるという。30分ほどそこにいて私たちは又歩き出した。最初の水辺に来た時、幼い女の子が蛍を捕まえたという。柔らかい掌に飛び込んだらしい。その柔らかい掌で飛び立ちもせず光っている。では、ちょっと我慢してもらってと、Kさんが懐中電灯をそっと当てて皆に姿を見せてくれた。平たい西瓜の種を少しふくらませた位の大きさと色。ヘイケはゲンジの3分の2の体長。
それから私たちは各自蛍のように光で足元を照らしながら列を作って入口にまで引き返した。行く手に見える民家の灯火が、くぐもった中にぼんやりと幻想的に浮かび上がってくる。まるで別天地に行ったようなひと時であった。命の神秘とその美に感謝しつつ、来年もまた蛍と出会えますように、互いの出会いもまた期待しながら8時半過ぎに解散する。雨は上がっていた。
 

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民芸『エイミーズ・ビュー』を観る

もう一週間近くたってしまったが、紀伊国屋サザンシアターでこれを観た。
題は日本語にすると「エイミーの考え」と言うことで、エイミーが子どもの頃、自分で印刷して近所に売り歩いていた新聞のことである。そんなしっかりした考えのエイミー(河野しずか)と彼女が尊敬してやまない舞台女優の母親、エズミ(奈良岡朋子)の母と娘の物語である。と同時にエイミーの夫となり、後にTVで代表されるマスコミの世界で成功していくドミニック(境賢一)との芸術上の対立のドラマでもある。
父子と違って、母娘には絶ち切れぬ関係が最後まで続き、愛が深ければ深いほどその愛憎は深くなる。一方、舞台芸術に固執しTVを軽蔑する母親と、その世界で成功の道をひた走る夫との間に立って、それを何とか和解させようとするエイミー、その信念は「愛」であるが、バブル期を経て16年間に夫婦の間は破綻し、エイミーの自死ではないが突然の死という結末に至る。
奈良岡朋子は、舞台で自分の職業の女優の役は初めてだそうだが、この役は経歴はもちろん現在の状況に通じるところがあり、水を得た魚のように思い切り演じているようだ。
TV、マスコミの発展の中で、果たして演劇は死に瀕しているのか・・・?
そこで、パンフレッドの中にある作家恩田陸さんの文章に共感を覚えたので、それを紹介することで結びとします。
 「この作品は、1997年のものだが(イギリス=筆者注)、現在のヘア(作者)はどう思っているのだろうか。21世紀を迎えた今・・・まさにテレビもマスコミも死につつあるこの状況を?  「死んだ」と断定したがるのは、常に男たちである。特に現代のきな臭く不安に満ちた世界では、男たちは世界を終わらせたくて仕方ないように思える。しかし、女たちが芝居を演じる限り、誰も死なないし、演劇も死なない。先ずは、女は産んで育てるところから始めるからだ。—そもそも苦労して自分が産んだものを、おいそれとは殺せないし、死なせない。もしかすると、「母と娘たち」の時代(=いまや息子に多く期待せず、むしろ誰もが娘を頼る時代になったと言うこと)は、終わりたがっている世界が意識下でSOSを求めている時代かもしれない。」

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「ヨコハマメリー」を観る

まだ横浜で上映している、良かったですよ、と水野さんに教えられて見に行った。
一時は行列ができるほどの混雑だったようだが、館も変わり平日なのでゆったり観られた。
横浜の街に戦後から最近までずっと一人で立ち続けた米軍相手の娼婦の半生の物語で、戦後の街の映像やインタビューなどで構成したドキュメンタリー。
顔を真っ白に塗り、白いドレスを着ていたことから、人々から奇異の目で見られ、注目されていた。私は見かけたことはなかった。しかし関心はあって、新聞記事を切り取ったこともあり、それはこの映画の前に女優の五大路子さんが、彼女をモデルにした一人芝居「横浜ローザ」を公演していた頃の話で、メリーさんを知る人を訪ねてインタビューをするTVのドキュメンタリー番組の紹介であった(98.8,9)。もちろんこの話も映画には取り入れられている。その当時も、すでに街からは離れ、老人ホームで暮らしているとのことであったが、今度の映画では、そのホームまでカメラは追いかけており、と言うより彼女に親友のように接し交流もしたシャンソン歌手の永登元次郎さんが訪ねるという結末があり、それが或る感動をもたらす。
五大さんのお芝居のフィナーレで、感動した観客は「五大さーん!」でなく、「メリーさーん!」と言って触ろうとするのだと、五大さんが熱っぽく喋っていたのも印象的だった。それは新聞のリードに「『ハマのメリーさん』軸に横浜の戦後裏面史たどる」とあったように、その背景には横浜の戦後の庶民史と復興によって変わっていく街の姿かあり、それへの人々の愛惜と共感があるからであろう。
私は見かけたことがないが、ハマっ子の徳弘康代さんはよく見かけたらしく、「ペッパーランド」の今号にそのことを取り入れた詩を書いている(メリーさんその人をではなく、一つの点景としてである)。
             しあわせおばあさん
       
          −略ー
        むかしこの街に
        まっ白く化粧した白いドレスの
        しあわせおばあさんがいた
        メリーさんと呼ぶ人や
        シンデレラおばあさんと
        呼ぶ人がいた
        街角にすっと立っていて
        ほとんど動かなかった
        もうシンデレラおばあさんは
        いないけれど
        高島屋あたりに立っていたことを
        覚えている人は少なくない
        あのおばあさん
        どうやって暮らしていたんだろう
         -略ー
その立ち姿には、不幸だとか惨めだとか哀れなどという言葉をはね返すほどの毅然としたものがあったのである。横浜という地は、大空襲にさらされ、敗戦になったときは厚木基地に降り立ったマッカーサーが宿泊したのが横浜のホテル、それに象徴されるようにその後米軍の町になっていく。いわば戦後の日本を象徴する町の一つ、そこで娼婦とはいえ一人、気位高く生き続けた生涯であった。
どうやって暮らしたかも映画を見るとすこしは分り、又どこで寝泊りしたかも分ります。
戦後という混乱期の舞台で十分に自分の役を演じきったメリーさんが、実は故郷に帰ったということも初めて知った。その引退先の老人ホームで、真っ白い仮面を脱いだその素顔の美しさには感動すら覚えた。
元次郎さんの歌う「マイウエイ」、まさにメリーさんの生涯そのものを歌ったようなその歌詞(それは元次郎さん自身にも重なる)に頷きながら聞き入るその顔は、周りのお年寄りたちの中でも際立っており、輝きを帯びているようにさえ感じられたのである。
まさに「しあわせおばあさん」の顔であった。

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ホトトギスとウグイスとムクドリ

先日26日のTVの『毎日モーツアルト』で、モーツアルトがムクドリを飼っていたことを知った。父の反対を押し切って結婚した後、その許しを得たいと初めて新婦コンスタンツエを連れて里帰りをしたその留守中、長男を無くして悲嘆にくれるが、その悲しみを癒そうとして飼いはじめたらしい。ところが嬉しいことにコンスタンツエが2度目の妊娠をしていることを知り、その喜びの気持ちを表現したのが「ピアノ協奏曲 第17番 ト長調」であると言う。それは生命感のあふれる曲となり、3楽章のはじめにムクドリの囀りを表した部分があるというので、興味津々で聴き入った。
確かに鳥の鳴き声を模した、弾むような旋律がある。しかし日本のムクドリはそんな鳴き声なのかなあと、思うのだった。実を言えば、差別するようだが姿も色もあまり綺麗ではなく、ムクムク ボサボサした印象で、鳴き声だってしゃがれていたような気がする。どなたかご存知だったら教えてください。だからムクドリを飼いたいと言う気にはならないのである。モーツアルトも綺麗な鳥というふうには言っていないようで、おどけたお喋り、時にはふざけたいたずら者・・・憎めないやつ、いとしの道化、などというのだからやはりあまり綺麗ではなかったのだろう。しかし曲で表現された囀りの旋律は活き活きとして心が明るくなる。それは鳥の声そのものではなく彼のピアノの作曲に拠るものなのだろうか。
ところで今この辺りではしきりにホトトギスが鳴いている。昔から夏を代表する典型的な鳥で、その鳴き声も特徴のある馴染みのものだが、なぜか今年はその鳴き声が目立つような気がする。ウグイスもこの辺ではずっと夏まで鳴き続けるのだが、反対にその声があまりしない感じなのである。なぜだろうとふっと思う。ホトトギスはウグイスに託卵する。とすると、もしかしてウグイスの卵の方が少なくなってホトトギスのほうが増えすぎたのでは・・・など、要らぬ心配をしたりする。

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『坂本繁二郎展』を見る

昨日用事もあって出かけたが、そのついでにブリヂストン美術館に行く。
坂本繁二郎は生まれが久留米、そして後年もその近郊(八女)に住んで制作活動をしたのでブリジストン(石橋家)とは深い関係があり、これは美術館開館50周年を記念して開かれたものである。そんなこともあってその生涯(89歳で没)が一望できるようになっていて見ごたえがあった。
私も久留米に子どもの頃住んでいたことがあるので、ちょっとした縁も感じた。八女はお茶の産地である。
TVでの紹介で見たいと思ったのは、日本の洋画の創成期に活躍、パリへも留学しながら青木繁、梅原龍三郎、佐伯祐三といった人たちのように日本の風土を超え、強烈で新鮮な色彩感覚で独特な画風を造ったのとは違って、それらを取り込みながらも日本の風景や馬や牛や人物を、模索しながら日本画や版画の技法にも近づくような形で独自の世界を造っていったような人であることに魅かれるところがあった。名前は知っていたがこれまでしみじみと見たことはなかった。
全体的に油絵でありながら、どこかパステル画を思わせるような色彩、マチエールである。一見単調で淡く地味な色調でありながら、じっと見ていると深い質感があり、確かな存在感がある。東京やパリにいた時期には人物画も多いが、八女に居を構えてからは風景や牛や馬、特に後年はさまざまな馬の画がある。馬の躍動する姿、親仔の情愛をも感じさせる姿、そしてその毛並みにすらまじる独特のエメラルドグリーン。そしてそれは馬自身を描くと共に、その肌につやを与える陽の光や風をも感じさせる印象派的な画風をも思わせられるのである。
高年になると能面や静物画が多くなり、晩年は月(それも満月)を書くことが多く、雲と月、馬と月などの取り合わせなど、風景と言うより一種の幽玄の世界、抽象画、心境画的なものへとたどり着く。
詩人との付き合いもあり、前田夕暮、蒲原有明、三木露風、丸山薫などの詩集の装丁や挿画も手がけているので、どこかそのポエジーに近いものもある。
西洋画に迫る油絵と言うより、西洋画をとりこみ日本的な油絵を創出したと解説にあったが、まさにそういう感じがした画群であった。
はっきりしない曇天で小雨も降り始めていたけれど、会場の中に漂う梅雨の晴れ間のような気持ちの良い空気を味わい外に出ると、雨は止んでいた。こういう日本特有の季節にむしろぴったりの画家かもしれないと思いながら会場を後にする。

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オペラ『魔笛』を観る

今年はモーツアルト生誕250周年、色々特集が組まれていて、わたしもこれが機会とばかり、かなりモーツアルトにはまっている。これもその記念特別企画ということで、近くに『魔笛』がやってきたので観に行った。
恥かしながらオペラを実際に観るのははじめてである。TVやFMで聞くことがあっても劇場に出かけたことがない。それで、ちょっとワクワクした感じだった。しかも私のような者にも馴染みのある『魔笛』で、2幕全曲である。出かけるときは梅雨空ながら薄日の射すお天気だったが、帰りには雨となった。じめじめした日本とは対照的なヨーロッパ文化の粋を思わせる、豪華な異次元体験を味わった思いで雨の中を帰ってきた。耳の中にはパパゲーノの笛の音、夜の女王のアリア、パ・パ・パの二重唱などがいつまでも鳴っているような気がした。
演じるのは「プラハ室内歌劇場」(プラハ国立歌劇場、プラハ・ナショナル・シアター、チェコ・フイルのトップソリスが集結とある)という。
ライヴというのはやはり映像とは違う。しかも初めてなので何もかも新鮮で、楽しみながらも色々考えてしまったが、それを少しばかり書いておくことにする。なんといっても初心者、滑稽な感想もあるかと思うけれどそれも許していただくことにしよう。
舞台には歌舞伎などとはまた違った重たい深紅の緞帳が下がっている。その前がオーケストラのボックスである。それはちゃんと分っていたのだが、いつもは舞台の上で見るオケが、狭い穴のようなところに入っているのは気の毒な感じもする。その中は、私は3階席であったので覗ける(オペラグラスというより双眼鏡を持って行っていた)が、1階の最前列は前の仕切りの壁が立ちふさがっていて、面白くないなあと思ってしまった。
しかし考えてみれば歌舞伎の場合も同じことで、長唄連が舞台の奥にずらりと並ぶ場合もあるが、多くは舞台の袖の御簾の中にいて演奏している。やはりどちらも音楽と劇とが合体した総合芸術なのだなあと当たり前のことだが思った。音楽だけを聴いているとそのことを余り考えていなかったのである。
序曲が終わるまで、深紅の緞帳に大きくハート型のライトが当たったままで、幕は開かない。どんな舞台が出てくるだろう、どんな劇が展開するのだろうと、その間に期待が高まってくる。そんな気持ちを高めるように、またその内容をも何となく予感させるように、序曲は作られているのだということが実感できる。確かにだんだん心が高まってくるのが感じられる。それが終わると、サッと幕が開くのである。
王子タミーノが、怪物に追われて夜の女王の棲む森の中に逃げ込み女王の3人の侍女たちに救われる場面から始まるが、夜の森にすむ者たちの豪華というかおどろおどろしい衣装は、歌舞伎の誇張されて派手なデザインの衣装とも通じる感じがしたし、どんな場面も観客をあきさせない趣向が凝らされていることも、舞台芸術のあり方の共通性を見る思いがした。大ホールは隅々まで満員で、拍手もなかなか鳴り止まなかった。
オペラそのものや演出についてあれこれ言う能力はまったく持っていないが、とにかく面白く素晴らしく、モーツアルトのオペラの中でも内容面でも構成面でも完成度の高いものではないだろうか、と直感的に思った。
パパゲーノたちカップルを登場させたことが、いかにも天才モーツアルトの軽々と天空を行く才能を感じさせる。それは重々しいイシス、オリシスの神を讃える清らかな正義の世界の中に、人間味あふれる軽やかな風を吹き込み、主題である愛を身近なものにさせてくれるからである。
歌舞伎を比較に出したのでついでに、これも独断と偏見で物をいうと、そこに見られる主題の違いということも考えさせられた。ここでの大きな主題は愛だろうと思うのだが、そこには必ず神の存在がある。これに限らず西欧のオペラには、人間の情欲を含めた愛、究極の愛、神との愛など、愛が問題になることが多いと思うのだが、そしてそれは日本の歌舞伎や人形浄瑠璃なども同様だが、日本の場合は義理と人情と言われるように、主君や親への忠孝といった義理と、人間の自然な心である情愛であり、地上的・横軸的な関係であるのに対し、あちらは天上的・垂直的、なんとなく東西の違いがあるような気がする。
こんなことをくどくどと考えさせられたオペラ初体験。それを祝し帰ってから、ビールで乾杯した。
蛇足一つ。これはまったく初歩的なことで、笑われるかもしれないが、劇が始まると舞台の両袖に字幕が出て、台詞や歌の和訳が電光掲示されたことは私のようなものにはとても助かった。それによって笑い声の生じる場面もいくつか出たのだった。多分歌舞伎の海外公演などもこういうことが行われているのであろう。

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ムクドリ無事に巣立ったようです

巣がシーンとしているのでもう巣立ったのだろうと思っていたが、確認できたので報告します。
巣のあるお隣さんと出会ったので聞いてみると、やはり鳴き声が全然しなくなったとのこと。
今日ゴミ出しに行った時、それらしい場面を目撃した人がいて話をしてくれました。先の月曜日、その家のエアコンの屋外機の陰に雛が落ちて蹲っているのを若奥さんが発見、人間が触って匂いがつくといけないからと、そっと一緒に見ていると、親鳥らしいのが来てしきりに鳴き、その声に励まされて雛は立ち上がり、それから親に付き添われるように何とか飛んでいったとのこと。しかしその後からカラスも飛んで行ったので、カラスに追われてそこに逃げ込んだか・・・、後は分らないが親が付いているので何とか生き延びれたかも・・と。後にはまだ雛が残っていたけれど、それもきっと巣立って行っただろうと。
まあこれは人間が傍から眺めて勝手に想像した一つの物語だけれども、人間世界とは別に鳥の世界が同じように独自に存在して(植物も昆虫も)、それらが層のように重なり合い、それぞれ独立しながら関係しあって地球上の世界を作っているのだなあ、と思ったものだった。
こんなことを考えたのもこれもまたTVだが、先日渡り鳥の生態を素晴らしいアングルで追いかけたドキュメンタリー映画『WATARIDORI』を見たせいかもしれない。地球上を何千、何万キロの旅をして暮らす渡り鳥などは、人間世界の範疇を超えたところで生きている存在のように思えてくる。それでいて人間の文明の毒をもろに浴びもするのであるけれど。渡り鳥の種類も多く、それぞれが毎年何千キロもすることに感嘆しながら、ついメモを取ってしまったので、すこしここに書いておくことにしよう。
ハクガン 4、000キロ / カナダヅル 3、500キロ / キャクアジサシ 20、000キロ /
シギ、チドリ 10,000キロ /ハイイロガン 3,000キロ / クロヅル 4,000キロ /
カオジロガン 2、500キロ / オオハクチョウ 3,000キロ / インドガン 2、500キロ /
 ハクトウワシ 3000 / カナダガン 3500キロ / モモイロペリカン アメリカ大陸横断 など・・・.
とにかくすごい距離である。

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「割り箸」と『山の郵便配達』

「割り箸」は、自然破壊につながるものか否かと言う議論は前からあって分らなかったが、今晩TVで初めてその実態を知った。
これまでも使い捨てすること自体が、資源の無駄遣いという議論は分りやすいが、実はそうではなく、山林を育てるためには間伐が必要で、それを利用することが出来、またそれが利益をもたらすという点で、結局は山林と林業を育てることになるという、廃物利用という意味でエコロジカルなシステムだと言う意見があり、なるほどと納得してきた。
ところが昔の日本はそうであったが、今はそうではないと言う。今はその90パーセントが中国からの安い材木を輸入しているのだという。中国でも建築材料としては役に立たない白樺だそうだが、今日それも建材として使えるようになり、また割り箸も日本に真似て使うようになり、山林破壊も進んできたため材木の値上げが持ち出されてきて、割箸業界やそれを使用する外食産業、コンビニは大慌てらしい。
そこで国内の割箸産業の復活をと方向転換しようとしたところ、中国からの安い輸入に押されて、ほんのわずかな家内工業をのぞいて多くが廃業してしまっているのだそうだ。そして資材を提供してきた山林自体も荒廃してしまっているそうなのである。(その地は吉野という)
安価とスピード、利便性を追い求めてきた私たちが辿ってきた道である。中国だって同じことで、それに気がついて引き返そうとしているだけであるが。
そしてその後やはりTVで映画『山の郵便配達』を見てしまった。というのもこれは岩波ホールですでに見ているのだが、また見てしまったのだった。ご覧になった方も多いと思うがとてもいい映画である。
物語は単純で、中国の山岳地帯(湖南省)に転々と散らばる小さな集落に、手紙や新聞を一往復2泊3日がかりで険しい山道や川、崖をよじ上ったりして歩いて届けて回る郵便配達員の物語である。引退する父が息子とともに歩く(共に行くシェパードの犬がまた利口で可愛くて見ているだけで飽きない)たった一回の行程の話なのだが、そこには回想が重ねられ、山の集落の生活があり、村人と配達員との絆があり、そこにも発展していく近代国家の影も落ちることもあるものの、まだここには貧しいながらも自然と人間の豊かな結びつき、そして親子をはじめとする人と人との絆の輝きがあって、心が深々としてくるのである。
急速に経済発展を遂げる中国の、これはもう一種の郷愁のようなものになっているのかもしれないけれど。
折りしもこのところ村上ファンドの社長が逮捕されて、世は大騒ぎ。これもただ金 金 金 と経済効率の世界。安ければ売れる、安いのが勝ちの世界。金儲けをしたものが勝ちの世界。私たち消費者もつられて、安いものを、便利なものをと追い求めてきた付け、すなわちその崩壊が今来ているのだろう。
割箸産業で生活していた吉野も山の村である。その村と山林を荒廃させたのも、私たち消費者にちがいないのである、とつくづく思いながら『山の郵便配達』を見ていたのであった。

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ムクドリの雛は無事。

台所や庭に出て耳を澄ますと、しきりにジャジャジャ(ピヨピヨなどと可愛らしくはない)という雛らしい声がきこえてくる。
雛は無事に育っているらしく安心する。
餌を運んでくるのは朝方や夕方が多いようで、日中はシンとしている時もある。だがやたら騒がしい時があって、そんなときは他の鳥の鳴き声もして、カラスがいることが多い。騒がしいのは親が辺りを警戒して、威嚇の叫びを上げているのか。だが考えてみれば、戸袋というのはなかなかいい場所だな、と思う。雨風は防げて、人の手が入れるようにえぐられた部分を持っているので、そこを出入り口にすると住処となる。穴はカラスが入り込むには小さいのである。ただ最大の障害は人間であろう。だからそこがほとんど使われていないところだと、ちゃんと観察した結果でもあったのだろう。しかもそこの真向かいの、かなり離れた場所にテレビアンテナが立っている。そこからは辺り全体が見下ろせ、また戸袋には一直線だ。うまく選んだものだ。
しかし巣に餌を運び入れる瞬間を見ようとするのだが、それを見るためにはかなり不自然な格好をして待たねばならないのでなかなか果たせない。
昨日は真夏日になったところもあって蒸し暑かった。日が大きく傾いた夕方、六国見まで散歩した。ウグイスもまだしきりに鳴いているが、ホトトギスの声があちこちする。「目に青葉 山ほととぎす・・」である。ホトトギスが生きられるのも、托卵するウグイスがいるからであろう。だが卵を預けるウグイスがいない場合、本当にホトトギスは自分で卵を育てられないのかしら。それともただ子育てがうまいウグイスに頼って怠けているだけかしら、などと思う。
電線の上で盛んに囀っているホオジロが一羽いた。囀りは縄張り宣言や雌を呼ぶときなどとよく言われるが、胸毛をふくらませ、嘴を天に向けて胸を張り、声高らかにしきりに囀り続けるその姿を見上げながら、本当にそういう限られた目的だけだろうか、という気持ちがする。雨がちだった日の貴重な晴天、涼しくなった夕方の空気の中で、快く嬉しくなって、心から楽しい気持ちで美声を張り上げているのではないか、自ら楽しんでいるのではないかと思わせるものがあった。

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