「あ、ウグイス!」 それから『小島烏水 版画コレクション展』へ  

昨日の朝ゴミ出しに行ったとき、ウグイスの声を聞いたような気がした。まだ「ホーホケ」というような、声にならないものだったが・・・。だが今日はまだ下手糞だがちゃんと鳴いたのであった。やはり例年よりも早いようである。九州では日中の気温が20度を超えたそうだが、日差しが強く穏やかな天気だったので、横浜に出たついでに水野さんから教えられていたこの展覧会に足を運んだ。
小島烏水については、アルピニストのさきがけの人で山の文章を書く人ぐらいしか思っていなかったが、すごい人物で、明治以後近代化していく日本の中でウエストンに始まる登山の歴史や紀行文学だけでなく浮世絵研究家でもあり美術、特に版画の発展に大変な役割を果たした人物だということを始めて知った。そのコレクションの一部が展示されている。
生まれは高知だそうだが、東西文化の融合する横浜育ちで、横浜商業高校=Y高卒業後、横浜正金銀行の行員として勤務する傍らこれら多才な活動、そして収集をしたというのであるから驚きである。
日本の浮世絵が初めは国内では省みられず、外国で買い占められていた時に、烏水はそれらを特に自分の好きな広重や北斎などの風景画を買い取っている。同時に西洋版画を買い集めてそれを体系的なものとして紹介したようであり、ミレーなどのバルビゾン派や印象派のゴッホやゴーギャン、またドガやルノアール、セザンヌ、ゴヤ・・・。そしてピカソに至るまでの500点以上を集めたそうで、そのうち350点を公開しているとのこと。よくもこれだけの物を手に入れらたものだと思う。
浮世絵も目の当たりにつくづくと眺めると、その線の優美さといい繊細な色彩といい、なんて美しいものよと思う。ヨーロッパ人が感心したのも判る気がする。もちろん西欧の銅版画の緻密でふくよかな表現力にも感嘆するのだが、それとは違った美がそこにはある。そしてそれは、絵師だけでなく彫師や摺師などの職人技の素晴らしさがある。版画にはそういう職人芸の要素があり、これは日本人には有利な面ではないだろうか。
日本の版画も浮世絵だけではなく明治時代、西洋版画の影響で製作された石版画などもなかなか面白かった。しかし当時は誰も評価せず紙くず同然だったとか、それを彼は収集していて、また庶民生活に密着した作品、宣伝チラシや団扇の絵や、熨斗袋まで捨てられてしまうものまで集めていてそのデザインや資料性を見出している。
単に収集だけではなく、紹介や執筆や同時代の新しい版画制作、版画の復活運動にも協力し力を注いだようで、それが駒井哲郎を初めとして長谷川潔など世界的な版画作家を生み出す基盤となったのである。
もちろん登山家のパイオニアでもあって、日本山岳会を創設、その最初の会長で、出口では山頂に立つ登山服姿の烏水さんの写真がわたしたちを見送っていた。

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「菊池洋子 ピアノリサイタル」に行く

最近ピアノに人気が出ているそうだが、日本にも若くすぐれたピアニストも輩出しているようだ。
先日この「国内外で活躍をしている才色兼備のライジングスター」と紹介されている菊池洋子のリサイタルを聴きに行った。
実は、フォルテピアノとモダンピアノの2台を使っての演奏というので、大変興味がそそられた。今TVでもピアノの歴史を紹介している番組があり、またモーツアルトもそのピアノの変遷期を生きた音楽家であったので、ほんの少しだが知識も出来たからである。
当然のようだが、曲にはモーツアルトが入っていた。
一部は、
 モーツアルト:ピアノソナタ ニ長調 K.311
         きらきら星変奏曲 K.265
         ピアノソナタ イ短調 K.310
これをフォルテピアノで演奏。フォルテピアノについても演奏家自身による簡単な説明があった。
きらきら星はよく知られた曲だが、単純な楽しいメロディーがこんなにさまざまに変奏、変幻されていくものよ、とモーツアルトが演奏しているのを想像させるような楽しく巧みな演奏だった。
二部は、
  武満徹:雨の樹素描
  ブラームス:ヘンデル主題による変奏曲 Op .24
これはモダンピアノ使用。
両方並べて聴くとその違いが良く分って面白かった。やはりフォルテピアノはきらきらした宮中での演奏などが浮かんでくるようで優雅で繊細な音色があり、モダンピアノは知的合理的な力強い響きがあり、それぞれに楽器の女王といわれるだけの魅力がある。ブラームスの変奏曲もその演奏者の技巧の巧みさが華やかに表現される曲のようで、聴衆はそれほど多くはなかったが、ブラボーの声が聞こえてきた。

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「台峯を歩く会」100回記念

今日も冷たい雨になりましたが、先の日曜日もこれ以上に冷たい雨でした。
それでも「歩く会」の100回記念日ということで、参加しました。私はそのうちの一割余りしか参加していない新参者ですけど。雨にもかかわらずいつもよりも多くの人が集りました。元会長のなだいなださんも、一時はお身体の調子が良くないとのことでしたが元気な姿を見せられました。
Mさんが100回までの経歴をざっと話されましたが、それによると始まりは30年前の1976年、それはそこに開発の兆しが起こったがきっかけで、それを阻止し、ここを残さねばという動きから始まったのでした。その後この会が発足(名称は少しずつ変わったが)、それから8年4ヶ月ほど毎月歩いてきた事になるとのこと、そしてやっと今、それが実を結んだということなのです。これは毎月欠かすことのない歩く会を支えてきたMさんたち有志たちの働きと、Kさんのように専門的な知識を持ちこの土地に深い愛情の眼差しを注いできた人たちの地道な努力があったためだと改めて感じられました。最初は、強権的な態度の市役所も最近は世の流れも変わり、市民の意見もよく聞き担当者も勉強するようになって、ずいぶん対応が変わってきたそうです。
幸いにもこの緑地(湿地帯)は残される事になりました。この時点ではやっと「基本構想」から始まっで「基本計画」までたどり着いた(後は「基本設計」の決定で工事が始まる)のですが、まだまだ問題はあり、危ういこともいろいろあるようです。でもKさんたちの交渉の努力によって、湿地帯を縦走することになっていた幹線道路が、そこに入らずに尾根筋を通るように変更されました。そのほかいろいろ、出来るだけ現状の生態系を崩さないように、またその生態系がよく維持できるように人が手を貸す形で関わっていくような形にするにはどうしたらいいか、難しいこともあるようですが。
Kさんが力説するのは、この辺りは他の緑地と違う特異性を持っているということです。
単なる里山ではなく、湿地帯であることから、原生的な緑地に戻りつつある里山だということ。湿地帯が生命の源である事は当然ですが、そのため繊細微妙な性格を持っているということです。ですからすでに整備された隣接の中央公園と同じように手を入れられては台無しです。
そのためには人が立ち入れない、生き物の聖域の確保が大切だというのです。そのためにも道も歩きやすい木道などは作って欲しくない。(実はわたしの散歩道の六国見山も、最近整備されて林は伐採され、道は拡幅された木道となり、あっけらかんとした見晴らしも良くなって明るい公園風になってしまいました)
これらの事が、これからどのように実現されていくのか、見守るためにも歩く会はこれからも歩き続けていくようです。

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民芸公演『はちどりはうたっている』を観る

前作『遥かなる虹へ』で総合商社で働く女性たちのひたむきな姿を描いた新進気鋭の松田伸子の最新作、演出は渾大防一枝。今回は航空機産業を巡る話で、遠い世界のように感じたが、それは今日の世界を動かすカギでもあり、私たちの生活ともかかわりのあることなのだと考えさせられる脚本であった。
出演者もベテランの梅野康靖、水谷貞雄のほかは若手が活躍していて、若い熱気が感じられた。
舞台はカリフォルニア州サンノゼ。時は、現代あるいはごく近い未来、というのもこれは虚構として書かれたからであろう。そこで航空機を輸出入する大会社の支店に働くエリート商社マンと日本から訪れてきた婚約者(彼女も有能なキャリアウーマンだが、正社員にまだなれないでいる)を中心に展開する。
筋は長くなるので省略するが、劇作家が十分に取材をし調べ尽くして書いたものだといい、軍事産業がいかに戦争と結びついているかを教えられる。
その航空機会社の空中給油・輸送機が行方不明になっているという情報があり、しかもそれはドアの強度に問題があったのではというのであるが、実はそれを日本の民間航空会社に売り込もうという最中であり、原因がまだはっきりとはしない時点で、明らかにはされたくない。そこで上からの圧力がかかっているという状況である。これらは今安全問題などで取りざたされている今日の会社組織とも共通するものだろう。
しかし有能な商社マンである前に有能な技師でもあった主人公は、それを明らかにすべきだと思っている。そして自宅には、久しぶりに休暇をとり会いに来た婚約者が来ているというのに、正体不明の日本語も中国語も片言で話す正体不明のマレーシア人(梅野泰靖)を連れてくるのである。
アメリカの現代、近い未来ということなので、ここには9・11から後のアメリカの変化の状況が描かれる。「愛国者法」があり、「テロ防止法」が出来、言論行動の締め付けが厳しくなり、戦争反対というだけでも当局ににらまれ、職場も危うくなる。また政府の失態続きで格差もひどくなっていて、それゆえニューヨークでは、「八賢人」を中心にして大々的なパレードが行われようとしているという設定である。
種を明かせばその正体不明のマレーシア人(実は日本軍から両親を殺された中国人)、ハルと名乗る人物(また実はだが、ヒタム・クチンという詩人である)も指名手配されているその一人で、彼を匿ったのである。彼は杜甫やガルシア・マルケスを口にする。すなわち八賢人のメッセージの中心には詩人がいて詩がある。
この18日に横浜でも「輝け9条! 詩人のつどい」というのがあるが、これから何かが生じたときアメリカのようにパレードの中心に果たしてなれるだろうか、などと思った。
結局、いろいろな事があった後、婚約者もその(危険であるかもしれない)平和パレードに出かけるということで終わる。
この中の台詞で「なぜ戦争する? ベラボウ儲かる」という言葉が心に残る。今では明白なことだろうが忘れてはならないだろう。戦争といって悲惨な映像ばかりだ映しだされるが、役者が一人足りないのだと、それを受けた主人公は言う。
「愛国者たちが熱狂する演説・・・その足元でむせ返るほどの金が、一握りの、いつも同じグループに流れ込んでいく。・・・・・この戦争でいくら儲かるか、やつらは安全な高みから、血みどろの地獄絵を見下ろして、そして金を吸い上げていく。・・それがほんとうの戦争の姿なのに・・」
はちどりはハミングバード、南米の民話「ハチドリのひとしずく」のような一票でも集れば大きな力になるということから来たらしい。

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立春です

今日は立春。
まさに春は立ち上がってくるんですね。雲や霧なども立つといい、こんな場合の「立つ」は自然界の現象が上方に向って動きを示し、確実にくっきりと目に見える状態を言うのだそうですが、今年の春はとくに、きりっと立つことをせず、全くぐにゃぐにゃな感じです。
雪は、先日九州でもかなりの雪が降ったというのに、この辺はまだ初雪もありません(一度だけ微かに舞いましたけど)。鳥の水場も、昨日は凍りましたが今日は凍りませんでしたし、今年はそのほか一日だけしか凍らなかったのです。鳥たちは毎日水浴びに来ているようですが、このところ眺める時間がなく、でもこの間、ジョウビタキが訪れたのを目撃して胸を躍らせました。シジュウカラは名前どおりしじゅうやってきて、メジロも可愛いのですが、この羽に白い紋をつけた鳥に出会うと感動です。憧れのスターやタレントを一目見ようと押しかけ、ただ「見た」ということだけで感動する「追っかけ」の気持と同じなんだな、と苦笑してますけど。昔はもっといろいろな鳥が、10種類以上は来ていました。ジョウビタキ(これは渡り鳥なんです)もよく目にしましたけれど。
昔といってもウン十年前に初めて上京したのは2月でした。いわゆる先日雪も降った九州の地からでしたから、毎日が晴天つづき、南側だと一日中ぽかぽかの陽射しに満ちた日が続くことが不思議に感じられた事を思い出します。思えば遠くに来たもんだ、という感じにとらわれながら今日もまた雲一つない空を見上げています。
風は冷たく、まさに光の春です。

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春を待つ台峯を歩く

今年初めての「台峯を歩く会」でした。次回で100回記念とのことです。ということは、毎月一回同じコースを歩きそれが100回になるということです。そしてこれだけ続いたというのも、この付近の自然の貴重さを実感したK氏をはじめとする人たちの熱意と行動力があってのことだと思います。
この地道な活動が、この辺りを開発から守り、またなるべく現状をそのままの形で残すという形に行政に働きかけて進める事が出来たという成果につながったのです。私は最近参加し始めた新参者に過ぎず楽しませてもらうばかりのものですが、この記念すべき時期に加わることが出来た幸せを思いました。
昨日はやっとこの辺りも初雪がはらはらと降りました。その寒さと季節柄、参加者は15人ぐらいで少なかったのですが、それだけ話しの通りもよく、ゆっくりと和やかに観察、散策できました。
この季節、自然は春を待つ姿で目立つものはないのですが、今日は葉を落とした木々の幹を見て名前を判断する方法を教わりました。これはなかなか難しく、渡されたカラーコピーの写真だけではなかなか判別できないのですが、実際幹を触ったりして解説してもらったので、やっとほんの少しばかり判るようになりました。
この季節、野鳥の姿が良くみられるとのことですが、やはり数が減っているということで、今日はホオジロ、アオジ、コゲラ、ヤマガラ、ルリビタキ、カシラダカ、シジュウカラの鳴き声または姿が見られました。ハシブトガラスも出口辺りにいました。でもこれらをちゃんと見たわけではなく、あそこに飛んだといわれてそれをやっと捉えて見たつもりになる事も多いわけです。
刈られた藪(これもボランティアによる)の下からは緑が芽生え、またハンノキには花芽(雄花)が垂れ下がっていて、今年も春が早いとのことです。

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「ゾリステン・ニューイヤーコンサート」

七草の昨日、強い冬型で北日本は大荒れであったが、この辺りは風は強いものの冬晴れのお天気。
第25回のゾリステン・コンサートに出かけた。
以前にも書いたが、この15人ほどからなる室内合奏団は、芸術館専属の、元N響ソロ・コンサートマスターでもあった徳永二男さんを中心に漆原啓子・朝子さんなどオケ首席奏者やソロイストなど弦楽器の名手たちが集って作られた、なかなか贅沢なものだ。それでいて料金も手ごろで、割引もあるので気軽に楽しめる。それゆえ今回もほぼ満席であった。
ニューイヤーということで、演目はポルカやワルツ。ウイーンのコンサートの雰囲気を、ささやかながらも味わわせられた感じでとても愉しかった。
プログラムは
   Part 1
      J.シュトラウスII 
         歌劇「こうもり」序曲
         アンネン・ポルカ
         ポルカ「かわいい女の子」
         トリッチ・トラッチ・ポルカ
         春の声
   Part 2
      J.シュトラウスII:南国のバラ
      チャイコフスキー:『弦楽セレナード』から「ワルツ」
      クライスラー:愛の喜び(V;ソロ=漆原啓子)
              愛の喜び(V;ソロ=徳永二男)
              美しきロスマリン(V;ソロ=漆原朝子)
      ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ
      J.シュトラウスII:美しき青きドナウ
   アンコールのポルカでは手拍子まで起こって、楽しさが盛り上がった。肩肘を張らない寛いだ雰囲気がこのコンサートにはあって、演奏者も楽しんでいる感じだ。
今回は演奏会後、<演奏家と語らいのひととき>という懇親会があり、ドリンクとおつまみが供され、そこでは演奏家たちの一口スピーチなどがあったりして、聴衆たちとの交流が持たれた。私も予約申込みしていたので、ワインと小さなサンドイッチ、クラッカー・チーズなど手にしながら、(お腹がすいていたので赤ワイン一杯でもちょっとした酔い心地)音楽の余韻もあっていい気分になった。
こういう気軽な音楽会があちこちにあって、誰もが気楽に楽しめたらいいだろうなあと、幸福な気持ちになりながら暗くなってしまった道を歩いて帰った。

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正月5日,アマサギを見る

今日は冷たい雨が降り続きましたが、昨日は日中はポカポカする良いお天気でした。
所用で出かけ、お昼過ぎに帰ってきたのですが、駅からの帰り道でアマサギに出会いました。
鳥の名前は、帰ってから図鑑を調べてわかった事です。
頭上をバサバサと飛んでいくものがあるので、トビかなと思いながら見上げると電柱に止まったのですが、どうも違うようです。嘴が長く、体も大きくて細く、全体に白っぽいけれども羽には青灰色の部分がある大型の鳥です。
立ち止まると、誰かこの珍しい出会いを共有できる人はないかとしばらく眺めながら観察していました。
正月の事ゆえあまり人は通らず、女子高生が二人坂道を降りてきましたが、私が突っ立って見上げているのには気にも留めず通り過ぎていきます。しばらくして私が来た方角から同年輩ぐらいの男女がやってきたので、指を差して知らせました。
「あの鳥は何でしょうか? サギの仲間のようですけど・・」とか何とか言って。
さすがにこの二人は興味を示しました。
「白くはないのでシラサギではないようだからゴイサギかなんかでしょう」と男性が言います。
それから私はかれらと一緒に歩いていったのですが、この辺りには古い人のようで、「昔はキジなどはどこにもいた」など言っています。「ヤマドリは、なかなかいなかったけど・・」など。
サギにシラサギという種類はないのです。コサギとかダイサギなどはあっても・・・。ただ白いのを全体的に言う通称ということだけは知ってました。ところでこれはダイサギではありませんでした。
しかしアマサギは、夏鳥として渡来するとあったので、おかしいと最初は思ったのですが、どうしても姿はそれで、しかし少し古い図鑑のいずれもが、最近は北上の傾向があると書かれていたので納得しました。特に最近の温暖化によって、この鳥がここにもやってきたのにちがいないのです。
「これは春から縁起がいいぞ」と、正月早々大型の優美な鳥、サギに出会ったのを喜びつつも、これを喜んでいいのやら地球の将来にとっては憂えねばならないのかと思ったのでした。

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T温泉行き22年目

明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いします。
昨年のブログに4回にもわたって書きましたが、新潟のT温泉行きが23年目となりました。雪が深く、温泉もよく、料金も安く、もてなしも豪雪に耐えてきた人たちなので質実で温かく、ついどこにも行かずここに行き続けました。今では時たま帰る故里のような感じさえしてきます。
昨年は地元の人たちでさえ驚くほどの記録的な大雪で、被害も甚大、上越新幹線もぎりぎりまで不通になったくらいですが、今年はまたスキーが出来ないと心配されるほど少ない雪の年末年始でした。
もちろん自然はいつも同じではなく、雪の多さも年によるので、それに適応・順応する知恵を学んでいくのだけれど、最近はそれが想像以上に極端だと地元の人は言っていました。
昨年は、駅に降りたときにも雪は降り続けており、高い雪の壁の道路を車は走ったのですが、今回は駅前の道路はほとんど乾いた状態です。
元旦は晴。昨年も同じでしたが、それは大雪の中の快晴で、銀世界の輝きでしたが、今年はもう雪解けかと思えるような情景にしかならないのでした。それでもやはり雪国です。十分に雪と温泉と山の幸を中心にした料理、美味しいお米とお餅とお酒を楽しんできました。
今年の朗報は2日の餅つきが復活した事です。昨年からもう廃止されたとばかり思っていましたが、今年はいつもの年季の入ったお年寄りの姿はありませんでしたが、まだ杵の操りがときどき不安定になる若い人も加わってちゃんと2臼がつきあげられ振舞われました。
去年中止になったのは、あの大雪、豪雪地帯でも記録的といわれたほどの雪で、全員腰を痛め、また気力も実は萎えていたのだと、宿のご主人が述懐していました。
2日は曇り、一時雪ではなく雨が降ったりもして・・・。それでもメンバーの若い人は近くのスキー場に出かけていき、夕方まで楽しんできたようです。
3日は、曇り空でしたが晴れ間も出て日が射すようになりました。そして宿から駅までの途上で不思議な現象を目撃したのです。最初は何でもなかったのに辺りがぼんやりしてきて、フロントガラスが曇ったのかと思ったりしていると次第にそれは濃くなり、霞か霧のようになって来たのです。まさにそうなのだと言うことでした。それほど日差しが強く、立ち上った水蒸気が雪で冷やされて霧状になって立ち込めていたのです。それは春かまたは秋に見られる現象で、こんな真冬に出現したのは初めてだそうです。
昨年の超豪雪と今年の暖冬、これからどうなるか分りませんが、やはり異常なのか、はたまた長い目で見ればそれも一つの流れなのか、人知は自然を超える事は出来ません。
今年の同行者は13名でした。
毎年感じる事ですが、そこでの4日の日々が夢のように思える事です。それはどんなに少なくてもそこには雪があり、それがトンネルを抜けたとたん、こちら側では全く乾ききっているからでした。同じ平面にあるとは思えず、別天地にあったような気がするのです。その異界から帰ってきて、今年もまた地上の暮らしが始まります。どうかよろしく。

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「オペラアリアと第九」を聴きに行く

恒例になった東京コール・フリーデ(合唱団)の公演(東京文化会館)を聴きに行くことで、今年の締めくくりとします。前日の大雨が上がって、異常なほどの温かさになった昨日のことです。
オーケストラは東京シティ・フイルハーモニック管弦楽団、指揮は現田茂夫、ソリストは省略させてもらいます。
この一年、モーツアルトにかなり浸っていたので、毎年のことである第九が新鮮に聞こえました。ベートーベンはモーツアルトを師と仰ぎ崇拝していましたが、生み出されたものは違っているのだなあーと。
天上の音楽という感じでありながら、実はとても人間的で、人生の喜びを、愛を歌ったものだということが、ずっと聴いていて分ったのですが、ベートーベンの場合は、同じ人間的であっても、もっと地べたを這い回るような、生々しいものがあるような気がしました。当然35歳で亡くなった夭折の天才(奇跡ともいうべき神童)と病や人生の苦悩を味わった努力の秀才(型の人間)とのちがいみたいなものもあるでしょうし、また時代の違いもありますが・・・。もちろんモーツアルトの短い生涯にも多くの苦しみや悲しみが十分にありましたが、その表れかたが違っているようなのです。
ですから聴く方もベートーベンが聞けないときと、モーツアルトが心に響かない時があるのだろうなーと。
詩もそうなのでしょうか? そうある筈なのですが、言葉は音楽のようには心に直接ひびかず、またそれが難しいのですね、残念ながら。
年も押し詰まり、何もしない私ですら雑用に追われている日々です。
やっとこれを書き、今年の納めといたします。
では皆様、良いお年を! 

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