映画にもなっているのでご存知の方も多いでしょうが、第二次大戦末期ナチの狂気が吹き荒れる中、「人間の尊厳と自由」を求めて立ち上がろうと呼びかける、アジびらを撒いたミュンヘン大学の学生5人が、斬首刑に処せられた事実を基にした劇である。
眼の悪い大学の用務員による密告から始まり(その功績で勲章を受ける)、ただ状況証拠だけで次第に罪状がでっち上げていく(というより追い詰めていく)様が、骨組みだけで作られた舞台の暗転によるスピーディな展開と背後一面に翻る逆卍のナチの旗とあいまって、その恐ろしさが迫ってくる。
この裁判(民事という建前をとりながら短期間秘密裏になされる)は、ベルリンの壁が壊されてから初めて詳しく全貌が明らかになったそうである。
「白バラ」というグループ名は、ビラの署名だが、ただ一人兄とともに行動した少女ゾフィーが次第にグループを象徴するような輝きを持ち始めていく。
純粋で清楚な美しさも、その輝きは短命だという白バラ、それは青春期の輝きとはかなさをも象徴しいているような・・・・。
5人の学生たちは特別優秀でもまた確たる政治的信念を持つ者でもなく、真面目で健全な普通の学生、特にゾフィーは帰京の際は洗濯物を鞄一杯持って帰るような、ダンスが好きでボーイフレンドが気になる明るいフツーの女の子、彼らが1943年の2月、たった5日間で弾圧の槍玉に上がるのである。はじめはこの地のゲシュタボによって、青春期特有の学生の跳ね上がり者の一部に過ぎないと、穏やかな形で処理しようとするのだが、ベルリンんから派遣されたナチのサイボーグのような目付け役の突き上げによって、まさに国家反逆罪へと組み立てられていく。
当局は、それが組織的なものであることを何とか探ろうとするが皆無である。証拠は眼の悪い目撃者一人、それでも捜索によってコピー機を発見。匂いを嗅ぎつけたマスコミをオミットして秘密裏に事を運ぶ手はずは整っている。
ビラを撒いた事は正しいと彼らは言い、自分の意思でやったという。「私たちが書いたことは多くの人が考えていることです。ただ、それを口にすることをはばかっているだけです」、「それを誰かが言わなければならない。誰かが始めなければならない。それをしただけだ」と。
実際、そのビラで決起は起こらなかった。しかし、大学に訪れたナチスの指導者が「次世代を担う健康な兵士を生み育てることが女の務めだ」と演説した時反発を買い、それをきっかけに会場は騒然としたものの、そしてそのことを「白バラ」は喜んだが、たちまち軍隊が投入され鎮圧される。大勢の怪我人が出る中で、周りの住宅は彼らを助けることなくピタリとシャッターを下ろしたままだった。そんな状況であっても彼らは命乞いの署名はしなかった。なぜなら、ビラの文句のような理由からである。
「自由と尊厳! いまドイツの若者が立ち上がらねば、ドイツの名は未来永劫汚される! 1942年夏 ミュンヘン」
汚れのない若々しい彼らと対比する取調べをする尋問官は、まだ人間味の残った男でゾフィーと同年代の娘があることから、せめて彼女だけでも命を助けたいと説得に力を尽くす。世の中の裏表を知り尽くし辛苦を味わいつくし、自分と家族だけでも何とか守りたいと生き延びてきた大人との、調書をとるという対話による真剣勝負が、劇の見所となっている。時には強圧的に、又法や自己の正当性を主張する尋問官は次第に本音を語るようになり、この揺れ動く心情があるため両者の姿をくっきりさせる。最後には、この戦争は終わりに近いことまで、そっとゾフィーに語るまでに至り生き延びるように説得する。
最初は軽く考えていたようなゾフィーが、この取調べの過程で次第に確固とした自分の信念を持つに至り輝きを帯びるようになるのは、ただ文字で読むのとちがい人間の肉体で演じられるからではないだろうか。実際の調書を読んでいないので、このように理路整然と言ったかどうかは分らないにしても次のような趣旨で、彼女は最後には懸命の審査官の努力にもかかわらず、兄たちと同じく死を選ぶのである。
「一番恐ろしいのは、何とか生き延びようと流れに身を任せている何百万という人たちです。唯そっとしておいて欲しい、何か大きなものに自分たちの小さな幸せを壊されたくない、そう願って身を縮めて生きている、一見正直な人たちです。自分の影におびえ、自分の持っている力を発揮しようとしない人たち。波風を立て、敵を作ることを恐れている人達」。
そういう人間にはなりませんという決意である。
自分自身を振り返っても、彼女の台詞に身が引き締まる思いがした。
そして最後にどんなに生きていることが素晴らしいかを語る。朝の光が、そこで囀っている鳥の声がどんなに美しいか、しみじみと味わいながら刑につくという幕切れに(もちろん他の男子学生も同じような心境で)なっている。
60年安保の学生運動の空気を知っている私は、この劇に胸が震えるのを感じた。
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