バッハの「ミサ曲」と台峯歩き

真っ白な富士がくっきり見える週末、友人が属している合唱団が出演する演奏会を聴きに杉並公会堂まではるばる出かけました。
曲目は『ロ短調 ミサ曲』、バッハ最晩年の遺言ともいえるこの曲は、オーケストラから合唱、ソロの各パートを揃えての、壮大で緻密な複雑な構想を持った2時間近く27曲にも及ぶ長丁場の曲で、ミサ曲と言うものを堪能させられた思いがしました。
ミサ曲の内容には聖書全体が要約されているとのことで、神の憐れみを乞う声々から始まり、神の御子イエスの出現からその受難、イエス・キリストの十字架と復活、それによって全ての人々を救いに招かれるという御業を示し、それにより真の平和が与えられるということをこの全曲で表現しているとのことです。 
全くの素人の私は、耳を傾けつつも渡された「曲目解説・歌詞対訳」を眺めながら、一曲ずつ巧妙に、オーケストラやソロや合唱の組み合わせを変化させていくその進行に、ついていくのが精いっぱいという感じで、まさにこの曲は、教会の大伽藍のようだと思わせられました。
そしてつくづくキリスト教の奥深さ、緻密さ、大きさと言うものを思わせられました。音楽でもその進行の世界を、建築にも劣らぬほどの表現で実現しようとしたのではないだろうか、とも感じました。
そういう音楽がこの国にはあるだろうか。またそういう信仰(?)があるだろうか。少なくとも私にはないのでした。つくづく私はキリスト教の世界からは遠い気がしました。ミサ曲もただ、音楽として鑑賞しているだけですから。
そして次の日の日曜日、台峯歩きの日でした。少々疲れていましたが、あまりに良い天気なので(日本海側や北海道では記録的な大雪で雪崩など大変のようですが)参加してきました。今はほとんど花がないので、今回はシダ類を中心に観察しながら、参加者も少なかったですが、陽射しは温かくちらほら咲き始めた梅のような凛とした空気は気持ちが良く、楽しい歩きになりました。
シダ類の種類は1万種ほどあり、この辺では1000種ほどが生息しているとのことで、プリントされている種類は20数種ですが、それを見分けるのもなかなか難しいです。でもそれぞれをゆっくりと眺めると、その手触りや色合い、艶や形などは様々でそれを観察していくとこれまではわが庭ではいつも邪魔者として見境なくむしり取っていたそれも、もっとよく眺めようという気持ちになります。
鳥はモズ、カシラダカ、アオジ、そしてここに渡ってきたのは13年ぶりだと理事の人が感嘆していたベニマシコが見られました。
シダ類でさえその世界に踏み入れてみるとそれぞれが微妙で、複雑な姿と変化を遂げています。
同じところを歩き続けていても、その姿の長い歴史とその変化は予想できないものを秘めています。
まさに自然そのものが、一種の大伽藍、カテドラルのようなものだと思わずにはいられません。
この国の多くの人は無信仰、と言うより自然教だという人がいますが、自分も自然の中の一個として、自然に抱かれ自然を崇拝しているようにも思え、一神教であるキリスト教と比べてしまいます。
「イスラム国」の台頭などを見るとき、宗教とは一体なんだろう? とバッハ『ロ短調 ミサ曲』を聴いたり台峯を歩きをしながら考えたものでした。とても難しい問題ですが・・・。

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