このタイトルの記事に引かれ、この本を取り寄せて読んだ。
これは『福島原発の闇ー原発下請労働者の現実』という、ライターという身分を隠して実際に現場に労働者として潜り込み、まさに身を挺して取材したルポ(堀江邦夫)に水木しげるさんも実際福島原発にまで出かけて見学、内部の写真資料などをもとにして制作したイラストを加えて刊行され(32年前)、今では幻となった本の再刊である。最初それほど乗り気でない風に見えた水木さんも次第にのめりこみ、自らの末端の兵士として死にかかった体験と重ね合わせて気合の入ったイラストとなったというが、その緻密さと迫力によって原発の内部に連れ込まれたような臨場感と怖ろしさを感じ、昨夜は奇妙な夢を見た。
私たちは今瓦礫と化した原発建屋しか目にしないが、あの内部は、まさに「パイプの森、ジャングル」であったようで(その内部のイラストもすごい)、その狭い隙間に身を捩りこむようにして作業をし、またその防御服は不完全で、また線量計も故障することも多く、そこで働く人は一種の使い捨てである。
折しも今朝の新聞では、原発の周辺は、居住長期禁止にとなり、夕刊では「居住禁止 最低10年」と言い、土地を国が借り上げる方向で検討に入ったとある。
いよいよこれまで隠していた原発の闇が、次第に臆面もなく晒さざるを得なくなったようである。
読書会で借りてきた、『原発のウソ』(小出裕章)と合わせ読むことによって、いっそう怖さが増した。この著者は原子力学者であり、はじめは、原子力推進派であったが、研究を重ねるにつれ、その危険性に気づき反対をずっと言い続けてきたのだという。しかしそれゆえ、原子力の世界では異端として無視されてきたのだという。
こんなことを書くとき感じるのは、これまで何も考えずそれを見過ごしてきた怠慢といい加減さによって自分自身も加担者であったのだという思いである。
しかし、原発事故が報じられ、天皇の姿が国民の前に現れた時に感じた、あの終戦時と同じようなことが今回も繰り返されたということも、これらを読んでいて分かった。
日本の原子力産業は、まさに国策であった。それゆえに国民になるべく現状を秘し、下請け労働者の間でも、原発に対する批判めいたことを言ってはならないという(昔の非国民という言い方のように)無言の圧力があったという。それゆえ事故でこのルポライターが肋骨を折る重傷を負ったとき労災にしない(労災隠し)ようにと言われたという。それを象徴するかのような、東電福島第一原発構内に立つ記念塔(無災害150万時間達成記念)がある。
この当時、そんな労働者が2~3万人いたというが(2009年には7万5000人という)。こういう人たちが
日夜、放射能を浴びつつ原発の汚泥を掃除したり、点検や修理をしたりしていることなど意識することがなかった。
また法律を厳密に適応すれば、国民の被曝限度量は1ミリシーベルト(一年間に)と決められているが(ちなみに作業員は、一日の許容限度量が1ミリシーベルト、すなわち一日で一年間の限度が許されている)、これでは福島では通用できないから、これが守られない。それですでに放射能値の高いところは、これを20ミリシーベルトまで引き上げる検討を始めたと、『原発のウソ』では書かれているが、(今朝の新聞の記事では「政権が避難の目安としている20ミリシーベルトを超え…」とあるので、すでにもうそのように変更されているようである。すなわち今や「『安全を考えて』基準を決めるのではなく、『現実の汚染にあわせて』基準を変えようとしているのです。」の通りになったようです。
また、被曝量がどのくらいになれば危険で、どこまでが安全かと誰も知りたがるが、その境目(しきい値)はない、とのこと。すなわちどんな低レベルであっても浴びることは危険で、それは年齢に反比例するようです。子供が一番危険。
しかも放射能は、人間の五感では感じられず、被曝してもそれを症状としては初期は出てこない。なぜならそれは放射能というべらぼうなエネルギーが遺伝子を傷つける、最後はバラバラにするだけだからである。ここまでが安全とは言い切れない。
そしてフクシマ原発は、広島原爆の80万発分の「死の灰」をまき散らしているということである。
今やそういう不安の中に私たちは置かれているのだということだけが、現実なのである。
そして原発は地球温暖化を防ぐということはむしろ逆で、電力が足りなくなるということや、コストも膨大であることなど、すべてウソであることもいろいろ勉強させられました。
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水木さんが描く「福島原発」(32年前のイラスト刊行へ) への2件のフィードバック