冬の台峯歩き

きりっと晴れた冬空が続きます。
冬型の気圧配置、日本海側は大雪というのに、この辺りは乾燥した快晴の日々、雪か雨が恋しくなるくらいです。
この季節、白い富士山が一番くっきりと眺められます。先日あの富士で無残な遭難事故があったのだなあ…とあくまでも清楚な姿をみせてすらりと佇んでいる富士を仰ぎ見るのでした。
そんな先日の日曜日、恒例の台峯歩きに参加しました。20人くらい、トラスト運動について卒業論文を書くためにという大学生も2人加わっていました。
この辺りはまだ紅(黄)葉が残っています。でもやはり温暖化のせいか時期が早まっていて、本来ならばクリスマスの時期に当る様子だとの事。
この冬の時期、森の構造を見るのには適しているそうです。高い木は大抵落葉樹です。でも温暖化によってだんだん常緑樹が増える傾向にあり、埼玉の方が落葉樹が多く、三浦、湘南地方は常緑樹化していく傾向にあるそうです。潮風に強いのも常緑樹だからです。確かに海岸線にあるのはたいてい松林ですね。でもこのあたり松や樅の木が最近は見られなくなった、昔は山の天辺には大抵松があったと。
里山の将来については、結局は判らないのだといいます。人間の生活とも深く関係しているからでしょう。
第1の田んぼ。第2の田んぼも同様ですが、これらは昔の山沿いにある田んぼの姿を残した数少ないものだといわれます。山奥の田んぼほど、歴史は古いのだそうです。先ず棚田のように規模が小さく自然の地形に沿った曲線をも残した畦、冬場も乾燥せずに(ここでは特有の絞り水によって)常に湿っている。有名な米の産地の田んぼは、広々とした四角い田んぼで、冬は乾燥していて、稲作の時期だけ水路を通して水を引き込みます。広くて四角いので大型の機械を使うことが出来、それだけ収穫量も多く安定しています。それに対してこういう所は、人の手が必要なところが多く、採算が取れない。しかも収穫は2分の一ぐらい、税金その他いろいろ考えれば結果として一般の米作農家の10分の一ぐらいの採算にしかならないそうです。これでは残してほしいと頼む事は難しい事です。これらが何時まで残っているか、ただただ毎年願いながら眺めさせてもらうだけです。
見晴らしのいい、「老人の畑」で、まだ紅・黄葉を残してしっとりした色合いに染まった向かいの林を眺めやりながら日向ぼこ。しかしこの時期、冬越しする野草たちが春に向けて青々と新葉を生やしているのが見られます。昔畑があった草原に(松虫などを観察した草地)それらを眺めに歩き回りました。ここだけではなく道すがらあらゆる道端の草の赤ん坊たちが柔らかな芽や葉を出しているのです。それらを見て歩くというのが、今回のテーマでもありました。
ハコベは有名ですが、同じようでもウシハコベもあり、ムラサキケマン、アレチノマツヨイグサ、オオアレチノギク、ハルジオン、ヤブタビラコ、カモジグサなど、また一人前(?)になったセイタカアワダチソウ、ヤエムグラ(あの厄介者)、アケビなどは知っていても、幼い時の姿は教えられなければ分かりません。
この季節鳥を目撃するにもいい時期、しかも日本海側が大雪の時、このあたりは鳥が多く見られる。たぶん避難してきたのであろうとのことですが、今日はあまり見られませんでした。サシバなどが見られるといいのですが、大空を旋回していたのはトビでした。しかし白い小さな点のように飛んでいるのはヒメアマツバメだというのですが、わたしの目にはあまりはっきりとは捉えられませんでした。同じとき、白い鳥のようなものがゆっくり飛んでいくのが見えたのは、実は高みを飛んでいる飛行機であり、ああ飛行機も人間の造った鋼鉄の鳥なんだなと思ったものです。暫くして、爆音が届きました。
この間の大風で落ち葉が沢山落ちたようです、と言われた通り山道には乾いた落ち葉が積もっていたので、それらをさくさくと踏みしめながら、新雪の中を歩くような心地よさを味わい、冬場の散策を楽しみました。

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