TV番組で「木村さんの林檎」を知る

昨日TYで、日本で始めて無農薬、無肥料で美味しい林檎を育て上げた、この「木村さん」の話を見て驚嘆し感動した。
最近は農薬や殺虫剤の被害や影響が問題になって、農業もなるべくそれらを使わない自然農法をと変わってきているようだが、全く農薬を使わずまた肥料さえ使わずに、しかも素晴らしく美味しい林檎を育てるというのだから驚きである。
もちろんここに来るまでは苦難の道のりであって、追い詰められて自殺を考えたこともあったそうだが、8年かかってやっと立派な実を実らせた事が出来たのだという。
日本の農業で一番苦労するのは害虫である。「虫やらい」の昔からの行事があるように虫から農作物を守る事がどんなに必要で大切な事か。しかし害虫があればそれを食べてくれる益虫もあるわけで、木村さんの農園には雑草がいっぱい生えていて、自然のままに植物や昆虫が共存できるようになっているという(しかし決して放って置くのではなく、適当で必要な草刈もし手入れもする)。
それでも林檎の木や実に害を為すものがあるわけで、それをどうするのだろうと思っていると、それは植物から作った酢を丁寧に散布するのだそうだ。それも一本一本を、散布機でなく手に持ったホースで散布する。散布機を畑に入れると、草や土を痛めるからである。
ここに至って分ってくることは、その秘密は土、土壌にあったのである。肥料も全く必要ないというのも(素人考えでは有機肥料であれば少しぐらいやったほうがいいのでは・・・と思うのだが)、そこにあるようだ。
林檎の木下の土はふかふかで、そこには生えた土や落ちた木の葉やその他生き物たちの死骸などで十分に栄養があるのだろう。
林檎の木は「育てない、(木が育つのを)手助けするだけだ」というのが、木村さんの農法の基本なのだという。そして「こんなに立派に育ってくれて有難う!」と、林檎に頬ずりする木村さんの姿は美しい。
林檎は家族の一員であり子どもであり、その根本にあるのは「愛」である。
その林檎もまたそれを絞ったジュースも素晴らしく美味しく、今はそれを手に入れることは難しく、また業界でも「不可能を可能にした男」として見学に来る農家や研究者たちも多いという。もちろんホームページもある。
瑞々しく美味しいだけではなく、腐らないというのも不思議だ。日が経ってドライフルーツのようになったものがスタジオに出されていた。どうしてだろう、野性的な強さがあって腐敗菌が付かないのだろうか。
話の中で、ある転機とになった事柄が興味深かった。それは自殺も考えて岩木山の山奥に入って寝そべっていた時に一本の野生の林檎の木を見たのだという。肥料もやらず、農薬もかけない林檎の木がどうしてこんなに美しく花を咲かせているのだろう?と思ったのだと。
それが農法を進めるきっかけになったのだ・・・と。
知識は全て自分で調べ、体験を基にした独学である事もすごい。
これを聞いていて、私はふとニンゲンの子どももそうではないか・・・と。
今ニンゲンの子どもにも、肥料をやりすぎ、消毒薬をかけすぎ、手をかけすぎ育てすぎているのではないだろうか。
ニンゲンは林檎よりも素晴らしいはずではないか。そのニンゲンの子どもを「育てない、(子どもが自分で育つのを)手助けするだけ」にしなければ逞しく立派な人間に育っていかないのではないだろうか。そんな事より、その土壌を豊かなものにすれば良いのではないか。
政治家までがしゃしゃり出て、教育基本法にまで手をつけ、無理やりに愛国心のある人間に育て上げようとする行為は、これとは逆の方向に向っていると思わざるをえない。

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