懸念される「台峯緑地」(2)

今回は、この地の動植物やその生態に詳しい野鳥の会の会員で、いつも先頭に立って案内してくださっていたKさんが、珍しく風邪でダウンとかで、他の理事の人たちもちょっと慌て気味だった。初参加の人も多かったので、持参したこれまでの資料をひろげたりして、案内、説明を買って出てそれぞれ懸命にカヴァーしてくださっていたが、やはり全体がバラけた感じになったのは仕方ないことであった。しかしそのためにこの地で生まれ育った人や幼少期を過ごしたりした人の、これまでの短い歩行の中ではなかなか耳に出来なかった昔の話や意見が聞けて、とても面白かった。
今でこそ私たちは軽い気持ちで山を歩き回っているが、明治以前はそうではなかった。
だから『日本奥地紀行』を書いたイザベラ・バード(英国女性の探検家)が、東北の山中を歩き回った時はまさに奇行そのものに見えたにちがいない。
昔の日本では高い山は、霊山として信仰の対象であり、普通の人間は立ち入ることが難しく、修業としてか、又山伏のような行者しか入らなかった。山岳登山が日本に普及し始めたのは、上高地を開いたウエストンから始まる。すなわち高い山という偉大な自然を征服したり、興味の対象とする気持ちがなかったからだろう。
それに対して身近な低い山、すなわち里山は、人の暮らしと密接に結びついたものだった。里山は人あって成り立ち、また人は里山があって成り立っていたのであろう。村人たちは、里山と生活を共にしていた。子どもたちもその中で遊んだ。田んぼも畑も、家でさえ、山の恩恵を受け、同時に山も人から世話をされ、豊かになっていったのである。人は山に包まれていた。
今回も自動車道路を歩いて台峯へ向かっていた時、一台の建設会社のトラックとすれ違った。藁のようなものを満載していた。藁ではなく、カヤ(茅)だとのこと。どこから刈り取ってきたものだろう。茅葺きの家などはもう高級なものになってしまった。しかしまだ収穫できるところがあるのだなあ・・と面白く思いつつ見送った。
先日、TV番組「ダーウインが来た! はばたけ!イヌワシ大五郎」(5.21放映)を見た。
大型猛禽類イヌワシの生態を追ったものだが、今絶滅の危機にさらされている種という。イヌワシは蒙古などの草原に多く棲息する鳥だが、日本では岩手県の北上高地に400羽ほどしかいない。それが絶滅しかかっているのは、実は原生林などがなくなったからではなく、岩手で盛んだった牧場が次々になくなっていったからであるという。すなわち人間が原生林を切り開き、牧草地にしたために、そこで生きることが出来るようになったのであるが、酪農不振のため牧場は封鎖され、放置された結果、草は丈高くなり、樹木は茂り、自然が一見甦っていくように見えるけれども、かえって王者の風格を持つイヌワシは、狩りが出来ずに絶滅の運命を辿ろうとしているのだという。これまでイヌワシは、まさに人と共に生きていたのであった。
人と緑、自然との関係は、非常に根が深く複雑で、難しい問題だとつくづく思う。
台峯についてもそれに似たことがいえる。ここではこの台峯についての具体的な話については、書ききれませんでした。それで、もう少しだけこの場所についてお喋りをさせてもらいます。

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