12月14日の夢(無音の稲妻)

ベランダへ洗濯物を干しに出ると、向かい側のマンションの左上の空で一瞬、稲妻が閃いた。雷鳴を予想して身構えるが、なぜか音はしない。そのかわり、あたりが真の闇になった。「停電だ! そっちへ行くね」と、ぼくは家の中に声をかけ、そろそろと手探りで窓から家の中に戻る。だが不思議なことに、暖炉の燃える居間には明かりがついており、パソコンのモニター画面もカラフルな光で輝いている。

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12月8日の夢(初日の舞台挨拶)

12月8日の夢。ぼくは舞台の演出家で、初日の開演挨拶をしている。黒の空間の劇場で、舞台も客席も薄暗い。舞台を見下ろす階段式の客席は空席も多いみたいだ。
準備不足で練習もきちんとできないまま、もう開演時間だ。ぼくは上手側の舞台に立ち、マイクをとって出演者の紹介を始める。最初のうちこそとんとんと進むが、だんだん読み方のわからない役者の名前が出てきたり、入れ替わり立ち代わり舞台に現れ、中には今到着したばかりの役者たちを全員紹介できたのか、心もとなくなってくる。最後に「演出は一色真理です」と結ぶが、ぼくは実際には何もしていないに等しい。「では、只今から……を開演します」と宣言しようとして、台本の表紙にある演目の読み方さえ分からないことに、我ながら唖然とする。しかし、もはやぼくは引き返せない。「では、開演しますので、スタッフの方は舞台から降りてください」と言い、一礼をして役者たちと楽屋に下がる。楽屋も黒い空間で、大部屋に全員がいて、談笑している。その瞬間、ぼくは不安にかられて叫ぶ。「あれ、ここには舞台の様子を見るテレビがないじゃないか!」 役者たちもそのことに気づいたようだが、平気な様子だ。ぼくは楽屋を飛び出して、舞台袖に走る。ぼくが役者たちに出番を知らせる以外に方法はないのだ。

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12月7日の夢(少年院)

ぼくは何かの罪を犯したようで、少年院に入ることになった。緑の芝生の中に点々と瀟洒な小屋が建っており、これらが少年院の建物である。特に塀や監視所、監視員のようなものは見えない。篤志家がトラックで大きな絵画を運び込んでいる。院に寄贈するつもりらしい。案内された部屋は大部屋で、立派なベッドが一人に一つずつあてがわれている。ぼくと隣の若者との間は、喫茶店の仕切りにあるような木製の透かし彫りのある衝立だけ。これではプライバシーが守れない。ぼくは隣の若者に「間にカーテンがわりにとりあえず新聞紙を吊るそう。いずれはデパートの包装紙なんかにするといいね」と提案し、相手も賛成する。
ふと見上げると、二人の作業員が天井にさっきの篤志家の絵を飾っている。壁だけでは飾りきれず、かといって善意の寄贈を無駄にできないので、天上に飾るらしい。宗教画なので、頭の上からキリストや天使に監視されているようで、いやな感じだ。
院の中にはいろいろな作業グループがあり、ぼくは辞書を作るグループの先輩からチームに入るよう指示され、とても嬉しい。やがてぼく自身がチームのリーダーになり、さっき見かけた少女を含め、何人かのメンバーのリストを紙に書く。ただし、文字では書けない。ぼく自身を含めてメンバーの名前は一握りの泥で表すのだ。
いつのまにかぼくはもう院の外に出て、雨の道路を歩いている。着ている服の特に下半身は泥だらけである。ぼくの鞄に泥がついているので、それが触れるたびに服が泥にまみれる。しかたがないことだと思う。道路の反対側に選挙運動をするヘリコプターが着陸して、盛んに選挙運動をしている。そうだ。選挙も後半戦に入り、もう泥がつくからいやだなんて言っていられないのだ。選挙運動をしているのは、全員言葉をしゃべっているが動物たちである。選挙運動は動物がするものと決められているのだ。

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11月27日の夢(海に浮かぶ家)

 今夜は東京で出席しなければならないパーティーがあるのに、四国へ出張している。帰るために飛行機に乗る。飛行機は海面すれすれに飛ぶので、とても景色がいい。港に着陸する。降りると、海面に樽のような形の建物が浮かんでいる。珍しいので写真に撮ろうとするが、うまく撮影できない。

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11月25日の夢(上原さんのインタビュー)

 「ピアノの本」の編集長をリタイアして以来久しぶりに、ピアニストの上原彩子さんをインタビューすることになった。だが、ぼくの前に座った上原さんは緊張した様子だ。あんなに何度もインタビューした仲なのに、ぼくのことを忘れてしまったんだ!

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11月24日の夢(小田急線)

 小田急の新宿駅を歩いていると、前方から来たおばあさんを若い男が追い抜きざまに押し倒す。一瞬、かかわらずに行き過ぎようかと思うが、急いでおばあさんに他の男の乗客と共に駆け寄る。おばあさんの指からどくどくと赤い血が流れ出している。そこへ詰所のドアを開けて、駅員が文字通り飛び出してきた。ぼくは駅員に「止血をしてあげて」と頼み、連れの女友達といっしょにホームへ行く。
 電車は満員で、ぼくと女友達は一番後ろの車両のドアの閉まらないデッキに乗り、手すりにしっかりとつかまる。彼女は開いたドアの向こう側にいて、ぼくらはしばらく会話しているが、そこへ荒くれ者のような男が現れ、彼女の手を取ってダンスを始める。ぼくはしかたなく開いたドアの外を眺めることにする。

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11月21日の夢(デパート)

 渋谷の街を見下ろす高台に木造3階建ての巨大な廃墟があり、敗れた障子などが壁にぱたぱたとはためいている。地面は舗装されておらず、砂埃が舞い立っている。ここは渋谷のデパート王といわれた創業者が家族と共に住み、その令嬢が窓からいつも父親のデパートを見下ろしていたエピソードで有名な邸だ。しかし、一家は遠い昔にここを引き払い、今は僅かな観光客が訪ねてくるだけの場所である。
 そのデパートはエレベーターでなく、フロアの端にある階段を昇り、反対側の階段まで歩いて、また上の階に昇ると、他のデパートにないユニークな店づくりが見えてくるのだという。階段を探すと、薄暗く置き忘れられたようなところに上り口がある。昇ってみると、旅行代理店ばかりあるフロアとか、各階ごとにデパートとは思えないテナントが入っていて、面白い。すべての階を探検してから屋上に昇る。
 屋上は四方の壁に大木の切り株があったり、削られた丘の断面が見えたりする。このデパートは自然の丘を利用して、それを刳り貫いて作られたものだったのだ。屋上には渋谷の街の太古の姿がそのまま残っているのだった。

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11月19日の夢(詩集賞)

 ぼくは現代詩人会の詩集賞担当理事だ。けれど、この日ぼくは用事があり、選考委員会に遠くから遅刻して駆けつけることになった。途中には深い亀裂のようなものが道にできていて、その両側に手すりがついている。手すりを潜り抜けて、亀裂をなんとか飛び越え、選考会の会場に駆けつける。
 会場の喫茶店ではH氏賞と現代詩人賞の2つの選考会が開かれているが、ちょうど休憩中で、誰が選考委員長なのか分からない。そのうち、現代詩人賞の方は長老詩人のK氏が委員長であることがわかったが、いつのまにか選考が終わってしまい、その選考経過を教えてもらえない。選考経過を発表しなければならないぼくは途方に暮れる。

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11月18日の夢(アトレ)

 アトレという小型の円盤型ケースに入ったお菓子が近頃人気だ。デパートで買っても、デパートの包装紙ではなく、そのお菓子専用の包装をしてくれるので、贈り物として喜ばれているからだ。

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11月15日の夢(街で合唱)

 今、街で歩きながら自由に合唱を楽しむことが流行っている。今日も表参道あたりを歩いていると、通りのあちこちから合唱のリーダーたちが歩きながら「あーあーあ、あーあーあー」と歌っている。ぼくもそれに合わせて歌うが、恥ずかしいので、顔は彼らからそむけている。街中にハーモニーが広がり、とてもいい気分だ。
 浴槽を洗っている。底の2か所に砂糖の塊りがこびりついている。お湯で溶かして洗い落とそうとするが、なかなか取りきることができない。

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