8月6日の夢(床屋)

会社を途中でさぼり、家のそばの床屋さんに向かう。床屋さんの何周年かの記念日なのか、それとも経営が思わしくないから、お客さんになってあげたいと思ったからなのかは、思い出せない。ただ、ぼくはもう四十年ぐらい床屋さんに行ったことがない(他人任せにするのがいやなので、必ず自分で調髪する)ので、相当な意気込みであることは確かだ。
 三時から開店のはずである。近くの公共駐車場に床屋さんの軽自動車が滑り込んできた。降りてきた床屋さんは長年Y社でお世話になったN氏である。ここで出張床屋をするつもりなのだろうか。
 開店まで待とうと、近くの喫茶店に入る。同席したおばさん三人組も、その床屋さんにこれから行くと話している。
 そろそろ開店時間だなと思って、店を出る。外はもう夕闇が降りていて、まるで見知らぬ街に来たみたいで、途方に暮れる。駐車場へ行くべきか、床屋のお店に行くべきか迷うが、お店に行くことにする。しかし、ぼくの歩いている方向が正しい道なのか、全く自信がない。

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8月4日の夢(アポ取り)

 そろそろお昼休みだ。昼食をとろうとしながら、なにげなくノートを見て、今日はお昼と夕方に二本のインタビューの予定を入れていたことに気づく。しかも、お昼のインタビューは「女性ミュージシャンを0時00分から」となっていて、既に予定時刻を20分ほど過ぎているではないか。慌てて階段を降りて飛び出そうとして、テレコを用意してないことに気づく。彼女の所属事務所である「音楽振興会」の女性マネージャーに電話するが、焦って「もしもし、こちらは音楽振興会の一色ですが」と名乗ってしまい、急いで「SCRの一色ですが」と言い直す。さて、ぼくがインタビューする相手はピアニストだったか、名前は何というのだったか……。企画書を目で追いながら、データを探す。手土産は、ちょうど食べようとしていたお菓子の詰め合わせにしようと思い、受話器を持っていない方の手でその包みを裏返すと、デスクの上でそれはばらばらに砕けてしまった。

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8月2日の夢(エレベーターと階段)

 二階へ行こうとしてエレベーターに乗る。後から子供連れの夫婦が乗ってきて、三階のボタンを押す。エレベーターはなぜか二階を通過して、三階に止まる。恐縮する夫婦に「大丈夫です。階段で降りますから」と言う。このドアが階段だろうと思って開ける。実際、そこには階段があったが、左へ曲がっていて、踊り場から下は暗くて見えない。おまけに真黒なコールタールのような泥が下から踊り場までを埋めていて、とても降りられない。三階なのだが、そこは地上で、普通の市街地が広がっている。
 改めてエレベーターで二階へ降りる。外へ出ると、そこも地上であるが、さっきとは別の市街地が広がっている。

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7月31日の夢(中国)

 中国の劇場で仲間たちと芝居を観ている。昼休みになった。一人劇場を離れて、食堂でランチをとる。ロビーに戻ると女性が「今日はあなたと食事する」と言って、自分のお弁当を開ける。他のメンバーは客席で食事をしているようだ。なんだ。そんなことなら、ぼくも劇場でランチをとればよかったと思う。
 午後の部が始まる前に、トイレに行こうとする。ロビーから劇場へ行く細い通路の左側に、男女のトイレのマークが見える。だが、トイレのドアはとても狭くて、トイレに入ることのできないまま劇場に出てしまった。反転して、再度ロビーに出る通路を探す。多分、ここだろうと思う壁の一部を押すと、ドアが開き、さっきよりさらに細い通路に体を押し込むことができた。だが、この通路にはトイレはなく、劇場の外に出てしまった。
 一人で外を歩いていると、突然サイレンが鳴り渡る。演習だろうか。中年の中国兵がぼくを誰何し、「止まれ!」と命令する。日本人だと答えると、彼はぼくに銃を向け、大きなボールを渡し、「日本人ならおまえの肌でこの球を磨け」と言う。戸惑いながら、ボールを受け取ると、別の日本人が訳知り顔ににやにやしながら近づいてきた。彼も同じボールを持っている。「左手は中国では穢れた手とみなされる。だから右手で磨くんだ」と教えてくれる。弾力のあるボールはまるで女の乳房のように、手にまといつく。

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7月25日の夢(張り込み)

 早稲田詩人会で船の運送業を始めた。ぼくはその受付係だ。早速、発注の電話がかかってきた。S月堂のC社長からである。「こういうふうに事前に電話しておけばいいのですね」と問われ、ぼくは「はい。それでは27号室(50年前、早稲田詩人会があった部室の番号)でお待ちしています」と答える。
 ある夫婦が夜中に何者かに拉致された。近所の人たちが総出で、いなくなった夫婦の家に真夜中に張り込むことになった。ぼくが行ってみると、家の前の暗がりに3人の男女が身を隠すように潜んでいる。一人は猫のお面をつけている。
 家の中には大勢の住人たちがいる。突然、誰かが「敵がやってきた」と叫ぶ。ぼくは「誰が指揮をとるんだ? 逃げるぞ!」と叫ぶ。一斉に家から飛び出すと、向こうから大きな人影がどたどたと息をきらして走ってくる。「小川くんも来てくれたんだ」と、皆喜ぶ。

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7月24日の夢(女王様の会社)

 女王様の治める会社に勤めている。海の近くに建てられた新社屋だ。島なのだろうか? 海の中に敵の陣地の灯が見える。だが、それは過去の時代の風景らしい。半透明に現代の都市の風景がそれに重なって見えている。ぼくらはその陣地を偵察したり、女王様にもらったさまざまな武器で攻撃する。西洋の中世のような剣がある。研いでみると、ちゃんと切れる。しかも、ぼくでも扱えるほど軽い。ぼくは女王様から望遠鏡を貰い、それを使って勝利することができた。
 武器を別室にいる女王様に返還する儀式があり、ぼくは望遠鏡を返しに行く。女王様の足元には茨のバリケードのようなものがあって、とても邪魔だ。ぼくがそれを跨いで、無事に返し、退出すると、女王様が「一色さんが望遠鏡を本当に返しに来たのよ」と、感に堪えたように言うのが聞こえる。
 ぼくの隣のデスクには相沢正一郎さんが座っている。ぼくらのデスクの足元は沢山の段ボール箱でぎっしりだ。それらを足で押しのけながら、ぼくは仕事をする。その会社を、ぼくは一日ずる休みしてしまう。翌日、首をすくめて出勤するが、誰もぼくの欠勤をとがめだてしない。

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7月19日の夢(鮎川信夫についての講演)

 教室で鮎川信夫について講演をしている。教室の中を歩き回りながら話し始めたが、手にしているメモは一枚だけ。ぼくと鮎川さんの関係について話し出したのに、二枚目以降は持ってくるのを忘れたらしい。
 鮎川の幼稚園時代の写真、ピアノ教室に通っていた時代、小学校時代のカラー写真が詰まったアルバムを手にしている。しかし、そのどれにも人は一人も写っていない。

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7月15日の夢(兵士に志願)

 大学の研究室の訪問を終えて、廊下に出る。二階から一階にかけての廊下と階段は、壁際にスチール棚がびっしりと置いてある。そこには乱雑に貴重なCDやビデオカセットが所狭しと並んでいる。いずれ改めて、欲しいものを借りに来たいなと思う。一階には製本される前の校正刷りも何冊かある。これは貴重な資料だ。
 波打ち際に出る。海の深い青が美しい。志願兵の受付が終わろうとしているところだ。十八世紀ぐらいのヨーロッパの髭を生やした若者たちが七~八名整列している。担当者が「午前中は一歳年上の志願兵を受け付けたので、皆さんは午後からの受付になります」と言う。ぼくは彼に左手を敬礼するように挙げて、「志願兵です」と申告する。だが、肩がしびれて、左手は肩の高さまでしか上がらない。

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7月13日の夢(プレゼン)

 クライアントのところにプレゼンテーションに行く。クライアントの初老の男性が一人椅子にかけていて、プレゼンをする各社の担当者がその前に何人も並んだ。ぼくはその一番前。定時になり、さあプレゼンをしようとして、自分の荷物をごそごそ探すが、どうしても資料が見つからない。あまり皆を待たしてはまずいので「忘れてきたみたいです」と言って、順番を譲る。
 トイレに入る。特に左側が汚れていて、スリッパが床の茶色い液体を吸って、気持ちが悪い。足元の和式便器を見ると、真ん中に黄色い汚物がこんもりと盛り上がっている。

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7月11日の夢(トイレ行ってこい!)

 バスの車内で食事をしながら、建設技術者たちがボランティアの話をしている。労務手帳に「竹中組、○○組」と記入されているため、皆就労中とみなされて、「既に稼いでしまった者には仕事させられない」と言われてしまったのだ。「だから、ボランティアをするにはちょうどいいのです」と彼らは言う。そのとき一人の男が車外から名前を呼ばれ、出ていく。その瞬間、突然「トイレ行ってこい!」という男の罵声がどこからか聞こえて車内に響き渡り、皆呆然とする。

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