6月19日の夢(自動改札)

 何かのパーティーに出席するため、新宿駅まで来た。改札を抜けようとして、胸ポケットにあるカードを次々と取りだしてみるが、どれで出発駅の改札をくぐったのか、分からなくなってしまった。カードの裏の印字を見れば、出発駅が刻印されているので分かるはずだと思い、1枚1枚丁寧にチェックしてみるが、該当するものがない。改札口の向こうには同じパーティーに出るらしい和服の女性たちがもう集まっている。でも、まだ始まるまで時間があるはずだから、落ち着いてゆっくり調べようと自分に言い聞かせ、もう一度1枚1枚見ていくが、やはり見あたらない。
 たまたまポケットに1枚の乗車券が入っていた。いつどこで買ったものか分からないが、これを精算機にかけて不足額を精算すればよいと思いつく。しかし、精算機が見あたらない。改札の駅員に「精算機はどこですか」と尋ねると、駅員はあいまいに駅の外を指さして、「あそこにあることはあるんですが、実はあまり正確じゃないんですよ」と苦笑いをする。それなら、この駅員に精算してもらおうと思い、ポケットから適当に1枚のカードを渡すと、駅員は不審そうに顔をしかめる。なんと、そのカードは1997年に使って以来、一度も使用されていないというのだ。ぼくは駅員にすっかり不審者扱いされてしまい、容易には改札を抜けられそうにない。

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6月18日の夢(テロップ係)

 ぼくはテレビ局に勤めていて、番組の画面にテロップを入れる役目をしている。次々といろいろな場面が出てくる度に、それに合わせて画面の下に、数行でいかに気の利いた字幕を流すかが腕の見せ所だ。
 それは音楽番組で、画面では新人の女性クラシックピアニストが演奏を始めた。あれは音楽ライターとして、ぼくと一緒に苦労していたIではないか。成功したのだ。良かったなあと思う。彼女の名前をテロップで流そうとして、手元の資料を見ると、彼女の本名が書いてある。あれっ、彼女の芸名は別の名前ではなかったっけ? 思わず声に出してしまったらしく、番組の出演者としてぼくの傍で待機していたベテランの女性ピアニスト(小川典子さんだった)が「そうよ。クラシックのピアニストが芸名を使うときは、本名とは全く違う名前にするのが普通よ。よーし、あたし絶対言ってやるからねー」と言う。名前を間違えたアシスタントディレクターのことを、番組のプロデューサーに訴えてやると息巻いているのだ。
 場面が変わって、この番組の女性司会者が画面に登場した。彼女の前のテーブルには緑色をしたミニチュアの小山のようなセットが置かれている。彼女は緊張してあがっているらしく、「坂本龍一さんから7月になったら、きっと貰えると思ったら、やっぱり送られてきました」と、なんだか意味の分からないことを言うと、緑色の半球形に先のとがった長い柄の突いたもの(柄の長い蝙蝠傘のようなもの)を何本も持ってきて、それを小山にブスリブスリと刺していく(ミニチュアの小山に樹木の模型をいくつも植えたような感じ)。すると、かたわらにいた何人かの女性がそれを小山からまた引き抜く。それで、その緑色をした半球形のものは針山であることが分かる。彼女たちはそこから糸のついた針を抜いて、一斉に縫い物を始める。
 この場面は女性司会者があがって、しどろもどろになり、あまりにも意味不明になってしまったので、司会者グループの一人である若い男性が彼女に、「ぼくは頭が熱くなり過ぎて、よく分からなかったんですけど、今の場面はこういうことだったんですかねー」と助け船を出して、懸命のフォローをする。

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6月17日の夢(巡礼)

 某現代詩人会主催の大がかりな詩祭が今年はとてつもなく変わった場所で開催された。ローマかギリシャの古代遺跡を思わせる、古い石造りの野外劇場で行われたのだ。ぼくは最初、左側前方のステージに近い席に見知らぬ女性といっしょに座っていたが、「あなたはここにいるべきではないのでは?」と彼女に言われ、立ち上がってほかの席を探しに行く。しかし、4〜5人ずつ単位に仕切られた席は満席ではないとしても、どの仕切にも必ず何人かが座っていて、空席も帽子が置いてあるなど誰かがいる気配である。これではどこにも自分の居場所がないと感じて、会場の外に出ると、会場の外壁を登っていく石の階段を見つけた。それを登ってみると、二階席・三階席の背後からステージを見下ろせる、会場の一番奥の一番高い場所に偶然出ることができた。
 
 会場を出たところで、学生時代の詩のサークルで先輩だったO氏をはじめ、何人かの仲間と出会い、この少し先にパゴダのようなものがあるから、そこまで行こうということになる。地図を頼りに出発するが、道は迷路のようだし、異様な生き物や盗賊に襲われたりして、冒険を重ねるうち、メンバーはだんだんバラバラになる。どうやらここはイスラエルとパレスチナのせめぎあうあたりらしい。ひとまず路傍の小屋に入り込み、一息つこうとする。ふと気がつくと、手に黒い大きなバッグを持っているが、一番大切なものを入れてあるリュックを持っていない。ドキッとする。だが、よく考えると、リュックはちゃんと背中に背負っていたのだった。
 夕方になり、ぼくらは宿に泊まることにする。バラバラだったメンバーが再びここに集結する。宿はフローリングの部分もあるが、部屋の部分は畳敷きだ。ここはシモンという都市だと聞いているが、こんなところにも日本人旅行者のための宿があるのだろうか? ぼくらのリーダーはもうかなりの年だと思われる関西弁をしゃべるおばあさん。夕食前に彼女の日本での苦労話を聞いたり、お互いに身の上話をしたりする。部屋の一方は池に面している。というより、この宿は池の上に建てられているらしい。反対側は中二階のように高くなっていて、その窓からは大きな広場とそこから伸びる車の走る街路が眼下に見下ろせる。どうも建物のこちら側は、この広場の上に建てられているらしい。もうすぐ夕日が沈む。さあ、食事をして、眠ろう。明日はようやく最終目的地のパゴダに巡礼することができるだろう

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6月15日の夢(自殺常習者)

 自殺衝動を抑えられずに神経病棟に入院している若い男性と向き合い、その話を詩人のN・F氏とぼくとで聞いてやっている。その若者の主治医をしている若手医師自身も実は自傷行為の常習者だという。この自殺常習者の男の話は長いのが欠点だが、「ぼくにとってそれを聞いてあげるのは少しも苦痛ではないよ」と、男に言ってやる。
 すると、男はいろいろな植物の名前を沢山挙げた上で、自分が好きな順番にその植物のリストに番号を振っていく。N・F氏はそれが我慢ならないらしく、「ほら、そうやって好きな順番をつけるところが、あなたのいけないところだ。植物に順番なんて要らないんだ。人間に順番がつけられないのと同じように」と批判する。ぼくは彼の言い方に反発を覚えながらも、「なるほど、その通りだなあ」と思う。
 そのN・F氏の書いた教科書に、一個所空欄になっているところがある。そこに当てはまる単語をぼくは当てなくてはいけない。みんなは分かっているみたいなのだが、ぼくはどうしてもそれが分からない。「待って! 待って!」と言いつつ、ぼくは焦って「遺伝?」「心?」「性格?」と、いろんな言葉を当てはめてみるが、それらは皆間違っているらしい。

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6月14日の夢(バスの中の座敷)

 観光バスが何台も道路に停まっている。劇場へ連れて行ってくれるバスだ。ぼくらは数人のグループで、これから観劇に行くところ。人数を運転手に告げて、乗り込む。車内には畳敷きで床の間もある座敷が三つ並んでおり、どの部屋もたくさんの座布団が置かれている。既に何人かの乗客が座布団に座っており、ぼくらは真ん中の部屋に座ることにする。
 劇場に着いた。客席にはテーブルが置かれ、そこにはおいしいものが並べられて、食べ放題だ。ところが、食べ終わらないうちに捜査官たちがどやどやと踏み込んできて、ぼくらは何も分からないままに尋問を受ける。何か事件があったのだろうか。ともかくいったん外に出て、次の幕で入って、また食べればいいやと思う。

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6月13日の夢(ホテルと教会付きの家)

 息子とその嫁と、彼女の友人らしいもう一人の女性が、ぼくらの家に向かうため、満員の地下鉄に乗り込もうとしている。嫁は息子に「お腹が減った」と訴える。息子は「じゃあ、俺が何か買ってくる」と言って、電車を降り、女性たちには「乗ってて」と言う。
 ぼくは自宅の玄関のドアをそっと開ける。自宅といっても、今の自宅とも、昔の実家とも全く違う。家の隣は我が家に付属するホテルになっていて、その前に嫁と連れの女性が立っているのが見える。二人は息子を待っているのだが、なかなか現れないので、二人はホテルに入る。
 ぼくの部屋とホテルの彼女たちの部屋とは隣り合わせで、カーテンをかけたガラスの壁一枚で隔てられているので、二人の影がカーテンに写る。ぼくはその影に向かって、「よかったら今、校正を持っていくよ」と声をかける。しかし、彼女たちは今着替え中らしい。「じゃあ、後でロビーに持っていくから、声をかけて」と、もう一度呼びかける。
 息子が嫁たちに「うちが教会を経営してたなんてなー。裏にあった建物が教会だったとは知らなかった」と言っている。そうなのだ。我が家はおんぼろホテルとおんぼろ教会を敷地の中に持っているのだ。トイレに入ると、窓から隣接する教会が見える。今にも倒れそうな、なんともみすぼらしい、木造の建物だ。その縁の下から、先端に水色の光が灯った細いチューブのようなものが出てきて、くねくねと動きながら、こちらを偵察している感じだ。

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6月12日の夢(核戦争後の世界)

 新潟に午後から出張することになった。3時半発の飛行機に乗ればよいので、会社でゆっくり旅支度をする。社内には大きなタンスがあって、その引き出しにワイシャツとネクタイが入っているはず。引き出しを開けてみると、ネクタイはあるにはあったが、白地に菜の花のような色彩の黄色いチェックの縞が入っているものしかない。これではあんまりだと思う。とにかくワイシャツに着替えて、鏡を覗く。びっくりだ。首の周りに鎖国時代の長崎出島の絵に出てくるオランダ人のような大きな襟飾りがついており、さりにその上の首にもばかでかい飾りがついていて、まるでエリマキトカゲのようだ。慌ててそれらの飾りをハサミで切り取る。ズボンをはく。ウエストが急に細くなったようだ。何度もベルトをぎゅっと締め上げたつもりでも、ズボンがゆるゆるになってしまう。周りに若い女の子たちがたくさんいるので、とても恥ずかしい。
 そんな大騒ぎのあげくに、とにかく電車に乗る。核戦争があって以来、外の景色は一変してしまった。荒れ果てた砂丘の風景が広がるここが東京だなんて信じられない。汚れた長細い黒ずんだ水たまりがあり、そこに見たこともない水棲生物がうごめいている。放射能で突然変異してしまったのだろう。ぼくはほかの乗客たちにそれを指さして、「見て見て! 懐かしい! 昔の川のようだ!」と叫ぶ。
 ある駅で、暗い顔をした一人の男が乗車してくる。彼は放射能の突然変異で生まれたミュータントの一種で、うっかり何か頼み事をすると、それを成し遂げるために命まで捧げ尽くしてしまう性質があるから、気をつけなくてはいけない。それなのに同僚のWくんが彼に何かを依頼してしまったという。これは大変なことになる、と直観したぼくは、ワタナベくんをタクシーに乗せて逃がそうとする。だが、それは確かにタクシーの形をしているものの、ただの鉄の箱(なんだか棺桶のようだと、夢の中で思う)で、自力で走行することができない。電車は地下を走っているので、ほかの乗客たちといっしょにぼくはその鉄の箱に入ったWくんを地上まで懸命に運び上げなくてはいけなくなる。こんなことをしているうちに、時間がどんどん過ぎてしまう。とても新潟行きの飛行機には間に合わないかもしれないと思う。

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6月11日の夢(庭師)

 家に帰ると、そこは名古屋の今はない実家だった。庭に小さな焚き火がされていて、そのそばで二人の庭師が地面に足を投げ出し座り込んで休憩している。そのかたわらで家の番犬も寝ている。いったん家に入ってからもう一度庭を見てみると、番犬はさらに図々しくなったようで、庭師の伸ばした足の上に枕がわりに顎を置いて寝ている。
 母に「あの庭師はどうしたの?」と尋ねると、「6時には帰ると言っていたんだけどねー。でも、庭師賃はただなのよ。どうせ家には持って行かれて、困るような高価な薔薇も植えてないし、大丈夫よ」と言う。それじゃ、おやじの仕事の関係(ぼくの子供時代、父はゴルフ場の支配人をしていた)の庭師さんなんだね」と、ぼく。「そりゃそうさ。家で雇うわけがないよ」と母は言いつつ、「そういえば」と言って、写真を取り出す。「さっきこの子が遊びに来たんだよ」と、ぼくにいろいろな写真が細かくコラージュされたノート大のプリントを見せる。そこには若い女性の顔が二カ所くらいに印刷されている。それは「夢の解放区」創設当時のメンバーの景さんだ。ぼくはそれを見て、「研ナオコに似てるな」と思う(夢ではそう思ったけれど、目覚めて覚えていた顔は木村カエラに似ていた。現実の景さんは工藤静にそっくりだったけれど)。ぼくは「この子は昔は素朴な娘だったのに、結婚してからだんだん垢抜けてきたんだね」と、感想を述べる。
 それから、ぼくが両腕にいっぱいの本を、まるで剪定した枝のように抱えて庭の方に行くと、ちょうど庭師たちが帰るところだった。ぼくは慌てて両手に抱えていた本を畳の上にどすんと落とし、彼らを見送りに出る。

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6月10日の夢(天然米)

 デパートへ行くと、珍しいお米を売っている。このお米は南洋原産らしく、サトウキビかトウモロコシのような太い茎に、葉っぱの殻に包まれて実るらしい。その殻もいっしょについたままのお米(「天然米」というらしい)が三段重ねのダンボール箱の一番上の箱に入っているのを、自分でカップに入れて買うことができる。健康にもよいらしいので、自分も買っていこうと思う。しかし、もう多くの客が買ってしまった後で、お米は底の方に僅かに残っているだけ。しかも、葉っぱや殻が多くて、カップですくおうとしてもなかなかカップがいっぱいにならない。二段目の箱にはまだいっぱい入っているのではないかと、その箱を覗いてみるが、そこに入っているのはトウモロコシかヒエのような実で、お米ではなかった。再び、一段目の箱を覗くが、そこにはお米ではなく、キャベツの葉っぱがいっぱい詰まっている。お米だと思ったのは見間違いだったのだろうか。お米なら、どうせ熊本にいる息子が送ってくれたのが家に沢山残っているから、買わなくてもいいや、と思い直す。

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6月9日の夢(大津波)

 どこかの高級マンションの見晴らしのよい部屋にいる。窓の外にはパノラマのように湾の風景が広がり、対岸にはニューヨークのような高層ビルの建ち並ぶ都市の風景が眺められる。気がつくと湾の入口に当たる左手から大津波が対岸に押し寄せ、超高層ビルのてっぺんまでが激しく白い大波濤に襲われるのが見える。「津波だ!」と驚いて、みんなに知らせるが、津波はあっという間に湾を渡って、こちらへ押し寄せてくる。目の高さより上に膨れ上がった海面がみるみる迫ってくる。これでは助からないだろうと観念する。だが、なんとか第一波はやり過ごした。第二波が来るまでに急いでさらに高いところへ逃げようとする。

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