11月13日の夢(クジラの合唱)

 ぼくはまだ高校生で、男性教師に引率されて修学旅行に出発する。旅館で大部屋にみんなと泊まるのがいやだなと思っていると、大部屋の少し先に小さな部屋があるのを発見。誰にも知られることなく、そこを個室として占領することにし、窓際に置いたお菓子を食べながら優雅に庭を眺めている。と、庭を歩いていた別のクラスの男子生徒三人がぼくが個室にいるのを見つけ、中に入ってきた。しかし、彼らもほかの生徒たちにはこの部屋のことを話さず、四人でこの部屋に滞在することにする。
 ぼくは仕事を終えて、港の水族館のようなところから出ようとしている。ちょうど水族館にいる鯨たちが一斉に合唱をする催しが始まったところで、入館者たちがあちこちで耳を傾けているが、ぼくは早く帰りたいので、どんどん階段を降りていく。だが、海にいる鯨たちも呼応しているらしい、鯨たちの哀愁に満ちた笛の音のようなハーモニーは、階段の踊り場でもよく聞こえる。ちゃんと「ここでも聞こえます」という貼り紙がしてあり、立ち止まって耳をすましている人たちの姿がある。でも、ぼくは鯨の歌声を聞きながら、とっとと外へ出ていく。

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11月11日の夢(お風呂オフィス)

 職場がお風呂屋になっていて、お湯につかりながら仕事をしている。社長からお正月の仕事のスケジュールが発表された。東京に残ってパレードに出る者と、大阪で取材する者と、それぞれ仕事を分担することになる。ぼくは大阪行きを志願する。だが、スケジュール表を見ると「朝7時から取材」とあるので驚き、女性社員のSさんに「これは前日入りになるのだろうか?」と問いかける。しかし、彼女も新人なのでよく分からず、「先輩に聞いて調べておきます」と言う。また、お湯につかっていると、妻がやってきて、「東京にいた方が楽なのに」と文句を言う。ぼくは「そんなことないよ」と言い返す。

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11月9日の夢(脱出行)

 何があったのか分からないが、文明社会が至るところで破滅に瀕しているらしい。行方不明で、連絡のとれなくなった会社の同僚たちも多い。デザイナーのSくんの携帯番号にかけても、出てくるのは全く関係のない女性だ。
 社員みんなでここから脱出することになり、列車に乗ったつもりだったが、それは船だった。大きな入り江か川のような水面を航行していくと、大波が立ち、船はゆさゆさと揺れる。上空を米軍のヘリコプターの編隊が轟音を立てて海の彼方へ飛んでいく。
 駅に着いて(やっぱり列車だったらしい)、みんな小休止する。ぼくはその間に何か腹の足しになるものを買っておこうと、駅の近くの魚屋を覗く。開店しているお店も今では少ないので、魚屋も殆ど雑貨屋のようになっていて、パンも売っている。どのパンを買おうかと迷っているうちに「出発!」という声がかかる。みんな一つだけ開いているレストランに入っていく。そこは人々でいっぱいで満席だ。所狭しと並べられた椅子の脚に蹴躓きそうになりながら、苦労して店内を進み、空席を探していると、誰かが「外だ」と言う。意味がわからないでぼうっとしていると、みんなは店の外の地面に座って、食事のできるのを待っている。店内に入ったのはトイレを借りるためで、もともと席はなく、外で食べるしかないのだという。

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11月8日の夢(低空飛行)

 妻と旅行帰りで、飛行機に乗っている。窓の外を赤い灯火を先端につけた二本の柱が過ぎていく。先端は既にぼくらの乗っている飛行機よりも高い。もう飛行機は着陸態勢に入っているのだ。あの二本の柱は往きの飛行機でも見たなと思い出す。さらに窓外を京浜工業地帯のコンビナートが過ぎていくが、飛行機の高度はそれらの工業施設よりも低い。いつのまにかこんなに高度を下げたのだ。今度は窓の外にタンクローリーが見える。飛行機と同じ方向に、競争するような形で走っている。こんなに低く降りて大丈夫かと不安になる。やがて駐機している飛行機の頭が次々と窓の外に見え、無事飛行場に着陸したことがわかり、ほっとする。

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11月6日の夢(障子の密室)

 出張から東京に帰ってきたのは夜の11時頃だった。ぼくがいるのは車がどんどん走っている道路だが、街の中心からはずっと外れた寂しい場所。いつもはここからタクシーで帰るので、かたわらの父(実際には25年前に死んでいる)に「タクシーで帰ろうか」と言う。父は「そうだな」と答えると、いきなり角を曲がって遠くに見える地下鉄の駅の方へ駆け出し、姿が見えなくなる。タクシーを捕まえに行ったのだろうか? タクシー乗り場があそこにあったとしても、こんな深夜だから大変な行列なのではないか。ぼくといっしょに出張から帰ってきたM氏らがバス停にいるのが見える。「○○行きのバス」という声も聞こえる。見ていると、そのバスが路地からひょいと出てきて、彼らを乗せて行ってしまった。ぼくの帰るのとは反対の方に向かって。
 ぼくの周りにはまだ帰る手段がなくて、立ち往生している人たちが何人かいる。いつまで待っても父は帰ってこない。なんとかしようとぼくは歩き出す。一人の人が二匹の犬をひもにつないで立っている。一匹はブルドッグだ。二匹の間を抜けようとして、ぼくは咬まれるのではないかと、ちょっと不安になる。だが、犬はおとなしい。その瞬間、近くにいたおばあさんが「地震だ! ほら、崩れる!」と叫んで、交差点を対角線に走り出す。確かに道路に面したボロ家が崩れそうに傾いているが、これはもともとこうなっているのではないだろうか、とも思う。
 腕時計を見る。11時半だ。家に帰れるかどうか、ますます心配になり、心細さが増す。妻が車でここまで迎えに来てくれないだろうか。
 突然、場面が変わり、ぼくは布団の中にいて、妻の名前を叫んでいる。布団がじゃまで、見えないのだが、妻が部屋に入ってきた気がするのだが、妻はぼくに気づかないらしい。ぼくは必死で妻を呼び続けるが、その声はかぼそく、妻は出ていってしまった。
 やっと布団をはいでみると、ぼくがいるのは上下左右を障子の桟が双曲線を描いて取り囲んでいる四次元的な空間である。ぼくはもうここから脱出できないかもしれない。天井に、白いカーテンをまるめたようなものがぶらさがっている。ぼくは「そうだ! 音楽がいた!」と叫んで、そのカーテンのようなものを引っ張る。すると、それは床に落ちて、若い男に変身する。男はぼくに「ぼくは音楽だ。さあ、ぼくが来たから、音でみんなを呼ぼう!」と言う。そして、ぼくと音楽とは二人でリズムをつけて、障子の壁を叩いて回る。この音を外にいる誰かが聴き取ってくれますように……。

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11月5日の夢(オンボロ音楽教室と合唱団)

 仕事中に会社をさぼり、近くにあるボロ家に駆け込む。この今にも壊れそうな建物は音楽教室で、ぼくはそこで尺八を習っているのだ。男の先生がぼくを喜んで迎え、助手の男にぼくのために楽器を用意するよう指示する。助手は尺八の指穴に、小包の包装用に詰めるプラスチックの薄片のようなものを一つずつ押し込んでいる。尺八用の楽譜も目の前に用意される。全然読めない。こんなもの、どうやって吹くんだ?
 そのうち老若男女沢山の人たちが教室に集まってきた。ぼくの勤めるグループ会社の一つの社長や、同僚の顔も見える。ぼくらは合唱団のメンバーだったのだ。音楽教室の三つの部屋の壁を取り払って、Lの字型の大きな練習室ができている。しかし、庭の向こうには別のボロアパートがあり、その窓には大勢の住人たちの姿が見える。こんなところで練習をして、迷惑にならないのだろうか?
 と、また場面が変わって、ぼくらは広い空き地に走っていき、コーラスのパートごとに整列する。ぼくもメンバーのはずなのだが、どうも勝手が分からない。「おーい、どっちがテノールだ?」と叫ぶ。多分、列の短い方がバスで、長い方がテノールだろうと推測し、自分もテノールの列に並ぶ。
 いよいよ練習が始まった。最初は年齢も背丈も不揃いの3人の子供たちによる、コミカルなコーラスだ。どうやらでんでん虫の歌らしい。大人たちは彼らのバックで、全員両手の人差し指を耳の上に当て、2本の角に見立てたフリをつけて踊る。ぼくもいかにも知っている顔をして、すまして踊る。そして、いよいよ大人の混声合唱が始まる。みんな想像以上に上手だ。
 練習が終わると、その空き地に先生と助手が出てきて、何かの雑貨の在庫を整理し始める。外国から輸入した雑貨を売って、この合唱団の運営費用をまかなっているらしい。利益を上げるためには、在庫をあまり持ちすぎないのがコツだと先生は言う。
 それからぼくは書類を持って、ガラス張りのビルにある役所に向かう。みんながその書類の提出はやめた方がいいと忠告してくれるが、ぼくは聞かない。書類はぼくから奪い去られた自分の息子の養育権を取り戻すための申請書類だ。ぼくがあの合唱団に所属しているのも、その土地にぼくの息子が別の両親と暮らしているからなのだ。

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11月3日の夢(ズボンが見つからない)

 一人の女性が主人のガードマンとして指名された。しかし、お米が不足しているからと、稗飯しか食べさせてもらえない。
 長い螺旋階段を降りて、一番下の床に着く。と、螺旋階段は消えて、階段のあったところに、物資がうずたかく積み上げられている。子供たちのために用意された駄菓子の山だ。思わず「懐かしいなあ」と言う。
 詩人の新川和江さんがぼくの新作について「この詩は頭で書いたわね。以前の詩に比べて、実感がこもってないわ」と批評する。ぼくは「いえ。以前の詩の方が頭で書いたんです。以前の詩で頭で書いてしまった部分を、ありのままの本当のことに書き直したのがこの詩なんです」と反論する。新川さんは「あら、そう」と言う。
 若い女性クライアントとバスに乗ってロケに出かける。終わって、またバスで駅に戻ったが、階段の人混みで彼女を見失ってしまった。挨拶しないでこのまま帰るのはまずいと、必死で彼女を捜し回るが、見つからない。ふと気づくと、ぼくはズボンをはいておらず、パンツ姿になっている。そういえばバスに乗るとき、服を替えたのだった。ズボンは駅のクリーニング店に預けたはずと思い出し、今度はそのクリーニング屋を探し回るが、駅は迷路のようで、やっぱり見つからない。

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11月2日の夢(3匹の犬)

 ぼくは三匹の大きな犬を飼っている。ぼくは三匹のうち、順番に一匹ずつを連れてコンサートに出かける。そして、ピアニストにその犬に合わせた演奏をしてほしいと頼む。

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宇宙ロケットのおしっこ

 ずっと以前に会社を退職した元「P」誌編集長のKさんがいよいよ「本当にいなくなる」ことになったらしい。現編集長のぼくの席の左隣に、一日だけ彼女の席が設けられ、本当に彼女がやってきた。
 印刷所の人が二人挨拶に来社した。慌てて名刺を探すが、ぼくのデスクの引き出しに入っている名刺箱の中の名刺はみんな他人のもので、一枚も自分の名刺が残っていない。「不思議だなあ」と思い、右隣のOさんに名刺を注文してくれるよう頼む。その後で、今まで気づかなかった右の引き出しを開けると、そこにぼくの名刺があった。なあんだ。
 
 夜の道を歩いている。と、夜空を弧を描いて、黄金に輝くライオンが飛んでいく。ぼくの歩いている道を飛び越えて、塀の向こうに降りた。続いてウルトラマンが同じコースで飛んでいくが、道路を飛び越える寸前で落ちてしまい、慌てて塀を乗り越える。カッコワルイ。気がつくと、ぼくの服に草の実のようなトゲがいっぱい刺さっている。濡れたような帯状の痕もある。宇宙技術者がやってきて、ぼくに、それは「宇宙ロケットのおしっこ」といわれるものだと教えてくれる。

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10月30日の夢(お弁当付き地下鉄)

 お店の入り口に四角い流し台のようなものが置いてある。ぼくはその蛇口をひねって、コップを洗っている。だが、洗っても洗ってもコップはきれいにならず、泡立ったままだ。変だなと思って、周りを見回すと、ほかの人たちも蛇口をひねって、コップを泡で満たしている。それは水道ではなく、ビールの注ぎ口だったのだ。赤面して店の奥に引っ込む。だが、みんなの視線がぼくに突き刺さるように感じる。そういえば前にも同じ失敗をしたことがあった。ああ恥ずかしい。
 名古屋の東山公園の奥の地下鉄の駅のホームにいる。地下鉄と言ってもここは電車が地上を走っているので、駅も地上にある。それにまだ都市開発が進んでいないので、周囲はススキが生い茂り、山また山の地形だ。地下鉄はこの駅が終点なので、入れ替えて別のホームに入線するというので、かなり無理をして高さの違うホームへ乗り移る。見ていると山の間を円を描いているレールを、入れ替えのため地下鉄が走っていく。鼻が超音速ジェット機のように長い超モダンなスタイルをした地下鉄だ。その長い鼻の部分がカクッカクッと上下して、複雑な動きをしながらトンネルに潜ったり、また地上に現れたりする。
 ついにその地下鉄がホームに入ってきた。この地下鉄はお弁当付きで、座席の一つ一つにお弁当が置いてある。既に乗り込んだ乗客もいて、蓋のあいている弁当箱もある。ぼくは入り口近くの席に慌てて座ろうとするが、怖いおじさんに「おれの席だ!」と凄まれる。さらに進むと、小さな男の子と若い母親の向こうの一番奥の席が空いている。「そこ、空いていますか」と尋ねると、二人はにこにこと「空いていますよ」と答える。喜んで腰を下ろしてみたものの、お弁当は男の子が食べてしまったらしく、既になかった。
 気がつくと、ぼくの座席だと思ったのは、四人の人間が折り重なって人間椅子になっているのだった。そのうちの一人の男はもう一人の女に執拗に復縁を迫っている。そして、ほかの二人はぼくに「お恥ずかしいところをお見せして・・・」と詫びる。ぼくは「いいですよ。ぼくは慣れてますから」と答える。
 外は早朝らしく、窓から見える山やススキの原には深い霧が降りている。車内アナウンスが「このあたりは海から○○キロと遠いのに、海の影響で朝には霧がでます」と放送している。と、電車は直角に近いカーブを切って、山の方に進む。そこは砂漠に近い岩山で、風景ががらりと変わってしまう。窓の向こうを趣味の悪い巨大なモニュメントが過ぎる。そして、その隣に「劇団ラブ 詩劇上演記念」という小さな石碑のようなものが置かれているのが、ちらりと目に入る。ぼくは驚愕する。あれはぼくが40年前に、「劇団ラブ」という学生劇団を作って詩劇を上演したとき、確かにその記念にとそこに置いたまま、忘れていたものだ。
(劇団ラブを19歳のときに組織して詩劇を上演したのは事実です。最近、ラジオ詩劇についてのエッセーを書いていて、急にそのことを思い出したのが、夢に現れました)

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