12月10日の夢(喫茶店の夢ふたつ)

 11月をもって12年間続いた共同夢日記「夢の解放区」の幕を下ろしたのは以前に書いた通りですが、その管理人をお願いしていたのが今日の夢に出てきた《ぬえ》さんです。本当に長い間、お世話になり、有り難うございました。
(夢ここから)
 さんざん苦労をした末にようやく座談会が終わった。でも、ちょっと不具合があったので、それを直すために《ぬえ》さんが席を立ったので、本当はまだ完全に終わったわけではない。だが、会場のレストランのウェイターは「皆さん、自己紹介のために二階の席へ移動してください」と言う。見ると、このフロアからつながった中二階のようなところがあり、そこへ移動してほしいようだ。座談会用に四角くテーブルをセットしたフロアから、普通の喫茶店風のテーブル席になっている二階へ、みんなぞろぞろ移動する。ぼくはこのまま荷物を置いていこうかどうしようか迷うが、やはり不用心なので、全部持っていくことにする。
(ここから別の夢)
 妻が喫茶店のウェイトレスとしてアルバイトを始めたので、その店を訪ねる。店の女性たちがぼくに気をつかって、飲み物を出してくれた。妻は初老の化粧の濃い女性からオーダーを受けたところだったが、ぼくが行くと、そのまま女性の席と通路を隔てて隣り合った一人用の席に座った。ぼくは通路に立ったまま妻と話し出す。背中にはリュックを背負ったままなので、初老の女性の顔のあたりにリュックが来て、通路をふさいでしまう。話を終えて、ぼくは外に出ることにするが、手に持った飲み物の代金を形だけでも「払う」と言った方がいいだろうと、店内を見回す。しかし、ほかのウェイトレスたちはみんな店の奥に入ってしまっている。伝票もないし、レジの人もいないので、「まあいいか」と、そのまま外に出ることにする。

カテゴリー: | コメントする

12月9日の夢(体を買い換える)

乗っている船が沈みかけている。既にだいぶ沈んでしまったのか、息苦しい。水中でも大丈夫な立派な体が1000円くらいで売られているので、お金を払って、急いでその体に買い換える。(夢終)
疲労困憊していて、寝ていて、不整脈があったため、こんな夢を見たようです。

カテゴリー: | コメントする

12月6日の夢(詩の先生)

 ぼくは「詩と思想研究会」というワークショップで詩の実作指導の講師をしているのですが、そのぼく自身が詩の先生につく夢を見ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ぼくの家に、詩を教えてくれる先生がやってきた。ぼくより年上で偉そうだ。その先生がごそごそぼくの原稿のチェックをしている間、ぼくはふてくされてソファに横たわり、本を読んでいる。「おい、きみ!」と先生がぼくを呼ぶ。ぼくは挑戦的な目をして、でも一応にこやかに彼と視線を合わせながら起き上がる。「そろそろ研究会で、きみの詩を出そうか」と彼は言う。そういえば、以前も彼に言われて、研究会でぼくの詩を披露し、みんなから逆に批評をもらったことがあったっけ。だが、ぼくは「ぼくは講師ですから、みんなが混乱するといけませんから」と、先生の申し出を断る。

カテゴリー: | コメントする

12月5日の夢(見つからない場所)

 タクシーに乗って、「ある場所」を探しに行く。運転手のほかに同行者は男女一人ずつ、ぼくを含めて三人で出かける。車窓から見える街はグレイに古ぼけていて、今はない昔の街のような気がする。ぼくたちは「ある場所」を探し回るが、結局見つからず、帰ることにする。道中、運転手はこの仕事を25,6歳からはじめ、今30歳だという。ぼくは「出発した場所」も見つからず、帰り着けないのではないかと不安になるが、出発した場所は無事に見つかった。そこは、ガードレールか柵のようなものが内側に切れ込んでおり、バス停であるらしい。ぼくが運転手に「ここで降ります」と言うと、ほかの二人の乗客もいっしょに降りた。運賃は一人1000円ずつだった。
 家に帰り、妻に「見つからなかったので、行かなかった」と言う。妻は「行ってみればよかったのに」と言う。

カテゴリー: | コメントする

12月3日の夢(富士山の噴火)

 会社の同僚たちと富士山に登る。富士山には中腹までエレベーターで登ることができる。エレベーターを出たところの右側はガレ場というのだろうか、岩の砕片がごろごろしていて、とても足場が不安定だ。左側には既に登山した社員たちの鞄がうずたかく積まれていて、中には谷底の方まで転落している鞄もある。そしてガレ場の向こうには広い草原があり、そこで社員たちが楽しく遊んでいるのが見える。
 不安定な瓦礫の上を乗りこえて、ぼくも草原に降り立ち、みんなと楽しく遊ぶ。ふと富士山を見上げると、休火山のはずなのに、山頂から黒い煙がもくもくと立ち上っている。ときには、ぼっと紅蓮の炎も混じる。あれっと思っているうちに、火山弾が次々と降ってくるようになった。慌てて売店の中に逃げ込むが、そこも危険になる。二台の車に分乗して、エレベーターの入り口まで逃げることにする。ぼくは助手席に乗っているが、火を噴く山頂に向かって(エレベーターの入り口は山腹にあるので、逃げるには山に向かっていかざるをえない)疾走する車の正面から、サッカーボールくらいの煙を吐く火山弾が次々と飛んできて、地面にバウンドしては車をかすめていく。今度こそ直撃されると覚悟するが、危機一髪でエレベーターの中に逃げ込むことができた。

カテゴリー: | 2件のコメント

12月1日の夢(小狸)

 夜、自宅の台所とも道路ともつかぬところを歩いていると、小さなぬいぐるみのような動物が歩いてきた。小狸だと思った。かわいいなあ。でも自動車に轢かれてしまわないだろうか、と心配だ。いっしょに歩いている仲間に、狸を踏んづけたりしないよう、気をつけようと声をかける。
 さらに進むと、もっとかわいい小狸が何匹も歩いてくる。ぬいぐるみのような体に柄があって、本当に愛くるしい。さらに進むと、案の定、小狸が車に轢かれてぺしゃんこになっていた。かわいそうに。(夢終)
 11月まで12年にわたって仲間たちと書いてきた共同夢日記「夢の解放区」を閉鎖したため、これからはこの「ころころ夢日記」で毎日の夢を書いていきます。どうぞよろしく。

カテゴリー: | 12月1日の夢(小狸) はコメントを受け付けていません

11月25日の夢(老人になる)

 ぼくは老人で、ホテルに一人で泊まっている。これからほかの老人客と混じって、団体でどこかへ行くことになっている。身繕いを一人でする自信がないので、部屋付きの中年のメイドに手伝ってもらう。そのため、ドアを開けておいたら、ほかの部屋の老人が入り込んで、身繕いを始めた。「ここはぼくの部屋だから出ていってくれ」と言おうと思うが、思いとどまる。部屋の中は暗くて、散らかっている。腕時計を探す。メイドが慌てて「なんですか」と聞いてくるが、自分で見つけて腕にはめる。ポケットを探ると、汚れたちり紙が何枚も入っている。捨てたいが、どこに捨てればよいだろう? 小さな鍵も指先に触れた。きっとこの部屋の鍵だろう。
 身繕いを終えて、部屋の外に出る。どこかで子犬がメロディーのある歌をうたっている。既に引退した元編集長のKの声が背後から聞こえる。「今日もワワワン、ワワワン、ワワワン、ワッワワワワワワンという声が聞こえるわ」。それに対して、もっと若い女性の声が「あれはそう聞こえるだけで、そう鳴いているわけではないのよ」と答える。
 カメラマンのIに現代美術館に連れていってもらう。若い人たちで館内はいっぱいだ。入り口には確かナムジュン・パイクのインスタレーションがあったはずだが、そうではなく一面に落書きされた学童用の机がいくつも二段に積まれている。内部も美術館というより古道具屋のようで、がらくたがいっぱいだ。うろうろしていると、カメラを構えて記念写真をしているグループの中に紛れ込んでしまい、慌てて場所を移る。この中は不案内で、Iだけが頼りなのだが、Iだと思った男はもっと背の高い女性に抱きしめられている。ということは、あれはIではないのだろう。迷子になりそうな不安に襲われる。だが、Iはすぐそばにいて、「このへんを適当に見て回りましょう」と、ぼくににこにこ声をかけてくれる。

カテゴリー: | 11月25日の夢(老人になる) はコメントを受け付けていません

11月23日の夢(逃げる)

 誰かに追われている。もう一人の男といっしょに関西へ逃げていき、肉体労働をする会社に行って、面接を受け、採用される。だが、すぐ追っ手が迫っている気がして、そのままそこを飛び出し、別の町に移る。そこでもある会社に就職しようとするが、面接が終わったとたんにいたたまれなくなり、あたりを伺うと、すぐに逃げ出す。

カテゴリー: | 11月23日の夢(逃げる) はコメントを受け付けていません

11月22日の夢(ぼろぼろ千円札)

 今日は詩の研究会の講師をする日だ。しかし、主催者はぼくの知らない、初めての人たち。おまけに会場は道路。そして、ぼくとコンビを組むもう一人の講師は「折々の*」で有名なO氏なのだが、なかなか現れず、やきもきする。しかも、ぼくの腕時計は突然逆回転を始め、時刻が分からない。見上げると、ちょうどそばに時計塔があった。あれで時刻を見ればいいなと思う。
 やっとO氏がやってきた。O氏の席はぼくの左側で、彼の席だけぼくよりずうっと前方に突きだしている。ぼくの席は後方に下がっているうえ、O氏との間には金網のフェンスが張られている。これでは研究会などできない。道路の向こう側のメンバーに大声でとりあえず開会の挨拶をしたうえで、主催者に会場の作り直しを依頼する。
 やっと再設営ができたた。だが、今度は作品についてメモしたぼくのノートがない。あれがなくちゃ、批評ができない。大いに慌てる。
 いつのまにか研究会は終わったようだ。終わったのに、O氏は帰ろうとせず、ぼくに向かってにこにこしている。どうやらお礼の支払いを待っているようだ。しまった。用意するのを忘れた。財布をあけると、よれよれの千円札が入っていた。これをお礼にしよう。封筒がないが、灰色のビニール袋があったので、それに千円札を一枚入れようとする。しかし、なかなか入らず、押し込んでいるうちに、札がぼろぼろになってしまった。しかたがない。二枚目の千円札を出す。
 新興宗教の人たちの素人芝居を見ている。終わったあと、会場の外から「高い所に登ったから、外を見て!」という声がする。窓の外を見ると、あらゆる建物の屋上や最上階に新興宗教の信者たちが鈴なりになって、手を振っている。観客はみんな感動して拍手する。

カテゴリー: | 11月22日の夢(ぼろぼろ千円札) はコメントを受け付けていません

11月19日の夢(人生の駅)

 隣の駅まで電車で行き、戻ることにする。自販機で130円の切符を買おうとするが、コインが入らない。自販機にはいろいろな種類があって、ぼくの買おうとしていた機械の下には「その他」と書かれた自販機がある。この自販機でもいいかもしれないと思い、コインを入れると、機械ではなく、隣の窓口から男の駅員が、回数券のように何枚か綴りになった切符を手渡してくれた。だが、よく見ると、それは電車の切符ではなく、「愛のなんとか」という名前の喫茶店かバーの回数券だった。
 ぼくはその回数券を持って、ずんずん駅の中に入っていく。幸い、改札がないので、そのまま線路を渡って、ホームへ上がろうとする。今渡った線路を貨物列車がやってきた。これから渡ろうとする線路を、客車が反対方向からやってきた。その客車の運転手がぼくに「その貨物列車は長いぞ。さあ、人生の意味をよく見ておくように」と叫び、ある一点を指さした。指さしたところには、石碑のようなものが建っている。たまたまぼくの後から線路を渡ろうとした老人と共に、その石碑を眺める。
 電車に乗って、元の駅に戻ってきた。さっきの駅で切符なしに入ったから、この駅から出られるかどうか心配だ。案の定、あちら側もこちら側も踏切棒が降りていて、ぼくは駅から出ることができない。この駅から出ることができない。

カテゴリー: | 11月19日の夢(人生の駅) はコメントを受け付けていません