1月31日の夢(侵入者)

 ぼくは誰かが下宿している部屋へ一人で侵入する。相手は不在だった。しかし、うろうろして、ここにぼくがいることを誰かに気取られてはいけない。幸い、誰にも知られることなく、脱出することができた。
 また、その部屋へ侵入する。やっぱり相手は不在だった。玄関へ出てくると、入れ替わりに入ろうとしている警官と鉢合わせしてしまった。ぼくは怪しまれないよう、ある雑誌の記者を名乗り、ポケットから英語の名刺を出そうとする。しかし、そんな名刺があるはずはなく、「うっかり名刺を切らしてしまって」と、ぼくは警官に弁解する。

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1月30日の夢(ループする夢)

 カメラマンといっしょに会社に向かう。カメラマンは髭を生やした偉そうなおじさんだ。これからいっしょに撮影があるのだ。ところが、会社に着くと、会社は大きなお寺のような建物になっていて、しかも全体が火事にでもあったように木炭化している。そこに靴を脱いでぞろぞろ人々が上がっていく。映画会があるらしい。ぼくも上がって、スクリーンの前に座る。映画は古いモノクロの映画で、どうやら「二人のロッテ」らしい。雷雨のシーンだ。後ろを振り返ると、カメラマンも腰を落ち着けて、映画を観ている。どうやら撮影はあきらめたらしい。
 映画会から観客は隣の部屋に移動するよう求められる。今度はお芝居があるらしい。いくつかバーにあるような背の高い丸椅子が置いてあり、ぼくもその一つに座る。やれやれとほっとするが、安定が悪く、ぐらぐらする。よく見ると、円形のはずの座席も半分欠け落ちたようになっている。劇団の人らしいバニーガールのような衣裳を着た若い女性がやってきて、ぼくと隣の男に手の中の三つくらいの小物を見せ、「どれでも好きな物を取って、靴の間の地面に置きなさい」と言う。その通りにして、ふと見ると、ぼくの靴は片方の靴底が壊れていて、恥ずかしい。女性はぼくに「ものを頼むと、たいていはそばに来てくれるものだけれど、あなたは来てくれないのね」と言う。とてもそこまでする余裕がないのだが、うまく言い返せずに、口ごもる。
 雷雨が上がったので、カメラマンと助手と共に会社に向かう。「ちょうど雨の上がったところで、穴を掘ってみみずの撮影をするにはもってこいだよ」とカメラマンは言う。でも、みみずの撮影というテーマはもう前の前の話で、テーマは変わっているのだけど、困ったなと思う。
 会社に着いてみると、会社は大きなお寺で、木炭化していて・・・ あれっ、夢がループしてしまった!と思う。

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1月29日の夢(職場で散々)

 職場で暇を持て余していると、配置替えになった。新しいぼくのデスクは道路の上だ。ぼくの隣にもう一人女性社員のデスクも置かれ、二人並んで仕事をすることになる。それにしても椅子は丸椅子で、背もたれもない。椅子の下は一度穴を掘ってから埋め戻されたようで、椅子をギシギシやると、地面が陥没してしまう。「何をやってるのだ」と社長に叱責されるが、「もともと穴があいてたんだから、しょうがないです」と説明する。この道路の下にはどぶ川が流れていて、ところどころ地面に開けられた隙間から、汚い水面が見える。道路を大きなトラックがやってきて、ぼくらのデスクの間を通り抜けられず、立ち往生してしまった。
 職場で一人、自分の席でないところに座っていると、男が一人やってきて、「さあ、これからトイレの水をかけてやるぞ」と叫び、柄杓で汚物をばらまき始めた。だんだんぼくの方にも飛んでくるようになった。それを逃れて、本来のぼくの席に戻ると、男は追いかけてきて、本格的にぼくに汚水をかけ始めた。怒ったぼくは男と取っ組み合いになり、「こいつをつかまえろ」とみんなに叫ぶが、同僚たちはかかわりあいになりたくないらしく、誰もぼくを助けてくれない。

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1月28日の夢(3つの断片)

 机の引き出しに、自分のサインした沢山のカードと沢山のサインペンが入っている。一つのサインごとにサインペンを替えたので、こんなに沢山のサインペンが必要だったのだ。
 地中を調べるための潜航艇が潜航する準備のため、突き出ているバックミラーや尾灯などを折り畳んでいるのを、乗っていたバスの窓越しに見る。ホバークラフトのような形をしたやつだ。
 二人の人に、緑色の巻物のような物を渡そうとしている。「これはお手紙のように見えますが、お菓子ですので、召し上がってください」と、ぼくは言う。

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1月26日の夢(事故の噂)

 会社で印刷会社の老営業マンを交えて、みんなで談笑している。階下から「40万円もする車が衝突している」という知らせが入る。みんな「ええーっ!」と驚く。(なぜか40万円の車は高級車だと思っている) ぼくの車でなくて、よかったと思う。誰もここに関係者はいないと思い、陽気にその噂をしていると、一人、背のずば抜けて高い若い男が青い顔をして、出口へ急ぎ足で向かった。彼もどこかの印刷所の営業マンらしい。きっと、ぶつかったのは彼の車だろう。みんな、しーんとなって、彼の後ろ姿を見送る。そういえば、彼はこないだボストンマラソンを走る権利を13万円で買ったと言っていた。

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1月23日の夢(プーケット島)

 タイのプーケット島に一人で旅行にやってきた。「危ないから一人では行くな。後でみんなで行くから」と注意されたが、ぼくは好奇心を抑えられない。コンクリートの低い壁から外を見ると、極彩色の不思議な風景が広がっている。南洋の海はこんなにもカラフルなのだろうか。ぼくはトイレに行きたくなり、三階建ての建物を登ったり降りたりして、トイレを探す。しかし、現地人ばかりで、なんだか危険そうなので、用を足すのはあきらめる。
 戻ってみると、中高年の男達が部屋にテーブルを二つ苦労して並べている。それは折り畳まれたパネルを引き出すことで、二倍の幅にすることができるテーブルだったが、うまくパネルを引き出すことができずに、苦労している。やっと出来上がったテーブルに料理を並べていく。ぼくが戻る前に、みんなは既に食べ始めていたようだが、ぼくは何一つ口に入れていないので、早く食べたくてたまらない。
 ふと気がつくと、部屋の床やテーブルに、蚊が一面にとまっている。その数は半端でなく、蚊でじゆうたんができたみたいだ。それを追い払いながら外に出る。
 また部屋に戻ると、今度は小さなカエルやゲジゲジが這っている。しかも、すばしこく動き回っていて、ぼくは気味が悪くて、もう階段の手すりにも触れることができない。

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1月22日の夢(徳島取材)

 ロシアの新進ピアニスト、コブリンが徳島でコンサートをするという。ついでに買い物をしたり、映画を観たりするので、そうした日常を取材に来ないかと、楽器店の人から誘われる。「安く泊まれるところも紹介するよ」と言うから、現地のお店にいる人なのだろう。誘いにのって、一泊で行くことにする。
 ところが、後になって、コブリンの徳島滞在は二日間だということが分かる。といって、二日とも取材をすることはないだろう。後半の一日だけ取材することにし、相手に日程の変更を電話しようとするが、携帯がなかなか通じない。そうこうするうちに、向こうから電話がかかり、目の前に本人が現れた。現地の人ではなく、東京にいる人だった。彼は「一日目の方がメインだったのに」と言う。今さら言われてもしょうがない。彼は若手の後輩社員を連れていて、その男に「おまえもいっしょに行ったらどうだ?」と声をかける。そして、お店に入っていき、「ここで切符を売ってくれる」と言う。一瞬、ぼくが三人分お金を払って、切符を買うべきかなと思うが、ここは男に買ってもらうことにする。
 二台のピアノの置かれた練習室で若い女性ピアニストとリハーサルをする。一曲はなんとか弾いたものの、本当はぼくは楽譜も読めないし、ピアノもまともには弾けないのだ。ぼくを信じて待っている女性ピアニストに、「楽譜を忘れてきた」と苦しい言い訳をする。

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1月21日の夢(恐怖の食卓)

 妻とまだ小さな息子(現在はもう30代半ば)と三人で夕食をとる。いつも仕事が忙しくて帰りが遅いので、ぼくが早く帰宅して三人で食卓を囲むのは久しぶりだ。息子が食卓のどこにそれぞれが座るかを決める。ぼくの真向かいが息子で、その隣が妻だ。
 途中で来客があり、妻がどこかへ行ってしまった。とたんに部屋は薄暗くなり、不気味な雰囲気になる。ぼくがかじっているのは、黒い竹で編んだ笊のようなもので、よく見るとその笊には竹そっくりの黒い真田紐のような虫が何匹かとりついて、鎌首をもたげている。妻に助けを求めるが、妻は戻ってこない。「助けてーっ!」 ぼくの声はどんどん高くなり、悲鳴に変わる。食卓には息子の姿もなく、変わって見知らぬ男が座っている。
 「詩と思想」誌の昔の経営者F氏と、同誌の仲間が作った映画を見ている。ぼくは会場を出たり入ったりして、その全部を見ているわけではないが、映画にはとても象徴的な映像が多く、思った以上に面白くて引き込まれる。特に交差点で、ゴジラの縫いぐるみがもだえて転げ回るシーンは秀逸だ。映画は殆どその交差点に面したお店の中が舞台だったのだが、映画の終わりでは、その交差点の俯瞰のシーンから、そのお店だけが夢のようにふわーっと消滅してしまう。これは意外な終わり方だ。この物語は実は現実ではなかったという暗示だろうか。

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1月20日の夢(自宅映画会)

 新潟へ取材に行ってきました。上越新幹線から見えるスキー場に、スキーヤーの姿は見あたりません。新潟は雪が全くなくて、ポカポカ陽気だったので拍子抜け。長靴はいていったのに。
(夢ここから)
 家の中に広い部屋があって、そこで映画会が行われる。大画面の薄型テレビのようなものが床の右側に置いてあるが、左側から画面に映写機の光線が当たっているので、テレビではなく光学的に映写されているのだと分かる。そこにぼく自身の映像が映写されるはずなのだが、それはぼく自身が撮影したものだ。というのは、ぼくは自分を他人に映されるのがいやだからだ。ぼくはこれから始まる映写に向けて、とても張り切っている。

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二日分の夢

 書かなければならない仕事の原稿がたまってしまって、今日は自宅に缶詰になっていました。
(1月16日の夢)
 詩人の吉増剛造さんが週刊誌に重大な記事を書いたらしいという。印刷所から送られてきたばかりの、まだ製本前の雑誌を、ぼくと妻ともう一人の男と三人でぱらぱら見る。大きな記事だとばかり思っていたぼくは、見出しをひとわたり見て、「そんな記事はない」と言うが、実は小さな記事なのだと聞き、もう一度探し始める。
(17日の夢)
 長方形の大きな教室のような場所に、沢山の椅子が整然と並び、すべての椅子に人が座っている。ぼくはその真ん真ん中の席に、女性と二人並んで座っている。座っているのはそこなのだが、ぼくら二人のやっている港の管理会社の受付机は、この長方形の部屋の短辺の両端にある出入り口に置かれているので、仕事のたびにそこへ出向かなければならない。おまけに、女性と反対側の席に、スキー板か琴のようなものが倒れてきて、そちら側には出ていけなくなってしまった。

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