4月8日の夢(最後の研究会)

 3月で神楽坂エミールという東京都の施設が閉館し、そこで毎月開いていた某研究会を4月から別の会場に移すことになりました。それが今頃こんな夢に。
(夢ここから)
 今日はエミールでの最後の研究会だ。なぜか会場の部屋がいつもと違う。和室だが、いつもより狭く、しかもL字型をしている。奥はエレベーターホールに、手前はそのまま事務室のある廊下につながっている。変な部屋だと思う。
 メンバーの一人が柔道漫画を持ってきたので、読み始めたら面白くて、やめられなくなってしまった。開会寸前になって、そういえばこれから合評をする作品集を今回は全く読み込んでこなかったことに思い当たる。まあ、なんとかなるだろうと思う。
 会場を見渡す。案内も出していないのに、最後の会だからだろう。WさんやAさんの顔も見える。さあ開会だ。最初の作品は久しぶりにHさんの作品だ。ところがHさんの姿がない。「手洗いに行った」とみんなが言う。やっと戻ってきたが、「私は信念として朗読しない」と言う。困った。「それなら他の人にあなたの作品を朗読してもらおうか」と言い、他の人に朗読を依頼するが、その人はさっさと自分の作品の朗読を始めてしまい、Hさんの作品はとばされてしまう。朗読の間も、カウンターに座った頭のはげかかった眼鏡の初老の男と、隣に座った若者が私語を続ける。うるさい。注意をしても、やめないので、「出て行け!」と二人を退場させる。
 次の作品発表者は初めて参加したファミリーで、手書きで2ページに家族5人が共作した作品が書かれている。子どもとその両親、さらに祖父母の5人だ。彼らはおばあさんの三味線を中心に、手に手に楽器を持ち、賑やかに自作の詩を伴奏入りで朗読する。やれやれ。「家族みんなでほほえましい作品になっていますね」とか、適当な批評をしようと思う。ちょっと朗読が途切れたので「終わった?」と聞くが、まだまだ延々と続く。次のページをふと見ると、「大人のためのピアノ教室」で有名なC先生が、弟子の子どもたちの作品を何編も提出している。げげっ、と思う。
 時計を見ると、開会からもう30分も経ってしまった。これでは本来のメンバーのちゃんとした作品合評の時間が足りなくなってしまいそうだ。うーん、頭が痛い。

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4月6日の夢(トリック)

 路上で新興宗教のキャッチセールス(?)に意図的にひっかかって、携帯で誰かと連絡をとりながら、その宗教団体の催しの場に車で行く。会場は厚生年金会館のような巨大なホール。ぼくはなぜかホールの中ではなく、扉の外のロビーで待っている。催しが始まると、ホールいっぱいの参加者たちは皆喜々としてお祈りを始める。ぼくのようにキャッチセールスしてきた人がもっといると思ったのに、どうやら信者でないのはぼくだけらしい。
 大きなトラックがお湯をいっぱい運んできて、たらいの中にお湯を張る。そこへぼくは足を突っ込む。足の親指から黒い大きな斑点が剥がれて、お湯に浮かぶ。それを見て、信者のおばさんが「ほら、これはきっと出生斑だと思うけど、でもお祈りのせいで離れていったね」と言う。でも、ぼくの足の親指にそんな斑点は最初からなかったはず。これはトリックだと思う。それに、お湯にはたくさんの魚の頭や、刻んだホーレンソウのようなものが浮かんでいる。「出生斑」なるものも、きっとこういう材料から作りだしたものに違いない。

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4月5日の夢(カメラマンの行方)

 撮影をしている。絨毯のようなものを掲げて撮影するのだが、強い風にあおられる。地元の学生たちが手を貸してくれるが、とても大変だ。最後に2カット分の撮影が残った。カメラマンはまだ2カット残っていることを忘れてしまったのではないか。心配になり、「まだ2つ残っているよ」と叫ぶ。しかし、聞こえなかったかもしれない。カーテンのように視界をふさいでいる絨毯の向こうへ行って、カメラマンにそのことを伝える。彼は撮影の準備に大忙しの様子。
 準備が整うのを待っているが、カメラマンはどこかへ出かけてしまい、何時間経っても戻ってこない。どうしようか迷っていると、某研究会のK氏がやってきて、一緒に探しに行ってくれる。本当にK氏は頼りになる人だ。
 やっとカメラマンが帰ってきたらしい。ぼくの目の前の視野をさえぎっている絨毯が突然倒れてくる。それも1枚倒れたと思ったら、さらに次の絨毯があり、それが倒れたと思ったら、また次の絨毯が・・・というように、際限なく倒れてくる。この絨毯のカーテンの向こうに、はたしてカメラマンはいるのだろうか?

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4月3日の夢(研究会)

 土曜日の午前中、自宅とは別のアパートのような仕事場で原稿を書いていて、ふと今日は某研究会の日だったと思い出す。ぼくは講師として、提出された作品集の批評をしなくてはいけない。慌てて作品集を開けてみるが、作品を読んではおいたものの、批評のためのメモは全くとってない。最初に載っているのはYKさんで、次がKHさんだ(昨日、寝る前に「つれあいが某誌で対談する相手」としてこの二人のどちらかがいいのではないかと、言い合っていたのがそのまま夢に出ました)。今回は講師より有名詩人が作品を提出しているのが、一番の特長だなあと思う。部屋には時計がないので、外に出てみる。街頭にある時計が12時過ぎをさしているのに驚く。研究会は2時開会なのだ。1時頃自宅に帰り着き、昼食もとらずに出発することにする。もう一度作品集に目を通す。今回の作品は皆が皆、ハードボイルド小説のような作風になっているのが不思議だ。

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4月1日の夢(吉沢京子さん)

 親戚の家で泊まりがけで会議をしている。メンバーには社長や、元「夢の解放区」メンバーのKさんなどの顔がある。ぼくはみんなの発言をまとめて一つの論旨としてノートに記録しようとするが、持っているのはペンではなく、曲がった太い針金だった。それでいくらノートを引っ掻いても、やっぱり文字は書けない。ふと見ると、足下にたくさん鉛筆やペンなどの筆記具が散らかっている。その中からちびた鉛筆を取り上げ、ようやくぼくはノートに文字を書くことができた。これで一つのロジックが完成した、と達成感が湧く。
 翌朝、ゆっくり寝ていると、妻が「こんなときに吉沢京子さん(もしかして昔のアイドルタレントの名前?)が来ちゃったわ」と言って、起こしに来た。ぼくは寝床の中で寝ぼけたまま、かたわらのKさんに「吉沢京子さんって誰?」と尋ねる。Kさんはぼそぼそと、ぼくに答えるが聞き取れない。二度聞き返しても、声は聞こえるのだが、意味がとれない。ぼくはしかたなくKさんに「どうしてだろ? ぼくには全然あなたの言うことが分からないよ」と言う。Kさんがもう一度説明してくれる。すると、「この家にとって・・・お嫁さん」という二つの単語だけが、意味のある言葉として聞き取れた。それで、吉沢さんというのは「ぼくらが逗留しているこの家が経営する会社の許認可権を一手に握っている人物のお嫁さん」なのだということが分かった。そこで「急いでぼくも別室で着替えるから」と言おうと思うが、それをためらったところで目が覚めた。

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3月31日の夢(川のある豪邸)

 どこかの豪邸を訪問している。社長と一緒に来たらしいが、彼の姿はすぐに消えてしまう。部屋には布団が敷かれていて、気むずかしいカメラマンが寝そべっている。この男がこの家の主人だろうか。家の中には自然の小川が流れ込んできていて、家をくねくねと横切ったあと、また外に出ていくようになっている。その川が室内に流れ込むところには、水面の上の空間を仕切るドアが付いているが、突然嵐が来て、すごい風と増水した川の水圧で、ドアはたちまち消し飛んでしまい、川の水がどっと室内に流れ込んできた。家には美しい夫人がいて、ぼくと彼女は「あらあら」という感じで、平然と笑って見ている。
 その夫人とぼくは別室に行く。そこは広い図書室になっている。ぼくは彼女に「家の中で図書室はここだけですか」と聞こうとするが、なぜかやめて、トイレへ行く。
 トイレは文字通りバスルームという感じで、便器はなく、奥に大きな浴槽が、その手前には足洗い用の水槽があって、その水槽が便器を兼ねている。そこにぼくはおしっこをする。お風呂に入るときは、これにお湯を足して薄めてから足を洗うらしいが、それで汚くないのだろうか。
 帰ることになり、その家の若主人と彼の自家用車に乗る。自家用車といっても大きな家のように巨大で、窓は運転席らしい彼の座った左側にあるだけ。あとは高い壁と広い天井。内部は普通の部屋のようで、ソファのような長椅子があつこちにある。ぼくは運転席とはかなり離れた後方のソファに座るが、そこからは景色も見えないし、若主人と話しもできないので、彼の隣のソファに移動する。隣といってもかなり離れている。車は走っているはずだが、床は全く振動すらしない。

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3月30日の夢(虫が発生)

 会社で撮影の小道具を準備している。それは四角いガラスの金魚鉢で、その中に買った土がぎっしり詰まっている。それを一階から二階の自分のデスクに運ぶ。そこで初めて、土の中に大量の蟻が発生しており、ゴキブリのような黒い大きな虫も穴から出たり入ったりしているのに気づいた。社長にそう報告すると、社長は「会社には殺虫剤がない」と言う。
 金魚鉢の隣にクライアントの所有するビルが建っている(なぜか同じ大きさ)。クライアントに「金魚鉢から虫がビルにうつった」と言われたら大変だ。会社を出て、殺虫剤を売っている店を探しに行くが、見つからない。かわりに、肉体労働者がよく利用する店を見つける。その店の棚には、巨大なパンが沢山陳列してある。労働者はこんな大きなパンを食べるのだと、びっくりする。

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3月28日の夢(空飛ぶバス)

 昨日アップできなかった二つの夢を書きます。
(3月28日の夢)
 博物館の空っぽの展示室にいると、3人の女性が入ってきた。これから展示をする人たちらしいが、みんなで記念撮影に興じ始める。ぼくは慌てて「ぼくはもう帰りますから」と3人に言い、その部屋にぼくが持ち込んでいたただ一つの貴重な展示物を持ち帰ろうと、手にする。「忘れ物はないかな」と声に出して、周囲を見回す。女性たちはまるでぼくを追い立てるように傍若無人のふるまいをしている。Mカメラマンに電話をして、「追い立てられた」ことを報告する。すると、電話の向こうで彼は「あれれ。撮影中だったのに、途中で遅れちゃうな」と見当外れの受け答えをする。
 北朝鮮が運行しているバスに乗る妻を見送りに待合室にいる。バスが来たらしく、妻はドアの向こうに消えた。彼女を見送ろうと、ぼくもドアの向こうに行く。すると、今日は新型のバスが停車している。それは空飛ぶバスで、女性の車掌が乗り込んでいる。ぼくも一緒に乗って飛び立ったが、目的地でないところに着陸した。突然、外にいた男が乗り込んできて、バスを乗っ取り、運転手を追い出した。みんなで車掌に急を知らせる。その間に乗っ取り犯の運転でバスは空中に飛び上がり、それを後からさっきの運転手が空中を飛んで追ってくる。どうやらその運転手と車掌は恋人どうしらしい。バスは大きな川の上を飛んでいる。このまま不時着したら、水に呑まれてしまうのではないかと、ぼくは不安になる。そのとき車掌が悲鳴のように、謎の言葉を叫んだ。「ダイヤモンドは水に沈んでしまうかもしれないわ!」

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3月27日の夢(お弁当屋さんのリスト)

 皆でお弁当屋さんからお弁当を買い、地面に座って食べている。お弁当を買うには、お弁当屋さんの申し込みリストに順番に、買いたいお弁当の名前とその値段を書き込むことになっている。ぼくは既に800円の「和定食弁当」を買って食べているのだが、書き込む順番が一番後になってしまう。食べながらタイミングを見て、立ち上がり、リストに書き込みに行く。お弁当屋さんがぼくにリストとペンを手渡してくれるが、ぼくはそれを断り、自分のペンで書き込む。お弁当屋さんはぼくに「こないだの検査では、一色さんだけが〈問題あり〉だったんですよね」と言う。このリストは検査の申込用紙を兼ねているらしい。そのとき、ハムスターかネズミのような動物がぼくの方に駈けてくるイメージが浮かぶ。「問題あり」となったのは、この小動物のせいらしい。「だったとしても問題ないでしょう?」と、ぼくは強がりを言う。

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3月26日の夢(曲がり角)

 妻と二人で東京の住宅街を歩いている。ある詩人の家を探して、詩集の注文(多分、自費出版の注文という意味だと思うが、覚えていない)を取ろうとしているのだが、なかなか道が分からない。「多分こっちの方だ」と、ぼくが妻の道案内をして、やっと目指す家にたどり着く。
 そこは安下宿のような貧しいアパートで、ベッドに若い男が寝ている。彼に話をして、妻が詩集の注文を取る。
 帰りも道に迷いながら帰る。途中、私鉄の線路に突き当たって、道が直角に曲がっているところへ来る。ぼくは妻に「ここが有名な、線路が直角に曲がっているところだよ」と言う。道は曲がっているだけでなく、上り坂になっている。それは木や草の生えていないつるつるの丘で、道と言えるものもなく、大変登りにくい。だが、そこを登り切ったところに駅があるはずなのだ。

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