6月22日の夢(仕掛け時計)

 歩いていると、黒ネコヤマトのドライバーから「2万2千円の時計が1万5千円に値引きされているので、ぜひそれを買って、お客さんにプレゼントするといいよ」と勧められる。彼に教えられて地下道を進んでいくと、地面にその時計が並べられていた。鳩時計のような仕掛けで、正時になると4つの窓から4人の怪人が飛び出す仕組みになっている。こんな時計を顧客プレゼントに使っていいのかどうか心配だ。見本を同僚のOさんに見せる。他の社員たちも出てきて、口々に「これはいい」「安い!」とほめそやす。そこで、「そんなに評判がいいなら、ぼく自身が社長のところへ届けに行くよ」と言って、(多分、時計を持って)歩き出す。途中、背後から「一色さん」と声をかけられてきょろきょろする。すぐ後ろに経理の若い女の子がいて、ぼくに(多分時計の)代金を渡してくれたので、てっきり彼女に呼び止められたとばかり思ったのだが、ぼくを呼んだのは経理部長のIさんだった。

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6月20日の夢(巨大オープンセット)

 アメリカに移住したぼくたち日本人の集団居住地を、次々と謎の殺人事件が襲う。青い布のカーテンでおおわれた縦長の箱の中に首を突っ込んだ女性が、中に青年の死体を発見して「ぎゃーっ!」と悲鳴を上げる。だが、中からその当の青年が出てきた。ただ眠っていたのを、女性は見間違えたのだろうか。それとも、彼は生き返ったのか?
 ともかく、これが最後のクライマックスシーンで、ぼくらが出演していた映画は終わった。スタッフたちとぼくら出演者は和やかに言葉を交わし合う。セットの天井を指さして、大道具の担当者が言う。経費を節約するため、結構安物の材料を使っているのだと。なるほど。よく見ると、天井の大きな梁と見えたのは、プラスチックのようなぺかぺかの素材で作られたまがい物だ。セットは居住地全体が壁一面にパノラマ状に開いた窓から見渡せる、巨大なドーム状の建物である。居住地は同じ形をした一軒家が、無数に建ち並ぶスケールの大きなオープンセットとして造られている。さすがはハリウッドの大作映画だ。この居住地は狛江(アメリカのはずなのに、なぜかぼくの住んでいる町)という想定だが、窓から見える景色はあまりにも壮大で、かえってうそっぽい。きっとアメリカの砂漠地帯に建てられたセットなのだろう。
 そこでまた一騒動が持ち上がった。海賊が襲撃を予定している場所の一覧表が入手されたのだ。そこにいた老人の一人の顔がみるみる青ざめていく。彼の経営するここから遠く離れた場所にある会社が、襲撃場所に含まれているからだ。

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6月17日の夢(旅館)

昨日は、同姓同名の漫画家・一色まことさんのアニメ「ピアノの森」のコンサートに行ってきました。そんなわけで、アップする時間がなく、少し古い夢になってしまいました。
(夢ここから)
 昼食に旅館のようなところに行く。途中で外に出ると、斜面に大きな木の切り株のようなものがある。木製の輪のようなものと言ってもいいかも。それを男たちが切ろうとしている。ぼくはその切り株の根というか、枝のようなものの上を、ひょいひょいと伝い歩いて、なんとか落下せずに通り過ぎる。それから元の旅館に戻るが、ぼくは果たして昼食を食べたのかどうか思い出せない。だが、「お勘定」と言ってみると、ちゃんと請求されたので、食べたのだろう。きちんとお釣りなしに払ったはずなのに、5円玉や1円玉を返されたところを見ると、うっかりお札といっしょに小銭を渡してしまったらしい。自分の宿泊する部屋に行ってみると、まだ前の客の泊まったまま、掃除も片づけもすんでなく、ベッドが乱れたままだ。窓を開けることさえできない。人の気配にはっと振り返ると、入り口の近くに従業員らしい男が一人入り込んでいる。

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6月15日の夢(豪華客船)

 南の海を行く豪華客船に妻と乗って、いろいろなアトラクションを見物している。映画のさまざまなシーンを順を追って、ジオラマで再現しているものがある。登場人物が奇怪な水棲生物に変身するホラー映画だ。鏡が激しい音を立てて割れるシーンでは、ぼくら夫婦はジオラマのすぐ前で立って見ていたのだが、背後の客席で座っていた人々のところには、バーン!という大きな音と共に頭上から鏡の破片に見立てた金属片が降り注ぎ、観客から「おおーっ!」と嘆声が上がる。これは面白い。この映画の関連グッズを沢山買い込んでしまいそうだなと思う。
 アトラクションが終わり、一人トイレへ行く。なぜか裸足だ。ぼくの前に身体障害者の女性が車椅子のまま介助されながら便器のところへ行く。ぼくもその後からあいている便器のところへ行くが、便器の周りがひどく汚れて水たまりになっていて、とても裸足では近づけず、トイレをあきらめて外に出る。
 そこは乗客が立ち入りを禁止されている前部甲板だ。船体の縁はごつごつした丸石のつらなりでできていて、それが少しずつ下がりながら、無限の階層となって沖まで続き、沖へ行くほど少しずつスピードが速くなっている。これでは一体どこからが船で、どこからが海で、さらにどこからが空なのかも分からない。怖いので、足早にそこを立ち去る。

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6月14日の夢(オレンジの雪)

 ある女性に雪を降らせてくれるように頼む。夜になると、ちゃんと窓の外に雪が降ってきた。家の裏に面した窓から見る外は、雪にけぶる空全体がまるでオレンジシャーベットのようにぼおっと温かく発光している。妻を呼び、庭の側のサッシを開けて外に出る。空には赤や緑の光も輝いていて、信号の三原色が幾何学模様を描いているようで、とても美しい。雪を降らせてくれた女性にはいずれお金がしかるべきところから支払われるのだが、とりあえずぼくが立て替えて報酬を支払ってあげる。

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6月13日の夢(2つの旅の夢)

 仕事で一週間以上自宅を離れて取材をしている。お寺のような場所で、同行者と別れ、夕方これでどうやら東京に戻れそうだ。これなら一日予定より早く家に帰れる。だが、今日帰宅したら夕ご飯は用意してくれているだろうか。それが心配だ。
 妻と小笠原へ旅行した。意外に寒い。ターミナル駅の五階がホテルになっている。これなら、ここに投宿して、荷物を部屋に置いてから観光に出かけられるので、楽だなと思う。

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6月12日の夢(新学期)

 ぼくは学校の先生で、明日から新学期が始まろうとしている。担任する教室も明日から変わるのだ。まず以前の教室を、次に明日からの新しい教室の掃除をする。どちらも泥やほこりがいっぱいで、掃除機がそれを吸い込んで止まってしまうくらい汚い。大変な苦労をした後、やっときれいにすることができた。上司の学年主任に「明日は何時にここへ来ればいいですか」と尋ねると、「必ずしもこの教室がきみのクラスの部屋になるとは限らないんだよ」と言われる。がっくり。

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6月10日の夢(リヒテルの家)

 昔、ロシアの巨匠ピアニスト、リヒテルが日本に住んでいた大きな家(もちろん、そんな家は現実にはない。リヒテルは既に故人)が今はぼくの職場になっていて、その二階で仕事をしている。今日はその当のリヒテルがこの家に戻ってくる日だ。一階に降りていくと、玄関先に「Pの本」元編集長のK女史の姿がある。二人は個人的には険悪な仲だったが、そんなことはそしらぬ顔で、二人ガラス越しに手を振り合って挨拶する。気づくと、この家の周りはリヒテルを迎えようというマスコミやファンらが何重にも取り巻き、大変な騒ぎだ。
 ついにリヒテルが到着した。彼が車から降りて手を上げてみんなに挨拶すると、テレビ中継が一斉に始まり、ものすごい喧噪になる。
 ぼくは二階の小部屋で、同僚の女性とテーブルを囲んで座っている。そこへ女性のお手伝いさんがワゴンで料理を運んでくる。この特別席で、ぼくらは料理を食べながら歓迎行事を見物するのだ。その歓迎イベントの一環として、小学生くらいの少女たちがモダンダンスを始めた。
 そうやって悦に入っていると、沢山の招待客たちがこの部屋に招き入れられ、どっとテーブルを囲んでしまう。あっという間に、ぼくは彼らに押し出され、テーブルにはもう手が届かなくなる。所詮、ぼくは余計者だったのかと思う。
 リヒテルの歓迎行事が終わり、そこに一泊して帰ろうとすると、靴が見つからない。うろうろして、ぼくはしかたなく一階に降り、「あのー、ぼくの靴はどこでしょうか」と尋ねる。でも、みんなもうぼくの顔さえ覚えていない。「誰に入れてもらったの?」「鍵は持っているの?」などと聞かれる。ぼくが「最初からぼくはここにいたんです。二階で働いていたんです」と言うと、そこにいた女性や若い外国人の男性が「じゃあ、二階の客間からじゃないの?」と答える。
 彼らに教えてもらったルートで外へ出ると、ちゃんとぼくの靴もあり、やっと戸外へ出ることができた。地平線に雪を真っ白にかぶった連山が見え、とてもいい景色だ。このリヒテルの家には確か東京のある駅を降りて来たはずだったのに、まだ東京にこんな素晴らしいところがあったのだろうか。いつのまにかその家は以前よく一緒にステージに立っていたピアニストのSさんの家に変わっている。Sさんは「なかなか銀行がお金を貸してくれなかったけど、ゆっと手頃な物件が見つかって」と言っていたが、この家にはきっと大変なお金がかかったのだろう。ぼくも退職して引退したら、もっと自然の豊かなところに住みたいなと思う。

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6月8日の夢(洋服選び)

 洋服売り場で服を買おうとする。円形のハンガーに何着もの上着が吊されている。薄いグレーから濃いグレー、さらに真っ黒なものまで、全部モノトーンの色調だ。ぼくはその中から黒を選び、レジの女性に渡すが、間違えてグレーの服を渡してしまう。しまった。でもまあ、これでもよいかと一瞬思うが、やはり「この黒の方がいいな」と言って、黒い服を選び直す。ところが、よく見ると、黒い服は生地が薄くて、よれよれで、しかも綿埃が一面に付着している。「あっ、だけど、これはほこりっぽいね」と、ぼくはレジの女性に言い、その隣に吊られている服を見る。その服はさらにほこりで汚れていて、なんと鳥の羽までが付着している。ぼくはそれを指さし、彼女に「ここに鳥が来たの?」と尋ねる。女性は言いよどみ、「・・・」と黙ってしまう。

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6月7日の夢(打ち上げ)

 京都で何か朗読パフォーマンスのような公演を終え、楽屋で片づけを始めている。そこには死んだ母がいて、他のスタッフに「受付に置いてあったおつり用の大量の小銭はきっと息子(ぼく)が用意したものだろうから、返してやってくれ」と言う。ぼくは「いや。ぼくは1円も出していない。スタッフが銀行から持ってきたものだよ」と否定する。
 楽屋には天丼やサンドイッチなど、いろいろな種類のおいしそうな弁当が残されている。でも、きっと古いものだから、食べたら食あたりするだろう。
 ふと見ると、天井近くの壁に2本、縦の金属棒が立っていて、そこにぼくの息子が蝉のように取りついているのが見える。ぼくが声をかけると、「おーっ」と声を返してくる。首吊りの真似をしてぼくを脅かすつもりだったのが、そうする前にぼくに見つけられてしまったのかもしれないと思う。
 出演者たちはなかなか楽屋に引き上げてこない。打ち上げには出ずに、帰ってしまう人たちもいるようだ。
 楽屋には黒い布のようにも、板のようにも見えるものが置いてある。何かの法律の関係で、これはもう使ってはならないことになった道具らしい。それを何となくぼくは受け取ってしまうが、さて、これをどうしたものだろう?と考え込む。

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