9月9日の夢(環境会議)

 ヨーロッパのお城風の広いお屋敷で、その屋敷の主人を交え、環境問題についての会議を開いている。非公開の会議なのだが、侵入者の女の子が二人あり、奥の部屋に押し込めてある。
 会議のシナリオでは、このタイミングで屋敷中の捜査・点検をすることになっており、ぼくは主人と二人で各部屋を見回る。主人は屋敷からぼくを連れ出し、外へ出る。バスがやってきたので乗る。車内には環境問題の同志たちが乗っていて、そのまま会議になる。向かいの座席に座った男が、主人に向かい、「なぜ、あなたは環境切手を売るとき、環境切手だけでなく他の切手も売るのか」と詰め寄る。主人は「環境切手だけ売ろうとしても、売れないのは常識じゃないか」と反論する。
 ぼくはバスがどんどん屋敷から離れていくのが、とても心配だ。こんなに遠くまで来てしまっていいのだろうか。
 降りてから、乗客名簿が配られた。見ると、中に詩人の鈴木志郎康さんなど、有名人が混じっている。そんな有名人がいたのなら、ぜひとも記録にとどめておきたいと思う。

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9月7日の夢(八方ふさがり)

 会社で映像製作についての自分なりの指針を文章にしてデスクの上に置いておくと、それをうっかり制作部長のUに読まれてしまった。Uは「○○××なんですよねー」とぼくに言うが、何と言ったのか分からず、「えっ?」と聞き直すが、やっぱり「○○××」の部分が聞き取れず、意味不明なので、「ああ、そうなんですかあ」といいかげんな返事をする。
 名古屋の実家のあった覚王山で銀行を探す。やっと見つけたが、ちょうど現金輸送車が到着して店内に入っていくところだったので、遠慮して外で待つ。輸送車がいなくなってから、店内に入り直そうとしたが、どうしても店内への入り口が見つからない。しかたなく、別の銀行を探しに行くが、場所が分からないまま、大雨に降られて、ずぶ濡れになってしまった。

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9月6日の夢(吉原幸子さんの冷蔵庫)

詩人の吉原幸子さん(故人)のお宅に伺い、大きな冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中は溶鉱炉のよで、轟々と炎がいくつも上がっている。ぼくたちはそれぞれ持参した自分の肉を火の上に載せる。「うまく載せて、焼け焦がしてしまわないようにね」とお互いに言い合いながら。

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9月5日の夢(高速道路を歩く)

妻と旅に出ることになり、高架の広い高速道路の上を徒歩で歩いている。高速道路なのに、そこは大木が生い茂り、花々がカラフルに咲き競う美しい公園道路だ。景色を見ると、どうやらここは名古屋の久屋大通らしい。随分歩いたのに、駅になかなか着かない。カーブを曲がると、このあたりはもう東京の秋葉原のあたりらしい。妻が「駅はまだ遠いの?」と聞くので、「もう近いよ」と慰める。それより旅先のことがぼくは気になる。「でも、ホテルをとってないんじゃない?」と尋ねるが、妻は「そのようね」と意に介さない。

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9月3日の夢(また席がない)

(昨日の夢です)
 詩集の出版記念パーティーに妻と出かける。受付で問題用紙が配られ、その解答用紙を提出した順に、会場で席が与えられる仕組みだ。ぼくと妻は1番と2番で解答用紙を提出。時間があるので、開会前にその詩人の提出した作品を鑑賞する。文学と美術が一体となったオブジェで、とても美しく、感動する。
 パーティーが開会するというので、受付に戻る。床に受付をすませた人の名札が置かれている。しかし、一番にすませたはずのぼくと妻のものがない。「変だね」と二人で言い合い、体育会系の雰囲気の受付の男に苦情を言う。男は「ええ、聞こえてましたよ。困ったなあ」と言う。しかし、らちがあかないので、腹いせにぼく一人帰ってしまおうかと思う。

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9月1日の夢(父への土産が見つからない)

 父のおかげで、ぼくと祖母は何日間もの旅行を楽しみ、今戻ってきた。野球好きの父への何よりのみやげは、広島球場で見た中日・広島戦の試合経過だ。中日の2勝1敗で終わった3試合を、どの投手が何回まで投げたかの記録を、ぼくは確かに父のために清書しておいたのだ。ところが、父の前に出てみると、鞄の中にある土産や手帖、ノートを何度ひっくり返しても、その記録が見つからない。それでも、ぼくはあきらめきれず、道路にぺたりと座り込んで、何度も何度も探し続けている。(夢ここまで)
 現実には、ぼくの30年近く前に亡くなった父は、特に野球好きだったわけではありません。また、ぼくは父親への憎悪がいまだに消えず、たとえぼくが死んでも父母と同じ墓にはけっして葬らないよう(できれば散骨してほしい)、家族に遺言しています。

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8月31日の夢(海に行けない)

 明日からいよいよ夏休みだ。今日は休暇前の最後の一日。しかし、休暇初日の明日だけはアーティストリレーション担当クライアントのHさんに頼まれた管楽器奏者の取材をしなくてはならない。ずっと会っていない女友達と、夏休みになったら海に行く約束をしていたけれど、明日は海には行けないなと思う。
 そこへ携帯が鳴った。別の男性クライアントからだ。「明日から四日間仕事がある。しかも、とってもきついスケジュールだよー」と言う。その仕事の説明を聞いていると、電話が切れてしまった。そこへ、海に行く約束の女友達からメールが入った。画面に水墨画のようなタッチで、大きな魚の絵が躍っている。そして、やはり手書きタッチの文字で、「先に行くからねー。お魚いっぱい食べさせてねー」と書いてある。ぼくが海に行くのが遅くなることを、言わなくてはならないなと思う。そこに、何人ものクライアントが到着して、ぼくにてきばきと仕事の指図を始める。

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8月28日の夢(床しかない電車)

 年をとって、とうとう足が悪くなってしまった。駅の階段をやっとの思いで、昇っていく。特に左足がしびれたように、感覚がない。
 ホームの先端の方で待っていると、ぼくの待つ電車と逆方向の電車が、ホームのずっと中ほどにしか停車しないのが見える。ぼくの待っている側の電車はさらに中ほどにしか停車しないはずだ。慌ててホームの反対側に向けて走る。ところが、勢い余って行き過ぎてしまい、今度は反対側の先端から駅の外に出てしまう。いつのまにか道路をガード下まで来てしまった。そこへちょうど乗るべき電車がホームに着いたのが見えたので、慌ててホームに戻り、電車に駆け込む。
 電車は細長いカヌーのような形をしていて、壁も天井もない。一番先頭に乗ったので、流線型をした全く平面で手すりもない床に座ると、両端から足が外に出てしまう。そこに必死にしがみついているが、左足の感覚がないので踏ん張れず、振り落とされそうでとても怖い。ぼくのすぐ後ろには若いカップルがいて、「俺の乗りたいところに乗られてしまったので、おまえ場所を交替して」と女の子に頼んでいる。ぼくが乗らなければ、先頭に座るつもりだったのだろう。
 突然、駅ではないところで、電車が急停車した。そこは沿線にある、乳製品を作る大きな工場だ。今日はここで特別のイベントがあり、電車が特別停車して、乳製品作りを実地に体験させてくれるらしい。敷地内でイベントに参加している子どもたちが一斉に声を合わせて歌をうたう。なんだかラジオのジングルのような歌だ。
 その間に、頭に帽子をかぶり、制服に身を固めた女子工員が電車に近づいてきて、プラスチックのコップにヨーグルトみたいなものを乗客に渡し、製品づくりを体験するように勧める。ぼくの前で最初に受け取った男は、工員の説明をよく聞かずに、大きなスプーン(杓子のような感じ)でヨーグルトをすくいあげ、そのままばしゃっとコップに入れる。そうじゃなくて、ストローの中に入れてから、コップの中に入れなくちゃいけないのだ。自分の番になり、ぼくは注意深くストローの中にヨーグルトを注ぎ込もうとするが、ストローの口はあまりに細くて、殆どがやっぱり外へこぼれてしまった。そのセットを後ろにいたカップルの男に渡すと、男はうれしそうにそれを受け取る。

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8月27日の夢(喫茶店での探索)

 ニフティ及びミクシィのメールは当分の間、見られません。やれやれ。
(8月27日の夢)
 まだ戦後の時代、ぼくは何者かによって、当時の松坂屋デパートの裏にあった大きな喫茶店に呼び出された。そこは有名な人気のある高級店で、混雑しているため、なかなか入店が許されない。入口で多くの裕福そうな身なりの男女が「きっと中に知っている人がいるはずだから」と、店長に入店許可を迫っているが、店長は頑として入店を認めないでいる。そんな騒ぎを後目に、ぼくはさっさと店内に入り、歩いていく。店は中二階の下に一階のフロアが広がり、外には戦後の東京の街並みが見える。
 突然、店内放送が流れる。「お呼び出しを申し上げます。一色真理さん、二階にお越し下さい」。指定されたところへ行くと、まだ若き日のMカメラマンが(どうやら、ぼくらはタイムマシンで過去に戻っているようだ)「1番から61番まで歩いていってください」と伝言を伝えてくれた。了解して、裏のドアを開けて外に出る。だが、Mは「そっちじゃない」と、ぼくを呼び戻す。
 ぼくは再び店内に戻り、二階の通路を別の男といっしょに歩く。最初に目に入ったのは、ごつごつした石碑のようなもの。そこにぼくにはよく読めない書体で、2行の詩が彫り込まれている。そのかたわらに、その2行を読みやすい書体で印刷したカードもある。きっと、これがぼくの今日の探索のヒントとなる文字なのだろう。

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8月25日の夢(脚のないピアノ)

 沖縄で古いヤマハピアノを使った映画の撮影をすることになった。撮影には時間がかかりそうだと思う。だが、出演者たちが演技を始めると、みんな驚くほど達者だ。これなら、スムーズに撮影が進みそうだ。
 しかし、ヤマハだと言われたピアノにどうも違和感がある。よく見ると、違和感の原因が分かった。グランドピアノなのに脚がなく、畳の上で座って弾くピアノだったのだ。こんな変なピアノが本当にヤマハだろうか? 鍵盤蓋を開けてみる。ヤマハのマークはどこにもない。そのかわり、ピアノに添えられた取扱説明書の中に、関係企業の一つとして「日本楽器」の名称が記されている。
 撮影のための最初の打ち合わせが終わり、いったん解散になる。早く次の打ち合わせを始めたいが、部屋の中に残っているのは詩人のO氏だけだ。ピアノの前にいくつか置かれた座布団の上に、ぼくは分厚い資料のファイルをどさりと投げる。反対側に座っていたO氏の巨体が「うっ!」というように一瞬ぴくりと動くが、言葉は発しない。もうすぐ夜の8時だ。次の打ち合わせは8時からだったのかもしれない、と思う。

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