11月2日の夢(小さな球)

 小さな店構えのしゃれたお店で小物を買った。その店の前にテーブルと椅子を出して商売している女性がいる。これがこの店のオーナーなのだという。彼女のテーブルが隣の店の前まではみ出しているので、変だなと思ったら、このあたり一帯のお店はすべて彼女の経営するものだという。
 ぼーっとしていたら、女性店員が「これ、お客様のボールペン」と言って、青いボールペンを渡してくれた。自分のものでない気がするが、受け取る。ぼくがまだぼーっとそこに立っているので、店員とオーナーはちょっと不審そうな顔。ぼくはすでに買った商品を受け取っていたのに、あまりにそれが小さすぎて気がつかなかったのだ。
 急いで店を出ると、外は真っ暗な夜で、おまけにそこは足場の悪い山道だ。ぼくは買ったばかりの商品を落としてしまう。買ったのは二つの小さな球である。慌てて手探りでそれを拾い上げる。
 帰宅して、球を台所にしまおうとして、また冷蔵庫の前で落としてしまった。それを拾い上げたところで、はっと気がつく。
 明日は会社の演劇祭で、ぼくも端役をもらっていたのに、全く台本を読んでいない上、それを会社に忘れてきてしまったのだ。さっきのお店で、忘れないようにとノートの表紙に大きく「台本」と書いておいたのに、なんとしたことだ。明日は文化の日で休日なので、ぼくが当然休みだと思っていた妻は、ぼくが明日演劇祭で出社すると聞いて、「なにー?!」と言う。

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11月1日の夢(切符を買う)

 駅で切符を買おうとしている。テーブルがいくつも横に並べられ、その後ろに一人ずつ駅員がいる。乗客はそれぞれのテーブルの前に行列を作って、切符を売ってもらっている。ようやくぼくの順番になったと思ったら、駅員は「ちょっと待って」と言い、ぼくとテーブルの狭いすきまをすり抜けるようにして行ってしまった。そのすきまがあまりに狭い気がして、ぼくは少し後ろへ下がる。
 やがて戻ってきた駅員は、ぼくに三枚の胸から上の自分の写真を要求する。それがそろえられないと、切符を売ってもらえないのだ。ぼくは三枚の写真を提出するが、それはいずれも濃度が薄くて、暗い。彼は一応それらの写真に丸をつけて、切符購入の許可をしてくれたものの、写真がうまく撮れないのはシャッターの押し方が悪いからだと言い、デジカメを取り出して自ら模範を示してくれる。カメラを左手で構えたら、左手の人差し指をシャッターに乗せ、その指を右手の人差し指で強く叩くと、素早くシャッターが切れるのだという。そんな裏技をいくつもぼくは教えてもらう。

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10月29日の夢(社内パーティ)

 会社で何かのパーティをやっているところへ、ぼくは遅れて参加する。立食パーティだ。ぼくもお皿に料理を盛って食べ始めるが、他の社員たちは食べ終わると、さっさと他の店へ二次会をやりに外出してしまった。それでも、2人の社員が会社に残った。ぼくはしばらく呆然としていたが、はっと気づいて後片付けをしようと流し台に向かう。
 流し台の上は汚れた食器が山になっていて、とても手に負えない。あきらめて、ぼくは自分の皿の汚れものだけを落とす。気を取り直して、仕事をしようとすると、ドアをパタンと閉められてしまった。慌てて自分のスリッパを探す。ドアの下から三足のスリッパが顔を出している。真ん中のスリッパがぼくのものだと思うが、その瞬間それは女性用に変わってしまう。あれっと思うと、またそれは男性用に変わった。
 ぼくも外出しようとする。傘を持っていない。雨は降っていないと思ったのに、やっぱり降っていた。それでもぼくは外へ歩き出す。

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10月27日の夢(人肉食)

 家に食べるものがなくなった。妻が「人の肉はいく日位で腐るものでしょうか」と言う。ぼくははっとして、「馬鹿なことを言うものではない」と答える。だが食事の時間になると,母だろうか、父だろうか、「誰か肉を取ってこい」と言う。誰も取りに行かない。けれど、母が取ってきたのだろうか。いつのまにか食事が用意されている。
 今、我が家は改築中で、大工さんたちが何人か家の前の空き地でお昼休みをとっている。彼らにも食事を出さなければならない。ぼくはお椀に入った饂飩のようなものを一つ手にして、その内の一人に手渡す。一つずつ運んでいたのでは間に合わない。ぼくはお盆を探し、その上に人数分載せて、運ぼうとするが、つまずいて一個を落としてしまう。だが、これは饂飩のように見えても人肉なのだ。どうせ不浄のものだから、いいのだ。ぼくは床に落ちた饂飩を拾って、お椀に入れ、大工たちに手渡す。
 みんなで食事を始めようとした瞬間、あたりは真っ暗になった。ごうごうと風が吹きわたる音がして、家の壁に火がついた。ぼくの服にも火がうつった。急いでもみ消す。機関銃の音が響き渡る。棒立ちしていたぼくは、気がついて、慌てて床に伏せる。ドアを蹴破って、銃を構えた人々がなだれ込んでくる。ぼくらが殺して食べていた被支配民族の人たちが蜂起したのだ。「生き残りを探せ」と男が言う。武装した人々は一斉に、死んだふりをしていたぼくをくすぐり始める。ぼくはこらえきれず、「やめてくれ。早く殺してくれ」と叫んで立ち上がる。人々の銃口が今まさに火を噴こうとしている。

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10月25日の夢(ズボン)

 会社で仕事をしている。ぼくの隣にいかにも仕事がバリバリできる感じの社外の女性が座り、ぼくの書いた雑誌の記事を読んでいる。どこかの女性記者だろうか。ぼくはその記事で、あるタレントのことを書いたのだが、実際にそのタレントをテレビ等で見たことがなかった。だから、そのタレントのことを何の形容詞もつけずに書いたのだが、スポンサーから「何か説明をしろ」と言われ、適当に「明るく、かわいい」という言葉を挿入したのだった。そこに目をとめた隣の女性は「ふん。明るくかわいいだって」とこれ見よがしに言う。どうやら、そのタレントは強情なことで有名で、およそ「明るくかわいい」女性ではなかったらしい。
 雑誌を読み終わった女性は、ぼくの方を見て、「あら、いいわね」と言う。ぼくがたまたま持っていた紐のようなもののことか、それともぼくの服装のことだろうか。彼女に言われて、ちょっとドキドキする。ところが、よく見ると、ぼくがはいているズボンは泥だらけではないか。慌てて会社に置いてある別の替えズボンにはきかえようとするが、それもかなりドロドロだ。そういえば何かがあって、ズボンを汚してしまい、ズボンをはき替えたことを思い出す。しかし、会社に替えズボンまで置いてあるのでは、洗濯に出すこともできないのではないか。
 トイレに行く。このビルにはもともとトイレがなかったので、ある部屋をトイレに決め、右側の棚の3段目に便器がわりのボウルを置いていた。しかし、そのボウルは見当たらず、部屋には子連れの女性がいる。子どもは男の子と女の子と一人ずつだ。

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10月23日の夢(三つのこと)

 いよいよ後数日で退職する。営業のMから取材先と取材内容を伝えられてはいたが、何か勘違いをして、取材に行かないままにしてしまった。だが、もうぼくがしなければならないのは、そんなことではない。むしろ、皆にアドバイスをすることなのだから、自分ではやらなくていいのだ。これから後、ぼくにできることといったら、三つのことしかないのだから。

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10月22日の夢(降りられないバス)

 会社が日光のあたりに引っ越して、店舗を構えた。だが、その店の中に自分の脱いだ私服を吊るす場所を探しても見当たらない。ようやく店舗の入り口に「ここなら」と思う場所を見つけるが、それはそのままつながっている隣の食品店の中だった。
 店舗の中では白衣を着た男たちが何かを売っている。ぼくはこんな会社にもういるつもりはなかったので、このまま電車に乗って帰ってしまおうと思う。
 バスに乗っていると、運転手が「その会社に行くなら、この停留所で降りるといい」と言う。思わず横のドアから降りようとするが、「前のドアの方がご便利です」と言って、前しか開けてくれないので、降りるのをやめる。何人かの乗客が降りて行き、空席ができたのに、そこには誰かの荷物が置いてあり、ぼくは座ることができない。

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10月21日の夢(バスの中の父)

 バスに乗っている。隣には父親が座っている。ぼくは服にゴミがついているのが気になる。股の間に四角い箱をはさみ、その中にゴミを払い落そうとするが、ゴミは見当たらない。
 別の席でサラリーマンがマイクを持って歌っている。同じ歌を繰り返し歌ううち、歌詞が少しずつ変化して、自分の妻を自慢する歌になっていく。隣で父がそれを嘲る様子をする。ぼくも思わず、喉がくくっと鳴ってしまうが、すんでのところで笑うのは我慢する。

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10月19日 ぼくの誕生日の夢

 タイムマシンに乗っている。窓から外を覗くと、ガラスについた水滴が急激に乾いていく。
 到着した時代、書かれている作品は殆どが三つの言葉や三つの要素からなっている。

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10月17日の夢(お弁当)

 クライアントの事務所に行くと、女性の担当者から分厚い雑誌の校正刷りを渡された。その校正をこの場でやるように指示される。ぼくらはそのとき立派なソファに座っていたが、一応遠慮して、「ここから別の席へ移動した方がいいですよね」と言うと、「ええ、じゃあここで」と指示されたのは、窓際の粗末なデスクだ。他の女性社員がデスクの下にカーペットを敷いてくれるが、それも継ぎの当たったおんぼろである。
 お腹が減ったので、街でお弁当を買った。大きな球形のカキフライが沢山入った「カキフライ弁当」だ。自分でも驚いたことに、歩きながら蓋を開けて、食べ始めようとする。だが、箸がない。幸い、入っているのはカキフライとお寿司だけだから、手づかみでも食べられそうだ。
 それでも、座って食べられるところを探して、駅の方へ曲がる。しかし、座れそうな場所には人々が座っていて、適当な場所が見つからない。
 町の路地には、木製の粗末なベンチがあらゆるところに置いてある。どうやら、この路地全体がカフェになっているらしく、どのベンチにも汚いかっこうの若者たちが座って、飲食したり、煙草をふかしたりしている。空いた席を探しながら歩く。ちょうどうまくあいているなと思ったテーブルには、ぼくより一足早く向こうから来た若者たちのグループが座ってしまう。それでも、なんとかそのテーブルの側面の席を一つ確保できた。

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