10月14日の夢(大津波)

 世界が最後を迎えようとしている。海からもうすぐ大津波が押し寄せてくるのだ。しかし、建物にはサバイバルルームが設けられており、ぼくもその中に隠れる。さらに津波を攻撃して、それを無力にする防御システムもあり、ぼくはそれを操作する。しかし、本当に巨大津波が襲来したら一巻の終わりかもしれない。警報が鳴った。ぼくはシェルターの中に走りこむ。

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10月11日の夢(エレベーターの穴)

 ホテルに泊まり、朝、フロントに降りる。妻に代金8000円を持ってきてもらう。だが、まだ部屋に荷物を置きっぱなしだった上、靴下をはき忘れていることに気付く。部屋に取りに戻ろうと、エレベーターを運転する。紙の束をエレベーターの操作盤の穴に突っ込んで運転するのだが、どうしても目的の階に停まることができず、上ったり下ったりを繰り返す。、

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10月10日の夢(鼓笛隊)

 詩のイベント会場の最前列に妻といっしょに座っている。満員である。ぼくは眠くてしかたがない。会場の四方を鼓笛隊が囲んでいる。子供から老人まであらゆる人たちがいる。太鼓をたたきながら、低い声で歌っている。その歌が途切れそうになると、皆笑う。鼓笛隊が退場し、天井を残して四方の幕が取り払われると、そこは吹きさらしの街路だ。

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10月10日の夢(人々が消えていく)

 困ったとき、ぼくがいつも行くレストランがある。そこに行くには、鉄道のレールの上を歩いていかなければならない。レールの上を沢山の車が走っているので、それをよけながら歩かなければならず、ちょっと一苦労だ。しかも、レストランは森の中にあり、入るためには鉄格子のはまった窓から、入らなければならない。窓に這いあがり、狭い鉄格子の中に体を押し込む。皆が中から引っ張り込んでくれた。
 だが、この世界からぼく以外の人が消え始めた。電車の運転手は、運転しながら電車ごと消えていった。プールを泳いでいる女性は泳ぎながら消えていく。ああ、みんなみんな、行ってしまう。

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10月8日の夢(着信あり)

 校正が出たので、早く持っていかなければと思う。だが、ぼくは上着こそスーツを着込んでいるが、下は半ズボンだ。みっともなくて外出できない。どうせ、この仕事は上の許可が下りず、進行を止められているのでXX(メモの判読不能)でいいかと思いなおす。取材先の母子にだけ見せに行こうと、保育園を訪ねる。お母さんに「早く発行してほしい」と言われるが、許可が下りるまでは無理だ。外国の大使館へも校正を届ける。ここでも進行がストップしてしまう。帰社すると携帯が鳴った。「着信あり」と表示されているが、誰からか分からない。

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10月6日の夢(花のサラダ)

 未来の世界に来ている。妻と二人でレストランに入り、ランチのセットメニューを三つ選んでオーダーする。ウェイターが「それだと、野菜が一つも入りませんが」と言うので、他のメニューから花のサラダを頼むことにする。

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10月2日の夢(赤いセーター)

 Y社の広いオフィスに写真を届けに行く。広大なオフィスには沢山のデスクが並び、窓際に一番偉い人の席があるのが見える。今は昼休みらしい。見渡すが、ぼくが写真を届けるべき人が誰なのか、分からない。誰かに「○○さんはいらっしゃいますか?」と尋ねようと思い、入っていくと、奥にいる一番偉そうな人がいきなりぼくの名前を呼び、「誰を探しているの?」と親しそうに話しかけてきた。この人がぼくの探していた人なのだろうか。ともかく抱えていた紙袋から写真を出し、相手に見せる。まだ銀塩フィルムの時代らしく、ぼくの手渡したのはフィルム全体を一枚の印画紙に焼き付けたいわゆるベタ焼きだ。その人は「紙焼きはないの?」とぼくに言う。「まずベタで見ていただいて、選んでいただいたものを紙焼きします」とぼくは答える。周囲の人たちもえらい人のデスクに集まってきて、写真を覗きこむ。コンサートグランドピアノを弾くピアニストの演奏写真だ。ふと気付くと、ぼくは写真を入れてきた紙袋と、赤い色のセーターを床に落としてしまっていた。拾おうとすると、セーターを誰かの足が踏んづけてしまっている。引っ張って、やっと拾い上げる。それにしても、ぼくの名前を知っているこのえらい人は、誰なのだろうと考える。

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9月30日の夢(また小学生)

 ぼくは小学六年生。担任の先生から五時からホームルームをやるので、机を四角形に並べておくように言われる。みんなで並べ終わり、待っているけれど、ちっとも担任は現れない。六時近くなって、やっと校長先生と担任が現れた。しかし、二人とも座ろうとせず、校長はぼくに通り過ぎざま、「読むか」と言って、一冊の本を手渡す。この学校の卒業生でサックス・プレーヤーになった男の自伝らしい。写真が沢山ついている。ぼくはパラパラ読んで、隣の生徒に回す。彼は本を開こうともせず、隣の男の子に回した。
 ホームルームの議題は、来年から体育着のデザインを変えることだった。もう六年生で、三月で卒業してしまうのだから、いまさら新しい体育着を買いたくないとぼくは思う。
 それにしても、せっかく大学まで出たのに、なぜまたぼくは小学生をやっているのだろう。来年からは中学進学だ。こないだも妻に「中学卒業後はどうするの」と聞かれ、「高校へ行くんだ」と答えたばかりだ。なぜ、ぼくだけがいつまでも学校に行かなければならないのだろう。
 ふと見ると、廊下に置かれた椅子にクラスメートたちが座っている。ぼくも空いた席に腰を下ろすが、座席の幅が小さすぎて、座り心地が悪い。これは座席がたたまれたままだからだ。たたまれた部分を引き出して座ると、普通の椅子になった。

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9月29日の夢(津波)

 理由は分からないが、ぼくは何か問題を起こしたらしく、人々から激しく追及を受ける。
 外へ出て、列車に乗る。窓から見る外の風景は想像を絶するものだった。近代的な都市の景観はそこにはなく、昔風の日本家屋が建ち並んでいる。それを海から押し寄せた大津波が次々と押し流していく。海岸線には巨大な青鷺がたくさん羽を休めている。そして青い制服に身を包んだ不気味な若者たちの集団が、そこここで無言の行進をしている。彼らは津波の惨状には見向きもしない。

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9月27日の夢(医療検査サービス付きバス)

 仕事で遅くなったので、若い同僚たち二人とタクシーに同乗して帰ることにする。三人とも中央線沿線で、ぼくが一番近い。「自宅までそれぞれ寄ることにしていいかな」と確認してから、タクシーに乗る。しかし、若い二人はそのまま帰宅せずに、タクシーをあちこちのお店に載りつけて遊んでから帰るので、早朝の四時になってもまだ帰りつかない。
 バスに乗っていると、男の車掌が「これからサービスで医療検査を行います。ご希望の方はお申し出ください」とマイクでアナウンスし、乗客に検査表を配って歩く。ぼくは「もう降りる停留所ですから」と慌てて降車ボタンを押すが、そこは新橋なんとかというバス停で、まだぼくの目的地には遠かった。
 座談会の立ち会いに行く。上司である詩人のY氏がなかなか現れない。ようやく定刻ぎりぎりに窓越しにやってくる姿が見える。ぼくは「あの人は太っているからすぐわかるよ」と言う。座談会が始まると、なぜかぼくらは立ち会わなくてもいいことになり、他のお店でのんびりお茶を飲んでだらだらする。ぼくは会場に早く戻りたい。だが、みんなは「今日は会社から半休を与えられているから、こういう日は夕食も会社から出るんですよね」と言う。ぼくが「食べないで帰ります」と言うと、みんな白けてしーんとしてしまう。

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