まなざし

やっと秋という感じになった。体もゲンキンなもので、やっとこさ、さあ片付けるぞという気分。で夏服の整理を始めたが、もともと苦手分野とあって、散らかる一方でちっとも片付かない。うろうろしてるだけで情けない・・・・そんなときポストがごとんとなった。行ってみると宇佐見孝二さんの個人誌『アンドレ』9号が入っていた。ちょっと久しぶり気分だったが、編集後記を見ると3年ぶりとある。うそでしょう???まあ三ヶ月とは思わないけど1年ぶりあたりの感覚。ということは私は1年で三才加齢する・・・犬は我ら1年で七才分だから、それよりかはまあだいぶいいけど。で「アンドレ』だが、冒頭の詩「まなざし」は今日読むのにぴったりな詩で、なんだかとてもうれしくなった。黒部節子論も第5回目、作品図解は楽しみだ。黒部節子さんの詩はとても好きなので。
   まなざし
          宇佐見孝二
 秋の草原では
 草が
 陽にひかっていた
 そんな草原ははじめてではなかったが
 陽にひかった草と
 ちいさな蜂が蜜をもとめた花と
 風と
 そして見ている
 ぼくを
 ひとつのおおきな
 まなざしの中に置いて
 秋は咲かせていた
 おおきなものは
 花と風と蜜蜂と
 ひかった草も
 ぼくも
 ひとしく
 咲いているものとして
 見つめていた

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

簡易ばば

やっと秋らしくなった。台風の後、ミモザとユーカリと(クリスマス用みたいな)木が傾いてしまった。ミモザとユーカリは、えっさえっさとひっぱたのだが、もう一本の木は、押そうがひっぱろうが、びくともしない。強情なでっかい犬を相手にしてるみたいで、勝手にせいという感じであきらめた。
今日は、背筋がひやりとするけど笑っちゃう、そんな詩をひとつ。
   簡易ばば
         小柳玲子
暗い所によくいる
終戦後、簡易アパートの奥の部屋に住み着くことが多かった
夜が更けると米をとぐ ざくざくという音がはじまると
みんな布団を被り 耳をふさいで眠った
アパート全員が出かけると「猫さんや」を歌う 猫は逃げる
キキキキと笑う 赤ん坊が泣く 先ごろでは
駅裏の掲示板に張り付いていることがある
「猫探しています」と書いて猫に化け ポスターの中にいる
飽きると 飛び出し めんどりになって 歩いていく
馬鹿な詩人の夢に潜って やくざな卵を産み落す
 

カテゴリー: 未分類 | 3件のコメント

花のスタイルはホリゾンタル

P1010744.JPG
『村上春樹の「物語」』河合俊雄を読みはじめたら、今一度『1Q84』を読みたくなった。実をいうと『1Q84』は春樹の作品の中では、今いちだったのである。むしろ批判的だったかもしれない。それでもすらすらと読んでしまった。村上春樹の小説は麻薬性がある。すらすらと読めるけど読み終わったあと何だろうと思うその何故の不思議さ。えっ!これ私のこと書いてる?と思わせる共通意識。このあたりに、はまって次々読んでいるような気がする。現代の意識を見事に捉えているものとして以前から関心があったとこの筆者も書いているが、しかし春樹論のなんと多いこと。なにか言いたくなっちゃうんだろうなと思う。春樹のエッセイ集も最高におもしろい。掃除機かけながらでも読みたくなる。一体なに者?

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

P1010718.JPG
 
     蝶    西条八十  『美しき喪失』より
 やがて地獄へ下(くだ)るとき
 そこに待つ父母(ちちはは)や
 友人に私(わたし)は何を持つて行こう。
 たぶん私は懐(ふところ)から
 蒼白(あおざ)め、破(やぶ)れた
 蝶の死骸をとり出すだろう、
 さうして渡しながら言ふだろう。
 一生を
 子供のやうに、さみしく
 これを追っていました、と。 (本文の「い」は旧かな)

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント

からっぽ

P1010742.JPG
  
  からっぽ     浅野章子
 気持ちのいいほど からっぽな時間
 ぼうっとして DVDを見ている
 これっていい気分
 なにも考えない
 なんにも思わない
 こんな時間が重なると
 認知症とよばれる?
 このからっぽは
 とても気分がいいから
 詩が書けない
 どうでもいいんです
 危険な映画を観ているので
 引き出しやベッドや小机などの見える
 いつもの部屋で・・・
 テレビ画面ですから
 執ような危険な情事が進んでいるのに
 日常が飛んでいる
 宅配便です
 お風呂が沸いた ピイピイ
 電話がなった
 もしもし はいはい
 ときどき情事はとぎれる
 自分の播いた種でしょう 確か刑事も言っていた
 男のルールと言っても・・・
 女はながい狂気の果てに
 バスタブを赤く染めて沈んだ
 そして総ては終わった
 恐くって水も流れません
 とっても『危険な情事』を楽しんでいたのに
  1987・アメリカ・マイケル・ダグラスーグレーン・クローズ 

カテゴリー: 未分類 | コメントする

P1010737.JPG秋の花で。ダリア、コスモス、ヒペリカム、りんどう、われもこう、おみなえし、ねこじゃらし、どうだんの枝。ひどい残暑でめげそうになるが、月はきれい。きれいというのがいいのかどうか、ちょっと躊躇してしまうが、月の光の強さには圧倒される。もう9月も半ば。今日は秋をイメージしていけてみた。
   夜の庭     田中万起子
 月の光が照っていた
 木の中にいる悪霊や
 草むらにおりている雲までも
 すっかりうつしてしまうほど
 生まれなかった子供らが
 石どうろうのそのかげで
 おはじきをして遊んでる
 流れておちた星くずで

カテゴリー: 未分類 | コメントする

気になる詩

  トミノの地獄
           西条八十
    1
 姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く
 可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
 ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
 地獄くらやみ花も無き。
 鞭で叩くはトミノの姉か、
 鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
 叩け叩きやれ叩かずとても、
 無間(むげん)地獄はひとつみち。
 暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、
 金の羊に、鶯に。
 革の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、
 無間地獄の旅支度。
 春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、
 くらい地獄谷七曲り。
 籠にや鶯、車にや羊、
 可愛いトミノの眼にや涙。
 啼けよ、鶯、林の雨に
 妹恋しと声かぎり。
 啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、
 狐牡丹の花がさく。
 地獄七山七谿めぐる、
 可愛いトミノのひとり旅。
 地獄ござらばもて来てたもれ、
 針の御山(おやま)の留針(とめばり)を。
 赤い留針だてにはささぬ、
 可愛いトミノのめじるしに。
大正8年に刊行された西条八十の最初の詩集『砂金』におさめられています。
はじめも終わりもなく、耽美的なこのゾクゾク感、どんどん落ちていく感覚、なんといいましょうか、一度読んだらわすれられなくなる詩です。
 

カテゴリー: 未分類 | コメントする

向日葵

P1010733.JPG
向日葵ももう終わり。向日葵というと、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主役を演じた映画『ヒマワリ』をどうしても思いだす。といっても内容はほとんど忘れているから、もう一度見たい。そんな映画が結構ある。ある場面ばかりクリアーで、えっこんな展開だっけと思うこと過去にも数回。我ながらあきれるほどである。ところで向日葵は北アメリカ原産で、ヨーロッパでは16世紀の初めスペインにいちはやく伝わったらしい。まあそりゃあそうだろうと思うが、絵のなかに姿をあらわすのは、もっと先で17世紀のバロック期だそうだ。『花と果実の美術館、名画のなかの植物』という本に書いてあった。この本は、描かれた花や果実、樹木のシンボリック意味を読み解いている。図版もきれい。こんなこと書いてこの本の回し者みたいだけど。著者は小林頼子。写真の葉はニューサイラン。ちょっと手をいれると、(写真では分かりづらいかもしれないが、途中を編んだり切り目をいれている)一風変わった雰囲気が楽しめる。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

ティッシュケースに

P1010717.JPG透明なティッシュケースの蓋に造花を糊付けしました。強弱をつけてデザインするといいみたいです。(あまりなってないかもしれませんが)

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

目刺と海

思い込みの激しいタイプではないんだけど、一度インプットされたイメージは、なかなか訂正できない(ということを自覚した)。いつだったか、偶然に出会った句で、「木ごらしや目刺に残る海の色」。これは芥川龍之介の句で、教科書にも載っているみたいだから、超有名なんでしょうけど、初めて読んだときには、目刺の目の奥にひろがっている海がみえて、びっくりして固まった。まだイワシとして海を泳いでいるときなら、別に驚かないけど、命とられて、塩ふられて、目に竹だか藁だかをつきさされて、がらんどうになった目なのに海がひろがるなんて・・・・だからどうなの?と言われても困るけど、なにしろびっくりして、すごくうれしかった。ところが最近この句と再会して、そこにちょっとしたコメント、こんな感じのものが書いてあった。浜辺で腐りかけたイワシとかみつけるときがあるが(あるある)このイワシも海で泳いでいたんだなと小さな命をみるような瞬間がある(確かに私にもある)。この小さな生き物が命を失ってもなお木ごらしにつつまれている、そんな切なくて懐かしい風景で。とあった。ああなるほど!と思った。私は「木ごらし」なんて最初からイメージに入ってなくて、目刺の目と海の色だけ、なんとも思い込み激しいなと苦笑してしまったが、何かの拍子にこの句を思いだしても、やっぱり木ごらしなんて吹いていなくて、目刺の目の奥に静かにひかる海がゆったりとひろがっている。静的な哀しみといおうか、このイメージから離れることができないでいる。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント