ヤマと狐(医師と見舞客)

南川隆雄さんの個人詩誌『胚』36号のずいひつ欄に「狐のお医者」という話があった。出所は昨年復刻された画文集『炭坑(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』。この画文集は、著者の山本作兵衛が記録した炭坑の絵画、日記、ノートであり、ユネスコ認定の「世界記憶遺産」として日本では初めて登録されたものである。実は私も買っていて、この狐の絵と話はとても印象に残っていた。明治32年秋、作兵衛の住んでいた藁葺き納屋の壁一重裏隣の家の主人がガス爆発で全身やけどを負った。奇跡的に病状は好転しはじめたので、ほっとしてるときに不可思議な事件がおこる。ある夜おそくヤマのものじゃという集団がやってきた。二人医者もいる。乳飲み子を抱いた女たちや男たちが口々に災難の悔やみをのべ、医者が自分が治療すればよくなるといって包帯をはずし焼きただれた皮をむきはじめた。これではやくよくなるだろうと女房に言って夜明け前にはひきあげた。女房も寝不足の疲れがあってかうつらうつらして朝目が覚めるともう主人の体は冷たくなっていたという話だが、これが狐のしわざであったらしい。狐はガス焼け患者の火傷の皮が大好物で皮のためならどんなひどいことでもするらしい。絵を見ると狐が着物を着て座っている。しっぽもふさふさとでている。どうして気が付かなかったのだろうと思うかもしれないが、安物のランプひとつの暗いへや、女房は目が悪く、主人の弟は完全な盲人、あとは4才の女児がいただけである。麻は魔除けの力があるので、ガス焼け患者がでると冬でも麻の蚊帳を吊って寝かせるそうだが、それもしてなかった。それとこういう場合、黒豆を煮ておいて見舞客にはかならずその豆を手の腹にのせるそうだ。狐にはできないからである。それと狐は敷居をまたいだり座敷にあがるとき人間のように片足ずつができなくて両足一緒にとびあがるそうだが、目の悪い女房には判別つかなかったのだろう。「一寸眉唾ものだが実際にあったことだから致方がない」と作兵衛は書いている。
炭坑の問題は、きっかけのせいにしてはいけないが、あまり関心をもったことはなかった。それが数年前に、荒尾市の杉本一男さんから詩集『消せない坑への道』を読ませていただいて、その現実にびっくりしてしまった。といっても何ができるわけでもないが、頭の隅にはいつもあって、この画文集はすっと手にとっていた。この詩集はうれしいことに、第34回坪井繁治賞を受賞されている。杉本さんの年賀状(公開してすいません)には筆でこう書かれていた。  
  命を壊し  心を裂き  体に突き刺さる  ときが過ぎ   地の底の
  うたが聞える   龍よ   飛べ    よみがえれ  海よ山よ

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