料理1

P1010798.JPGお料理好きの友人の家に数人で集まった。写真は合鴨のスライス。私ならスライスしてパセリぐらいつけるかもしれないけど、まあその程度。ちょっとした手間でずいぶん違う。それにおいしいものを食べているときの顔ってみんないい顔をしていた。ということを再認識。それともうひとつ。
 『DAYS』という写真の月刊誌の編集後記を読んでいて、最後の言葉にどきっとした。そこには「原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない」とある。要約しようと思ったが、間違えるといけないので全文引用します。『「チェルノブイリ・ハート」が評判だ。被爆した子どもたちの心臓欠陥多発の映画で、2003年アカデミー短篇ドキュメンタリー賞を受賞した。放射能の恐ろしさを警告する映画だ。しかし気になるところもある。障害を負った子どもたちが映しだされ、「チェルノブイリ事故のせいですか」と取材者が聞き、施設の職員は「そうです」とうなずく。今から10年以上前、国内外の有力誌がいっせいに、「チェルノブイリで身体障害多発」という大見出しで、子どもたちの写真を掲載した。衝撃の報告だった。しかし私は驚いた。ちょうどその時期に、救援のため現地を何回も訪ねていたのだが、そうした話は聞いたことがなかったからだ。私は障害を負った子どもの写真を多く撮影したが、事故との関連が確信できなかったので発表しなかった。
 次に現地を訪れた時、子どもたちの写真が掲載された施設を訪ねた。そこにはさまざまな障害を負った多くの子どもたちがいた。私は所長に「この子どもたちはチェルノブイリのせいで病気になったのですか」と尋ねた。所長は首を振った。「何人かはそうかもしれないが、ほとんど関係ないでしょう。なぜならここには事故前から多くの子どもたちがいたからです。事故のあとに1割ほど増えたかもしれないけれど」と言う。
 雑誌や映画を見た人は、写っているすべての子がチェルノブイリ事故のせいで障害者になったと思ったはずだ。放射能はあらゆる病気の原因になる。遺伝子を傷つけるから出産異常も身体障害も引き起こす。だが放射能の恐ろしさを訴えるためにこのような強調をしていいのだろうか。人は皆、健康でありたいと願う。親は子どもの健康を望む。けれども「身体異常の子どもができるから原発に反対だ」という言葉は、障害者に「自分のような人間が生まれないために原発に反対するのか。自分は生まれてはいけなかったのか」と考えさせるだろう。
 原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない』
どうしても一方向から見てしまう傾向があるので、ちょっと考えさせられた文章だった。それから世の中の流れにも安易に同調してはいけないということなど。

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