思い込みの激しいタイプではないんだけど、一度インプットされたイメージは、なかなか訂正できない(ということを自覚した)。いつだったか、偶然に出会った句で、「木ごらしや目刺に残る海の色」。これは芥川龍之介の句で、教科書にも載っているみたいだから、超有名なんでしょうけど、初めて読んだときには、目刺の目の奥にひろがっている海がみえて、びっくりして固まった。まだイワシとして海を泳いでいるときなら、別に驚かないけど、命とられて、塩ふられて、目に竹だか藁だかをつきさされて、がらんどうになった目なのに海がひろがるなんて・・・・だからどうなの?と言われても困るけど、なにしろびっくりして、すごくうれしかった。ところが最近この句と再会して、そこにちょっとしたコメント、こんな感じのものが書いてあった。浜辺で腐りかけたイワシとかみつけるときがあるが(あるある)このイワシも海で泳いでいたんだなと小さな命をみるような瞬間がある(確かに私にもある)。この小さな生き物が命を失ってもなお木ごらしにつつまれている、そんな切なくて懐かしい風景で。とあった。ああなるほど!と思った。私は「木ごらし」なんて最初からイメージに入ってなくて、目刺の目と海の色だけ、なんとも思い込み激しいなと苦笑してしまったが、何かの拍子にこの句を思いだしても、やっぱり木ごらしなんて吹いていなくて、目刺の目の奥に静かにひかる海がゆったりとひろがっている。静的な哀しみといおうか、このイメージから離れることができないでいる。
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