去年わたしは男だったの、とクミコはいった

 「去年わたしは男だつたの」とクミコはいつた。えっとわたしたちがいうひまもなく。「それまで銀行で
お金をおろすとき何の問題もなかったのに、突然三人の行員がよってきて、逮捕されたの。」「このパスポートでは、あなたは男になつています。」と係員がいうのよ。」「えっといって、わたしは思わず下をみて、
ズボンを脱いでたしかめるところだつたの。あのロシアのあんぽんたんたちとおもったわ。だってロシアに滞在するためのパスポートはいつも写真が斜めに切られていたり、名前が間違えていたりするのでいつも気をつけていたけれど、こんどは大丈夫だとおもっていたのにね。わたしが男になるなんてねえ。」
 みんなで大笑いしたあと、私が撮ったデジカメの蓮の花を大きなテレビの画面で観た。
 実は、おととい、わたしはクミコと長い長いおしゃべりのあと、夜の十一時半に家を出で、十二時半に渋谷の東急に着き、カメラマンの神さん兄弟とハス博士というあだ名のわたしの夫と車で首都高速道路を
走っていたのだ。クミコが朝の十時に現れたのだから、翌日の十時まで殆ど眠られなかった。車は前から
横から後ろから他の車が迫ってきて、びゅんびゅん、がたんがたんと音がしてねむるどころではない。車にはナビゲーターがついていて、「あと700メートルしたら、右へまがつてください。パトカーが後ろから
やつてきています。スピードを落としてください。」とかいって、ちいさな画像がめまぐるしくうごく。このナビゲーターは全国的に使う事ができるので、外はまつくらだし、まるでゲームセンターでゲームをしているようなかんじでした。

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あれは

 「あれは、やはり、ルクサンブル公園じゃないかしら?」「ふーん、やっばり、ルクサンブル公園にマロニエがはえてる?」「うん」「ほんと?」「ちょっとまって」彼女は THE PURPLE JOURNAL という
雑誌をひろげてみせる。なるほど、ルクサンブル公園にはよっつに分かれたはっぱのマロニエとジャンヌ・ダルクの像が載っている。この大理石の像は戦う少女ではなく、聖女になつたりしている。朝電話がかかってきたので、いまどこにいるの?ときくと、武蔵野駅という、三鷹じゃない?ときくと、ああそうそうという。私の友達クミコはパリからやってきて、わたしが落ち着かなくオシッコするひまもなく飛び出していくと、もうバスの停留所にとまっていた。
それから、レンコンの天ぷらなど食べてすごした。クミコはELEIN FELEISS と OLIVIER ZAHM
に関心があって、いろいろ話しを聞いてみると、 エレンの雑誌に書き、オリヴィエの娘がクミコの孫になつていたりして、その子の名前はアジアであるといつたりして、わたしの頭は混乱した。それから、わたしが三日間
だけ見ることができたフランスのテレビのことを話すと、彼女は半年ばかりテレビはみていないといって
驚いた。(ずっとつづく)

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ときどき

 ときどき、死んでもいいから、こういう詩を書いてみたいと思う詩には出会うことがある。しかし、本当に
面白い文章やお話にこの頃、出会ったことがないと考えていたわたしは度肝を抜かれてしまった。図書館の一階は絵本を読む場所で、小さい子たちと、ちいさい椅子に腰掛け、これも、小さいテーブルで世界一豊富だというこどもの本を読んでいた。
 その絵本はジェニーという女の子が食卓に座っていて、向こうの壁にモナ・リザの絵がかかっているのだが、吹雪純そっくりに微笑んでいて、まるで愉快なのだ。
 「はじめ、ジェニーには なにもかも そろつていました。2かいには まるいまくらが、1かいには しかくい まくらが ありました。くしが ひとつと ブラシが ひとつ、のみぐすりが ふたつ、めぐすりが ひとつ、みみの くすりが ひとつ、たいおんけい 1ぽん、それから さむいときに きる あかい けいとの
セーターが 1まい。そとを ながめる まどが ふたつ。しょくじの おわんが ふたつ。かわいがってくれる ごしゅじんも いました。でも、ジェニーは たいくつでした。」そこで、ジェニーは きんの とめがねが
ついた黒い鞄に一切合切つめて、お気に入りの窓から、景色にお別れわ告げました。
「なにもかも そろつているのに」と植木鉢の花がいいました。花も、同じ窓からそとを眺めていたのです。
ジェニーは、葉っぱの一枚噛みちぎりました。「まどだって、ふたつ」花はいいました。「わたしの 窓は、
ひとつだけ」ジェニーは ためいきを ついて、はつばを もういちまい 噛みちぎりました。はなは、いいつつげました。「まくらが ふたつ、みみぐすり ひとつ、のみぐすり ふたつ、たいおんけい いっぽん。かいぬしも かわいがってくれる」「そうよ」といつて、ジェニーは つきづぎに はっばを 噛みちぎりました。
 ジェニーは、はつぱで くちが いっぱいなので、ただうなずきました。「なのに、どうして でていくの?」
 「それはね」ジェニーは、花を くきごと かみ切りました。「たいくつだから。ここには ない ものが
ほしいから。なにもかも そろつているよりも もつと いいこと きっと ある!」花は、もう なにも いいませんでした。 なにも いえなくなったのです。
 ひらがなでかいたり、漢字で書いたりしたけれど、これがモーリス・センダックの「ふふふん へへへん
ぽん!」——もつと いいこと きつと ある——の最初の2頁です。世の中にこんなに面白い本があるとはしらなかった。もうおわかりとおもいますが、このヒロインは犬なのです。この犬は冒険の旅の末、
ハルカノシロの世界劇場の人気女優になるのだが、おもしろいことに、このジェニーははじめ何もかもそろっているのに、経験だけがないので、主演女優になれない。赤ちゃんの身代わりに食べられようと
ライオンの口のなかに、自分の頭をつっこむという勇気にみちた行為をする経験を積んだため、世界劇場の主演女優に抜擢され、毎日好物のサラミソーセイジのモップを食べる役を与えられるのです。
あっはつはつは。これほどねめちゃくちゃで、爽快な物語をよんだことがありません。(つづく)

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絵本のなかのおかしな木

もう数週間前から、このブログに参加したかつた。どうして、そう思ったかといえば、なんだかめちゃくちや
になにかを書いてみたかつたからである。なぜかといえば、なにか面白いこととか、happyなことは、わたしにとって、いつもめちゃくちゃな気分のときに起こるからである。その日もひどく蒸し暑くて、すこし変わった道を歩いていた。みると、変な木が街路樹として並んで生えている。とうしてもわたしはその木をどこかで見たことがあるような気がした。わかつた、それはマロニエに違いない。マロニエの木はパリのリュクサンブル公園にあり、友達の双子の子どもたちを預けて、大人たちはどこかへ遊びに行ったから、よくおぼえている。いや、あれはリュクサンブル公園ではなかったかもしれない、とにかく緑が鬱そうとしたその公園
には、フローベルの銅像が立っていて、どうしてフローベルはあんなに美しい文体の小説をかけたのだろうとおもったのだけれど。いや、マロニエは韓国のソール大学にも生えていた。しかし、どうもマロニエ
の木というものは、この道路に立っている木とは違うようだ。なぜならマロニエの葉っぱは細くてみっつに
分かれているけれど、いかにも北方の木という感じがする。では、これは橡の木だろうか?けれども、橡の木は枝が各方面に伸びていて、なんだかこのまっすぐ立っているこの道路の木とは全く違う、そんなことを考えているうちに、急に思い出した。この木は最近絵本でみたモーリス・センダックの怪物たちが
いつぱいでてくる本に生えていた。すると、変な太鼓がどんどこどんどこ聞こえてきて、男のこがいった怪物のくにそっくりになる。なまぬるい風が吹いてきて怪獣のくにの王様になった男のこはオーオーと
奇声をあげるのだ。まったく大人になつた女だつて、センダックの絵本にはぞくぞくするのである。というわけで、あの木の名前がなんというのかはまだわからない。(つづく)

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