「平凡な情景」清岡卓行    追悼

平凡な情景   清岡卓行
気紛れのように そのとき
なぜ この眺めを
憶えておこうと思ったのだろう?
たぶん その奇妙な反芻が
大きな理由になっているのだ。
古く平凡な情景のいろいろが
いつまで経っても ときたま
私の頭の中を
色鮮やかな雉か なにかのように
飛びすぎていく。
たとえば 太平洋戦争の直前
十八歳であった夏休みの ある夜。
生れ故郷大連の家で 私は
兄と姉と 大きな楕円形の食卓を囲み
夜を徹しておしゃべりをした。
椅子の下は 緑のリノリウムの床。
窓の網戸も 同じ緑であったが
その細い針金は すこし錆びていた。
午後三時頃 網戸の向こうの
風のない暑い庭で 動物のように
噎せかえっていた 草木の暗闇。
また 戦争の様相が暗澹となっていた
二十一歳の冬の ある夜。
痩せ細った学生の私は マントの中の
孤独な寒さを むしろ愛しながら
下関の黒い桟橋に 立ちつづけていた。
戦争で殺されないかぎり ときどき
大連の父母の家に帰省しようとし
潜水艦の魚雷で 明日の命もわからぬ
朝鮮海峡を渡ろうとしていた。
そのとき私が 一心につながっていた
怖ろしく長い 無言の行列。
さらには 敗戦から二年経とうとする
二十四歳の初夏の ある午後。
大連に残っていた 少数の日本人の
子弟のための<日曜学校>で
臨時の教師であった私は
放課後 誰もいない廊下の窓から
雨あがりの外を ふと眺めた。
そのとき 校庭のむこうで
澄みきった青空を背景にし
日没に近い太陽に きらめいていた
生れ故郷の 緑の山の美しさ。
そのほか なぜか 私の場合
多くは戦争にからんで。
   『固い芽』より   続・清岡卓行詩集・現代詩文庫126  1994・思潮社
 私はこの詩がとても好きなのですが、その理由は? と聞かれると、なかなかうまく答えられそうもありません。答えられそうで、いざ答えようとすると、答えられないといったほうが正確なのだと思います。多分、
この詩はわかりやすく平凡のようでいて、実は極めて精密に創られているか、あるいは一回限り、一陣の
風のようにうまれたからであろうと想像します。こういう作品に対しては辻占師のように、当たるも八卦、当たらぬも八卦で向かうしかないし、それさえこの詩は許してくれるような気がします。
 それともうひとつ、(たとえば……、たとえば……)と例をあげていく、たとえば論法です。さて、たとえば、
モーツアルトのピアノ協奏曲(それはたくさんありますけれど)の第二楽章を聞いているような感じがします。ところで第二楽章というのは必ずしもよくいわれるように「透きとおった悲しみ」とか「無私な優しさ」だけではなくねわたしはむしろモーツアルトの手紙のような、そのときどきの心のありよう、つまり、心の情景がかんじられます。
 もうひとつ、たとえば、明暗の差がそれほど鋭くない、しかもデティールが実にはっきりとしている、時の鼓動が刻刻と伝わってくるようなモノトーンの映画を観ているような気がします。
 この詩の魅力は情景というものが持っている深い意味にあると思います。詩人は誰よりも情景に大変
敏感であり、ある意味ではそれが詩人の<生>の極めて重要な部分を占めているのかも知れません。
 なぜなら、この一見当たり前な情景が、海岸に立っているわたしの足下押し寄せてくる波のように訪れ、けっして荒々しくないのですが、わたしはときにその波に浚われていくのではないかといった深い驚きさえ感じるからです。さらにいうならば、繰り返す波への驚き、怖さは情景(事件ではなく)そのものが
持っている怖さかも知れません。
 それは夢の甘い怖さのように、あるいは音楽のように、わたしたちの(生)の中に侵入してくるのではないでしょうか。これがこの作品の(詩人の)の本質かも知れません。
 

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「かれらの内には土があった」パウル・ツェラーン 強制

かれらの内には土があった  パウル・ツェラーン 飯吉光夫訳  ドイツ
かれらの内には土があった、そして
かれらは掘った。
かれら掘った、そして
かれらの昼は夜はすぎていった。しかもかれらは神を讃えることがなかった、
これらすべてを望んだという神を、
これらすべてを知るという神を。
かれらは掘った。そしてもはや何の声もきかなかった——
かれらは賢明にならなかった、何の歌も作りださなかった、
何のことばも考えださなかった、
かれらは掘った。
静けさが来た、嵐がきた、
海がこぞって押し寄せて来た。
ぼくが掘る、きみが掘る、そして土のなかの虫が掘る、
するとかなたで歌っているものがいうのだ——かれらは掘っていると。
ああだれか、だれひとりでも、だれでもないもの、きみよ——
どうなったのか、どうにもなりようがなかったのに、
ああきみが掘る、ぼくが掘る、ぼくは
きみのほうにむけてぼくみずからを掘る、
するとぼくたちの指に、指輪が覚めている。
 
 
 これほどまでに自分の内部を掘ることが本当にあるだろうか? 掘らなければならない状況があるのだろうか? 恐らく、これは自分を見つめるとか、あるいは孤独とかいうものではない、全然別のことのようだと思います。
 むしろ、掘ることは全く意味がない、それでも堀りつづけなければならない、恐らく、こうした状態を続けていると生きることも全く意味がないということになるに違いないと思います。それを意味づけようとして、
<かれやぼくの内側>ということばで支えてみますが、そこにあるのは、<土>でしかなかった。
 掘るから土があるのか、土があるから掘るのか、殆どわからない。これほど、掘ることが無意味であったということだと思います。しかし、それにもかかわらず、<静けさが来た、嵐が来た……………かなたで歌っているものが——かれらは掘っていると。>
 
 人間の犯しがたい意志が感じられます。
 そして、最後の連は<きみ>や読者に向かって呼びかけているのです。たとえどのような無意味な
生を強制させられているとしても。

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「ぼくは 聞いた」パウル・ツェラーン 喜び そして…

ぼくは聞いた   パウル・ツェラーン
ぼくは聞いた、水の中には
ひとつの石とひとつの輪があると、
水の上には言葉があって、
この言葉が石のまわりに輪をえがかせていると。
ぼくは見た、ぼくのポプラがこの水の中におりていくのを、
ぼくは見た、ポプラの腕が深みへとさしのばされるのを、
ぼくは見た、ポプラの根が空へむけて夜をねだっているのを。
ぼくはぼくのポプラのあとを追っていきはしなかった。
ぼくは地上から、きみの眼のかたちと
きみの眼の気高さをもつパンのうちらをひろっただけだ、
ぼくはきみの頸から箴言の鎖をはずして
パンのうちらのちらばったテーブルのまわりを縁どった。
それからというもの、ぼくはポプラを見ない。
 
 
 すぐれた詩は一度読んだら、決してわすれられないものです。しかも思い起こす度に、まるで初めてこの詩に出会ったかのような新しい不思議な感じがします。この詩もその中のひとつです。特に一連目に
私は強く感じます。この一連目は詩でしか味わうことのできない喜びを私に与えてくれます。
 <水の上に言葉があって>この言葉が水の中の石のまわり輪をえがかせている。これはなんでしょう。
 これは、私にとってあたかもひとつの奇跡をおしえられたようです。しかも、私は水を見るとき、必ずこの
奇跡がわたしの内によみがえってくると信じます。
 つまり、これが詩だけがもたらす喜びです。
 恐らく、この連は詩人にとって、何ごとにもかえがたい宝であったに違いありません。
 こういってもいいかも知れません。神の贈り物であったと。
 たとえ、この詩を書いたとき、神がいかに詩人からとおくへ逃れてしまったとしても。
 
 そして、<ぼくは見た、ぼくのポプラ…>のこの<ぼくのポプラ>は恐らく詩人自身と考えていいのではないでしょうか?
 ただ、逆立ちしているのは、とても怖いような悲しい感じがします。
 <きみ>はなつかしい人でもあるし、神であるかも知れない、母親なのか、恋人なのか、大切なひとなのでしょう。その人のほんのわずかなおもかげが日常の生活の中でちらとかすめたのでしょう。けれども
その奇跡のような喜びのなかに逆立ちまで追いかけていきはしなかった。
 最終行は自分の奇跡とか無垢なものにたいするあきらめも感じられます。

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「人がいる」岡島弘子 人がいるという秘密

人がいる   岡島弘子
ほんのひと突きで崩れてしまいそうな
「岡島」の筆跡
自筆署名するたびに おもわくから外れて
右側へ傾いてしまう
なだれ落ちてしまいそうな
一画一画を 息でおさえて
空中分解寸前の 字画の肩を
目で押しもどしてみる
数学の前田先生は
黒板いっぱいに
「因数分解」と書いた
チョークの跡もかぼそくて
ひと吹きで 飛び散ってしまいそうな
右肩下がりの あやうい文字
結核を病んで
この世の黒板を早々と拭き去って 逝かれた
台所の流し台のすみから
ゴキブリが出たと家人がさわいでいる
一匹のために「台」の字がぐらついて
家庭崩壊する
はずみで ころがりそうな「部屋」「命」「生活」の文字を
四次元の裏側で
けんめいに ささえている 人がいる
 
 
 「文字は人を表す」この詩を何度かよんでいるうちに、このことばが頭に浮かんで
きました。この詩がこのことばとどんなふうに関わっているのか(本当はまったく関係がないのかもしれませんが)はっきりとはわかりませんが、私はいま、人と文字やことばとの秘密、そして「人がいる」という秘密の前に立たされて、呆然としている感じです。                                   それは、いままであたりまえのこと、分かり切っていることと思ってことが、突然不確かな秘密に変わってしまったような不安な感じです。                                           この不安な感じにあるリアリティがあるのは、この詩の一連目「・・・・・なだれ落ちてしまいそうな 一画一画を 息でおさえて 空中分解寸前の 字画の肩を 目で押しもどしてみる」にあるような気がします。
 ここでは文字と人が逆転してしまい、「空中分解寸前」なのは、「岡島」と自筆署名する詩人自身かもしれないし、さらにもしかしたら「一画一画を 息でおさえて 」「字画の肩を 目で押しもどしてみる」と息をこらすように読んでいる私自身かもしれません。
 
 それにしても、この詩に登場する文字たちは危険にさらされてなんとあやうい感じがするのでしょう。数学の前田先生が(おそらく遠い記憶の中で)書いた「因数分解」、
 
  一匹のゴキブリの出現でぐらつく「台」、ちょっとしたはずみで転倒しそうな「部屋」「命」「生活」。
こうしたあやうさをとおしてしか、わたしたちは、文字をそしてことばを持つことができないのかもしれません。
  「文字は人を表す」現代のわたしたちにはそういいきることがとても難しくなってきたようです。それがどういうことなのか、この詩は問いかけているような気がします。
  

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「ちいさな川は…」新川和江  まねしたくなる詩

「ちいさな川は…」 新川和江
ちいさな川は
一日じゅう うたっている
鳥が はすかいに                                                   つい! ととべば 鳥のうたを
白い雲がかげをおとせば 雲のうたを
風が川面を吹いてわたれば 風のうたを
女の子が花を浮かべれば 花のうたを
夜がくれば 空いっぱいの星たちのうたを
 
 他のひとの作品を読んでいて、「こんな詩を書きたいなあ、でも、書けるかな? 書けないかも知れない。
でも、やっぱり、いつかかけるといいなあ」と思う詩に出会うことがあります。この詩がその一つです。
 こういう詩は、なぜ好きだとか、どこがすばらしいとか、実はよくわからないのです。
 でも、何かとても鮮やかな体験みたいなものがあって、それをあれこれいっても仕方がないとさえ思って
しまいます。一陣のさわやかな風が体を通りぬけていくような感じで、そのあとには何ものこらないのですが、通り抜けたという感じはとてもはっきりしています。
 私が詩を書き始めたのは、これと殆ど同じような体験からだったのではないかと思います。こんな詩が書きたいな、でも書けるかなと思って、詩を書き始めたような気がするのです。
 ただ本当に゛こんな詩″が書けたかどうかわかりません。
  
 また、ある時は殆ど、まねのような詩を書いたこともありますが、それでも、私はとてもどきどきして、もしかしたら私にも詩が書けるかも知れないと思ったりしました。
 この詩人には他にも「水」をモチーフとした作品が幾つもあります。それらの作品を読むと、私はいつも、
生と死、現実と幻の世界を旅しているような、能を味わっているような不思議な気持ちになるのです。 
 そして、実はこの詩にも同じようなものをかんじます。 この詩は子どもにもよくわかることばで書かれて
いますし、実際そのとおりだと思いますが、私にはなんとなく、生と死どころか、無限のあの世への旅が感じられるのです。
 それが、他のどの詩よりも自然に書かれていて、この詩は私にとって、別格に思えるのです。
 どこがすばらしいかわからないといいましたけれど、それでも、今回は
 <鳥が はすかいに
  つい! ととべば> と
<夜がくれば 空いっばいの星たちのうたを>の部分が特に好きです。
 次の時は、どこが好きになるかわかりませんが。
 
 
 

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「その理由」田口ランデイ

「その理由」田口ランディ  こんなにへんちくりんな女みたことがない。大好きになった。
 その男は、珍しい死に方をした。
 どういうわけか、男は古い便所の浄化槽の中から遺体で発見された。そこは取り壊された作業小屋の
跡地で、今はつかわれていない便所の浄化槽だけが地中に残っていたのだ。昆虫採取をしていた少年が、偶然浄化槽の穴を覗き込んで、そこに人間の頭が見えたと言って騒ぎ出し、駐在さんに発見された。
男の失踪から七日目のことだった。
 その浄化槽のわずか直径三〇センチの入口から、男は中にはいったらしいのだ。
 当初は殺人事件として調査された。
 でも、調査が進むにつれて、どこかで殺されて狭い浄化槽の中ですてられた可能性は薄れていった。男には外傷というものが全くなかったのだ。死因は酸欠による窒息死だった。その浄化槽は胃袋のよぅな
形に曲がっていて、男はその狭い浄化槽の中にすいこまれたように見事に収まっていた。まるで最初からその浄化槽の中で生まれて、その中で成長したみたいに。そして、成長しすぎた挙句、そこで窒息死してしまつたみたいに見えた。だから男が発見された時に、男の死体を浄化槽から運び出すために、浄化槽そのものを壊さなければならなかったほどだ。
 浄化槽はパワーショベルで掘り出された。地中から出てきた錆びた浄化槽は、なんだか古びた核シェルターみたいだった。それから、掘り出した浄化槽を巨大な電動のこぎりで切断したのだ。そうしたら、卵の中からひよこがでてくるみたいに、丸まった男の腐乱死体が出てきたのだ。
 誰が考えても、この浄化槽に死んだ人間を押し込めるなんて不可能だった。こんなにぴったりと腕を組んで美しく収まるわけがない。つまり、男が自分からこの中に入ったのだ。そうとしか考えられなかった。
まるでエジプトのミイラみたいに手を胸の前でクロスさせ、膝を折り曲げた状態で男は死んでいた。なんだか孵化する前の蛹みたいだった。
 
 それにしても何のためにこんなところにはいったんだろう? と、町中の誰もが思った。二八歳のごく普通の男だったのだ。どちらかといえばインテリだった。ラテン文学とジャズを好み、町役場に勤めていた。まあ多少気難しいところがあるにしても、心優しい普通の男だったのだ。自分から好んで便所の浄化槽に入り、死ぬような人間ではなかった。
 だったらなぜ? なんのために?
いろんな噂が流れた。誰かに脅かされて入ったんじゃないかとか、覚醒剤を打ってたんじゃないかとか
実はスカトロだったんじゃないかとか、もうありとあらゆる噂が流れて、ありとあらゆる憶測が飛び交ったけど、男が死んだ後では、誰も想像以上に真実に近づくことはできなかった。
 
 ある時、偶然にテレビの「B級事件特集」でこの事件を知った。妙に心が動いた。いったいなぜこんな奇妙なことが起こるのか?考えても考えても私には、さっぱりわからなかった。だって、人間がだよ、汚くて臭い便所の浄化槽に、しかも入ったら絶対に出てこられないような狭い浄化槽に入ろうとするだろうか。入るためには相当の努力が必要だつた。
 普通の人が実地検証したんだけれど、この浄化槽にすっぽり入るためには肩を一カ所脱臼しないと入れないと言うんだ。でも、なぜか男はすつぽり入っていた。男は小柄だったから脱臼をまぬがれたのかもしれない。そこまでしないと入れないほど狭いところに、なぜ入ろうと思う? そんなこと、いくら考えたって入ってしまった男以外にわかるわけがない。
 わかるわけがないのだけれど、私は考えないわけにはいかなかった。
 それからというもの、この疑問は頭の中に張られた蜘蛛の巣みたいに、いつも前頭葉にひっかかっているのだ。私は、長いこと男の死について考えると気分が悪くなった。あまりにも不可解で、私の理性は不可解さを受け入れ難く、考えると吐き気がしてくるのだ。男の死について考えることを体が拒否するのだった。このあまりの不合理な男の死は、私のつたない人生経験では納得も解釈もできなかった。お手上げだった。私には男の死を理解するどんな手がかりもなかった。それでも考えないわけにはいかず、でもいくら考えても結論は同じ。全く見当もつかないのである。
 来る日も来る日も考えたけど、わからなかった。わからないのに、考えずにはいられない自分に疲れていた。で、ふと気がつくといつも男のことを考えている。なぜ、なぜ、なぜ……。どうしても答えがほしかった。私を心から納得させてくれる答えがほしかった。でも、誰も私を納得させてはくれなかった。男の死は
あまりにも不合理すぎた。
 
 
 ある日、私は仕事の打ち合わせで東京に出た。湯河原わ出たのは久しぶりで、私は用事を済ませてから久しぶりに映画でも観ようかと思った。何かに熱中している時は男のことを思い出さなくてすむ。身軽になりたくて、荷物を東京駅のコインロツカーに預けることにした。どのロッカーも混んでいて、私は北口の地下にある人目につきにくいコインロッカーまで歩かなければならなかった。古びたロッカールームは駅の死角にあって、そこだけがひんやりと静かだった。ロッカーを開けて、私はふと思った。
(ここに入れるだろうか……)
 なにを馬鹿なことを、と打ち消したのだけれど、いちど浮かんでしまった思いは私の理性を押し退けてごんごんと私に迫ってくる。
(このロッカーの中に入ったら、男の気持ちがわかるんじゃないだろうか)
 コインロッカーはとうてい私が入れるような大きさじゃない。だけど、なんだか無理をすれば入れるような
気がした。うちは小柄な家系だ。きっと入れるという奇妙な直感だ。きっと入れると思ったとたん、どうしてもはいってみたくなった。入ったらすべてわかると思った。すべてわかると思ったら、もう逆らうことはできなかった。
 私は頭を突っ込んでみたが、頭から入るのは無理そうだった。下から二段目のロッカーを選んで、そこにまずまず足を突っ込んでみた。足はするすると吸い込まれるようにロッカーの中に入った。それから体を折り曲げてお尻を入れてみた。ぎゅうぎゅうと力をこめて腕を支えに尻を突っ込んでみた。ぐいっぐいっとふんばると、食い込むように腰がロッカーに入る。
 いける……、と思った。もう夢中だった。それからなんとか上半身をいれようと思うのだけれど、これが難しい。胸から上の部分がどうしても収納できない。さらに体をロッカー全体に押しつけ、そして顔を胸にすりつけるようにして頭を突っ込んだ。もう目は自分の膝しか見えない。これで扉がしまるだろうか?私はかろうじて使える手で、手探りしながらロッカーの扉を自分で閉めた。
 扉は、あっけなくぱたんと閉じた。
 すごい静寂だ。
 妙な満足感が湧き上がる。 男もこんなきぶんだったに違いないと思った。いったい何を試したくて男が浄化槽に入ったのかわからない。でも、そうなんだ。理由のわからないことを解決するためには、理由のわからないことをやってみるしかないんだ。だから男も何か考えても考えても考えてもわからないことがあって、そしてきっと便所の浄化槽に入ってみるしかなかったんだ。
 えもいわれぬなごやかなで満ち足りた気持ち。こんなに気持ちの安すらいだことは生まれてから一度もなかったような気がした。苦しさは気にならなかった。ひどく息苦しいがなんとか呼吸はできる。
 静かすぎるくらい静かだった。暗くて狭いロッカーの中は、まるでこの世のものとも思えない静謐さだ。
 自分が空間に最大限に存在していることの喜び。世界と自分に隙間のないことの心地よさ。私と世界とは一つだと感じた。
 ずっとこのままでいたかったのに、誰がふいに扉を開けた。
  「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」

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raspberry 三浦優子   香気

raspberry 三浦優子
 
こっちへ来て 教えて
美味しいコーヒーのいれかたとか
どういうふうにその胸が痛むのかを
ヒメジョオンの茂みが揺れている
帰らざる河の岸辺
我慢してきたんだ、ね
砂糖とレモンの汁で煮詰めたラズベリーの甘い香り
狂おしく 甘く 甘く
風にのる
こっちへ来て、そのシャツのボタンを外して
その胸をひらいて
ひらいてみて
ぱっくりと開いた胸にたっぷりと
紅く透き通るラズベリーのジャムを塗ってあげましょう
 
 「パイが焼けたら匂いでわかるんだ」
  天にも地にもぼくのいる場所はあるかしら
  地上の星 天井の花
  嵐がくるたびになぎたおされるのを望みながら
  パーティは続く
  The show must go on and on and on….
うつくしい粒々の浮いた透き通ったたべものは
あなたの開いた胸をもとどおりにふさぐでしょう
はい もう だいじょうぶ
狂おしく 甘く
体の中でいい匂いを放って
あなたを浸触していくように
そっと触れてあげる
ここへ来て
言葉にならない願いであふれだす心と
 
葉陰で実るラズベリー
 
 
 毎日の暮らしというのは同じようなことの繰り返しで、曖昧で、やり切れなくなってしまうことがあります。それに傷つけたり、傷つけられたりしながら生きていかなければならないかも知れないと思うと全く
やり切れません。
 そんななかで、私はこの詩を読んで気持ちがすーっと軽くなったような気がしました。たとえ、それが一瞬でも、私はこの詩に出会えてとても嬉しかった。
 <こっちへ来て>という詩人のことばが私の心に確かに届いたからです。
 <こっちへ来て>と詩人が呼びかけているのは、詩人の最も大切なひとなのか、あるいは詩人の中の
もう一人の自分なのかわかりません。でも、不思議なことに呼びかけられている感じもします。
 <こっちへ来て>ということばは毎日の暮らしなかでつかわれていることばです。それは<美味しい
コーヒーのいれかた>と続くからです。それにもかかわらず、私をどこかしら自由な場所へ誘ってくれます。この場所は三連目に書かれている自然のラスベリーの甘さであり、もしかしたら四連目の失われてしまった優しさなのでしょう。
 ただ私にはその場所がホーキング博士の日常のなかにあるベビーユニバース(もうひとつの宇宙)のようにも思えます。それとこの詩には何ともいえない香気を感じます。
 <ここへ来て、
 言葉にならない願いであふれだす心と
 葉陰で実るラズベリー>
 そして、最後の三行からこの詩の真実が伝わってきます。
                        

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「はじめての海」丸山由美子

「はじめての海」     丸山由美子
一度だけ
海に連れて行ってもらつたことがある
開けっ放しの列車の窓から見えた松林まで
フライパンのような道を
みんなでもう一度
うす焼きたまごになってひき返した
潮の満ち始めた海はきらきらと
ずうっと遠くまで水着を着たおとなやこどもがいて
どうしてだか突然 ぽつんと
私の家は七人家族なのだと思った
それから父や母を大好きだと思った
それから満潮の海はギラギラと傾き
どこまでも広がって 高く高く
広がって
夕方近く私の手や足がおとなしくなって
もうそろそろ海の家から帰る気分で
最後にかきごおりを食べた
さし向かいのテーブルのもも色のお山のてっぺんから
耳のすこし遠い末のおとうとの
らっきょうのような顔が笑っている
もっとその他に留守番をしている祖母も
音のない潮風が吹く中で
みんなでしつかりと
雲と雲とのようにくっつき合って食べていた
 
 
 
 何という何という詩なのでしょう!
 丸山由美子さんはわたしと二つしか年が違わないので、ちょうど戦争が終わったばかりで家族で
海にいくなどということは大変幸せな事件だったということがわかります。ただそれだけで幸せだったのです。幸いなことに誰も戦争に行って死んだ人がいないということも大変な幸運だったのです。
 ところが、アメリカではクリントン大統領の頃、子どもはもう親より豊かな生活ができないということが分かって
あまり幸せではなくなったそうです。その頃、アメリカにいっていた日本人はアメリカとは大変な国だなと感じたそうです。でも、日本がいまちょうどそうなつたそうです。ニートがたくさんいて、3万人以上自殺者
がいて、殺し合いがいたるところであるようになったわけです。
 90年代の半ば頃まで、日本はあまり犯罪がなく、夜ひとりで外出してもいちばん安全な国だと外国人が
感嘆していたそうです。
 だからこそ、この詩があまりにいい詩に思えるのでしょう。
 こういう幸せより他になにかあるのでしょうか?

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谷内修三さんのブログ

面白いブログみつけました。
「詩はどこにあるか。」
というブログです。
ここにあるよ、といってるようなブログです。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005

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『something3』がでました。

 世の中がくらいのに、生きるのがそれほど簡単ではなくなっているというのに、それでも詩はなかなか面白いし、ひとを感動させる力を持っているという、その確かさを感じました。
 「一人一人の世界が楽しくて、ついつい引き込まれてしまいました。読み終わると不思議なことに、みんな親しい友人のようにかんじます」尾崎与里子さんから感想頂きました。最高のことばでした。わたしは
そんなふうな詩誌をつくりたかったのです。
 尾崎さんは長いながーい間、アルツハイマーのお母さまの介護をなさっていたのですが、その合間を
縫って詩を書かれました。
「子守唄」 尾崎与里子
食事を終えて
テーブルの籠に盛られた
オレンジとレモンの
艶々した果皮を見ている
……夏のさかな
   魚たちは飛び跳ね
小さく流れている子守唄の歌詞が
とぎれとぎれに耳に入ってくる
母は今 ひどく渇いて
死の床にいる
私の目の前の果実の丸い重なりは
囓れば私のひとときをいきいきとと潤すが
手を差しのべても
手を握っても
祈っても
母は
渇いたまま死んでいくのだ
さょうなら
私の唇から懐かしい甘酸っぱさが飛び散る
                     (唄はガーシュインの「サマータイム」より」   

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