忘れていたもの 志田道子
電車が鉄橋にさしかかると
明るい銀鼠色が
目の前にいっぱい広がった
誰も未だ
春のことなど思い出してもいないうちに
鋭い太刀が斬りさいていた
その真一文字の切口にだけ
日の光が射し込んで
水平線がどこまでも続いていた
空も
河口も
薄雲鼠色
河の真中を
扇子をだんだんと広げて行くように
白波の航跡を従えて
貨物船が音もなく
海に出て行こうとしていた
男は吊革にぶら下がって
片手でコートの胸の釦を確かめ
目を細める
ずいぶん長い間
使うことのなかった
肩甲骨の間の
翼の根っこが疼く
こんな静かな
昼下がりには
※
「我々はどこから来て、どこへ行くのか」
この言葉を私はいつも忘れているようです。でも、突然思い出すこともあります。それはなんの前ぶれもなく私のなかに立ち上がってきます。
ひとりで海を眺めているときだつたり、あるいは大勢の人に交じって街を歩いているとき、「我々はどこから来て、どこへ行くのか」と思うのかも知れません。
この詩を読んではるかに遠い世界にさそわれる感じがしました。
突然、目に飛び込んできた青い海、それは「目の前いっぱいに広がった」「鋭い太刀が斬り裂いていた」水平線がどこまでも続いている。
たぶんこの詩人はひとりで自分の言葉を探していたに違いない。(それは私と同じではないかと思います)
「ずいぶん長い間 使うことのなかった 肩甲骨の間の 翼の根っこが疼く」「我々はどこから来て
どこへ行くのか」決して生と死のことたけではなく、私と鳥、私と魚たちとのことでもあるのでしょう。