金恵英「やわらかな時計の中で」率直さということ

やわらかな時計の中で 金恵英
私か解読しようとする記号は
空から降り注ぐ雨だったり
頭蓋骨から降り注ぐ言葉だったり
二本の足の間から流れる精液だったり
二つの足の裏から逃げていく風だったりした
私が解読しようとする貴方は
ベッドに横たわり丸いおっぱいを晒したまま
犀月の日差しのごとく眠っては開いた唇に
私の舌を重ねれば赤いチューリップになる
愛撫した手がチューリップのスカートを脱がせば
ぽろって落ちてしまう花びら
首だけ残ったチューリップ
私が解読しようとする絵は
モナリザの微笑みをあざ笑う
分かりそうで分からないなぞなぞのような
記号でぎっしりの
柔らかな時計の中で道を尋ね
か細い指にモナリザの服は脱がされる
肌の色した玉ねぎのように
一枚二枚と剝がすほど
何もない!
白い血を増殖する時計が
体の中でちくたくと回り
私が解読しようとする肉体は
真ん丸の月のごとく萎れていく
                 ※
 私はこの詩にある率直さを感じます。
それは日本の詩には殆どみいだせない民族の資質なのだとさえ感じられます。
この率直さは、子どもが持っているような正直さであると思いますが、しかし、それだけではなく、
互いに引っぱり合ったり、はじけ合ったりするようなエネルギーを感じます。
たとえば、「私か゛解読しようとする」という言葉は、この詩を一つの建物にたとえるとするならば、その柱にあたると思います。
この言葉にも、私は一種の率直さを感じます。それは何か未知なものに全身で向かっていく率直さです。
はじめ読んだだけではやや理屈っぽいこの言葉も何回か繰り返し読むと、それ自体が言葉の肉体
性のようなものを持っています。
「頭蓋骨が降り注ぐ言葉」
「二つの足の間から流れる精液」
「私の舌を重ねれば赤いチューリップになる」
「愛撫した手がチューリップのスカートを脱がせば」
とかといった表現はイメージというより、言葉と言葉のぶつかり合いのような感じがして、私はあまり
詩のような感じがしません。その代わり、私はどこかでこんな言葉を使ってみたいと思ったりもします。
これにもあの率直さがあると思うのです。率直な言葉はいわばことばの元素のようなもので、互いに
ぶつかり合って大きなエネルギーを発散させたり、また時には全く新しい世界をつくリだすかもしれません。それを「やわらかな時計の中で」可能にするのです。

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