池田寛子「Voyage」詩と子ども

Voyage 池田寛子
終わりのみえない
このいらだちにもかかわらず
あなたは
大海原をたゆたって
やすらぎだけに つつまれていて
からっぽの胃袋をひきしぼる
吐き気にもかかわらず
あなたは
ひもじさを知らず みちたりていて
私はあなたの海
そして船
そしてなぜだかひとり
船酔い
ああどうか つめたい潮水に呑まれて
涙にむせたりなんて しないで
ほら おおきな白い鳥が
川の中にまっすぐに立って
こちらをみている
今ならなれる
あなたの目に
そして耳に
あなたがひとり
真白い地図を手に
旅にでるまで
私の中のいのちよ
あなたは見る そして聞く
私には見えない 聞こえないものを
あなたの中にいつか
私には届かない
理解できない何かが
はぐくまれる
     ※
 この詩はとても素直でよい詩だと思います。飲み物にたとえれば、ほのかに甘いレモン水のようで、読み終わった後、体がどこか新鮮になった感じです。
 <終わりのみえないこのいらだち>といったスケールの大きな世界、と同時に<このからっぽの胃袋をひきしぼる>という実感的世界、この二つが殆どぎくしゃくしないで
私の中にまるで水のように入ってきます。
 これはこの詩人の素直さが並大抵のものでないからであると思います。この詩は何か
とても深い肯定的な世界に支えられているような感じです。それを神といってもよいかもしれませんが、やはり、それは正確ではないと思うのです。
 恐らく、「あなた」はやがて生まれてくる子どものことであろうと想像しますが、もしかしたら、それもどうでもいいのかも知れません。
 詩人にとって、素直であるということは神や、やがて生まれてくる子どもの前か後に
あるのではないでしょうか?
 私のこうした考えは、大げさすぎると思われるかもしれませんが、私は決してそうではないと思います。
 一遍の詩には、それだけの不思議があるものだと思います。

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