レバトフ「八月の夜明け」寺島博之訳 生れ変わりについて

八月の夜明け デニス・レバトフ
 
ゆっくりとカラスが手すりを巡回する。
ヒョウ・ナメクジは葉っぱのジュースで満足し、昼の間は消える。
褐色の、ゆったり回転するキングサリの家は
六月の黄金色の雨を反復する。
          屋内では臆病なヤスデが
地下室の床を横切って危険を冒してタンゴを踊る。
わたしはすべての部屋で本が静かに
呼吸するのを聞く。そして何年も前に見た夢を思い出す。
わたしの父はーあの視線そのもの、カバラの知識、
子供っぽい自尊心、英雄的な博識、善良さ、弱さ、
挫折と信仰ー死の門を付けたトンネルをくぐり抜ける旅の後
          一輪のバラに
          古風な暗いピンクの庭のバラになった。
風は全くない。乳色の空。青い陰の
形跡が
    氷のように溶けている。
昼は暑くなるだろう。
影でなくー夜の気配。わたしは眼下で
それを感ずる。開いた窓に向かって
深呼吸の後で、ブラインドを下ろす。
つまりこういうことだったとわたしは考える、彼はその両手から
             知識を落下させた、 
もはや必要がなくなったのだ、いまでは本来の自分になって
そこにずっとあった
それは最初から、多くの花弁のある、香りのよい、
陽光の中の「祝福された判断力のないバラ」だった。
             わたしは眠りに戻る
あたかも森林のつかみどころのない香気に、
柔らかな暗がりにの中の松葉のなだらかな傾斜に、
取り戻された夜の結末に戻るように。
 だれだったか、朝起きて、散歩に出かけると、きれいな蛙がいて、ぴょんぴょんはねている、あれは私の生れ変わりみたいだという詩を書いていて、どうも私は生れ変わりというものがわからないと、友達にはなしたことがある。
すると、友達が私は生れ変わりのことは、おばあちゃんからよくきいた、といった。彼女はとても小さい頃、お母さんがなくなったので、おばあちゃんがときどき蛍や蝶々をみると、あれはおかあさんだよ、
といってくれたのだ。小さい子でもよくわかるように、そういう話があるのだろうといった。でも、自分の生れ変わりをみるなんて、いただけないとも、いった。すこし気味が悪いから、ともいった。
 このレバトフの詩はよくわかった。
 昔、吉原さんと対談をしていて、フェミニズムについて、どうしても、レバトフが賛同しないので困っていた吉原さんとレバトフのことをどちらもわかるというか、困ったものだと思ったことを思い出した。
 いまでは、この詩とともに懐かしく思い出す。

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