「森の地図」作田教子  生命(いのち)の雰囲気

森の地図     作田教子     
日の出の前から朝が始まっているように
日が沈む何時間も前から闇夜は起き上がる
森の地図は何度も書き換えられる
やさしい木が倒れると
そこに光があたり 花が咲く
大きな鼻を持つ雨の神に出会うと
森はなくした聲を取り戻し 泣くことを思い出す
あなたは雨が通り過ぎたことを知って
時計の螺子を巻くだろう
時は戻らない
幸福とは遠くにいくことかもしれない
やさしい木が天を指していた頃の地図は
未来の空の引き出しのなかに眠る
森はどこにもいかない
けれど 森は通り過ぎていく 
雨をくぐりぬけ 風をくぐりぬけ
光も闇もくぐりぬけて
熱帯雨林に行ったことはない
けれど熱帯雨林のことをいつも考えている
だからさようならと言った
やさしい木になれるだろうか
雨も 光も そして死も
花を咲かせるために‥‥
記憶の森の雨の神はやわらかい靴を履いている
すぐ後ろに立つまで気づかない
 
 
 この詩はひとことでいえば、大変雰囲気のある詩だと思います。
 盛り場の雰囲気、港の雰囲気、春の雰囲気などというように。
 雰囲気ということばはいろんな場面でつかわれていますが、そのことばの意味を上手に語ろうとすると、
なかなかうまくできません。それは多分、雰囲気というのが、わたしたちの語感や考え方と非常に密接に
関係しているからであり、つまり、生そのもののように捉えがたいものだからなのでしょう。
 それはまるくもなく、四角でもなく、過去でもなく、未来でもなく、間近であって、しかも遠くあるからなのでしょう。この詩人がこの詩を書くとき、こういうことを考えていたかどうか、わかりませんが。私はこの詩
を読んで「森の地図」というのは、生命(いのち)の雰囲気だなあと感じました。
 つまり、この詩のなかの<森>は<生命(いのち)>に書き換えることもできるのではないかと思います。
生命(いのち)が森になったとき、何とそれは誰にも感じとることができる不思議なやさしさにみちていることか!
     
     森はどこにもいかない
     けれど 森は通り過ぎていく
     雨をくぐりぬけ 風をくぐりぬけ
     光も闇もくぐりぬけて
     
     記憶の森の雨の神はやわらかい靴を履いている

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