命日

 今日は7月3日。前田千代子さんの亡くなられた日です。三年前の今日はすぐそこにある。その2週間前に富山の病床を見舞い、交わした会話。その翌日金沢のホテルからかけた電話での「私は水野さんに励まされて詩を書いてきただけ…」という彼女の静かな口調を思う。そんなことではなかっただろうに。 もっともっと生前に彼女に会って話をきいておきたかった…という無限の思いばかりくりかえしよみがえる。
 その旅から帰ってきて、私はすぐ体調を崩し、10日ばかり入院してしまった。6月30日に退院して翌日、手紙をすぐ書いて投函したが彼女には読んでもらえなかったと思う。手紙は彼女のとこに7月2日に着いているにしても、彼女は同日の朝には倒れ、意識のないままに3日に亡くなったのだから。だから私の最後の手紙は今も彼女のあとを追いかけているだろう。空のどこかを。
3年前の日記を読むと、欄外に小さく、「閉じし翅 しずかにひらき 蝶死にき」 (梵) と書かれている。

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無言館

先日、赤レンガ倉庫で戦没学生「祈りの絵」展を見たとき、前田美千雄さんという方の絵があり、ふとこれは亡き詩友前田千代子さんの身寄りの方の絵ではないかと気になった。
 
それで前田千代子さんのご主人にお葉書を出して伺ってみたところ、お返事が来て、それはやはり千代子さんの父上の御兄弟とのこと…つまり千代子さんの叔父様にあたる方だと分った。清楚な感じのスケッチが二枚、その折に購入した本に載っていてさびしい海辺の風景とフィリピン島のスケッチであった。千代子さんからはこの方のことは聞いていなかった。でも彼女の血筋にはやはりこういう方がいらしたのかと思いつつ、解説を読み直した。千代子さんが生まれたのは昭和23年だったから、彼女はその方が死去された後で生まれている。
千代子さんが他界されてもう3年。明々後日の7月3日は3回目のお命日だ。
時を経て展覧会で偶然こういう出会いをするのも不思議なことだった。
(前田美千雄 大正3年6月、神戸市垂水区に生まれる。昭和7年東京美術学校日本画科入学。…昭和19年再召集され、5月頃フィリピン、ルソン島マニラに上陸、20年8月5日頃戦死。享年31歳。)
(美千雄が戦地から妻・絹子に送った絵葉書は400通をこえた。…どれもが生きて帰るまで待っていてくれという愛の便りだった。しかしフィリピンに転戦後、その便りはぷっつりと途絶えた。絹子さんはその夫のくれた絵葉書を何度も何度も暗記するほど読んで暮らした…)以上『無言館』の解説より。

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森と芸術

昨日、目黒の庭園美術館で「森と芸術」展を見てきた。
「芸術はどのように、森を描き、森を想い、森を懐かしみ、森をふたたび獲得
 しようとしてきたか。」
 
 このカタログには巌谷國士の解説が載り、人類の記憶に残る森の文化史が、
 作品とともに語られる。最初におかれているアンドレ・ボーシャンの愉しい森の
 風景に始まり、デューラー、コロー、クールベ、アンリ・ルソー、 ゴーギャン
 その他から、エルンストなどのシュルレアリスムまで、(なかにはギュスターヴ・
 ドレやアーサー・ラッカムなどの絵本やグリム、アンデルセンの挿絵も)並べら
 れていて、私はちょうど同人誌「二兎」で森についての作品や鼎談を発表したばか
 りなので興味が尽きなかった。
 見終わって、雨上がりの、まだ濡れた庭に出ると、美しい庭園のあちこちにチェスの 駒のように 黒、白 の椅子やベンチだけが点々とおかれ(人影も少なく)、背の高 い林に囲まれた緑一面の芝生が広々とひろがっていて、絵の中の森の余韻みたいに思 えた。
 
 
 

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真夜中の庭 その他

今日は、最近読んだばかりの本の紹介です。
 数日前に朝日新聞の広告で『真夜中の庭』ー物語にひそむ建築ー(みすず書房)というのを発見した。その後偶然横浜ランドマークの本屋さんの棚にこの本をみつけてぱらぱら見ているうちに、どうしてもほしくなって買ってしまった!
 だがこれは収穫だった。さっそくその夜、読みだしたら、面白くて止まらないままに、あっという間に最後まで読み終えてしまった。
 取り上げられているのは「ナルニア国ものがたり」「ムギと王さま」「アッシャー家の崩壊」「木のぼり男爵」「ゲド戦記」「グリーン・ノウ物語」「クマのプーさん」、もちろん「トムは真夜中の庭で」「ムーミン童話全集」も!その他たくさんあるがここでは、略します。
 著者植田実さんは建築関係の仕事がメインの方らしく、一貫してこれらの物語を
建築空間というか、家というスペースとかかわる空間的認識の中で語っておられるので、そのせいもあってか、自分が何回も読んだはずの物語が、いまや異なる角度からの光をあてられた別の物語性をもって、生まれなおしたようで、(またまだ読んでいない本もいくつも取り上げられているので)新しい本の贈り物を再度手にしたわくわく気分をプレゼントされた。ファンタジーや童話、幻想小説などの好きな方には特にお勧めです。
 次に週刊ブックレビューの児玉清さんが遺された二冊の本。集英社文庫の「負けるのは美しく」と新潮文庫の「寝ても覚めても本の虫」。私は「負けるのは美しく」を読んだばかりだが、これはほんとにおもしろく、ページをめくるのももどかしく読み進めたといってもいいくらいだ。読書家の児玉さんの文章力にも初めて触れることができた。同時に彼の役者としてのあり方(それは彼の人となりをそれとなくうかがわせるもの)や、人生のさまざまのつらい経験、九死に一生の思いがけない経験などを、ユーモアあふれる文章で描いていて、彼のファンならばだれもがひきつけられるものと思います。(たとえファンならずとも…。)あと一冊の「寝ても覚めても本の虫」が残っているので、これも楽しみです。

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続き(2)

最後に受賞の日のパンフレットに紹介された自分の作品も載せます。『ユニコーンの夜に』からです。
   
          なぜ
      小さな言葉のはしきれが
      どこかに
      こぼれ落ちているが
      その場所が見あたらない
      夜明け前の暗さのなか
      出来事だけが   
      ゆめのなかでのように
      通り過ぎる
       …さっき傘をさして
       黄色い花の森をさまよっていた
       あのうしろすがたはだれ…
      読み残したものがたりが
      どこかでまだ続いているらしい
      枕もとで
      羊歯色の表紙が
      夜ごとめくられていくのも
      そのせいだ
      電車の棚に置き忘れられた
      赤い傘の上に
      雨が降りしきるのも
      そのせいだ
       …いつだったか
       あの傘を
       太陽のように
       くるくる回していたのはだれ…
      もうひらかれることのない
      傘の骨が
      網棚できしんでいる
      遠ざかるプラットホームで
      くろい犬が鼻をあげ
      どこまでも…わたしを
      追ってくる日々 
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以上で小野市詩歌文学賞受賞報告を終えます。
詩とは何か、と考えてもなかなか答えは出てくれません。受賞の際にいただいた辻井喬氏のこの詩集への講評に「人生への開き直り」ということばがあって、その意味を今後への一つの問いとして受け止めています。
 そんなことを想いながら昨日横浜美術館で、長谷川潔展を見ました。現実の土壌に根を下ろしながら、完璧な異世界にそれを移植し、深い宇宙性をもつ作品へとそれを昇華した長谷川潔の仕事。特に風に種子を飛ばす雑草たちの毅然とした美しさがいつまでも消えません。
  
””””””””””””””””””””””””””””””””””””
       すべての芸術家は、多かれ少なかれ「神秘」を表そうとするものだ。        ただ、ありきたりの手段によってではなくそれを表そうとする。現
       代の画家の中には、対象をぼんやりと眺め、それをデフォルメさせ
       るにとどまる人が多い。しかし私は、一木一草をできるだけこまか
       く観察し、その感官を測り、その内部に投入する手段をもとめる。
       できるだけ厳しく描いて一木一草の「神」を表したいがゆえに。
       現代は,神性の観念よりはいって絵にいたる。私は,物よりはいっ
       てその神にいたる。
        東洋の思想と西洋の技法の結晶   長谷川 潔より           
                

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続き

 第三回小野市詩歌文学賞の続きです。この賞はもともと小野市出身の上田三四二氏の例年の短歌フォーラム(今年で22回目)から生まれた賞で、その年の短歌、俳句、詩の、それぞれの分野の成果に対して与えられるものとのことです。
 おかげさまで、私は思いがけず受賞の機会を得たのですが、会場では普段触れ合うことの少ない俳句や短歌の方々とも接する機会を得て、興味深く、愉しい経験を得ました。 詩を書く行為は常に孤独なものですが、このたびは受賞詩集に対する辻井喬氏からの講評をうかがい、ふいに外から差し込むまばゆい光を感じることができありがたく思いました。それは同時に詩を書くことの厳しさと、責任につながるものなのですが。
 小野市は偶然亡き母の故郷でもあり、気持の底にずっと何か表現しがたい不思議さを感じていました。キツネやタヌキなどに化かされた曽祖父の話や、ホタルの乱舞する
沼や池の話などを子どもの頃、母からきいていたその地で、市長さんから新しい市政のあり方をうかがったりしていると、また別の不思議さを感じるのでした。
 さて、ここではせっかくの詩歌文学賞の話なので、俳句、短歌部門の受賞の方のお作品を3つずつ挙げさせていただいて、報告の一部にさせていただければと思います。
 小池 光 「山鳩集」より
      山門を出で来し揚羽とすれちがひ入りゆく寺に夏はふかしも
      夕暮れに雨戸を鎖(さ)すはいつまでもさびしき仕事その音きこゆ
      古井戸に落ちたる象のこどもあり井戸をこはして引き上げられつ
八田木枯  「鏡騒」より
(はった・こがらし)
      桜守おほまがどきをたかぶりぬ
      七月や生きとし生けるものの数
      金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ 

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ご無沙汰

気が付いたらまた2か月近くたっていました。自分のブログ無精にあきれながら、反省しています。習慣にすればいいのですが。
今日は近況報告です。このたび「ユニコーンの夜に」という詩集で、小野市詩歌文学賞という賞を受賞したため6月10日から13日まで神戸近くまで旅しておりました。小野市は神戸から車で50分くらいの市で、偶然ですが私の亡き母の生まれ故郷でもありました。のびのびと緑のひろがる豊かな風土を思わせる土地で、神戸から小野までの車の窓辺に早苗のみどりのみずみずしさも垣間見えて、久しぶりに気持ちが洗われました。この授賞式の経験についてはあらためて書かせていただこうと思います。
 受賞の後小野市の親戚のものに案内してもらい、明石海峡大橋を渡って、淡路島をドライブし、その夜は舞子のホテルに泊まり、13日に横濱に戻りました。
 家に戻るとこの一か月ばかり、バルコニー一面に咲いていたノカンゾウの最後の一輪が咲き終わるところでした。ノカンゾウとの一年のお別れです。来年もまた会えますように!

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名前のない馬 岩木誠一郎

名前のない馬                 
                           岩木誠一郎
好きな動物は何か という質問に
馬 と答えたときから
すらりと四肢の伸びた生き物が
わたしのなかに棲みついている
電車に乗っているときも
街を歩いているときも
風にたてがみをなびかせながら
遠い物音に耳をすませている
夜が来て
だれかの絵のなかで見た風景が
濃い影をまとって現れると
天に向かっていななくこともある
星空のどこかに
帰る場所があるのだろうか
愁いをおびた眼の奥には
夕陽が燃え残っているのだが

カーテンを開けると
蹄のかたちをした雲がひとつ
ぽっかり浮かんでいることがある
””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
昨日、根岸森林公園の隣の馬の博物館に立ち寄った。白い馬や栗毛の馬が4頭、馬場を
駆けていた。馬場の隣の厩舎に繋がれているのが一頭だけいて、鼻筋が白く、左の後足の先だけが白い。写真を撮りたくなって声をかけたら、大きな目で、じっと私を見てくれた。岩木さんの詩の通り、やっぱり愁いをおびて、澄んだ眼の色だった。花吹雪のなか、馬のその眼を思い浮かべながら帰ってきた。

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夜のバス 岩木誠一郎

岩木誠一郎さんから新しい詩集が届いた。岩木さんの詩のなかに流れている時間の質が好きで、またそこへ戻っては、自分の日常を味わいなおすように何回も読み返してしまう。そしてそのたびにかけがえのない時間の一回性に気がつく。
           
    夜のバス      
                          岩木誠一郎
深夜の台所で水を飲みながら
通り過ぎてしまった土地の名ばかり
つぎつぎ思い出してしまうのは
喉の奥に流れこむ冷たさで
消えてゆく夢の微熱まで
もう一度帰ろうとしているからなのか
こわれやすいものたちを
胸のあたりにかかえて
卵のように眠る準備は
すでにはじまっているのだが
冷蔵庫を開けたとき
やわらかな光に包まれたことも
水道管をつたって
だれかの話し声が聞こえたことも
語られることのない記憶として
刻まれる場所に
ひっそりと一台のバスが停まり
乗るひとも降りるひともないまま
窓という窓を濡らしている

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夢は旅(羽生槇子)

今日は羽生槇子さんの詩集『人は微笑する』から一篇を載せたいと思います。
この詩集はわかりやすい表現の下に人々のもつ普遍的な郷愁のようなもの、宇宙的な想像力、他者へのやさししい思いが感じられ、この日頃の鬱屈したおもいを解放してくれました。
       夢は旅   
                           羽生槇子
  
夢は旅
どこかの集会に来たのでしょうか
それぞれ荷物をまとめ始めているから
集会は終わりでしょうか
荷物を片づけながら だれからともなく
自分の大切な人が亡くなる時の話を始めます
一人 また一人
わたしは 一人ずつの話を聞くたび泣いてしまいます
悲しいこと
  
そこで目がさめます
さめてから
夢の中で話していたいた人の中にわたしの知人が二人いて
しかも二人共 現実に大切な人を亡くした人で
でも その人の姿も表情も覚えているのに
話の内容を何も覚えていないことに気がつきます
夢の中でだけ伝わる言葉 というのがあるでしょうか
金色の日々は早く過ぎ
わたしは ふと 時の流れの音が
滝の流れの音のように激しく聞こえた と思います
     ”””””””””””””””””””””””””””””
なおこの詩集のなかにはさまれた絵が二枚あって、すてきでした。              

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