水野るり子
子どもの頃病気はいつでも目や耳たぶの一部から始まった それ
は水がタオルにしみこむようにじわじわと全身にひろがってくる
ぼくは身をよじってからだのそこらじゅうから病気をしぼり出す
(長い夜だった)朝ごとにぼくはしぼりつくされた一枚のタオル
になって乾き切り つっぱったまま床によこたわっていた
女の子がやってきたのはそのときだった ぼくをそっと抱きかかえ
{あ、ウサギ!} そういってぼくを野原へ連れていった 野原は
空に近かった 花がリンリン鳴っていた ぼくのからだはほどかれ
て灰色の兎になった ぼくらはいっしょにかくれんぼした 花をむ
しった 蛇ごっこした もぐらを空へ投げ上げた 虫たちの翅を一
枚ずつならべていった それから向かい合って頭からおたがいを
食べっこした しっぽの先まで残さなかった
野原の真昼は永かった ジャンケンをすると角が生えた ふたりは
角のある兎だった ぼくらの足はぐんぐんのびて 野原はぐんぐん
せまくなった とんだりはねたりするたびに地平線をとびこえて向
こうがわへころげおちた ぼくらはかわるがわる消えっこした 消
えながら見あげると野原は夕陽で真っ赤に見えた それはかげって
おしまいに黒い空のなかへ吸い込まれていった もう野原へ帰る路
はなかった ひとりで泣きながらうずくまっていると ぼくのから
だはまたひからびてタオルのようにこわばっていった
あの日兎を置きざりにしてぼくは癒って大人になった だが今も病
気の前には野原の影がひろがってくる 兎があの場所でぼくを呼ぶ
のだ
””””””””””””””””””””””””””””””””
はるか以前、女性詩人アンソロジーに寄稿したものです。野原がだんだんなくなって
いくと、ウサギの呼び声もそれとともに消えていくのかも。
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